62


 遠くで轟音が聞こえた気がした。深く深く沈んでいた意識が、浮上を始める。
 しかし美夜が目を開けても真っ暗で、寝起きの頭では状況の把握が出来なかった。手に刀の感触があり、硬いものに体が覆われているらしい。

「李土……?」

 体を小さくして呟くと、美夜を覆っていたモノが上から消えていく。あまり眩しさを感じないことを不思議に思うが、すぐにそれだけ眠っていたのだと気付いた。日はとっくに落ちていたらしい。
 自分は黒い殻のようなものに守られて宙に浮いていた。ふと見回すと、拓麻と千里の部屋が崩壊している。美夜は付きまとう睡魔を追い払い、李土に手を伸ばした。

「李土……」
「すまないな、あまりに騒がしいせいで」

 この惨状の事を言っているのだろう。月の寮の屋根には大きな穴が開き、美夜は屋根の上に下ろされた。そこで、自分に視線が刺さっていることにようやく気付く。

「っ……」

 黒の制服を着て鎌を構える優姫と、大量の茨を腕にまとう零がこちらを見つめていた。
 二人が李土に向ける視線には、明らかな憎しみがある。しかし美夜に向けるのは、混乱や疑問の視線だった。裏切ったにも関わらず、二人は美夜を李土と同じように見ないのだ。
 美夜が動きを止めると、李土に名を呼ばれ、手早く刀を装備した。覚醒した頭で気配を探ると、枢のものが近くにないことが分かる。やはり優姫は学園に残ることを選んだのだろう。零からはもう血の匂いが無く、傷は完全に塞がっているらしい。
 美夜は落としていた視線を上げ、二人を一瞥すると李土に体を向けた。李土に言わなければならないことがある。長い間考えて、やっと出した結論だった。だが美夜が口を開く前に、李土が隣に立つ。察した美夜は開きかけた口を閉じた。

「美夜から離れて!」

 李土が触れる直前に優姫が叫び、美夜と李土の間に割って入る。ついで茨が李土を飲み込んだ。そのくらいで李土が傷つくわけがないと分かっているので、美夜は驚くこともなかった。
 優姫が振り返り、美夜の肩を掴む。必死な様子に、不謹慎ながら苦笑が浮かんだ。

「美夜、危ないからあの人に近づかないで!一緒に戻るんだよ、ね?頼ちゃんと三人でお出かけしよう」
「私、李土の側なのに。近づかないでって言われても」
「……あいつにお前は渡さない」

 茨を従える零がこちらを見て呟いた。ぐらりと頭を揺さぶられたような気分になって、二人から顔を背ける。刀に添えた左手を強く握り、表情から笑みを消した。

「私のこと、"敵"だと認識して。二人とも李土が憎いんでしょう?私の事も同じように憎んでよ」

 二人が李土へ憎しみを向けているのに、一斉に攻撃して命を狙わないのは、自分が李土の傍にいるからだ。李土を殺してほしいとは思わないが、自分への遠慮は必要ない。
 浅く息をして、形成を終えた李土の方へ足を向ける。しかし一歩といかずに優姫に腕を掴まれた。

「このまま行かせるのは、絶対嫌」
「……ごめんね」

 強く見つめてくる優姫に謝って、瞬間的に優姫の懐に入る。刀は向けられないので――対吸血鬼武器である以上、峰でもダメージが大きい――握った拳を腹に入れる。だが美夜が甘かったのか、優姫はとっさに屋根を蹴って美夜から距離を取った。
 気絶させることは出来なかったが、優姫は美夜の腕を離している。結果オーライだ、と美夜は李土の元へと駆けた。行く手を阻む茨は、傷つけることなくかわす。零も加減しているからだろう。
 腕を組んで様子を見ていた李土が、満足そうに笑っていた。まさに美夜が自分で、李土の所を選んだからだ。

