68


 太陽が高く空に昇っている時間帯、夜刈を先頭に数名のハンターが協会本部に入る。動けるようになった壱縷や、零の姿もそこにある。
 ロビーに入った途端、そこにいたハンターの視線が夜刈らに集まった。連絡はしてあったので驚いている様子はないが、零が殺気立っているのが原因だろう。

「零」
「……」

 壱縷が溜め息まじりに零の名を呼ぶと、零は眉間の皺は深いままで鋭い空気を抑えた。
 零が学園を発つという夜刈に同行を申し出た時、夜刈は以外にもあっさりとそれを許可した。零の行動を予想していたのかもしれない。
 つまり、零の不機嫌の原因はそこではない――刺青の事を聞かされなかったからだ。

「いい加減落ち着きなって。言ったら零が反対するから、言わなかっただけだろ」
「……分かってる。分かってるが、不愉快なものは不愉快だ」

 零は壱縷を一瞥する。壱縷の傷は完治していないにしても大方治っており、生活に支障は出ていない。
 零は早く美夜の所に行きたいのをなんとか堪え、夜刈の背を睨むように見ていた。
 零と壱縷、夜刈の他に、三人のハンターが協会に戻った。夜刈は零らを振り返り、淡々と言う。表情にはとれない疲れが表れていた。

「あと二時間くらいで黒主が来る。俺も時間が無いからな、晃咲の聴取はその後すぐに行う。聴取が終わるまではあいつに会うなよ……特に零」
「……」

 壱縷の聴取は学園で済ませてあり、ならばなぜここにいるのかと言えば、零と同様、同行を希望したからだ。

「とりあえず黒主が来るまでは適当にしてろ」
「――よう、夜刈。今の話、ちょっと待ってくれ」
「!……は?帆泉……さん、どうしてここに」

 ひょっこりと現れた男に、夜刈の顔が引きつっていた。
 零は険しい表情のまま、夜刈に敬語を使わせる男を見る。
 ハンターのようだが、吸血鬼を思わせる空気を一瞬感じた。丁度、理事長のようなそれだった。
 零は、一体何者か、と思考をめぐらした。"帆泉"そのものは、有名なハンターの家系ではないはずだ。にも関わらず、夜刈に敬語を使わせる者――不意に一人の名前が頭に浮かぶ。
 会ったことがあるような気もしたが、そこまでは覚えていなかった。

「……零、誰あれ」
「帆泉七瀬。……密集区駆除を一人でこなすハンターの一人」
「そっちは錐生の双子か。へえ、でっかくなったなお前ら」

 帆泉が視線を零と壱縷に向ける。そう言われても生憎覚えていないので、零も壱縷も軽く会釈をするだけだった。
 帆泉は気を害した風もなく、夜刈に向き直っていた。

「灰閻が来たら、だっけか?」
「そのつもりですが」
「まだ昼間だろ。あいつはもう夕方に起きて朝方に寝る生活になってる。……せめて六時にしてやれ」
「お言葉ですが……こっちにも時間に余裕はないので」
「俺もそれは譲れねえな」

 にやりとしながらも真剣な声音で告げる帆泉に、零は首をひねった。
 帆泉の口ぶりから、美夜と親しいのだろうかと思う。しかし、帆泉は本部にいること自体が珍しいハンターだ。美夜と知り合っているとは考えにくい。

「晃咲美夜の都合に合わせなければならない理由は」

 押し黙ってしまった夜刈だが、少し棘のある声で問う。
 夜刈と理由は違うにせよ、美夜に会いたいのは零も同じなので、じっと帆泉の返答を待つ。
 帆泉は一度視線を落として、どこか斜めを見ながら口を開く。

「アマ……あー、晃咲は精神的に不安定だ。生活リズムを崩させたくはない。ましてや昼間だ、あいつはもう吸血鬼だからな」
「そんな理由ですか」
「そんなとは何だ、そんなとは。……<レベル:E>に堕ちないったって、狂うことはある。あいつが本気で暴れてみろ、俺と夜刈でも止められるか危ういんだぞ」

