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今から十二年前、美夜の家族は殺された。その後、元老院に保護された――もとい、玖蘭李土の餌として捕獲された。
<レベル:U>という稀な餌は、李土に気に入られ、気まぐれで失血死することなく吸血鬼になった。
吸血鬼になっても<レベル:U>の特性が失われることは無かった。李土はこの餌をひどく気に入り、<レベル:E>におとすにはあまりにもったいないと考えた。そして自分の血を与えてみた所、美夜の<レベル:E>化は止まり、完全な吸血鬼となった。
美夜は李土に懐き、また李土も美夜を可愛がった。
しかしその二年後、李土は玖蘭家を襲撃し、再起不能に陥ってしまう。
残された美夜の対処に元老院は悩んだ。李土のお気に入りである彼女を処分しようものなら、李土が目覚めた時どうなるか予想できない。しかし、残しておくには彼女はあまりに世間知らずだった。
そこで一翁が、ハンターとして育てるという案を出す。<レベル:U>の特性を失っていない彼女ならば、吸血鬼の因子の暴走で我を忘れることもないのでは――そう考え、当時使用されていなかった[天守月影]の使用者候補として名が挙がった。
術式により、簡易的に吸血鬼因子を封じた美夜は、協会の手先となるため、同時に李土が目覚めた時の切り札となるためにハンター協会に預けられた。
帆泉を師とし、まともに運動すらしていなかった美夜は修行の毎日を送り、一流のハンターとして知られるまでになった。
そのままハンターとして過ごしていくはずだったのだが、元老院がある情報を掴む。
それは、"緋桜閑が玖蘭優姫を狙っている"というものだった。黒主学園高等部入学式の一月と少し前のことだった。
優姫は李土の大事な存在だ、他の吸血鬼に傷付けられてはならない。それを重々承知してた美夜は自ら、優姫の盾となると手を上げた。
元老院とハンター協会は、それを全面的にバックアップすることを決めた。
エスカレーター式の黒主学園に外部から入学するには、大きな組織からの推薦か、特待生として入学するしかない。美夜は大事な切り札だ、前者の手段で入学し、協会や元老院との関わりを知られる訳にはいかなかった。そうなると特待生として入学するしかなく、その時期には特待生の選考が終わっていたため、元老院の丁寧な根回しや記憶操作で、美夜の入学を決定させた。
勉強したことのなかった美夜は仕事の傍ら、寝る間も食事も惜しんで勉強し、特待生に見合う学力をつけるよう励んだ。読み書きも危うかった美夜は入学式の一月前から勉強を始め、二ヶ月という短期間で驚異的な学力向上を成功させた。
そうして、学園への潜入を果たす。
「……あとはご存知の通りだと思います。李土が動き出したことで私も李土側に戻り……最終的には李土を屠(ほふ)りました」
「波瀾万丈だな」
「まあ……まれだとは思います」
軽い調子で口を挟んだのは帆泉だ。口元にはいつものにやりとした笑みが浮かんだままで、ちらりとそちらを見た美夜はつられるように苦笑した。
そしてすぐに表情を引き締め、夜刈に向き直る。夜刈は頭をかいており、美夜が理事長に視線を移すと、はっとしたように顔を上げた。
「……どうして君は、優姫を守ってくれたんだい?」
何故李土を裏切り、学園側に着いたのか、ということだ。
口に出して確認せずとも、真っ直ぐな理事長の目を見ればわかった。
「色々考えて……そうすることが、一番だと思いました」
「君自身の主に刃を向けることが?」
「はい。そうすることが、一番……守りたいものを、守れると判断しました」
「……君の守りたいものは、何?」
「優姫と、零と、李土……だと思います。突き詰めれば」
