73
長らく陽の光を浴びていない、肌の白い少女がいた。きめ細かな肌や艶のある長髪に、着ている服は一級品。頭にリボンを乗せた少女は、腕にテディベアを抱いていた。
クリーム色のテディベアは、両目が空色という珍しいものだった。空が好きな少女により"ソラ"と名付けられ、そもそも、その珍しい目の色に惹かれたために手に入れたものだった。
ソラは少女の膝の上に座っている。そしてその少女は、長身の男に抱かれていた。
窓のない地下室で生活する二人に、出来ることは限られている。本を読むか、他愛ない話をするか。話をすると言っても、何かと物知りな男の話を少女が嬉々として催促するというものだ。
稀に、男が少女に楽器を教えたり、舞踏を教えたりもしていた。
「めい?」
こてん、と擬音語がつきそうな動作で少女が小首をかしげる。男は頬を緩めて頷いた。
「ああ。僕の弟と妹の子供だ」
「……メイちゃん?」
「違う。名は知らんが……生きた年数はともかく、見た目は美夜と変わらない」
「リドは、その子がすきなの?」
「僕はその子供が欲しいんだよ」
「どうして?」
「どうしてもだ」
美夜は「ふうん」と相槌を打つが、話はいまいちよく理解していない。
李土の弟妹の話はよく聞いているが、その子供の話は初めてだった。李土の気まぐれである。
「リドのかぞく?」
「……どうだろうな。血縁関係はあるが、家族とは言い難いだろう」
「じゃー、リドとミヨは?」
美夜は李土を見上げて首を傾げる。
李土は予想外だった問いかけに、しばし言葉を詰まらせた。
李土は美夜にとって吸血鬼の親であるが、血縁関係があるとは言えないだろう。李土と美夜の関係は、言ってしまえば強者と餌、もしくは主と僕。だが、李土は美夜に対して何かを命ずる訳でもない。
「……家族、とは言い難いだろうな」
子供相手に真面目に答えなくてもいいだろうが、言っても分からないだろうと率直なことを述べた。
美夜はその返答が不満だったようで、子供らしく口を尖らせた。
「ちがうよ、ミヨとリドはカゾクだよ」
「……そうか」
「うん。リドはね、ミヨのおとうさんでおかあさんで、おともだちで、だいすきなの。だからカゾクだよ」
笑う美夜はどこか満足げで、「ねー」とソラに同意を誘っていた。ソラが返答するはずはないのだが――美夜にはソラが同意する声が聞こえたのだろうか――「ソラもそう言ってるよ」と李土にソラを突き出した。
李土は小さく笑って、ソラを美夜の腕に戻す。
「そうだな、カゾクだ」
「うん。ねえ、リドにはほかにかぞくがいるの?」
「……いないのかもしれないな」
「なんで?」
「大人の事情、だ」
美夜は不満を言いながらも、それ以上問いかけはしなかった。場の空気が読める年頃ではなくても、踏み込んではいけないラインを察知したのかもしれない。
李土としては話してもいいのだが、美夜のような年齢の子供に聞かせても理解が追いつかないだろうと口を閉ざした。
何せ、李土は玖蘭の家系図からも抹消されてしまった存在だ。今の若い吸血鬼たちの中には、李土の存在を知らない者もいるだろう。
何年も前の事だ。悠と樹里の間に子供が生まれたと知らせを受け、彼らの住む玖蘭家を訪れたことがある。李土はその頃から危険思考云々を言われていたが、家族への愛情は確かにあった。だから、純粋に祝おうと、様子を見ようと思って訪ねたのだ。
そうであったにも関わらず、悠と樹里の仲睦まじい様子を見て、李土の中で燻(くすぶ)っていた何かが爆ぜた。赤ん坊の面倒を見るように見せかけて殺し、玖蘭の地下に眠る始祖を甦らせる生贄にした。
出来心だ、という理由で片づけるには重すぎる出来事だった。
それが、李土が元老院地下で行動を制限されている理由だ。悠の命令だった。
李土は樹里を愛していた。本来ならば樹里は李土と結ばれるはずで、しかし樹里は悠を選んだ。
李土の中では一度整理したはずの問題だったが、いざ目の前にすると行き場の無い苛立ちがこみ上げるのだ。
「ミヨがおとなになったら、おしえてくれる?」
「覚えていたらな」
「ミヨおぼえてる!ソラも!」
李土が美夜の頭を撫でると、美夜は気持ちよさそうに目を細める。猫がのどを鳴らしているようだ、と李土はいつも思う。
部屋のドアが外からノックされ、来訪を知らせた。李土が短く返すと、一翁が入室する。