 あいつが暴れるのは<純血種>どころか始祖の暴走と大差ないからな、と帆泉が付け足した。
 彼女の因子の都合を考えれば納得できる話で、零はやや視線を落とす。
 どうして自分は今、こんな所にいるのだろうか。美夜に会いたい気持ちと、拒絶を恐れる気持ちが渦巻いていた。いつからこんなに弱くなったのかと殴りたくなる。

「飼い慣らしの刺青があっても、ブレスレットを近づけられなければ意味がねぇ」
「……美夜が不安定だというのは」

 零が問いかけると、帆泉は零に顔を向ける。なんとなく嫌な予感がして、零は真っ直ぐ帆泉と視線を合わせた。

「血液錠剤の消費量が半端ねぇんだよ。打ち合いで気分転換はさせてるが……綱渡り状態ってところだな」
「もしかして、その腕の痣……」

 一人のハンターが言うと、帆泉は自分の腕を見て苦笑した。一部分が青紫に変色している。回復力の早いハンターにそれほど濃い痣がついているのだ、よほど強い力で何かをぶつけたのだろう。
 そして話の流れから、美夜によるものだというのは明らかだった。

「お互い自分の刀だから、俺が斬られることはないんだが……斬られなくても痣は残るからな」
「このクッソ忙しい時期に、普段から忙しいはずのハンターが怪我を負ってまで気に掛けるなんて、どういうことなんですかね」

 夜刈の言葉に、帆泉は口の端を上げた。

「俺の可愛い可愛い弟子の為だからな。たまには仕事の放棄くらい許せ」
「天然記念物がアンタの弟子……?」
「お前のいう天然記念物が晃咲のことならな。まーあいつ自身は、俺が気まぐれでここに留まってると思ってるだろうが。……なあ夜刈、話を聞くのは夕方でいいよな」

 疑問形ですらなかった。
 にやりと笑って言う帆泉に、夜刈が深いため息を吐く。それは了承を意味していて、帆泉は満足そうに夜刈の肩を叩いた。帆泉が美夜を気にかけているのは本当らしい。
 夜刈は頭に手を当てて、聴取を始めるときには呼ぶからと解散を言い渡した。
 しかし零はそこを動かない。帆泉もまた動かず、協会のロビーで向き合うことになる。
 帆泉が動かない理由は分からないが、零には聞きたいことがあった。先ほどの会話で引っかかっていたことを、短く問いかけた。

「……美夜に、怪我は」
「俺にアマモリを殺す気はねぇし、アマモリももう俺に殺されるほど弱くもねぇ」

 アマモリという呼び名に首を捻ったが、すぐに武器の名前にちなんだものだと気付く。

「命に関わらない程度の怪我をしてるってことですか」
「そう怒るなよ。会いに行くか?」
「……いえ、師匠からも止められましたから」
「それには俺も賛成だ。……錐生兄、アマモリと親しいんだってな」
「……」
「今のあいつは、なにがきっかけで崩れるか分かんねぇ。お前が来ることは勘付いてるかも知れんが、落ち着くまで個人的な接触は勧めないぞ」

 そう言った帆泉の視線は、零を試すかのようだった。心地悪さを感じながらも反抗する気にもなれず、そもそも何に対して反抗すればいいのかも分からない。ただ、情けないほど美夜に対して弱腰な自分に苛々した。
 美夜に何度も救われたくせに、いざという時、自分は力になれなかった。何も知らずに美夜に救われ、守られ、彼女を傷つける結果となった。
 美夜に拒絶されても罵倒されても、反論することは出来ない。

「……どちらにせよ、陽が落ちる頃になれば会える。聴取には同席するんだろ?」
「そのつもりです」
「それは、夜刈からの強制か?それとも、アマモリの口から聞きたいっていうお前の意思か?」
「……両方です」

 夜刈に同行を申し出た時、同席するよう言われていたので、嘘ではない。後者だと言えずに視線を斜め下に落すと、帆泉が笑った気配がした。

「正直なのは良い事だ。じゃ、また後でな」
「……はい」

 帆泉がひらりと手を振ってそこを離れる。
 彼がこの場に残ったのは、零が自分に用があると察したからだろうか。それとも最後の質問を投げかけるためか。

「最低だ……俺」

 絞り出すように呟き、右手で顔を覆った。
 夕方美夜の聴取が済んだら、部屋を訪れてゆっくり話をしよう。
 そんな言い訳がましいことを思いながら、頭を冷やそうと射撃場に向かった。