美夜は、右側の空気が揺れたのを感じた。緊張が緩み、純粋な驚きが伝わる。
それでも顔は前を向いたままで、同じような驚きを滲ませている理事長を見つめていた。
美夜の口にした内容に驚いたというより、それをさらりと口にしたことに驚いているような印象を受ける。
「……嬉しいよ、理事長として」
「だがお前は、その李土を滅ぼすことを決めたんだろう。……その理由は」
「夜刈」
「黙秘も出来るんです、聞いて悪い訳ではないでしょう」
帆泉が咎めるように夜刈を呼ぶが、夜刈はそう言って撤回はしなかった。
らしくもなく瞬時動揺した美夜だが、夜刈の言う事は十分理解している。一度目を閉じてゆるりと呼吸をしてから、口を開いた。
「師匠、いいです。……李土を終わらせる理由の前に、言っておくことがあります」
「……なんだ」
「多分、一翁さえ知らなかったことで…………李土の目的は、優姫を取り込むことでは、なかったんです」
李土はより強い力を手に入れるために、若い<純血種>である優姫の血を求めた、というのが元老院の認識だった。ハンター協会も同じだ。誰もそれを疑わなかったが、李土の目的はそれと異なる。
知っていたのは、おそらく自分だけだと美夜は思っている。李土が周囲の誤解をあえて解こうとしなかったことも知っているのだ。
「李土はただ、自分と同じ時間を歩める存在を求めていたんです。優姫を取り込むんじゃなくて……あの人は自分の隣で、優姫に生きてもらうことを望んでいた」
李土は歪んでいたけれど、家族を愛していたし、永すぎる時間に押しつぶされるほどには人間味があった。
<純血種>は正気を保ったまま、永遠に等しい時間を一人で生きていくことは出来ない。
美夜ではその役目を負えなかった。必ず李土よりも先に滅びてしまうからだ。
愛する妹は弟を選び、婚約者は人間を選び、妹によく似た姪は王の元を選んだ。
李土が美夜の刃を避けなかったことが、李土の限界を表してもいたのだろう。
「私の何百倍も生きたあの人は、時間に負けてしまっていました。……これから一人で生きて、完全に壊れてしまうくらいなら、私が終わらせたかった」
だから学園を裏切ったことは否定しなくても、李土を裏切ったつもりはない。自分は最後まで李土のことを考えていたから。そんな言葉は飲み込んで、美夜は左手の甲をさすった。
周囲のハンターが言葉を選んでいるような空気が伝わって、美夜は手元に視線を落とした。
今更何を言おうと、李土の印象が良くなるとは思っていない。
「……李土がしてきたことは知っていますし、李土を許さなくていいので」
小さく呟いて、夜刈に顔を向ける。問いかけたいことはもうないのだろうか、口は閉ざしている。理事長も帆泉にも、何か口を開く様子はなかった。
「あの、私に仕事をもらえませんか」
「は?」
「元老院がなくなって協会長が死んで……吸血鬼たちの行動が活発化しているはずです。私を拘束する理由がないのなら、ハンターとしての仕事を下さい」
左手の甲には飼い慣らしの刺青がある。元々人間だった吸血鬼が生活するために必要なものではあるが、美夜にとっては、ハンターとして協会に出入りするためのものだ。
刺青を彫り聴取が終わったなら、美夜を拘束する理由はないはずだ。美夜にはハンターを辞めるつもりなどないし、客観的に見ても、美夜が動かないことの損失は大きいだろう。
真面目だねと苦笑する理事長の隣で、夜刈はやや厳しい目をしている。なぜ働きたいのかと視線で問われていた。
「この事態は、李土が引き起こしたものです。……李土を殺した罪を背負うことも出来ないなら、尻拭いくらいは、させてください」
いっそ、李土を殺したことを責め立てて欲しかった。だがそうならないことは、自分もハンターであるので承知していた。
