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「……なり損ない?」
元老院の建物内の地下には、いくつかの部屋がある。その内の一室は、複数の部屋の壁を取り払って出来ており、比較的広々としていた。壁紙も家具も一級品で、住まう者も只者ではなかった。
最高位の吸血鬼家系である玖蘭の血を引くにも関わらず、危険思考故に玖蘭の家系図から抹消され、元老院の監視下にある男。監視下にあるといっても、彼は元老院と協力関係にあるので、形だけといっても差し支えない。
ずいぶんと前のことだ。彼は自分の弟と妹の間に生まれた子供を生贄にして、玖蘭の始祖である吸血鬼を復活させた。復活した始祖は飢えによる暴走を防ぐため、自分の体を赤子まで巻き戻し、今は弟夫婦の子供として生活している。
その出来事がきっかけで、彼は元老院の監視下に入っていた。
「伝説扱いのやつだったか」
「はい。生きているという情報が、協会から。上質な血を持つと聞きます」
「吸血鬼と人間の共存ね……喰い甲斐がありそうだ。連れて来い」
笑みを浮かべる玖蘭李土に、元老院幹部である一翁こと一条麻遠が頷く。
ハンター協会から知らされたとは言っても、元老院との繋がりを心得ているのはほんの一部だ。表沙汰になる前に捕らえなければ、と了承した一翁だが、李土は早速命令を撤回した。
「いや……僕が行こう」
「は……李土様が自ら?」
「うん」
ふんぞり返ったままで、李土はこくりと頷く。そうと決まれば、と立ち上がってコートを肩に引っ掛けた。まさか今からなのか、と一翁は顔に出さずに焦った。
「車を出せ。僕の不在は誤魔化しておけよ」
「……分かりました」
李土が唐突な行動を起こし、一翁が頭を痛めることは今までもあった。ただ、李土は自由の効かない立場であり、彼自身もそれを自覚している。
そのためかワガママとも呼べるそれは頻繁ではなく、一翁は李土の息抜きにと容認していた。
この時は一翁も李土も、微塵も思っていなかった――貴重な血を持つその餌が、"これから"に大きく関わるということなど、考えもしなかった。
* * *
正式名称の仮称を<LEVEL:UNKNOWN>とする存在はとても珍しく、吸血鬼の世界でも知っている者はほとんどいない。
その<レベル:U>である幼女が、李土の前に座っていた。
李土自身が元老院まで連れてきた幼女は、家族の悲惨な最期を見て気を失い、道中目覚めることはなかった。元老院から幼女の家は離れており、途中で宿泊したにも関わらず、だ。
元老院地下の李土の私室で、幼女は目を覚ました。李土がカウチに転がしていた幼女は、一翁と共に部屋に戻った李土を見上げている。
泣いたり叫んだりしないあたりは、李土の好感をかっていた。
「……起きたようですね」
「ああ。これの名前は?」
「名前ですか?……確か晃咲美夜だと」
「ふうん」
驚いた様子の一翁を気にせず、李土は震えている幼女を見下ろす。そして餌の名前を聞いたことなど今まであったか、と自嘲した。
「美夜」
「……」
「返事は」
「は、い」
「……やはり、」
美味そうだな、と続けそうになってやめた。
幼女もとい美夜は、李土が用意させた小綺麗な格好をしていて、李土がいつでも咬めるようにとされていた。言い換えれば、この珍しい体質の幼女はいつでも死ねるというわけだ。
李土がじっと美夜を見ていると、一翁が下がる気配がした。李土は一翁と話をするために地下へ戻ったのだが、美夜が目覚めたので予定変更である。
「……済んだら呼ぶ」
「はい」
吸血鬼ではない美夜の血を好きなだけ飲めば、残るのは塵の山ではなく亡骸だ。餌が人間にしろ吸血鬼にしろ、掃除はいつものことなので一翁はすぐに了承した。
李土は、一翁が部屋を去ってからも、美夜を観察していた。この自分のおかしな行動も、美夜が<レベル:U>故だろうかと首をひねる。