* * *


 美夜が最初に感じたのは、むせ返るほどに濃い血の匂いだった。
 閉じていた目を開けるが、そこに広がるのは闇。血臭に顔をしかめ、奥歯を噛み締めながら視線を動かすと、足元が血溜まりになっているのが分かる。

「!?」

 足を動かすと、ぬちゃりと音がする。暗闇に目が慣れたのか、自分の体もあちこちに血がついているのに気付いた。

「っ……」

 冷静になるにつれて、飢えが襲ってくる。
 自分の腕に爪を立てなんとか堪えていると、急に視界が明るくなった。
 そうは言っても、天井や壁があるべき場所は黒で塗りつぶされ、不気味さは拭えない。
 辺り一面、血の海だった。床に血がまかれているというより、血で出来た池に立っているようだ。
 恐る恐る辺りを見ると、この血の海に伏すいくつもの存在があった。
 どれも見慣れた顔だった――普通科生に夜間部生、ハンターや元老院の吸血鬼たちが息絶えている。
 そして美夜の近くには、優姫と零の姿もあった。

「あ……ああ、あ」

 自分の守るべき存在が、血の海に倒れている。飛びそうになる理性をなんとか保ち、たたらを踏んだ。
 倒れている亡骸は、光のない目を美夜に向けていた。優姫と零も例外ではない。
 一体誰が、こんなことを!

「お前だよ」
「っ」
「お前がやった。お前が殺したんだよ」

 暗闇から、ゆらりと李土が現れる。
 飛びつきたいほど嬉しいのに、この状況がそれを思いとどまらせていた。

「李土……ねえ、どういうこと」
「美夜がこいつらを殺したんだよ。優姫にまで手を出したのは褒められないが……いい子だ。僕の邪魔をする者を全て葬ってくれた」
「ちが……私、そんなこと」

 大切な二人を手にかけるなんてあり得ない。あってはならない。
 美夜は足元の亡骸を見ていられず、正面の李土を見つめていた。彼が動くたび、血の海が音を立てていた。

「僕に嘘をつくなんて、美夜らしくないじゃないか」
「嘘じゃなっ……私、こんなことしてない」
「嘘だ。美夜は僕の邪魔をする者を、残らず黙らせてくれただろう」
「優姫や零にまで、刀を向けるなんて……!」
「出来るさ、美夜になら。だって――――」

 目の前まで来た李土は、柔らかく微笑んでいた。
 美夜がすがるように見つめていると、李土は美夜の頭を撫でてくれる。しかし、その大きな手が頭からずり落ちたと思うと、バシャリと音をさせて李土が血の海に倒れた。

「お前は、僕を殺したのだから」

 自分の世界の消失に、美夜は泣くことも叫ぶことも出来なかった。
 ただ耳をふさぎ目を閉じて、その場に小さくうずくまった。




 目を開けると、すっかり見慣れた天井があった。
 体中汗だくで、小さく震えているのが分かる。頭に残る濃い血臭に、深く呼吸をした。
 美夜の起床時間は午後五時だ。吸血鬼にしては少々早い時間だろうと美夜は考えている。今日は五時よりも早くに起床したようで、美夜は仕事のなくなった目覚まし時計を止めた。
 ベッドの上に座り込んだまま、血液錠剤の入った大きなプラスチックケースに手を伸ばす。本来なら、他の平に乗るサイズのピルケースから血液錠剤を出すのだが、それでは追いつかないため、予備のケースから直接口に運んでいた。
 落ち着くまで錠剤を食べ、ベッドから下りて立ち上がる。
 着替えを出しながら感じた気配に、瞬時動きを止めた。

