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 [天守月影]を使い、吸血鬼の粛正に奔走するハンターは、他の協会関係者から"影"や"月影"と呼ばれた。"影"の噂は吸血鬼界にも広がり、その事実は"影"自身の耳にも入った。
 同時に「"影"は戦闘狂で身長は二メートルを超える巨漢、任務中は見境なく刀を振るう」という根も葉もない噂も耳に入っていた。




 当の本人、美夜はというと、私室のキッチンに立ち、皿に盛ったバターライスに半熟の卵を乗せていた。出来上がったオムライスとお茶をダイニングのテーブルに置き、手を合わせる。

「いただきま――――」

 ココココン。
 耳に届いたのは連続したノックの音だった。それを美夜がする場合は、来訪者が美夜であることを部屋の中にいる人物に伝えるためであるが、この場合、美夜が"影"であることを知っている人物の来訪である。
 この部屋に人が近づかないようになっているとはいえ、興味本位で訪れる者がいないとは限らないからだ。
 美夜は出来たてのオムライスを前に席を立ち、ドアを開けた。目を細めて笑う協会長に、美夜は挨拶をして入室を促す。

「おや、ランチ中?……なんか、美夜の部屋でオムライスを見る頻度が高い気がするのだけど」
「美味しいので」
「毎回違う種類だし……美味しそうね」
「食べますか?作りますよ」
「また今度お願いする。今日は手短に済ませたいから」

 協会長は、ダイニングに置かれたオムライスを眺めてから、持っていた書類を美夜に渡した。すっかり見慣れた指令書で――加えていうなら比較的最近、本格的に取り組み始めた密集区で――美夜は驚くことも嫌がることもなく目を通す。
 オムライスが冷めることが、少々気がかりだった。
 漢字の読み書きをまともに出来ないので、読むと言っても形だけだ。人数を把握すれば、さっさと地図に視線を移す。地理に疎い美夜のための分かりやすい地図である。

「昨日帰ってきたところで悪いけど、頼めるかい?向かうようにしていたハンターたちが、間に合いそうになくてね」
「了解しました。これ食べたら出ます」

 微笑んで快く了承すると、協会長は満足げに頷く。
 ハンターに下される任務の形式は、大きく分けて二種類ある。粛正対象の罪状や潜伏予想地域が一括して複数件分渡されるものと、一件一件個別に指令書が下るものだ。
 任務の大部分は前者で、協会関係者はその複数件分の指令書を"リスト"と呼んでいる。リストを渡されたハンターは――数人に同じものが配布され、取り合いのように狩りに出る――、指令書にある潜伏地に行ったり、自分で調べたり、難航するようであれば協会の調査員やハンターに協力を要請する。
 一方、急を要する任務や密集区駆除の任務は、個別に指令書が下る。リストと同様に罪状と潜伏予想地域が記され、美夜はもっぱらこちらだった。

「遠いからね、地下高速鉄道使って行きなさい。……どのくらいかかりそう?」
「……四日後には戻ります」
「全く、頼もしいよ」

 地下高速鉄道で四時間として、密集区構成吸血鬼を把握してタイミングを計ることを考えると、四日あればここに戻ってこられるだろう。
 自身の師のように各地を転々とするハンターも多いが、美夜はそうもいかない。どれだけ忙しくても、一週間以上協会を空けることは出来ない。
 協会にとっては協会からの預かりものであると同時に人質でもあり、また協会にとっては李土の所有物だからだ。

