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 静まり返った支葵家の地下に、その二人はいた。血臭が残る空の棺を前に、一翁は後ろの人物に語り掛けた。

「枢様……私を滅ぼしに来られたのですか。今に復活された、我らが尊き始祖のお一人がわざわざ……」
「貴方にはお世話になったから……一条麻遠。それに僕は、"眠り"前の調子を取り戻したからね」

 薄暗い地下室に、抑揚のない静かな声が響く。薄く緊張した空気が張っていたが、まだ殺意の類はこめられていなかった。一翁は振り返らずに、何かを思い起こすように目を伏せる。

「ここは、李土様が十年間療養されていた地下室です。やはりこの場所に立つと、私のやってきたことは正しかったのだと再確認できる。……"玖蘭家"という存在を有効に利用することで、元老院は円滑に吸血鬼社会の"管理"の役目を果たしてきた」

 一翁は表情を変えずにそう言った。枢もまた、眉をピクリとも動かさずにそれを聞いていた。しかし、空気は確実に鋭さを増している。

「そう……私は正しいことをしてきたつもりだ……枢様、むしろ非があるのは貴方の方ではないですか?」

 そう言われても、枢は言葉を返さなかった。元老院の考え方は既に良く知っており、溝が埋まらないことも分かっているのだ。
 今更言葉を交わして和解出来るとは思えないし、話し合うべき時はとうに終わっている。枢の代わりに言葉を返したのは、息を切らせて入って来た拓麻だった。

「慎んでください、お祖父様。手段を選ばないやり方は不幸でしかない……僕はやっと思い知りました」

 一翁が拓麻の名を呟き、ゆるりと顔を向けた。拓麻は枢の隣に立ち、一翁に初めてと言っていい反抗をする。
 元老院のやり方を遺憾に思いながらも、一翁に従ってきた拓麻だが、今は自分の意思を強く持った目で一翁を見据えていた。
 こんな不幸の連鎖は終わらせなければならないのだ。自分の役目はこれを置いて他にない。拓麻は別れ際の美夜の言葉に背中を押されるようにして、枢を見て微笑んだ。枢もまた、拓麻の方へ顔を向けていた。

「枢……あとは任せてくれる?」
「……そうだね。僕にとっての"一条"は、君一人でいい」

 あっさりと引き下がった枢は、拓麻に背を向けて歩き出す。冷たく響く靴音に交じって聞こえた言葉に、拓麻は少し笑った。枢からめったに聞けないたぐいの言葉に、状況の大きさを感じると同時、不謹慎ながら嬉しくも思った。
 拓麻は握る刀に力を込めて、まっすぐに一翁を見る。一翁はその視線に厳しさを増していて、しかし拓麻が怯むことはなかった。

「僕は偉そうな口をきいておいて、貴方の作った枠からなかなか抜け出せないでいた。……お祖父様、一緒に一条家の幕を下ろしましょう」

 拓麻が扱う武器は、当然対吸血鬼用武器ではない。ただの刀であり、"分解"という拓麻の能力の媒介である。
 一翁を倒すには、どんな形であれ首か頭か心臓をつぶさなければならない。自分の何倍もの時間を生きる一翁を倒すには、自分も覚悟をもって挑まなければ。
 死ぬつもりはないのだが、「一緒に」と言ったことに嘘はなかった。そして、そのことに対する悔いもなかった。





『若芽のうちに色んな世界を見てほしい……瑞々しい世界で、自由に笑ったり泣いたりしてほしい。だから、いらない命なら……貴方の持っている学園ごと、私にちょうだい?』

 ハンター協会と対峙する理事長の頭に、遠い記憶の言葉が再生された。大量吸血鬼殺しのハンターとして知られていた頃、吸血鬼を憎み、自分をも嫌った結果、<純血種>を葬ろうとしたことがあった。
 まず襲ったのは旧知でもある玖蘭樹里で、理事長は見事に返り討ちに遭ったのだ。
 その時に言われた言葉だった。身ごもっていた彼女は、自分の子供が吸血鬼社会の淀んだ空気にさらされることを望んでいなかった。冷徹なハンターは、"宿命(しがらみ)"の意味を失わせるような彼女の囁きを受け入れた。
 そうして出来た砂の城が、今まさに崩れようとしている。
 対峙する協会長は、隷従する吸血鬼に加え、元老院の吸血鬼も戦力として投入していた。ハンター協会と元老院は、やはり強く結びついていたらしい。

