63
月の寮の屋根から優姫が転落し、その下にいた英は、優姫からの頼みで女子寮に向かっていた。不安がっているであろう女の子たちを励ましてほしい、と言われたのだ。
優姫の傍を離れることはしたくなかったが、自分がいても出来ることは少ないだろうと、苦い気持ちで月の寮を離れた。
新たに増えた、強い吸血鬼の気配については、今は深く考えないことにしていた。元老院の吸血鬼を確実に葬りながら、女子寮のドアに手をかける。体を入れてすぐに閉め、気配の集まっている場所に向かった。
扉の前で一呼吸おく。険しかった表情を笑顔に変えて、両開きの扉を勢いよく開く。
「さあ!僕が悪いやつ全部やっつけたから、もう安心だよ!」
「……」
輝くばかりの笑みで入ったというのに、ロビーに集まって座り込む女子生徒は、反応を示さない。どことなく重い空気が部屋をつつみ、困惑気味に英を窺っていた。
あまりに予想外の反応に、英はドア口で首をひねる。地響きと騒音が相次ぎ、実際に吸血鬼に襲われそうになった生徒もいるだろうに、誰も英を歓迎はしなかった。
「噂が広まってしまたのです」
「うわ、星煉か、びっくりした」
「我々の正体が吸血鬼だと……」
星煉の淡々とした報告に、英は目を見開いた。ひた隠しにしてきた学園の秘密が――この状況で隠し通せるとも思っていないが――人間たちに知られてしまったのだ。改めて生徒を見回すと、向けてくる視線には恐れも交じっている気がする。
自分とは違う存在に向ける、恐怖と好奇の目。英はかすかに不快になりながらも、仕方ないかと髪をかき上げて呟いた。
「気まぐれ以外で人間を助けるなんてはじめてだったのに……感謝されたくてやったわけじゃないけどさ。お前たちか弱い生き物は、こうして怯えることしか出来ないんだろうから」
「藍堂先輩!」
重い空気を断ち切るように、名を呼んで立ち上がったのは、優姫や美夜の親友だった。
「若葉沙頼?」
「ありがとうございました。部屋で助けていただいた時、気が動転して、お礼を言えていなかったから……」
微笑んで言う沙頼に、英は視線を逸らして頬をかく。こう面と向かって感謝されると、悪い気はしないが照れ臭くもある。わざわざどうも、とそっけなく返すと、今度は別の生徒が前傾姿勢で立ち上がった。
「藍堂先輩!私はなんだか、前から怪しいなと思ってました!だから今更怖がったりなんかしません!」
ぐっと拳を握り、力強く言う女子生徒。英が呆気にとられていると、また別の生徒が立ち上がった。寮長、と呟く声が聞こえたあたり、女子寮の寮長なのだろう。
「そ、そうよみんな!今まであんなにお慕いしてたのに、手の平返すなんてどうなのかしら、私たち。襲ってきた奴等と彼らは、仲間ではないわ……!」
立ち上がった三人に、全く恐れがないとはいえない。しかし、英たちを敵と認識せず、受け入れようとする姿勢は確かなものだった。
「な、無理しなくていいよお前ら……悪いけど、今日の事は忘れてもらう。記憶を吸い取って――――」
「やめて!忘れるって何ですか……」
「嫌です、忘れたくない。せっかく隠し事がなくなったのに……!」
寮長が呼びかけると、忘れたくないという女子生徒が立ち上がる。次々に腰を上げ、集まった生徒全員が立ち上がっていた。
英は目を見開いて、部屋を見回す。怯えて過ごした日のことを、望んで覚えておく必要はないのに、彼女らは受け止めたいというのだ。吸血鬼という存在を表に出さない都合上、記憶は消さなければならないだろうが。
理事長が見たら、喜んだろうな。
心の片隅でそんなことを思いつつ、溜め息を吐いて気を取り直す。彼女らの思いは伝わったが、こればかりは英の一存でどうこう出来る問題ではない。
「……伝えておくから、今は座れ」
「でも!」
「分かっているんだろう……記憶のことを最終的に決めるのは、僕よりもっと偉い者たちだ。今僕に頼まれても、僕がその決定をする訳じゃない。伝えておいてやるから、今は落ち着け」
