70


 美夜は私室のベットの上に座り、血液錠剤を口に流し入れていた。
 水で溶かすこともせずに、そのまま噛み砕いて飲み込む。人間であったときも食べてはいたが、吸血鬼である今、より美味しくなくなっている。
 身の上話を終え部屋に戻り、しばらく経ってから、美夜は血液錠剤を食べるのを止めた。昨日補充した血液錠剤が、すでに残りわずかとなっている。
 自分の過去を、まるで原稿を読むように淡々と、極力私情を挟まず、必要なことだけを話した。
 美夜は、処遇がどうなるのかという知らせを待っていた。
 夜刈が言っていたとおり、美夜に罪と呼ばれるものがないのなら、あるのは仕事を与えるか否かという判断のみだ。美夜は自惚れではなく、協会にとって"影"の力は必要だと考えている。

「はやく……」

 ベッドに座って呆としていたのだが、じわりと湧いた飢えに顔をしかめた。
 今夜はいつにも増して飢えが強い。理由は自覚しているので、自嘲して残りの血液錠剤を食べた。
 そのうちハンターの誰かが、処遇を伝えにくるだろう。血液錠剤は欲しいが、勝手に出歩いて美夜の事情を知らないハンターに、敵意を向けられると厄介だ。大人しく待つのが賢明だろう。
 それまで本でも読んで気を紛らわせよう、とベッドから立ち上がった時だった。部屋のドアが、控えめにノックされた。
 ……思った以上に早かったな。

「はい、開けま……っ!」
「俺。……久しぶり、美夜」
「ひさ、しぶり……ぜろ」

 ドアの向こうに誰がいるのか、彼が声を出す前にわかった。だが、部屋の前にいる時点で気付かなかった自分が恨めしい。どれだけ気が散漫なのだろうか。
 美夜は、ドアノブにかけていた手をゆっくり下ろした。自分がいるとばれているのに、気配を消そうとしてしまう。逃げたいが動けず、金縛りにあったように突っ立った。

「……開けてくれないか」
「……ごめん、今、人と会いたくないんだ。ごめんね」
「俺は会いたい」

 せっかく鎮めた熱がうずきだす。美夜は息を呑んで、よろけるように数歩後ずさった。浅く息を吐き出して、唇を噛む。

「開けてくれ」
「ごめん」
「……分かった」
「ほんとにごめんね、また――――」
「じゃあ壊す」
「へ?」

 素っ頓狂な声を上げた直後、バキャリとドアの鍵の部分が破壊され、数本の茨が室内に飛び込む。それはすぐに引っ込み、代わりにドアが開けられた。
 零がこんな強引な手段をとるとは予想外で、思わずきょとんと開かれるドアを見つめていた。蹴破らなかったあたり、配慮はされているのだろう。

「零……」
「ああ」

 数日ぶりの浅紫に、まずい、と俯いた。布団に潜り込んでしまいたい衝動を抑え、零の靴先を見つめる。
 聴取の時と同じ、無言の圧力を感じる。零が会いに来ることを全く予想していなかった訳ではないが、前もって知らせて欲しかった。

「……ほら、こいつ」
「あ、ソラ」
「お前の部屋、ぼろぼろになってる。修繕に出してたんだ」
「ありがとう……!良かった」

 視界に入ったテディベアに、美夜は顔を輝かせた。
 零を見ずに礼を言って受け取り、久々に会った宝物を抱きしめた。自然と口元が緩む。
 しかし気が緩むと、不意に視界が眩んでしまう。
 美夜は一度きつく目を閉じて、くるりと零に背を向けた。
 美夜の顔色は良くないが、声だけは明るかった。

「わざわざ修繕に出してくれたんだ。良かった、大切なものだから……」

 テーブルにソラを座らせながら言う。頭を撫でて、首のリボンを整えてやった。

「持ってきてくれてありがとう。あの、ほんとに悪いんだけど……私、まだあんまり人に会いたくないの」
「……美夜」
「うん?」
「どうして俺を見ない。さっきも、今も」
「…………」

 否定しようと口を開きかけ、そのまま閉じた。あえて見ないようにしているのは事実だ。それに零が気付かない、とも思っていないけれど。
 突っ込んでほしくはなかったかな、と座るソラを見て言うべき言葉を探す。
 自分に余裕がないからだろうか、話題を逸らしたいのに頭が回らない。

「美夜……」
「……ごめん」
「美夜」

 ソラの青い目を見つめていたはずが、強い力で腕を引かれて抱きしめられた。離さないとばかりにきつく腕が回っている。美夜は瞬時硬直した後、眉を寄せて抵抗した。
 視界がにじんでいる。目の奥が熱い。なけなしの理性を保ちながら、零の胸を押した。