「じゃあ、よろしくね」
「はい、分かりました」

 協会長が部屋を出てようやく口に運んだオムライスは、案の定冷めてしまっていた。





 美夜は夜の繁華街で、次から次へと外灯に跳び移って移動していた。酒を扱う店が多く、この時間は人の出入りが多い。
 美夜は粛正対象の密集区を構成する吸血鬼を把握するため、潜伏地近くを見回っていた。標的を尾行しているし地図もあるので、迷子にはならない。
 長い茶色の髪は、ハンターとなる為の修業を始めてすぐに切りおとした。肩より上の長さでハサミを使ってカットした髪型はいささか乱雑だが、自由にはねているお陰で、カットの乱暴さは僅かに隠れている。
 追っていた標的がバーに入り、美夜は出入り口近くの外灯の上に腰を下ろした。
 眼下では、千鳥足の男や騒ぎ立てる若者集団や見送りに出て来た店員が、通りをうろついている。

「……」

 それを見て、特に何かを思う訳ではない。ネックウォーマーを上げ直し、顔を空へと向けた。
 薄い雲が夜空を覆っていて、月がぼんやりと浮かんでいる。
 美夜は空が好きだ。青空も、夜空も、快晴の日も分厚い雲がある日も。果てのないそれに手が届くのではと錯覚してしまい、呆と手を伸ばしては空を切る。
 李土の牙で吸血鬼になった後、数えるほどだが外に出たことがあった。そしてあまりの眩しさに空を見上げられず、やけに虚しくなってしまったことを覚えている。
 子供だから余計に敏感なのだと李土に言われた。
 同時に、夜空に浮かぶ満天の星は今までにないくらい美しく見えて、無邪気にはしゃいだこともあった。
 今は術式により、一応は人間になっている。青空を見上げて頭が痛くなることはないが、夜空の満点の星は隠れてしまった。
 どうして空が好きなのかと問われても、美夜にはよく分からない。天体や星座に詳しい訳でもない。ただ純粋に、その広大な存在に魅せられたようだった。
 そしてどんな辺境に任務で赴いても、変わらずに存在することに安堵もする。

「……李土、早く元気になってね」

 夜空に手を伸ばしながら寝言のように告げた言葉は、誰一人の耳にも入らない。





 美夜は宣言通り、協会を出てから四日目の昼に帰還した。
 任務中は出来なかったゆったりとした入浴と食事、十分な睡眠を摂って、報告書も書き上げてしまった時、耳に届いたのは思いも寄らない朗報だった。

「え……ほんと、に、ですか」
「本当本当。あなたのそんな顔、初めて見たよ」

 心底おかしそうに協会長に言われ、慌てて表情を引き締めた。
 提出する報告書と引き換えに告げられた事柄は、予想外もいいところだった。
 それを理解するにつれて口元に笑みが浮かび、心臓が早鐘を打つ。

「……彼と、話せるんですよね」
「ええ。ようやく血縁者に憑依出来るまで回復した、と連絡があってね。長時間は無理みたいだけれど……あなたを呼んでいるそうよ」
「えっと、あの、どうすればいいですか」

 彼と――李土と別れ、会えなくなってから六年が経っていた。生きているといっても肉体は原形を留めておらず、李土の意識も無かった為に、一切のコミュニケーションが不可能。その上美夜はハンター協会で暮らしており、状況も細かに把握出来ていなかったのだ。
 何十年と待つ覚悟もしていたため、この報せは嬉しい以外の何物でもなかった。六年という間が空いてしまったが、李土にとっては"たった六年"だ。自分のことを忘れているなどといった心配もなく、会いたい気持ちが急いていた。

「知ってると思うけど、あの方は支葵家にいらっしゃるわ。何日か滞在してもいいそうだから、一週間くらいいればいい。ただしあの方とコミュニケーションが取れるのは短時間よ」
「はいっ」
「必要な物は揃えるっておっしゃってるから、美夜は最低限刀を持っていればいい」
「分かりました。ありがとうございます」

 早口で礼を言って頭を下げた。
 美夜の隠しきれない興奮を感じているのだろう、協会長は笑いを噛み殺している。デスクの引き出しから紙を出して美夜に渡した。

「支葵家はそこよ。支葵殿の所へ行って、指示を仰ぎなさい」
「はい」
「あなたの存在を知ってる人なんてわずかなんだから、見つからないようにね」
「分かりました」

 頷いた美夜に浮かんだ微笑みは、作り笑いでは決してなかった。





「……六年は、長かったか?」
「李土のない六年は退屈で長かったけど、李土のいない六年は軽すぎて、李土といる一日と変わらない重さだよ」
「僕が好きなのはよく分かった」
「うん」