じっと見つめていると、渋々といった様子で彼女らは腰を下ろす。予想外の行動は少なからず嬉しいものでもあったので、英は一人苦笑を浮かべた。
だがすぐに気持ちを切り替えて、被害状況を聞こうと星煉に向き直り――建物が揺れた。
「きゃああっ」
「なに?!」
絶え間ない地響きなどではなく、轟音と共にこの寮が揺れたのだ。外では――特に月の寮では――派手な戦闘が行われている。流れ弾が寮に当たったのだろうと、英は表情を引き締めた。生き埋めなどもってのほかだ。
どこになにがあったのか確認すべきだな、と英は一歩を踏み出し、思わず目を見開いた。強い気配を寮内に感じる。<純血種>ではないだろうが<貴族>とも違うそれは、丁度、月の寮の屋上から感じた美夜のそれだった。
「……美夜」
「この気配は彼女の……?」
「多分な」
呟く星煉に頷いて返し、ここは頼むぞ、と音のした方へと急いだ。
体を寄せ合う女子生徒の間を抜け、階段を駆け上がり廊下を走る。寮の三階に着くと、瓦礫の崩れる音がした。心の中で謝罪して、三階の角部屋を開く。
「うわ?!」
その部屋は、廊下から何事もなく見られたことが不思議なくらい、原型を留めていなかった。英はほこりから顔を庇いながら、部屋を見回す。
壁に穴が開き屋根は崩れ、棚やベッドが木片と化している。穴と向かい合う位置の壁には、瓦礫が山になっており、英は表情を凍らせた。気配はその中にあるのだ。
「美夜!おい!」
美夜が吸血鬼だとは気配で分かっていたが、これでは無事なはずがない。攻撃の大きさからして、李土だろうと予想する。彼女は李土の味方ではなかったのかと疑問を持つが、それどころではないと駆け寄った。
「無事か?!返事を――」
瓦礫に手をかけようとして、言葉を切った。その内側で何かが膨らむように、瓦礫の山が崩れていく。英が距離をとると、巨大な黒い花が開くようにして、瓦礫が押しのけられた。
「!」
「なんで……あの人は」
黒の花弁が四散して、中から美夜が現れる。無傷で座り込んでいる美夜は、右手に刀を握って、自嘲を刻んでいた。消えていく黒に手を伸ばし、指先が空を切ると乾いた笑みをもらす。
立ち尽くす英には、美夜が泣いているように見えた。しかし涙は流れておらず、彼女は緩い動作で視線を動かす。
「あ、英さん……」
「美夜、怪我は?」
「ないよ。あとでこの部屋の人に謝らな――」
弱々しい様子から、美夜に近付くのがはばかられた。言葉を切った美夜を訝しげに見つめていると、美夜はある一点で視線を固定していた。
美夜が見つめているのは、木片の下敷きになっているテディベア。美夜は左手で顔を覆い、力無く笑う。
「美夜?」
「あ、はは……なんだ、私の部屋かあ」
「美夜!」
強く名を呼んだのは、英ではなかった。振り返ると、息を切らせた沙頼が部屋に入ってきている。
英は慌てて沙頼を制し、消えてしまいそうな美夜を悲痛な面持ちで見つめる。
美夜は沙頼に気が付いているようで、顔の片方を手で覆ったままだが、沙頼に視線を向けていた。
英が月の寮から離れた間に、何があったのか分からない。けれど、美夜はなにかをしようとして、結果泣きそうに笑っているのだろう。
「沙頼、駄目だよ……危ないから」
「分かってるわよ!でも先輩が美夜の名前を呟いたから、居ても立っても居られなくて……!」
「ごめんね」
「っ……優姫と、お買い物に行くって約束したの。あなたも含めた、三人で」
「……そっか」
了承しない曖昧な返答に、沙頼が美夜に駆け寄ろうとする。英は腕を掴んでそれを止めた。沙頼は美夜の事情を知らなさすぎる。かくいう自分も同じなのだが、だからこそ、触れてはいけない気がしたのだ。
沙頼が唇をかむのを視界の端でとらえる。美夜はこちらに微笑みかけると、瓦礫の中で立ち上がった。刀を持っていない方の手で服をはたき、大穴を見据える。