「お待たせ李土。口直しでしょ」
「ああ、よく分かってるな」

 早口で言い、李土は体を少しかがめた。美夜が李土のシャツを掴むと、李土は首に顔を埋める。少し長い癖毛がくすぐったい。

「止めろ!!」
「美夜、なんで……ッ」

 気付いた二人が叫んで向かってくる。美夜にはどうすることも出来ないが、その二人に向かって鋭い刃や影が襲い掛かっていた。息つく間もない攻撃に、二人は完全に足止めされる。
 二人に向いていた意識を李土に戻すと同時、皮膚を牙が突き破る。美夜は小さく声を漏らして、シャツを握る力を強くした。耳元で血を飲み下す音を聞き、この血で思っていることが伝わるようにと願った。
 少しの間目を閉じていると、首から牙が抜かれる。美夜は血を拭う李土を見上げ、言葉を待った。

「やはり、美夜の血は美味い」
「ありがと……ねえ、李土――」
「美夜から離れろッ」

 銃声と茨の柱が襲いくる。刀ではさばききれないと厳しい顔をするが、李土は美夜を抱えてそれを避ける。避けた先で振り下ろされる鎌は、淡い光の模様を浮かばせる刀で受け止めた。金属同士のこすれる音がする。

「なんでその人を庇うの?!美夜を、美夜を……!」
「優姫、私は大丈夫。落ち着いて」
「何故抵抗しなかった!」

 怒りを露にする零の声が届く。美夜が庇った李土が茨の標的になり、李土は影のように実体をなくして逃れたようだった。

 泣きそうな顔をした優姫が、力を緩める。美夜は刀を下ろして、李土の気配を探った。形成を終えた李土が宙に立ち、零に攻撃を続けている。
 どうして李土は、自分になにも言わないのだろう。血で美夜の意思を感じ取ってはくれなかったのか。

「よくも美夜を……!」
「待って零!」

 二人の間に割り込もうとすると、優姫が前に立ちはだかる。美夜は優姫に攻撃が出来ない。優姫の表情には、李土への憎悪と美夜への疑問が渦巻いていた。

「優姫退いて、お願い」
「訳も分からないまま、美夜と敵対なんてしたくない!なんで、抵抗しないで咬まれたの……?!あの人はお父様とお母様を奪っただけじゃなく、美夜まで!」
「それは……」
「美夜」

 言葉を探していると、李土が名を呼んだ。零とにらみ合いをしながらも、李土は笑みを浮かべていた。

「ソレ、止めろ。この二人はソレのせいで気付いていない」

 言われた言葉にはっとした。優姫は困惑気味に美夜を見て、零は李土を睨んでいる。そういえばと合点のいった美夜は、[天守月影]で気配を消すのを止めた。
 優姫と零の動揺が伝わった。今自分が発する気配は、人間の気配でも、刀によって引き出された、<レベル:U>による吸血鬼に近い気配などではなく、吸血鬼そのものなのだ。
 <純血種>程ではないが、始祖に近い因子と刀の効果で、優姫らと匹敵するほどのそれだ。

「え……?」

 目を見開く優姫に苦笑を向ける。<純血種>に咬まれたからといって、何の苦しみもなく次の瞬間から吸血鬼になる訳ではない。優姫も記憶が戻ったことで勘付いているだろうし、零は身をもってそれを知っている。
 だから今、美夜が吸血鬼の気配をもっているということは、元々"そう"であったことを意味するのだ。

「ごめん……私は既に吸血鬼だよ。だから二人とも、そんなに李土を怒らないで」

 呆然とする優姫をすり抜けて、零と李土の間に身を躍らせる。美夜が間に立ったことで零が攻撃を止めるが、向かってきた茨は止まらない。美夜は焦ることなく刀を抜いて、目にもとまらぬ速さでさばき、間に合わなかったものは李土が防いでいた。

「美夜は優姫を捕らえろ。その狩人は僕の獲物だ……美夜の血の匂いがして苛々する」
「李土、待っ――――」

 美夜の言葉を待たずして、李土は零への攻撃を再開する。舞う土煙に視界を奪われ、美夜は高く跳んでそれから逃れた。

「零やめて!李土もお願い!」
「俺は、今までこいつがやってきたことが許せない。こいつなんかに、美夜を渡すつもりはない」
「クク……なめた口を。<純血種>に人生を狂わされた愚かな狩人よ、美夜は僕のものだ。美夜が吸血鬼であることも知らなかったくせに」