自分は彼のことを忘れないけれど、このまま普通の生活に戻ることは耐えられない。
「これ以上……私から彼を奪わないで下さい」
お願いします、と噛みしめるように言って頭を下げた。
居心地の悪い視線を感じる中、帆泉が鼻で笑ったのが聞こえた。
*
零が、協会内の談話室の一つでソファに座っていた。
片手に袋を持った壱縷は、靴音をさせて零に近付く。気付いているだろうに、零は顔を上げない。
壱縷は袋を片手にソファの横に立ち、これ見よがしに溜め息を吐いた。
「まったく、なにしてんの兄さん?俺、ウジウジした零なんて見たくないんだけど」
「……何の用だ、壱縷」
「オニイサンを慰めに」
「……」
硝煙の匂いをさせた零は、鋭い目で壱縷を睨みあげている。
壱縷は怯むことなく、肩をすくめただけだった。
壱縷の体には完治していない傷があり、激しい運動は控えなければならない。傷跡は残るだろうと言われていて、今も洋服の下は包帯が巻かれている。一時は棺桶に、片足どころか片足以外突っ込んだようなものなのだ、奇跡的な回復である。
「俺さ、正直かなり意外なんだよね。零がこんなに大人しいの。駄々をこねて美夜ちゃんについて行くと思ってたから」
「……」
「さっきもそうだし今もそう。何でそんなに大人しいの?」
「……俺は、何も知らなかったから」
独り言のように吐き出された言葉だが、片割れの言いたいことは壱縷に伝わっていた。自分の兄はこんなに女々しかっただろうかと可笑しくなる。
「ああ、『何も知らないくせに』って美夜ちゃんに言われるのがこわいんだ」
「情けないことにな」
「うん、最低だね。でも……違うだろ、零」
壱縷は座っている零の胸倉を掴み、無理矢理立たせた。体の傷がひどく痛んで顔をしかめたが、胸倉を掴んだまま零を睨む。
今の自分は零に負けないくらい険しい顔つきだろうと思った。
「……離せ、壱縷」
「離さないよ。美夜ちゃんがそんなこと言うと本気で思ってるわけ?俺さ、美夜ちゃんと付き合い短いけど、あの子がそんなこと言うと思えない」
「……」
「零、お前は思い知るのが怖いんだ。美夜ちゃんの中は李土でいっぱいで、自分の入る所なんて無いんだって、思い知るのが怖いんだろ」
「……」
「ばっかみたいだよ、ほんと」
睨むばかりでいい返さない零を、鼻で笑った。
壱縷だって零と同じで、美夜の事情などなにも知らなかった。そして話を聞いた時、似たもの同士だと思った。同時に、正反対だとも思った。
家族を殺した<純血種>を慕い、吸血鬼になることを望み、結果、知らぬ間に<純血種>の彼女を失ってしまった自分。
<純血種>の餌として捕らえられ、吸血鬼になり、<純血種>を慕い、結果、自らの手で<純血種>の彼を滅ぼした彼女。
自分は閑を失った時、復讐という目的があった。完全に果たすことは出来なかったが、美夜のお陰で閑の遺志を知り、生きることが出来ている。
しかし美夜は、自らの手で李土を終わらせた。自分の世界そのものを壊してしまったのだ。
「美夜ちゃんが言ってたよ、李土は自分の世界なんだって。そこには誰の入る隙間もないのかも知れないけどさ……美夜ちゃん、零を殺したくないって言ってた。少なくとも、零の存在は美夜ちゃんの中にあるんだよ」
「…………」
「なあ、零。美夜ちゃんはそんなに強い子じゃないんじゃない?世界をなくした美夜ちゃんをほっとくの?ひどいね」
「……」
いつになく饒舌な自分に、お人好しだなと内心で笑った。
零が厳しい表情をしながら、壱縷の手を振り払う。だが壱縷に手を上げないのは、怪我を気づかっているのか、図星だからか。
「零が行かないなら、俺行ってくるけど。美夜ちゃんのこと結構好きだし」