「"ハンターだから吸血鬼を狩る"、"吸血鬼だから敵だ"なんて……そんな理由は、俺にとってはもう意味が無い。その理由が汚れた私欲に利用されるなら、尚更だ」
「耳を傾けるな。その男は今も、自ら逃した協会長の座に未練がある。協会長の権限は思いのほか大きいからな……命令を聞かぬ者を処罰するのも……」

 刀を振るいながら、協会長を睨む。私欲という言葉に反論するハンターもいたが、彼らは本気で、この協会長の行動がハンターの理念に基づいていると思っているのだろうか。
 欲に目がくらんだ協会長による、自分の欲を満たすためのものであると気付かないのだろうか。

「おい、俺は夜間部を目指した奴らを止めてくるぞ」
「頼むよ。こっちはすぐ片付く」

 理事長と背を合わせるようにして戦っていた夜刈が、早口で言って地面を蹴る。相手の戦力が増え、かなりの数の者の侵入を許してしまっていた。
 上流吸血鬼ほど気配を探れるわけではない理事長は、寮から離れたこの場所から、流石に生徒の様子を感じ取れない。
 理事長でさえそうなのだから他のハンターや協会長も分からないだろう。夜間部生の無事はもちろん、敵である<純血種>がどうなったのかも。
 理事長は振り返らずに見送り、周囲の吸血鬼を一掃すると、協会長を厳しい目で睨んだ。穏やかなものはそこになく、協会長を上司ではなく一人の敵として見ていた。

「今ここでその男を、協会長でいられなくしてやる……どいてくれ」

 理事長の気迫に押され、ハンターたちは歯向かってはこなかった。協会長の前に立つと、畳んだ扇を顔につきつけられる。理事長は意に介さず、欲で歪んだ協会長を見据えた。

「……黒主。やはり自分が協会長になるつもりか。錐生の双子と同じ、生まれながら罪を背負った者……牙を持たない吸血鬼とも言われる、この忌まわしい者が。あの子のように従順であれば良かったものを」
「……」

 理事長は無言で、協会長の手首をつかむ。協会長は予想外の行動に手を引こうとするが、きつく握ってそれを許さない。
 顔を近づけて匂いをかぐと、わずかに人間のそれとは違う匂いがした。やはりと思いながら、理事長は顔を上げた。

「お前の体からわずかに……以前は無かった吸血鬼の匂いがするのは、何故だろうな」

 言い終わると同時、刀でその腕を斬り飛ばす――斬り飛ばせてしまう。対吸血鬼用武器で人間を傷つけることは出来ないにも関わらず、だ。
 協会長が恐怖で意味のない言葉を発す中、理事長はどこまでも冷静だった。腕の傷口からは、生き物のように血が踊っている。

「おいまさか……」
「協会、長……?」
「あ、あ、私は吸血鬼になった覚えはないぞ!ひいっ」

 何故、何故、と繰り返す協会長にハンターたちは困惑の眼差しを向ける。理事長はその様子を静かに見つめ、淡々と述べた。

「毒にも活力にもなる<純血種>の血……お前に血を分けた吸血鬼は、恐らく主張の激しい人物。取り込んだつもりが、逆に取り込まれていたんだろう」

 きっと、その血の主こそが、美夜の主でもあるのだろう。美夜の慕う吸血鬼が、目の前の協会長を取り込んだ吸血鬼と同一だと、どうしても違和感がある。敵だというその<純血種>は、いったいどこに本質があるのだろうか。

「……お前は、どれだけのものを引き換えにして、元老院からその血をもらった?」
「くくっ……私は、憐れなあの子やお前たちが存在を許されるために、力を尽くしてきたのだ。私を失い、それを後悔と共に思い知るだろう……」

 体中からうごめく血液が皮膚を突き破り、とても人とは思えない姿になった協会長は、気味の悪い笑みを混ぜて言った。
 冷やかに協会長だったそれを見ていると、数秒とおかずに塵へと姿を変えた。協会長だったそれが舞う中で、ハンターの一人が理事長の肩を掴む。