「……来たのか」

 刀が近くにないので、本部内の全ての気配を探れるわけではないのだが、妙に荒れている気配があった。
 感じたことのあるそれに、美夜は自嘲を浮かべて着替え始めた。
 おそらく、あまり時間をおかずに呼ばれるだろう。それまでに支度と軽い食事を済ませておこうと行動する。
 美夜の左手の甲には、飼い慣らしの刺青が彫られていた。





 歩く美夜の手に、枷ははめられていなかった。変わり映えのない私服に、髪は下ろしたままで、部屋の中央に立った。
 美夜を囲うように木の柵があり、間隔をおいた正面には夜刈と理事長がいた。座っている二人の後ろでは、帆泉が壁に凭れている。部屋の壁際には他にも数名のハンターがおり、美夜の右手には零と壱縷がいた。
 美夜が入って来たドアが閉められ、ドア横にハンターが立った。
 美夜に怯えなどはなく、正面の夜刈を見据える。今、協会でもっとも力があるのは彼だろうと思うからだ。

「……晃咲美夜」
「はい」
「先に言っておく。正確には、お前は罪人ではない。軟禁した理由はお前が元々人間だからであり、元老院側だったからではない。だから今から行うのは尋問ではなくただの聴取……お前がどういった立場で、どうやって学園に入ったのかを話してもらう。もちろん、だんまりもアリだ」

 夜刈はそこまですらすらと述べて、テーブルに置いてある二冊のファイルを指さした。
 赤と黒のそれは美夜の私物で、しかし美夜は驚くことなくそれを見た。状況が状況なだけに、無断で部屋に入られても咎める気はなかった。

「俺たちにあるのは、これだけだ。ハンター協会にも元老院にも、お前に関する資料はない」
「!」
「……お前が嘘を言おうがどうしようが、俺達に判別は出来ないってわけだ。晃咲美夜に罪がある訳じゃねえし、話す内容で何かが分かるってこともない。俺としては、正直に話してくれた方が助かるがな」

 美夜は夜刈から目を逸らさず微笑した。右から、抑えられてはいるが強いプレッシャーを感じているが、それでも夜刈を見据えたままだった。
 入室した時に帆泉には会釈をしたが、右手の零は全く見ていないのだ。
 罪はない――ハンターたちの認識は、美夜はハンター協会と切っても切れない関係にあったがために、今回の抗争に巻き込まれてしまったという所だろう。<純血種>殺しは大罪だが、ハンター側からすれば、吸血鬼を殺すことは罪ではない。
 しかし、美夜は今回の件にかなり関わっている自覚がある。自分の資料が元老院にもハンター協会にもないのは、恐らくだが李土からの配慮だろう。彼はきちんと美夜へ逃げ道を用意していたのだ。
 美夜は二冊のファイルを一瞥して、口を開く。
 これから話すことが全てだ。適当な事を言えば、抗争に巻き込まれた憐れなハンターとなるだろう。だがそうなるつもりは微塵もなかった。

「話しますよ、全て。事実のみを」
「……こちらの予想としては、孤児になったお前を協会が保護し、その後ハンター協会と協力関係だった元老院の玖蘭李土と接触、吸血鬼化……ってところだが」
「えっと……私の身の上話になるんですけど」
「話したくないなら、いいんだよ?」

 夜刈の隣に座る理事長が、気遣うように言ってくる。どこまでも優しくしてくれる理事長に嬉しくなりながらも悲しくて、美夜は首を横に振った。
 自分の立場を明かした時点で、全てばれてもいいと思っていたのだ。それに、逃げるつもりは毛頭ない。
 美夜は斜めに視線を落として、頭の中で整理していたことをすらすらと述べた。
 夜刈が言っていた、ハンター側の予想は"逆"なのだ。

「……私の家族が殺されたのは、十年前ではなく十二年前。そして私を保護したのは、ハンター協会ではなく元老院です」
「じゃあお前は……」
「ハンター協会から元老院と関わったのではなく、元老院からの紹介で[天守月影]の使用者に抜擢されました」

 夜刈が眉をピクリと動かした。可能性としては考えていたのだろう、理事長たちにも驚いた様子はなかった。
 美夜はそのまま淡々と続けた。

- 69 -

prev愛しき君に幸あれnext
ALICE+