「零、離して……っ」
「嫌だ」
「お願い、はなし……!」
「……」

 本気で抵抗しているのに、零の腕はほどけない。これが普通の男ならば、数メートルはつき飛ばせる自信はあるのだが、相手は零だ。腕の力は逆に強くなっている気がする。
 駄目だ、これ以上近くにいては。早く離れないと。

「零……っ」
「……」
「はな、して……」
「……」

 声が震えると、零の力が一瞬緩んだ。その隙を逃さず一際力を込めて、抱擁から解放される。離れる熱に、寂しいと感じる余裕さえなかった。
 数歩距離をとって、逃げるようにベッドに座る。壁に背をつけ、膝を抱えた。
 浅く息をしながら、体を小さくした。零は勘付いたのだろう、まさか、と呟いたのが聞こえた。

「ごめん……今は、出てくれない?落ち着いたら、ちゃんと……ちゃんと話すから」
「美夜……血が欲しいのか?」
「……」
「血液錠剤は」
「……なくなった、から。あんまり、効果もないけど」

 膝に顔を埋めて、絞り出すように告げた。
 早く部屋から出てくれ、と心の中で祈るように繰り返す。口を開くと何を口走るか分からず、歯を噛みしめて口も引き結んだ。
 コツリと靴音がして、美夜は肩を揺らした。離れてくれと態度で示しているのに、零は美夜に近づいて来る。

「どうして逃げる?……ぶつけていいと言っただろ」
「……や、だ」
「美夜!俺は――――」
「嫌なの!好きな人の前で狂いたくない……!」

 言ってしまってから、はっとして口を閉じが、もう遅い。
 美夜はさらに膝を抱えて小さく丸くなる。涙が落ちて染みを作っているのが分かった。
 ――吸血鬼は愛する人の血でしか、本当の意味での飢えは満たせない。
 それを美夜はよく知っている。だからこそ、零を見ないように、意識しないようにしていた。彼が好きだとはとっくに自覚しているのだから。世界を壊した自分の飢えが、そう簡単に収まるモノではないことも分かっていた。
 零に会いたくはなかった。時間が経てば、飢えも収まってくるだろうから、それまでは。

「美夜……今の、本当に?」
「っ……欲しいよ。零の血が、欲しい」
「なら求めろ、俺には拒むつもりなんてない」
「狂ったまま零に牙を立てたくない。だから会いたくなかったのに……!」

 嗚咽がもれそうになって、早口で述べた。自分はいつの間に涙もろくなったのだろう、と悔しくも思いながら目を閉じる。
 その時、零の空気が険しくなったのを感じた。
 怒鳴るかと思いきや、聞こえたのは衣擦れの音。以前に自分がしたからか、零の行動が予想出来てきつく膝を抱く。
 そうしていると先ほどとは比べ物にならない力で腕を引っ張られた。
 その拍子に顔を上げると、厳しい、だが悲しそうな顔をした零が目に入る。同時にいやでも目に入るのは、くつろげられた首元だった。
 首筋を見ただけで辛うじて保っていた理性が消え去り、涙も止まる。視線は一点に固定された。

「……美夜が嫌がっても、俺は引かない。前に美夜がしてくれたように、守りたいと思うんだ」

 ベッドに乗り上げて座る零の足をまたぎ、膝立ちになって、零の首に顔を寄せた。舌を這わせて血脈を探るのも、牙を立てるのにも、躊躇いなどない。ただ彼の血が欲しい一心で、甘い赤を貪っていた。





 ハンター協会、協会長の執務室で、理事長と夜刈が事務処理を行っていた。
 学園の事が主だが、理事長が各方面と話してきた内容なども端的に情報共有していた。
 やっと一息つけるかという時、執務室のドアがノックもなくいきなり開かれた。

「ご苦労だな」
「帆泉さん……あんたまだいたんですか。てんね……晃咲の所に?」
「ああ、アマモリの所にな。錐生兄をからかいに」
「なるほど、僕のムスメの所にね。ムスコをからかいにね」

 帆泉と理事長の間に火花が散った。
 夜刈は溜め息を吐いてコーヒーを飲み、一度は目を通している書類をぱらぱらとめくる。
 帆泉は、理事長より見た目年齢が上だが、実年齢はそれどころではない。理事長の実年齢はさらにその上なわけだが、夜刈には帆泉の方が貫禄があるように感じている。外見のせいかもしれない。