「おい!協会長が……なんだこれは!」
「間違えた者の末路だよ……俺がこうなっていてもおかしくはなかった」

 協会長に従っていたハンターたちは、ようやく協会長のしていることに気付いたらしい。そして同時に、この学園の危うさそのものを認識したようだった。

「いや……黒主、あんたも十分間違えているよ。人間の子の学び舎に蜂の巣を持ち込んだのは……あんただ」
「……」
「誰かの為とかいう、"私欲"でな。……黒主灰闇、身柄を拘束する」

 数人のハンターが理事長を囲って立つ。しかし理事長は動揺もなく、ハンター達を見回した。夜間部創設の時に、自分の責任の重さは理解していたのだ。このような事態になって、今更逃げるつもりもない。
 ただ自分はこの学園の理事長であり、蜂の巣を持ち込んだ者として、このまま拘束される訳にはいかなかった。

「……先に、学園の責任者として、後始末をさせてくれないか。吸血鬼達の爪跡を……」

 そして自分は、子供たちの戦いがどうなったのか、見届けなければならないのだ。





 一人の<純血種>が死んだその場所で、美夜は自分の肩に顔を埋めてしゃくりあげる優姫と体を離した。塵の山はもうそのほとんどが風にさらわれてしまっている。美夜は座り込んだまま、優姫の涙を拭ってやった。

「……泣かないで。優姫は何も悪くない」
「だって……美夜が、泣かない、からっ……ふっ」
「そっか……でも私は大丈夫だよ。自分で決めてたことだから」

 口角を上げて言ったつもりだが、ちゃんと笑えている自信はなかった。優姫はきつく眉を寄せて、それでも、涙をとどめようとはしてくれている。
 感情に対して素直に涙する優姫を眩しく思いながら、泣かないで、ともう一度言った。

「優姫、寮に戻って支度をした方がいいよ。枢さんと行くんでしょう」
「っ……でも、じゃあ美夜は……どうするの?」
「心配しないで。後を追うようなことはしないから……ね、必要なものを準備してきた方がいいよ。見送りには行くから」

 美夜を見る優姫は何か言いたげで、しかし口は一文字に引き結んだままだった。
 促すように微笑みかければ、優姫は重い腰をようやっと上げる。美夜は立ち上がらずに、塵の積もっていた場所に手を添えた。
 優姫が零と短く言葉を交わしていたが、耳に入ってこなかった。ほどなくして優姫の気配は遠ざかり、美夜と零がその場に残る。
 美夜は零が口を開く前に、独り言のように呟いた。

「……どんな吸血鬼にとっても、<純血種>の命令は絶対で。でも李土は、私に何か命令したことなんてなかったの」
「……美夜」
「あの人らしくないよ。最初で最後の命令が、自分を殺すことだなんて……もう、なんなんだろ」

 乾いた笑みをもらして、美夜はゆっくりと立ち上がった。背中に零の視線を感じる。面と向かって何と言えばいいのか思いつかず、振り返ることが出来なかった。
 ただ突っ立っていると、ザワリと音がして視界に入っていた茨が動く。その茨に誘われるように、美夜は顔を後ろに向けていた。振り返るつもりはなかったのだが、嫌な感じがしたのだ。そして見ると案の定、茨が零の血を吸い上げていた。

「零っ」
「くそ……っ」
「[血薔薇の銃]、零を離して」

 零に寄生するように絡みついている茨は、外れる様子がなかった。美夜は眉を寄せて、強くその茨を掴む。
 対吸血鬼用武器である茨は、吸血鬼となってしまった美夜にも反発した。美夜はその痛みには反応せず、険しい顔つきの零に小声で謝った。

「ごめん零、痛いと思うけど……!」

 思い切り力を込めて、零と茨を引き離す。苦しげに呻いた零だが、茨は何とか外れてくれた。離れた茨は、見る見るうちに銃へと姿を戻していく。
 美夜はその様子を見下ろして、意図的に零を視界に入れないようにしていた。