 支葵家地下で、美夜は見知らぬ男と対峙していた。否、見知らぬ"外見"の男ではあるが、知らない男ではない。
 左右で色違いの目は李土を示すものであり、男の後ろにある棺には李土の本体がある。
 五メートルほどの間を空けて立つ美夜は、堪えるように口を引き結んで、李土の様子をうかがっていた。六年ぶりの対面に、興奮しない訳がないのだ。
 男は苦笑に近いものを浮かべ、美夜へ手を伸ばす。

「おいで」

 美夜は床を蹴って男に飛びついた。刀が彼に触れないようにする注意力は残っていたが、美夜の動きを監視するための見張りの視線を気にする余力はない。
 李土の器になっているのは、玖蘭の遠縁も遠縁で、器に適しているとはお世辞にも言えない人物だ。李土の回復が不十分すぎることもあり、三十分すれば丸一日は出てこられないという状態である。

「李土、李土!」
「大きくなったな。本当に人間の成長は早い」
「これで、ちゃんと李土とダンス出来るでしょう?」
「ククッ、そうだな。しかし、髪を切ったのはもったいない」
「修行でどうしても邪魔になっちゃって、それからずっとこの長さなんだ」
「伸ばせ、前ほどでなくてもいいが。長い方が女らしくていい」
「分かった、李土が言うなら伸ばす」

 早口で会話をし、ひとしきり抱き合うと美夜の興奮も大分収まってくる。
 李土が頭を撫でると美夜はふわりと笑う。肉体は李土でなくとも、撫で方や雰囲気は確かに彼だった。
 美夜は李土に促され、棺へと近づく。元は一人の吸血鬼だったとは到底分からない損傷ぶりに、思わず顔をしかめた。

「全身潰されたからな……」
「でも、生きてるんだよね……?」
「ああ。<純血種>を殺したいなら、対吸血鬼武器で心臓か頭に攻撃を加えるか、心臓を抜き取るか……脳を抜き取られても、灰になるだろうな」
「潰されたけど、肉体と離されてないから李土は死なないってこと?」
「そういうことだ。……おい、仇討しようなどと考えるなよ」

 赤と青が呆れたように細められ、美夜は目をしばたたいた。
 李土にここまでの怪我を負わせた相手に立ち向かおうなどと考えたつもりはなかったのだが、彼がこう言うのだ、心のどこかでは思ったのかもしれない。

「うん、しないよ」
「こういう事態になったのも、ま、僕が原因だからな」

 さらりと李土はそう言って、棺の縁に腰掛けた。
 美夜は立ったまま、棺の中をのぞく李土を凝視した。李土が自らの非を認めるとは思わなかったのだ。しかし後悔や反省といった類は見られず、そこは彼らしいなと頷いてしまう。

「襲撃されて歯向かうのは、当然だ」
「……私が李土を止めていれば、もっと違っていたのにね」

 当時美夜は六歳だったが、そう思わずにはいられなかった。ふらりと出て行った李土の目的を見極め引き止めることは難しいが、不可能ではなかったはずなのだ。
 ――否、李土が優姫を求める限り、いつかは起こった事態だ。ただ計画を数年後に遅らせ、自分も出向けていたら、多少結果は変わっていただろう。