美夜はドアの方へ顔を向け、強面な彼に呼びかけた。
「いちおーあさとお?」
子供ならば泣いてしまいそうなほど鋭く、重い空気をまとう一翁だが、美夜にとってはなんのその、である。李土を盲目的に慕う美夜は、李土がいれば何も怖くない、と常から言っていた。
美夜の舌足らずな言葉に、李土は喉の奥で笑った。
美夜は理由が分からず、頭にクエスチョンマークを浮かべる。
「ククッ……あいつは一条麻遠だ。一翁と麻遠を混ぜるな」
「?」
「なかなか面白いがな、『一応麻遠』……『とりあえず麻遠』、まるで妥協しているようだな」
「李土様……」
「んー?」
「お前は一翁と呼んでおけ」
「いちおー」
当の一翁は、口の端を上げる李土と無邪気な美夜に溜め息を吐いた。吸血鬼界でも恐れられる己をからかうのは、この二人以外にいないだろう。
「はあ……李土様、今一度確認したいことがありまして」
「なんだ」
「"姫"を奪う件です。こちらも協力する手はずになりましたので」
李土は美夜を膝の上から隣に移動させた。美夜は何の疑問も抱かずに、そのままこてりと横になる。李土の腿に頭を乗せると、ソラを抱いたまま大人しくなった。
李土は一翁に視線を向けながら、美夜の頭を撫で続ける。
一翁は、うつらうつらし始めた美夜を一瞥してソファに腰掛けた。
「その娘を引き取って……計画を白紙にされるかと思いました」
「僕がそう言ったとして、お前たちは素直にそれを許すか?」
「……」
「冗談だ、僕は姫が欲しいからな。そして元老院は王権懐古派の象徴である玖蘭が目障り……利害は一致している」
元老院は、李土が力をつけて王権懐古派を一掃することを望んでいる。しかし、李土が"姫"を欲するのは力を手に入れるためではないので、"姫"を奪えたとして力が大幅に増すことはないだろう。
ただ、"姫"の血が無くとも李土が大きな力を持っていることに変わりはなく、李土が元老院に協力することも変わりない。
元老院が李土の目的を"若い<純血種>の血を手に入れて玖蘭の当主になろうとしている"と誤解している理由は、とても簡単だった。タイミングが悪かったのだ。
李土が玖蘭の始祖を甦らせたのは単なる気まぐれに近いのだが、元老院からすれば、王権懐古派一掃の為の布石に見えてしまう。<純血種>よりも強い力をもつ始祖の棺を開けることで、その始祖は李土の命を奪うことが出来なくなったのだから。
そしてその後、"姫"が生まれたと聞いた李土は、その"姫"を手に入れたいと言った。李土は力手に入れるために若い<純血種>の血を求めている、と周囲は容易に誤解した。
その誤解を一切解こうとしなかった李土にも、一因はあるのだが。
「美夜の存在で計画が変更されることはない。安心しろ」
一翁は少しの間を置いて、もう一つの問題について問いかけた。
「……緋桜閑様は、どうされますか」
「……あれは、僕を受け入れる気がないのだろう?無理に言う事を聞かせることも出来ないんだ、放っておけ」
そう言う李土の表情はやや苦い。それを不機嫌だからと捉えた一翁は、話題を出したことについて陳謝した。
李土に頭を撫でられて瞼を落としていた美夜が、寝付けないのか、うなりながら体を起こす。そうして李土を確認すると、短い腕を李土の体に回した。
「んー」
「眠いか?」
「ん……リド泣いたらだめー」
「何故僕が泣くんだ」
この短い間に美夜は夢でもみたのか、と一翁はさして気にしなかった。
李土の表情の意味は、幼い美夜にしか伝わらなかったのだ。
*
「僕は少し出かけてくる。良い子にして待ってるんだ」
そう穏やかに笑った李土は、いつものように美夜の頭を撫でた。
地下生活となった当時よりも少しばかり成長した美夜は、いつもと違い、素直に頷かなかった。
元人間であり元<レベル:U>である吸血鬼の美夜は、吸血鬼となった日からさほど肉体的成長をしていなかった。それは単純に、吸血鬼の成長が人間よりも緩やかだからである。それは成長するほどに顕著になり、事実、李土も千年以上今の外見を保っている。
美夜はソラを抱いて、一人でカウチに座っていた。食事は運ばれてくるが、食欲はわかなかった。血に関しては、常から李土のものを与えられているので問題はない。
李土が出かけてくると言ったのは、これが初めてではない。遅くとも一日すれば帰ってくるだろうと、美夜はむくれながらも大人しく待っていた。