いつも餌の人間や吸血鬼が来た時は――李土が血を望んだ時が多いということもあるが――、会ってすぐに血を貪ってお終いだ。名を聞き、こうしてじっと観察したこともなかった。
「おい」
「……」
「お前だ、美夜」
美夜はカウチに小さくなり、震えてはいないが李土の一挙一動にビクついていた。
李土も同じカウチに座っており、美夜は李土から極力離れようとしている。ただ、カウチから降りて逃げる度胸はないらしい。
「……はい」
「何歳だ?」
「よんさい、です」
美夜は李土をちらちらとうかがいながら、震える声で答えた。逆らうべきでないと本能で分かっているのかもしれない。
餓鬼も餓鬼だ、と李土は鼻で笑う。自分はこの幼女の何十倍何百倍と生きていると思うとどこかおかしかった。
「まあいい……恨むなら、そのように生まれた自分を恨め」
李土は小さい体をさらに小さくしている美夜の首根っこを掴んだ。
とうとう美夜は泣き出し、わめきながら反抗する。
「やあああっ!おかあさんっ」
「チッ……これだから子供は」
李土は忌々しげに舌打ちし、幼女の口をふさぐ。くぐもった悲鳴を聞き流し、細い首に牙を立てた。
*
翌夜、李土が寝室からリビングに移動すると、カウチで眠る美夜がいた。美夜の首や服には乾いた血がついていて、その味を思い出すと自然と口角が上がった。
だが鼻につくにおいで状況を察し、少し眉を寄せる。
美夜は李土が咬んだ後、貧血からか大人しく、それでも眠るまいとしていた。結局、李土が眠るのと同時に眠りについていた。
「……起こさないでいいか」
面倒だからな、と独りごちる。弟や妹の世話をしてきたが、コレは身内ではなく上質な餌。その内夕食が運ばれるだろうから、その時に引き取らせようと身支度を整えた。
「うっ……ふぇえ」
「…………」
李土が着替えを終えたのを見計らったかのように、美夜がぐずり始める。李土がリビングに入ると、美夜は驚いたのか目を見開いて涙を止めた。
腰まである茶色い髪はボサボサで、昨日もよく泣いたせいか、目の周りは赤く腫れぼったい。
「おかあさ……」
「いない」
声を発したと思えば母親のことで、李土は溜め息混じりに言った。
「お前の家族はここにいない……それと」
「ひっ」
李土がカウチに腰掛けると、美夜は体を固くする。横目で美夜の、血以外で汚れた服を見て顔をしかめる。美夜はさらに体を丸めた。
李土は一つのドアを指さした。緊張しながらも李土の指の先を見る美夜は、さながら肉食獣におびえる兎だった。
「トイレはそこだ。行きたいなら行け」
美夜はその言葉の意味をきちんと理解したようで、顔を羞恥で赤くしていた。しかも目を見開いて涙も止まっている。
貧血だろうに赤面するのか、と李土は一人呆れると同時、その年齢でも羞恥があるらしいと感心する。先ほどから体を丸めていたのは恐怖だけでなく、それを隠そうという意図からのものであるかもしれない。
美夜は李土の示したドアを見て、そろりとカウチから下りた。走ろうとしては転び、ふらふらと覚束ない足取りだ。嘔吐しない辺りは、加減をして飲んだ李土の成果だろうか。
美夜は李土に助けを求めることなく、時間をかけてトイレに入った。穴があきそうなほど見つめていた李土は、深いため息をつく。そもそも見守る必要もなかったじゃないか、と自分に舌打ちを一つ。
部屋の外から気配を感じて、李土はノックをされる前に声をかけた。誰であるかは気配で分かっていた。
「入れ。……麻遠、あれを風呂にいれて着替えさせろ。あとこのカウチは処分して新しいものを」
「李土様……生かしたのですか」
「あの味を一度きりとは、なかなか惜しくてな」
一翁はただ驚いていた。李土から掃除を求める連絡がなかったことで、もしかしてと思ってはいたのだが、いざその状況を前にすると驚きを隠せなかった。
李土の言い分も分かるのだ。非常に稀で美味な餌を殺すのがもったいないというのは分かる。
それでも、生贄を今まで躊躇なく殺してきた李土が思いとどまったことは意外だった。