「もしもの話をしても、意味がないだろう?」
「そだね……でも、思っちゃうんだよ。そもそも、私が……ってさ」

 美夜は自嘲をこぼして、李土の隣に腰掛ける。薄暗い部屋に視線を投げ、どうにもならないことを呟いた。

「私が<純血種>だったらよかったのにって、思っちゃうんだよ」
「……そうだな。僕もそう思うよ」

 美夜が半永久的な命を持つ存在であったなら、李土は優姫を求める必要はなかった。玖蘭家を襲撃することもなかった。李土がこれほどの傷を負うことも、もちろんなかった。
 <純血種>であれば、李土が望む限り傍で生き、その孤独に寄り添うことが出来たのに。
 元<レベル:U>の吸血鬼では、<一般>より長生きではあっても<純血種>に匹敵する命はないだろう。

「……その話は、いい。美夜」
「ん?」
「僕の血を飲んでおけ……ああ、いや、それは出来ないんだったな……」

 そういえばとため息をつく李土に、美夜は少しの間をおいてから納得した。吸血鬼因子を封じている術式を解除することになってしまうからだ。再び封じてもいいのだろうが、あまり繰り返していいものではない。
 吸血鬼因子の封印は、<純血種>の命と引き換えに行われるもので、吸血鬼因子だけでなく記憶をもすべて封じることが出来てしまう。
 美夜の封印媒介は確かに李土だが、あえて穴のある簡易なものを行ったため、李土の血液で事足りたのだ。そして封印時に用いた血液――血縁者のものであっても――を摂取することで封印は解除となる。
 李土は今生贄ともいうべき者の血を使うことで再生を促しているので、本来の彼の血ほど濃くはないだろうが、術式解除には充分だ。

「うん……術式が必要なくなるまでは無理だね」
「僕が……完全にとは言わないまでも、回復しなければな」
「私、もうけっこう強いよ?」

 美夜のハンター協会への所属は、いざという時に李土の武器となる為でもあるが、李土の庇護がなくなったことが大きな要因だ。つまり李土が不自由なく動けるまで回復すれば、美夜がハンターとして動く必要もなくなる。
 美夜としては李土に守られることに不満はないが、ハンターとしての実力は協会長のお墨付きをいただいている。今元老院に戻っても自分の身くらいは守れる、と少し口を尖らせた。

「別に弱いと言っている訳ではない。……むしろ、逆だ。美夜はよく力をつけた。僕の切り札となるほどに」
「えへへ」
「だから次動くときは、手伝ってもらうかも知れないだろう?計画を立てるのも僕の回復が必須だからな」
「あ、そっか」

 美夜は李土に褒められて喜ぶ自分に、単純だなと苦笑する。協会長にクールだと言われたことがあったが、李土が関わるとその欠片もない。
 頭を撫でてくる李土に目を細めていたが、その手の動きがピタリと止まった。

「……時間だな」
「そ、か……」
「そんな顔をするな。しばらく支葵家(ここ)にいるんだろう?」
「うん。でも支葵さんと話とかもするでしょう?」
「それはそうだが、時間は作るから」

 美夜は仕方ないよねと頷いて、棺から腰を上げた。
 李土は立った美夜を見上げ、あと、と早口で述べる。

「治療術に優れた吸血鬼を呼ぶよう、手配してある。……傷跡一つ残すなよ」
「あ、はーい……」

 怒ったような呆れたような声に、美夜は深く頷いた。修行や任務での負傷もしっかり伝わっていることに苦いものを感じながらも、気遣ってくれるのは嬉しい。
 立ち上がって美夜の前に立った李土は、すでに李土ではなくなっていた。警戒の視線を向けてくる男に、礼を言って軽く頭を下げると、監視役である男の方へと足を向けた。





 美夜がハンター協会で暮らすようになっておよそ十年後、李土は着々と回復し、本体から離れても憑依を維持できるようになっていた。それと同時に、息子である千里の体を使う案が現実味を帯びてきていた。
 美夜は謎の最強ハンターとして広く知られるようになり、任務中心の毎日を送っていた。李土との接触は、四年前に再会して以来、二年前に話しただけだった。物足りなさはあるが、わがままを言える立場ではないと自覚していた。
 そして美夜が協会長から元老院の情報を得ている時、その話題が上った。