「美夜……」
沙頼は苦しそうに呟くが、美夜はもうこちらを向かなかった。現れた時とは反対に、背筋を伸ばし、曇りない目で大穴から外を見る。外はもう日が落ち、吸血鬼達の世界になっている。
美夜は何も持っていない左手を前に突き出すと、飛んで、と噛みしめるように言う。しかしなにも変わらず、美夜は眉を寄せていた。
「飛んで。飛んでよ……戻らなきゃいけないのに」
「美夜……?」
「お願い、飛んで。お願いだから……」
美夜の目にはもう、英も沙頼も映っていないのだろう。大穴から外を見、月の寮の戦場を真っ直ぐ見つめていた。
「お願い、李土のところへ……!」
懇願するように言った直後、美夜の指先から、黒の羽がはばたいた。
零と優姫は、お互いを庇い合いながら、絶え間ない攻撃を李土に加えていた。しかし決定的な一撃が入らない。[血薔薇の銃]も[狩りの女神]も、対吸血鬼力が強いのだ、一撃でも決まれば勝負はつくだろう。
「甘いな……美夜が僕に懐いていたからと、攻撃に迷いが見える」
「……黙れ」
「あなたはどうして……美夜を!」
屋根から吹きとばされた美夜は、陽の寮にぶつかったのが視認出来た。大きな傷を負っただろうが、死んではいないと、零も優姫も気配で分かる。
遠ざかってくれたことにわずかに安心すると同時、簡単に彼女を切り捨てた李土への敵意が増していた。
湧き出てくるような影の刃を、優姫が斬りおとす。すると、月の寮が大きく揺らいだ。とうとう限界らしい、と優姫は巻き添えにならないよう一足先に屋根から飛び降りる。
「零、崩れるよ!」
「分かってる」
派手な音と砂煙を立て、一際大きな地響きをさせながら月の寮が倒壊する。零は茨で身を護り、李土は肉体を変形させることでダメージはなかった。
そうして土煙が収まった頃、鎌を構えていた優姫はふと視線を上げた。同じように気付いた零も顔を上げ、李土は一人嘲笑を浮かべている。
陽の寮の方向から、無数のコウモリが真っ直ぐに向かっているのだ。枢かと一瞬思ってしまったが、感じる気配に目を見開く。コウモリは優姫らと李土の間に降り立って、みるみる人型をつくり――刀を握ったままの美夜が、無傷でそこに立っていた。
「美夜!怪我は?!」
「お前、どうして戻って……!」
「私は大丈夫。二人とも……私に任せてくれないかな」
優姫と零に背を向けたまま、美夜は李土を見つめてそう言った。何かを決めたような、しっかりとした声だった。
否、彼女は決めていたのだろう、と優姫は直感的に思った。零も何かを感じとったらしく、睨むように、だがどこか苦しそうに、その背中を見ていた。
そして二人が何か言葉を発するよりも前に、美夜は髪を泳がせて地面を蹴っていた。
美夜は鋭い殺意も、迫りくる攻撃にもひるまず、李土に向かって駆けていた。李土に負けないくらいの殺意を向けながら、黒い刃を的確に避ける。道を塞ぐように現れる影は最小限の動きで切り裂き、地面から何かを感じ取ると軽いステップで、現れた柱を避け、顔は前に向けたまま斬りおとす。
李土は黒い微笑を浮かべたまま、迫る美夜を見据えている。だが攻撃は容赦がない。美夜もまた、容赦なく刀を振るった。
「それでいい、美夜。平穏を荒らすこの僕に、刃を向けろ」
「……私が、止めるから」
分かっていたのだ、李土が逃げるという選択肢を取らないことくらい。求めるものを手に入れないままで、彼が引き下がるわけがない。そう分かっていたからこそ、美夜はどこかで覚悟していた。
李土を葬るのは、この自分の手で。
攻撃をかわし、斬り、着実に李土との距離を詰めていく。李土に勝つのは難しいが、零や優姫との戦闘で体力を消耗している今、[天守月影]を持つ自分なら出来るだろう。
李土との距離が近くなる。何よりも大切な、自分自身の世界を、他でもない自分の手で壊すその時が、迫る。