「分かりました。……晃咲美夜は、こちらで世話をしましょう。李土様がご所望の時に連れてくるように」
「……いや、ここに置いて構わん。美夜の食事もここに持って来い」
「え……」
「あとは……そうだな、洋服も揃えろ」
「ここで生活させるおつもりですか?」
「ああ。いつでも咬めるし、あれに狂わされる吸血鬼がいないとも言い切れないからな」
「そう、ですが……」
いいのですか、と躊躇いがちに麻遠が確認すると、そうじゃないと言わない、と李土は何でもないように返した。
美夜は一般的な子供よりも落ち着いているようなので、煩わしい、という気持ちが薄いのかもしれない。
「不服か?」
「いえ……珍しいこともあるものだな、と思いまして」
「クク、僕もそう思う」
李土はトイレのドアを見て笑う。中の少女はなかなか出てくる気配がない。出てきたくなどないのだろう、と李土はカウチから腰を上げた。
「……おい、美夜。この部屋のバスルームを使っていいから、さっさと入れ。着替えは持ってこさせる」
張っている訳ではないが、威圧感のこもった声に、トイレのドアがゆっくり開く。
隙間から顔を覗かせた美夜は、その状態のままで李土と一翁を交互に見ていた。逆らうことに意味など無いのだと、幼いながら察しているのだろうか。
李土に視線を落ち着けた美夜は、やはり泣くこともなければ喚くこともしない。ただ、どこか目が虚ろになっているような気がした。
「バスルームはあっちだ。一人で入れるな?」
「……まえ」
「……は?」
「おじっ……おにいさんの、おなまえ、なんですか」
場面に似合わず、一翁は思わず感心してしまった。李土の、一瞬のほんのわずかな苛立ちを感じ取り、言葉を変えた四歳児に。
「僕の名を聞くのか。余裕だな、お前」
「あおと、あか……きれい、だから。おなまえ、なんですか」
ドアの隙間から顔を出す美夜は、独り言のように呟く。
『あおと、あか』は李土の目の色を指しているのだろう。そこからどうして名前に繋がるのか、一翁も李土も分からなかった。幼い故の突飛な思考だろう、と適当に納得しておく。
李土は呆然と自分を見つめる美夜を見返し、口角を少しだけ上げる。美夜は無意識だろうが、この環境に順応しようとしているのかもしれない。
「……玖蘭李土だ、美夜」
「くらんりど……」
「お前の血の味に免じて、好きに呼ぶことを許そう」
ドアを隔てて、美夜が首を傾けたのが分かった。
落ち着いていても子供に変わりはなく、李土の言葉をすんなりと理解できなかったようだ。
「…………りど」
「中々命知らずですね……」
呟いたのは一翁だった。
李土は同意を示すが、許したのは自分なので咎めることはしなかった。代わりに、長い指で再びドアを示す。
「分かったら、早く風呂に入るんだ」
「……はあい」
トイレから出た美夜だが、足がもつれてすぐに転ぶ。トイレに入る時と同じ光景で、李土はまたかと溜め息を吐いた。汚れたくはないな、と独りごちた李土は、美夜の首根っこを持ち上げてバスルームに放り込んだ。
一翁からの訝し気な視線に、自嘲めいたものをこぼす。首根っこを持ってもなぜか怯える様子のなかった美夜に、妙な満足感を覚えた。
* * *
李土と美夜の共同生活は、比較的良好といえた。美夜が李土の部屋に来てから三日が経ち、美夜は鳥の雛のように李土についていた。
夜に李土が起きて着替え、晩御飯が届くくらいに美夜が起床する。李土が服を出すと一人で着替え、共に食事をとる。美夜は食べ方が分からない物があると、控え目に李土を呼んだ。
食事が済むと、李土が美夜の髪を整える。美夜は今まで親にでも整えてもらったのだろう――美夜は四歳であるし――、ボサボサなまま放置しているのを李土が見兼ねたのだ。
今晩はツインテールである。李土は樹里の髪をいじっていたこともあり、このくらいなら苦労もしない。
「リド、ありがとうございます」
「お安い御用だ」
地下であるこの場所は、当然外の様子など分からない。だからだろう、美夜が昼夜逆転生活だと気付かないのは。時計はあるが、美夜はまだ時計を読めないらしい。
