65
激しい戦闘が嘘のような、静まり返った夜の学園で、夜間部の主だった面々は陽の寮の屋上に集まっていた。夜間部生だけではなく、夜刈の姿もある。理事長は他のハンターに見張られながら被害を見て回っているため、そこにいなかった。
彼らが注意を向けるのは、今しがた戻って来た枢と拓麻である。夜間部生の様子と気配で大方察したのだろう、拓麻はやり切れないような表情を浮かべていた。枢はポーカーフェイスの中に、わずかに悲しさを混ぜていた。
敵の死は、友人である少女に辛い決断をさせたということを意味する。
夜刈は煙草に火をつけながら、独り言のように口を開いた。
それは一連の事件の真相だった。
「……錐生の現役二人がなぜ、<純血種>に殺されなければならなかったのか、俺はずっと調べていた。そして元老院と協会幹部の癒着を知った時、確信した。四年前のあれはただの<純血種>の暴走ではなかったということ……元老院と協会の関係を裏から腐らせたヤツがいるんじゃないかということを」
「アレは零が……いえ、彼女が片づけてくれました。元老院の管理下にあった、過去、玖蘭の家系図から抹消された男ですよ」
枢から返答があるとは思わず、夜刈は遠くを見る枢を一瞥する。わざわざ言い直した当たりがコイツらしい、と眉をひそめた。
口を閉ざしたままの夜間部生は、一様に表情を苦いものにしていた。
「てめーも酷なことをさせる……事情は知らないが、天然記念物とあの男は無関係じゃなかったんだろ?」
「正直僕も、詳しいことは分かってません。彼女は優姫を守った……それで十分です」
枢はそう言って、視線を背後へやる。屋上へ続く階段から、最愛の妹がまっすぐに枢の所へ向かってきていた。
優姫は少し躊躇ったが、腕を回して枢を後ろから抱き締めた。枢は表情を緩めて、優姫の腕に手を添える。
「おにいさま……」
「ありがとう、優姫。約束を覚えていてくれて」
ありがとう、と噛みしめるように口にする枢に、優姫は抱きしめる力を強くした。緊迫した空気がわずかにほぐれ、だが聞こえた音に再び張りつめる。夜刈が自分のライフルの銃口を、真っ直ぐ枢に向けていた。
「……仮にも秩序を保っていた奴らを、お前は潰したんだ。確かに元老院は憎々しいがな、これからいらん争いが次々生まれるぞ」
夜刈は殺気を隠しもしない。夜間部生は警戒をはじめ、枢の前に優姫が立ち、さらにその前に拓麻が立ちはだかった。夜刈は枢に向けていた視線を、"ボケ隠居の娘"に向けた。面影は確かにあるが、<純血種>として目覚めた優姫は何かが違っていた。
そしてもう一人、以前とは違う空気をまとう存在が屋上へやって来ていた。
「夜刈さん、優姫に銃は向けないで下さい」
「っ美夜!零も!」
「優姫、遅くなってごめん」
地面から跳んできたのか、ひらりと屋上に降り立った美夜は、夜刈を見つめて圧力をかける。
夜刈は溜め息をこぼして銃を下ろし、今度は美夜を睨んでいた。そんな夜刈を、零が牽制するように見る。
刀を持ってはいるが、美夜は気配を隠していない。英や暁といった夜間部生から向けられる複雑な視線に気づき、苦笑を向けた。零の隣に立ったまま、次は枢らを見る。
「あの、一翁は……」
「……僕が」
短い言葉だが全て伝わり、美夜は眉を寄せて視線を落とした。拓麻を責めることもなく、うん、とだけ呟く。
「お祖父様が、『すまなかった』と」
「……私に?」
「うん」
「……そ、か」
枢と目は合ったけれど、言葉を交わすことはなかった。代わりにということだろうか、枢に促されて優姫が美夜へ突進する。力のある今、美夜でも小柄な優姫は受け止められるが、零が背中を支えていた。
「来てくれてありがとう」
「見送りに行くって、約束したから」
「うん……ありがとう」
「私の方こそ、ありがとう。沢山ごめんね」
離れることを惜しむように腕に力を込めてから、自然と体を離した。至近距離で目が合い、にこりと笑う。優姫には美夜への気遣いを浮かんでおいて、また美夜は優姫への心配を浮かべていた。
「もう一つの約束も、忘れないでね」
優姫は腕を下ろしながら言い、美夜は少し目を見開いた。
「……ありがとう」
約束が何を指しているのか分かり、それを守れる保証などないとも分かっている。だから頷くことはせずに、苦笑して礼を述べた。優姫は追求せずに、寂しそうにしただけだった。
零は何も言わないまま、優姫の頭を小突く。いつもなら眉を寄せる優姫だが、今回ばかりは小さく笑う。そのまま背を向けて枢の所へ戻っていく。