「ッ……!」
地面から湧き出た黒い壁を、刀を横に薙いで切り裂いた。水を斬ったような奇妙な感覚が消えると、深く嗤う李土がそこにいる。
嫌だ、嫌だ、嫌だ。李土を殺すなんて。
切先を心臓に向けて構えるが、美夜の迷いが照準を逸らした。スローモーションのようにそれが自覚出来、美夜は眉を寄せて李土を見上げる。
こんなぬるい攻撃を、李土ならば容易にかわせてしまう。意識がそれている今の自分は、李土からの攻撃を簡単に食らうだろう。そんな冷静な分析をしつつ、美夜はそれもいいかと思っていた。
逃げだと言われてもいい、自分の手で世界を壊すことが、怖くてたまらないのだ。
「李――――」
「"殺せ"」
「!?」
逸れたはずの照準が修正される。刀の切先が心臓に定められ、体が勝手に動く。手に、肉を斬る独特の感触が伝わった。
刀が李土の胸に刺さり、他でもない美夜の手が、刀の柄を押して刃を埋め込んでいる。深く食い込んだ刀は李土の体を貫通し、次々に血が溢れていた。
「ああ……ッ!なん、なんで、李土!」
「ッぐ……美夜」
「今、どうして……!私に命令なんて、したことなかったクセに!!」
「美夜、美夜」
刀を抜いては出血がひどくなることは分かっているのに、思わず刀を抜こうと柄を握る。だが、美夜の意思に反して刀は埋め込まれていくだけだった。
あ、あ、と意味のない声を発しながら、埋め込まれる刀を凝視する。自分で決めたことなのに、予想外の事態でパニックになっていた。
李土が自ら、命を差し出すなんて。
「美夜、僕の大事な……」
「やだ、李土……私……ッ!」
ピシリと音が聞こえて顔を上げると、李土の顔に亀裂が走っていた。
李土は先ほどまでとは違う、優しい笑みを浮かべて美夜を見下ろしていた。それに言葉を詰まらせると、視界がじわりとぼやけてくる。
「僕の、可愛い、美夜」
「李土っ……ごめん、ごめんね……」
李土が腕を回して、ゆるく抱き寄せてくる。滲んだ視界は黒で染まり、美夜はきつく奥歯を噛んだ。また亀裂の走る音がして、それは次々に美夜の耳に入る。任務の時に何度も聞いた、吸血鬼の壊れる音だ。
すがるように、つなぎ留めるように、李土の背中に腕を回す。李土も強く美夜を抱き締めて、耳元に口を寄せた。
「……美夜、あいして――――」
一際優しい声が届いた瞬間、美夜を包んでいた暖かさが消える。視界を埋めていた黒も、消える。支えを失った刀は、重力に従って地面に落下した。
瞬間、頭が冷えていく。もう彼はいないのだと、おかしいくらい静かに理解した。
視線を足元に落とすと、そこにあるのは塵の山。塵はわずかな風でも運ばれ、空気に溶けていった。その中に埋まるように刀が落ちており、ただ茫然とそれを眺める。
「李土、私も……あいしてる」
冷たいものが頬を伝い、塵に吸い込まれた。ぽたりぽたりと落ちるそれを他人ごとのように眺めるが、不意に力が抜けて、その場に膝をついた。
――私が、彼を、壊した。
「美夜……っ」
二人が駆け寄ってくる気配がする。美夜は涙を乱暴に拭うと、座り込んだまま刀を鞘に納めた。激闘が嘘のように静まり返った中で、躊躇うような足音が近づいてくる。
「ありがとうね、二人とも……譲って、くれて」
笑いながら言おうとした言葉は、涙で濡れていた。優姫が横に座り込み、立ち上がる気力もない美夜を抱き締める。頭には、大きくて優しい手の平を感じた。美夜は動く気が起きず、されるがまま優姫にきつく抱き締められる。
「あり、がとう……!私の世界を、守って、くれて……!」
「……優姫。私は、それで、救われたよ」
美夜の代わりと言わんばかりに、優姫は涙を流していた。美夜は泣くことも叫ぶこともせずに、焦点の合わない目で、風にさらわれていく塵を見送った。
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