李土は本棚から本を出し、テーブルに置く。新しくなったカウチに腰掛けて表紙を開くが、ふと美夜を見る。美夜は床に座り込み、カウチに寄り添うように膝を抱えていた。
「……なあ」
「はい」
「美夜は何をするのが好きだ?」
「……えほん。おでかけも、すき。あとね、おねーちゃんがね、ピアノじょうずなの」
李土はその夜のうちに、数十冊の絵本とアップライトピアノ、また数十着の子供服を用意させた。
* * *
美夜が元老院に来てから一週間後のことだった。
美夜に起こった変化に、美夜本人よりも李土が早く気付いていた。
辛うじて人間を保っていた美夜の気配が、危うい吸血鬼のモノへと傾いたのだ。
それは昼間のことで、李土も美夜も就寝していた。李土は持ち前の敏感さで目を覚まし、美夜もまた、自身の異変に目覚めていた。
「……リド、なんかへん」
「だろうな。気分は?」
「うんー?」
<純血種>に咬まれた人間は、血を失いすぎて死ぬのが普通だ。命を取り留めたとしても、じわりじわりと人間ではなくなっていき、最終的には<レベル:E>に堕ちてハンターに狩られる。
何故美夜がこんなにもすんなりと吸血鬼になったのかと言えば、おそらく「子供だから」だろう。
吸血鬼に咬まれたから吸血鬼になってしまう、という認識もなく、自分を蝕む狂気に逆らうことも知らず、身を任せた結果だ。その証拠に、李土が美夜を咬んでから一週間しか経っていない。これも、一月かかってもおかしくないことだ。
美夜は元々吸血鬼因子を持っているからか、吸血鬼になったというのに、変な感じだという言葉で終わらせる。そこいらの<元人間>よりは明らかに強い空気を持っていた。
「……美夜」
「なに?」
李土はベッドの上で体を起こし、美夜の腕を引いた。きょとんと不思議そうにする美夜の首に牙を立てると、恐怖からか体を固くする。しかし、最初のように泣き叫んだりはしなかった。
この短い間に信頼されたのか、それとも何をされているのか分かっていないのか。李土は呆れに似た気持ちを持ちながら、美夜の血を飲み下す。
吸血鬼となった美夜だが、血の味は変わっていなかった。くせになる独特の味に、李土は一人笑みを浮かべる。
「……このまま、堕とすのは惜しい」
手元に置いておきたくとも、今の美夜では着実に破滅へと進んでいく。それを防ぐ手出てが無いとは、李土も重々承知していた。元人間の吸血鬼が<レベル:E>化を免れた例などは聞いたことは無い。
今までは全く気に留めなかったが、本腰を入れて<レベル:E>化阻止の方法を探すよう元老院とハンター協会に命ずべきだな、と美夜の脱力した体をベッドに寝かせる。
……解決法が見つかるまで、美夜がもてばいいが。
「リド……」
「なんだ?気分悪いか?」
「んー……おなかすいた?」
動くのも相当億劫なのだろう、美夜は指先を小さく動かして訴える。
李土には、それが言葉通りの意味ではないと分かっていた。気だるげな美夜の目が赤い色に染まっていたのだ。
普段は黒に近い深緑が、暗い部屋で赤く浮かび上がる。
「目覚めた直後に血を飲まれれば、そうもなるな」
「?」
美夜にはまだ牙が無い。美夜くらいの年齢の吸血鬼は、周囲の吸血鬼の生気を吸い取ることが吸血の代わりとなっている。美夜がその方法を知っているのかは疑問だが、そういうものは自然と出来てしまうものだ。
李土は自分の手を美夜の口元に持っていこうとして、ふと思いついた。<純血種>の血は濃く、また玖蘭は吸血鬼始祖の血を濃く受け継いでる。それが<レベル:E>化を遅らせる薬になる、ということは噂程度で聞き及んでいた。
試す価値はある。
李土は右手の親指の付け根に咬みついた。意識して治癒力を抑えて、それを美夜の口元に持っていく。ぽたり、と血が美夜の頬に落ちると、美夜は赤い目を爛々と輝かせた。
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