 引く様子の無い二人に表情を歪める。茨と銃の攻撃は止まることが無く、また李土の攻撃も止まらない。李土は本気で零を殺すつもりであり、零もまた、本気なのだろう。美夜の存在で、零から李土への殺気に歯止めがかけられているのかもしれないが、殺す気で臨まなければ、<純血種>相手に渡り合えない。
 着地点にいた優姫を見据える。美夜に敵意こそ向けていないが、捕らわれてくれる訳がないし、美夜にもそのつもりはなかった。

「退いて、優姫。私は李土の所に行かなきゃならない」
「なんで……なんでなの、美夜。私はお父様とお母様の仇を取りたい……でも今、美夜と別れる事はしたくない」
「ごめんね。私のせいで、悩ませちゃって」
「あの人は零が止めてくれてる……だから私は、美夜があの人の所へ行くのを止める」
「……私は、優姫を狙わないよ?」
「それでも……このまま行かせたら、もう戻って来てくれないような気がするから」

 優姫は弱弱しい声で柄を握る。たとえ敵だとしても、彼女に自分を殺せないとは分かっているし、そのつもりもないのだろう。優姫はあくまで、美夜を止めるのが目的なのだ。
 美夜が優姫を狙わないというのは本心だ。しかし立ちはだかるというのなら、多少手荒な真似をしてでも退いてもらわなくては。美夜はまだ、李土に伝えられていないことがある。
 美夜は一度きつく目を閉じて、刀を優姫に向けて構えた。




 地響きのような音に続いて、屋根と壁の境から破片がパラパラと落ちる。直に目にしなくとも、激しい戦闘が行われていると分かり、千里は顔をしかめた。
 月の寮が崩れない、と言い切れない。むしろ逆だ、その内倒壊するだろう。暴れている者が皆、只者ではないのだから。

「ごめん、ここ今やばいんだ。ちょっと抱っこして運ぶから」

 目を閉じる莉磨に早口で言い、体に負担をかけないようにと抱き上げる。向かう先は理事長の私的居住区だ。夜間部生が守っている陽の寮が恐らく安全だろうが、行くには色々と厄介である。それに自分がついているのだから、居住区でも問題ない。
 人の気配がなく、戦闘音だけが聞こえる寮内を走る。莉磨を極力揺らさないようにと腕に力をこめた。

「……あ」
「莉磨」

 腕の中で莉磨が目を開けた。状況に驚いたのか、わずかに体を固くしたが、すぐに脱力する。支葵だ、と安堵を滲ませ呟くと、安心したのか再び目を閉じる。

「ごめん、今急いでるから。ちょっと移動して窓から出る」
「うん……お腹空いた。あとでチョウダイ」
「うん」

 決して軽くはない怪我のためか、莉磨はすぐに寝息を立てる。その時、一際大きな音がしたかと思うと、寮の屋根に穴が開いていた。音の割に穴は大きくなく、瓦礫も大した量ではない。このまま行けると思ったが、視界の隅に入った黒に、千里は足を止めた。
 黒いコートをなびかせた、暗い目をした男がいた。腕には茨が巻き付いており、千里を見下ろしている。千里はわずかに目を見開いて、しかしすぐに走り出した。




 美夜は、何よりも優先して守るべき保護対象に、刀を向けていた。もちろん、殺すつもりなどない。だが、彼女は美夜が李土へ向かうことを阻むから。

『もう戻って来てくれないような気がするから』

 そう言ってきた優姫に、美夜は答えを返さなかった。この戦いがどんな終わりを迎えても、戻ってこられるなどとは思っていないからだ。
 美夜は強い目をした優姫を見据え、細く息を吐く。目覚めたばかりとはいえ、優姫は<純血種>だ。甘く考えていては、李土の所へなど行けないだろう。

「――参ります」

 屋根を蹴ると同時、中段に構えていた刀を優姫に振り下ろす。案の定それはあっさりと防がれ、優姫が美夜を押し返す。距離を取って再び斬りかかるが、同じく優姫は難なく防いだ。堪えるようにして美夜を睨む優姫を静かに見つめ返し、剣を叩き込む。
 いくら<レベル:U>で、吸血鬼で、刀の力があるとはいっても、<純血種>である優姫の能力にはかなわない。錐生の生まれである零の資質の高さにはかなわない。それは理解している。
 しかし、二人と美夜とでは場数が違う。
 美夜は攻撃を優姫に防がれながら、[天守月影]で気配を消した。優姫が驚いたような顔をしたが、すぐに見失うまいと美夜を見据える。力を込めた優姫に、美夜は押し負けて数メートル後方へ飛ばされた。着地点には瓦礫がある。