「アマモリは俺の娘だって言ったろ、灰閻。錐生兄は知らねぇけど」
「父親の座を譲った覚えはないよ、七瀬くん」
「……零をからかったことには突っ込まねーんだなー」

 夜刈が時計を見ると夜の十一時前だった。
 連日しっかり休めているとは言い難く、コーヒーを飲みながらでもあくびが出そうだった。
 一方で自分と同じく忙しい理事長も、最近協会にいるとはいえ普段は各地を飛び回っている帆泉も、吸血鬼因子が多いからかピンピンしている。
 夜刈は半目で、重要性が感じられない議論をする二人を見る。帆泉が協会に留まっているせいで――美夜が動けないのも理由の一つではあるが――密集区駆除が進んでいないらしい。美夜が言っていた通り、元老院という統率機関がなくなったことで人間に害を成す吸血鬼の行動が活発になり、密集区も形成されやすくなっている。
 早く仕事しねーかな。だがこれからのことを考えると、帆泉は本部に残ってもらうべきかもしれない。夜刈はそう考えつつ、帆泉から視線を外した。

「そういや、夜刈。アマモリに仕事をくれてやるのか?」
「七瀬くん、急に話題を変えるのやめてくれない?」
「そのつもりですよ。もっとも、安定してくれればの話ですが……そういや、零が会ってるんですか?」
「ん?ああ、アマモリは錐生兄がなんとかするさ」

 まずいんじゃないですか、と夜刈が訝しげな顔をすると、帆泉は心配ないというように手をひらりと振る。理事長にも心配そうな様子は見られない。
 美夜を無闇に人に会わせないことには、二人とも賛成していたはずだが。零はどうやら信用されているらしい、と夜刈は他人事のように思う。

「錐生兄をたきつけたのは錐生弟みだいだが」
「壱縷くんがかい?」
「馬鹿弟子ども……そろってあいつを気にしてるんですね」

 ハンター協会には、一癖も二癖もあり、経歴も決して一般的ではない者が多数だ。その中でも特殊な三人が集まったものだと思う。

「アマモリ、夜間部のやつらにも好かれてたそうじゃないか。<レベル:U>のなせる業ってか?」
「あー七瀬くん……それ錐生くんの前で言ったら怒るよ、彼」
「兄?弟?」
「兄」
「へえ、まあどうでもいいが」

 しれっと吐き捨てた帆泉に、理事長が小声で文句を言う。帆泉のマイペースさは今に始まったことではないので、意味など無いと分かっている。
 理事長は残りのコーヒーを飲み干して、カップをソーサーに戻した。

「……美夜ちゃんのご家族が亡くなったのは十二年前だけど、ここにきたのは十年前なんだよね?」
「ああ。協会長が、俺に鍛えるよう言ってきたからな」
「六歳の時から修行を?」

 帆泉はソファにふんぞり返って、ハンターの家系なら普通だろ、と頷いた。
 理事長は黒いファイルを思い浮かべて続ける。
 あのファイルにあった最も古い指令書からすれば、美夜の初任務は十一歳の時だ。修行を始める年齢は不自然ではないが、実戦に出る年齢があまりに早い。まして美夜はハンターの生まれではないのだ。

「たった五年で、よく鍛えられたね」
「苦労したぜ?運動神経が秀でてる訳でもなく、アリも殺せないようなガキだったからな」
「帆泉さんのスパルタ、ですか……」
「文句あるか」
「いえ」

 理事長は、妙に素直な夜刈に苦笑する。帆泉に対する態度を見ているともう少し自分を敬ってほしい気もするが、言うだけ無駄だろう。

「初任務が……十か?」
「十一だよ」
「そうだったか。アマモリが保管してる指令書にもあったろうが、十一の時は……単独ではあったが、密集区を相手にしてない。それの駆除に駆り出され始めたのは十二の時だな」
「十二歳で密集区を一人で……か」
「勉強することもなく修行だったからな。相応の実力もつく。……初めは怪我も多かったらしいがな」

 らしいとはどういうことだ、と二人が視線で問うと、美夜が任務に出るようになってからは滅多に会わなかったと帆泉は言った。会った時には、怪我など綺麗になくなっていたという。[天守月影]の使用中は吸血鬼因子の活動が活発になるため、怪我も早々に治癒していたのだろう。
 理事長に続いて夜刈もコーヒーを飲み干し、あくびを噛み殺した。まだ元気そうな理事長と帆泉に仕事を任せて少し休もうか、と考えていると、帆泉が唐突に立ち上がる。

「じゃ、俺はこれで。いい暇つぶしになった」
「え」
「?なんだ夜刈」
「いえ何も……」

 帆泉に強く言うことは出来ず、帆泉の背中を恨めし気に見送る羽目になった。帆泉が結局何をしたかったのかよく分からないまま、目頭をもんで溜め息を吐く。その夜刈の心境を察したのか、理事長が苦笑していた。
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