ソラに話しかけ、絵本を読み、呆と座り込む。それを何度か繰り返し、朝食が運ばれてくる。だが美夜は手を付けなかった。
シャワーを済ませて、水のしたたる髪をそのままにベッドへダイブする。李土に長髪を整えてもらうのは日課になっているので、美夜は自分の髪であるのに、その手入れの仕方が分からない。
美夜は不機嫌なまま、ベッドに小さくなった。
*
一翁が地下の私室に入ると、とたとたと軽い足音がする。テディベアを抱えた美夜が、目を潤ませながら一翁を見上げていた。
「イチオウ!リドは?」
「……李土様は、大きな怪我を負われた。治癒にはかなりの時間がかかる」
「え……リド、かえってこないの……?」
「ああ」
「な、なんでぇ……?」
抱かれているソラが苦しそうに見える。
一翁はその場に膝をついて、美夜と目線を合わせる。涙を堪える美夜は、口を引き結んで一翁を睨むように見つめていた。
「少し、諍いがあってな。一命は取り留めたが、しばらくは話も出来ん。……美夜、お前に二つの選択肢をやろう」
李土の不在にしか興味を示さない上、この年齢の子供に一翁の言葉は難しい。だが一翁は言い方を改めなかったし、美夜も一翁の言葉から何かをくみ取ろうとはしていた。
「李土様が戻られるのは、いつになるか正直分からん。数十年かもしれんし、数百年かもしれない。……李土様が戻られるまで、この部屋で一人で待つか。それとも、李土様が行動を起こす時の為に、力をつけるか」
美夜の処遇について、元老院で議論があった訳ではなく、この選択肢は一翁の独断だった。
元老院の幹部は、李土が美夜を大層気に入っていると知っているので、役立たずだからと殺す可能性は低い。が、ないとは言い切れない。李土が目覚めた時に、もっともな言い訳を用意すればいいのだから。
しかし、一翁は美夜を庇ったつもりはなかった。全ては李土の為だ。
元老院に置いておくのは得策ではないと判断したのだ。いつか李土が言っていたように、<レベル:U>の特性を失っていない美夜に、狂わされる吸血鬼がいないとも限らない。
李土という庇護が一時的になくなっている美夜は、自然と一翁が面倒を見ることになる。だが一翁は軟禁状態だった李土と違い、元老院本部を空けることが多いのだ。しかも美夜の存在が公ではないので、孫に面倒を見させるわけにもいかない。
「……リド、に、あえないの?」
「ああ」
「っ……リドの、力になりたい」
「そうか」
察しの良い子だ、と一翁は素直に思った。立ち上がりながら、ぼさぼさの髪に手を乗せて軽く弾ませる。
美夜を預ける予定の場所には、吸血鬼がいない。美夜が襲われる心配もないし、持ち前の要領の良さと何者をも引き寄せてしまう体質で上手くやるだろう。
「明日、お前の吸血鬼としての力を封じよう。元々持っていた因子も、休眠状態に戻るだろう」
「ふうじ……?」
「一時的なものだ、術式も簡易にする。穴だらけになるが、その方が負担も少ないだろうしいいだろう」
「?……わか、た」
怪訝そうにしながらも少女は頷く。狭い世界で生活する美夜にとって、李土の次に信頼しているのが一翁だからだ。ソラを強く抱いて、泣かないようにしながら長身を見上げる。
一翁の表情の変化はとても僅かで、幼い美夜ならば尚更、何を考えているのか分かりにくい。生きた年数に見合った威圧感を携えている彼だが、美夜にとって恐れるものではなかった。
「……晃咲美夜。よく覚えておけ、これからお前は一人になる。一人で、全く分からない環境の中を生きるんだ」
「?」
「上手く生きていきたいなら、自分の居場所を確保しておきたいなら――――李土様の役に立ちたいなら。常に周囲から向けられる感情に気を配れ。そこで円滑に生活するための最善を選べ。私情を挟むな。お前は李土様の為だけにある人形になれ」
美夜の目は相変わらず潤んでいるが、涙を堪えるために込めていた力は抜いているようだった。訳の分からない一翁の言葉に、呆気にとられていた、というのが近い。
美夜は、それでもこくりと頷いた。
一翁は、易しい言い回しを選ばないくらいには、美夜を同じ立場の者として認めていた。
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