「隠していた私の吸血鬼因子と……<レベル:U>の因子が目覚めたせいだね、ごめん」
「……謝るな」
「そういう訳には、いかないよ……全部、私のせいだもの」

 弱弱しい声で言った直後、腕を強く引かれて優しいそれに包まれる。驚きに目を見開いたが、それは一瞬で、自然と力が抜けていた。
 ほんの少し前まで一緒にいて、言葉を交わしたはずなのに、とても久しぶりに触れたような気がした。零の薫りがして、力強く繋ぎ止めてくれる腕にすがりたくなる。
 零は少しの間を置いて、悲痛な声で言った。彼を悲しませていることは辛いけれど、生きているということは守れたということなのだろうか、と心のどこかでぼんやりと思う。

「俺は……お前と玖蘭李土の関係なんて知らない。でも、お前があいつを大切に想っているのは分かる」
「うん、大切。……大切な、私の世界なんだよ」
「頼むから……辛いことを隠さないでくれ。そんな笑顔を見せられても、余計に苦しいだけだ……!」

 凍った心が溶かされるように、知らず涙があふれていた。李土を殺した直後に涙したが、もう泣くつもりはなかったのに。涙は自分の弱さであり、それを見せられるのは李土だけだったから。にも関わらず、零の腕の中で涙が頬を伝っていた。
 大切な、大切な存在を失って、辛くないはずがない。ぼろぼろの心を無理矢理に形作っていたのだが、いとも簡単に崩れてしまう。遠くを見ていた目に光が戻り、涙は枯れることを知らないようだった。
 いつもは自制出来ていたが、零の背に腕を回すのを止められない。広い背中を抱き締めると、零も同じように腕に力を込めてくる。
 零のシャツを濡らしながら嗚咽をもらすと、耳元で穏やかな声がした。

「我慢しないでいい……一人で泣くな。俺にぶつけていいから」
「……わたし、だましてた。うらぎった、んだよ?ずっと……味方のふり、して……わたし、吸血鬼だって、こともっ」
「それでも美夜は美夜だ……何度も俺を救ってくれた」
「うっ……っく……ぜろぉ」
「っ……守ってやれなくて、悪かった」

 これは自分の選択だから、守ってもらいたいわけではなかった。優姫や零、そしてこの学園を守ると決めたのは他でもない自分自身で、可哀想などという言葉は望んでいない。李土を永すぎる時間から解放するのは、強要されたわけでもなく、自分で決めたことなのだから。
 それでも、失ったことはどうしようもなく苦しい。そしてぼろぼろになった心を守ってくれる腕が、どうしようもなく心地よかった。




 どのくらい泣いたのか分からない。泣き疲れ、ぼうっとし始めてようやく涙は止まった。ほとんど零に預けてしまっていた体重を戻し、たたらを踏みつつもしっかりと立つ。

「……ありがと。すっきり、した」
「美夜……」
「あとごめん。服、汚しちゃって」
「そんなこと気にすんな」

 俯いたまま袖で涙を拭い、鼻をすする。声を上げて泣いた訳ではないが、声が少し掠れていた。しかし今の自分は吸血鬼だ、喉も目元もすぐに治るだろう。
 零を見上げると、自分に言いたいことが溢れているのがすぐに分かる。美夜は困ったように笑って、問われる前に口を開いた。

「服、変えてきたら?」
「別にいい」
「なんか申し訳ないし……優姫の見送りまでまだ時間あるよ、枢さんまだだから」
「……お前は」
 
 美夜は少し迷ってから、ここにいる、と呟くように返した。
 涙は止まったが、まだしばらくは李土の爪跡の残るこの場所に浸っていたかった。彼がいなくなったことを割り切れるほど、自分は強くも何ともない。
 不安そうな面持ちの零に、死なないよと念のために言う。零はわずかに目を剥いてから、ふと表情を和らげた。そしてもう一度美夜を抱き寄せて、静かに呟いた。

「……ありがとう。守って、くれて」
「!……ん」

 優姫や零に拒否されてしまうと、自分のしたことまで否定される気がしていた。だからこそ、二人の言葉は嬉しい。自分のしたことに後悔していなくても、肯定してくれる言葉は救いだ。
 止まったはずの涙がまた溢れそうになって、慌てて目をこすっていた。

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