美夜は頭に心地よい重みを感じて、見上げずに微笑した。
「優姫、行こう。僕たちはもうここに居るべきではない」
この場にいる者に背を向けた枢は、優姫を促して歩き出す。枢は、この時のために手は尽くしたということ、戦った者たちへの礼を口にして、屋上から去って行った。
主が去ったというのに、枢至上主義の英や瑠佳も追いかける様子はない。そうすべきではないと察しているのだろう。夜間部生は皆、どこか寂しげな面持ちで枢を見送っていた。
枢と優姫の気配が遠ざかり、妙な沈黙が落ちる。
それを破ったのは、夜刈が銃を構える音だった。
「……で、お前はなんなんだ?天然記念物」
「師匠……っ」
「黙れ、零。同情くらいはしてやるがな、それとこれとは話が別だ。……答えろ、てめーは人間か?吸血鬼か?」
美夜は銃口を向けられてもひるまず、じっと夜刈を見据える。動きそうな零の袖を掴み、英たちにも大丈夫だと一瞥する。
「吸血鬼です」
「人間のふりして……あの娘と同じってことか」
「少し、違います。優姫は元々<純血種>で、人間になってましたが……私は元々人間です。<レベル:U>ではありましたけど」
夜刈が眉を少し動かす。美夜は軽く首をすくめ、さらりと言った。
「人間かつ<レベル:U>で、李土の牙により吸血鬼になり、術式で人間になり、その術式を解いたので吸血鬼に戻ったんです」
「……そりゃ、手の込んだことを。おまけにあの"影"ときた」
「はい」
夜刈はため息をついて銃を下す。ガシガシと頭をかいて、で?と気だるげに問うた。
「自分がすべきことは、分かっているつもりです。私は全て知ってますから」
「全て、ね」
「枢さんのいない今、詳細を聞く対象は私か拓麻さんでしょうけど……私自身の詳しい事情を知ってるのは、李土と一翁だけでしたから」
美夜は掴んだままだった零の袖を離し、夜間部生に向き直る。
ご迷惑をおかけしました、と深々頭を下げ、姿勢を戻すと瑠佳が駆け寄ってきた。
「……心配、したのよ」
「ごめんね。普通科生を守ってくれてありがとう」
「当たり前だろ」
英が呆れたように言うので、美夜は頼もしいよと笑った。その笑顔は痛々しいものではないが、無理しているのは誰にでも分かる。
「……さっさと行くぞ、"影"」
「はい」
「……美夜、どこへ行く」
階段へ歩き出そうとして、零に腕を掴まれる。少しバランスを崩しながら零を見上げると、訝しげに眉を寄せていた。しかし不機嫌というよりは心配してくれているらしい。
「零、分かってんだろ。そいつは協会本部に連行する」
「連行って……!」
「美夜は敵を倒してくれ――――っ悪い」
「いいよ、気を使わなくて」
夜刈に食ってかかる瑠佳と英だが、英は失言に気付いて罰が悪そうに顔を逸らす。美夜は苦笑を浮かべて首を横に振った。
「それは結果論だ。あの男の側である天然記念物が学園に侵入したのは事実だろうが。……それにさっきそいつが言ったとおり、玖蘭枢がいない今、聞きたいことは山ほどあるしな」
「……零。拓麻さんは夜間部のこともあるから」
零が睨むように拓麻を見る。今拓麻の手が空いていても美夜が協会へ行くことに変わりはないし、遅かれ早かれ、一翁の孫である拓麻にも聴取は行われるだろう。壱縷も動けるようになれば、一度は協会に赴くだろう。
睨み合いとまではいかないが零と視線を合わせていると、夜刈が何度目かしれない溜め息をこぼしていた。
「夜間部の<貴族>どもはさっさと部屋に戻るなり家に帰るなりしてくれ。協会のハンターは血の気の多い奴ばっかりだ、ここに残るのは勧めねぇ。まあ、その辺の事は一条拓麻(アンタ)に任せる」
「ええ、分かっています」
「で、零。もう一度言うぞ、『分かってんだろ』」
それは美夜が協会本部へと行くことと、零がこの場に残ることを指している。この騒動の後始末をするには、一人でも多くのハンターが必要だ。
「…………くそ」
美夜は掴む力の強くなった腕を見下ろし、密かに自嘲気味に笑う。自分自身や夜刈の言っていることに加え、もう一つ無視できない理由がある。零も気付いているはずだが、あえて口にしないのだろう。
美夜は零の手を外し、力の抜けたような笑みで零を見上げた。
――飼い慣らしを受けていない<元人間>を野放しには出来ないのだ。
たとえ美夜が<レベル:E>化を脱しているとしても、ハンターとして凄腕であるとしても。
「……戻って来いよ、必ず」
噛み締めるような言葉に、美夜は微笑を浮かべただけだった。
- 66 -
prev│愛しき君に幸あれ│next
ALICE+