「壱縷……っ」
「なにさ、零」
くるりと零に背を向けるが、名を呼ばれて立ち止まる。手のかかる兄だと呆れつつ、顔だけで振り返った。
「……さんきゅ」
「はいはい。さっさと行ってきなよ、美夜ちゃんが壊れる前に」
「ああ」
「あとこれ」
壱縷は持っていた袋を零に突き出した。偶然、通りかかった壱縷が受け取ったものだが、元々は零が手配したもののはずだ。
零が訝しげに受け取ったが、中身を確認すると、少し目を見開いた。
「ソラ……?」
「美夜ちゃんのなんでしょ?」
「ああ。大事にしてたから……修繕に出してたんだ」
「さっきもらった。持って行ってあげなよ」
「ああ」
零が青い目のテディベアを片手に抱えた。当然鷲掴みにすると思っていたので意外だったが、彼女の大切なものだからだろうかと勝手に納得しておく。本当に零は美夜に弱いらしい。
零が信じられないくらい優しい目でテディベアを見てから、壱縷を見た。照れ隠しなのかふいと顔を逸らして再び礼を述べる。壱縷は溜め息を吐いて、零の背中を見送った。
美夜の部屋は協会内の奥にあり、立ち入り禁止の表示もあってか、人が寄り付く場所ではない。ハンターに聞いた話では、周辺の部屋はずっと使われていなかったらしい。美夜と接触しないようにしていたのだろう。
歩いていると、零は壁に凭れる帆泉を認めた。美夜の部屋まで、あと十数メートルの廊下を歩くだけという距離の所だった。
帆泉は立ち止まった零を見て、にやりと笑う。
そういえばこの人は美夜が仕事を請うた時も笑っていたな、と思い出す。決して馬鹿にしたようなものではなく、大人の余裕と言うべきか。面白がっているようにもみえるが。
何かと見透かしたようなそれが、零は少し苦手だった。
「……帆泉さん」
「錐生兄、どうしたこんな時間に。……ああ、お前にとっちゃ活動時間か」
「あんたこそ、どうしてこんな所に」
「アマモリの見張りだ……それアマモリの熊か。似合わねーな」
「美夜に会わせてもらえますか」
帆泉が笑みを深める。壁から背を離すと、廊下をふさぐように立った。
口元には笑みを刻んでいるが、目は笑っていない。
「アマモリに会うなと言ったはずだが?」
「……関係ない。どいてください」
「強気だな。流石、次期協会長ってことか」
「は?」
「あ、聞いてねーか。まあそれはどうでもいいとして……アマモリねぇ」
流してはいけない言葉があった気がするが、零の本題はそれではないのでいいとする。帆泉もさらりと話題を戻した。
「会ってどうする?」
「……あんたに関係ないだろ」
「大有りだ。あいつは俺の可愛い弟子でなあ……娘みたいなもんだよ。どこぞの馬の骨か分かってると言えど、男を娘の部屋には入れん」
「……美夜の見張りじゃないんですか。俺は引き下がるつもりなんて――――」
「なんてな、そんなのは冗談なわけだが……アマモリの見張りを錐生兄に変わってやらんこともない」
「は」
零は思わず、抱えたソラを落としそうになった。てっきり、「俺を倒せ」とでも言われるかと思ったが、冗談ときた。すっかり帆泉のペースになってしまい、零は不快感を隠さずに眉を寄せる。
帆泉がにやりと笑って歩き出し、零とすれ違った。その拍子に軽く肩を叩かれ、ひらりと手を振ってくる。
「アマモリの見張りは頼んだぞ、錐生兄」
普通に名前は呼べないのか、と思いつつも口には出さない。帆泉が見た目通りのお調子者ではないことは、夜刈の反応を見れば分かる。
振り返らずに去っていく帆泉は、自分をある程度信用しているのだろうか。
廊下を曲がって見えなくなってから、零は目的の部屋に向けて歩き出した。
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