「!」

 気付いたらしい優姫を視界に入れながら、美夜は瓦礫に埋もれるように着地して、重いそれのいくつかを蹴る。ほこりで視界に靄がかかったようになるが、気配を探れる美夜にとって、視界はさして重要でもない。
 さっさと屋根に穴でもあけて、煙を立てられれば良かったのだが、生憎"影"は怪力な訳ではない。
 美夜は右手に刀を持って、焦りを露にする優姫に向かって屋根を蹴った。案の定、優姫は美夜を視認出来ていなかった。体をひねるようにして右腕を振り下ろすと、目を見開いた優姫が間一髪で受け止める。

「ッ!」

 金属のこすれる、耳障りな音。重い一撃に足を踏ん張っている優姫の腹に、美夜は左手に握った鞘を入れる。咄嗟に攻撃を防いだ優姫には、美夜の左手に反応する余裕がない。

「セイッ!」
「あ――ッ」

 鞘を思い切り横に凪ぐ。優姫がバランスを崩すと、美夜は一歩足を踏み込んでさらに力を入れた。体を浮かせ、放り出された格好の優姫に足場は無い。

「英さんお願い!」

 下にいるであろう英に声をかけ、美夜は外した鞘をベルトに戻す。刀は抜き身のままで、茨と黒の戦いに向かって駆けた。向かう美夜に気付いた李土が、こちらを見もせず口を開いた。

「美夜、何故優姫を捕らえない?」
「優姫は、この場所が好きだから……っ」
「……ここに来て、僕を裏切るのか」

 茨の攻撃をかわし、零に攻撃を加えながら、李土は冷たい声を出す。美夜は唇をかんで、攻防の激しいそこに突っ込んだ。

「な、美夜!」

 零の声を聞きながら、制止の間に合っていない攻撃の巻き添えとならいよう李土の元へとたどり着く。冷たい目で見下ろしてくる李土に、美夜は懇願するように言った。

「逃げよう。逃げよう、李土」
「……それが、お前の結論か」

 美夜が間に入ったお陰で、二人の攻撃の手が止まる。美夜は李土の袖をつかみ、早口で言った。

「昔みたいに、二人で静かに暮らそうよ。どこか遠くで、誰も知らない場所で」

 優姫を捕らえることは出来ない。優姫は枢を望むから。捕らえた時、傷つく優姫を自分は見ていられないだろう。李土が優姫を諦めてここを去れば、追手はあるだろうが自分も対抗できるし、戦いなく静かに暮らせる可能性もある。
 李土の目はとても冷たい。美夜は刀の柄と李土の袖をきつく握り、お願いだと李土を見上げていた。今ならまだ間に合う。混乱の真っただ中である今引けば、逃げおおせられる。
 自分が出した結論は、とても卑怯なものだと自覚している。だが、優姫を守り、零を傷つけず、李土を生かすにはそれしか思い浮かばなかったのだ。

「……馬鹿な事を」
「李、土……」
「吸血鬼は、おぞましい本能のまま、欲しいモノを求め……手に入れるまで止まらない。それは、お前もよく知っているだろう」
「逃げようよ、李土……私が傍にいるから!」

 零が息をのんだ気配がした。名前を呟かれるが振り返ることなく、李土をすがるように見る。冷たい目をした李土は、その目のままで口の端を上げた。

「僕の傍に、だと?力不足も甚だしいな、お前では」
「おいお前……!美夜が大事なんじゃなかったのか!」
「黙れ、狩人。……いや、"元"だな。お前は僕の獲物だから」
「李土、待って零を――」
「僕を裏切るというのなら、お前はもう用済みだ」

 李土が言い終わると同時に感じる浮遊感と、強い圧力。屋根に戻って来た優姫の悲鳴のような声と、零の焦った声が耳に届く。美夜が李土に言い返すよりも前に、美夜の体は寮の屋根から吹きとばされていた。

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