「……危険って、優姫さんが?」

 美夜は想定外の問題に、目を見開いて協会長をうかがった。

「断定は出来ていないんだけど。一条殿いわく、"狂い咲き姫"が接触する恐れがあるそうよ」

 "狂い咲き姫"緋桜閑。
 李土と同じく、ハンター協会のリストにも載せられてる危険な吸血鬼。元老院の監視下から逃げ出したため目下捜索中である――表向きは。
 実際、元老院は既に閑の行方をつかんでいるが、李土がとくに指示をしないので黙認している状態にあった。ハンター協会としては、危険だとはいえ<純血種>を殺めて吸血鬼界から睨まれるリスクを負いたくはないからと放置している。
 李土の婚約者でありながら人間を選び、元老院を去った閑。彼女の恋人を殺すよう協会に指示を出したのは紛れもなく李土で――美夜はそのことをハンターになってから知ったが――その結果、ある優秀なハンターが二名殉職することとなった。

「どうして閑さんが優姫さんに……?」
「力を手に入れるためじゃないか?事件の裏にある李土様の存在には、以前から気付いていたらしいし……。でも、あくまでまだ予想にすぎない」
「予想の段階だとしても、優姫さんが傷つくのは見過ごせません」

 彼女は李土の大事なひとだ。今は人間として生活しているらしいが、李土と同じ半永久の時間を持つ吸血鬼。李土の大事な存在は、自分にとっても大事な存在になる。

「まあ落ち着きなさいって。あそこには玖蘭枢筆頭に吸血鬼が揃っているし、錐生の片割れもいる」
「枢さんは確かにそうですけど……<純血種>じゃない吸血鬼は、閑さんと敵対できないでしょう。例の双子のハンターは、未だ粛正に出たことがないと聞きましたし、復讐したい一心で優姫さんにまで気が回らないかもしれません」

 早口で言うと、協会長は小さく息を吐いた。美夜はいたって真剣なので、何か間違えたのかと自分の言動を振り返ってみる。

「黒主学園に行くとか言い出しそうね……」
「それが一番確実です。……それに、そうして欲しいから優姫さんのことを私に告げたのでは?」
「……参ったわ」

 美夜は推測が当たっていたことにわずかに笑む。
 相手が<純血種>である以上、優姫の安全が確保できるとは言い難い。閑の狙いが優姫なので――いくら敵が同じとは言え――閑と枢が共闘を決めることはないだろうが、閑が学園に行くことは喜ばしいものではない。
 だからこそ自分の出番なのだ。
 美夜は元老院や協会と繋がり、かつ今は人間で、ハンターとして実力はあっても顔が知られていない。潜入にはもってこいの人材である。

「どうして渋るんですか?」
「李土様が反対されてるの」
「……え?」

 理由はよく分からないけれど、と協会長は付け足す。
 思いも寄らない人物からの反対に、美夜はきょとんと首を傾けた。

「計画には私も組み込んでくれるって……」
「あなたが学園に行くことを反対されているのであって、計画に参加することを反対されているのではないわ」
「……どうしてでしょう」

 自分の目の届かない所へ行くからだろうか。しかし連絡を怠るつもりはないのだが。
 美夜は李土のことを理解しているつもりなだけに、腑に落ちなくて口を閉ざす。

「李土様のことはあるけど、学園に行くことも可能性の一つとして覚えておいて」
「はい」
「ただ、勉強は必須だからね」
「……はい」
「1000ー11は?」
「…………………………きゅうひゃく、いち?」
「ふっあっははははは!」

 それだけ考えて間違ってるって、と協会長は口元を覆って笑う。
 美夜は耳まで赤くして、か細い声で謝った。





 支葵家のある一室では、幼い男の子と支葵家当主とがコーヒーを前に向かい合っていた。幼年は愛らしい見た目に反して、渋い顔をして足を組んでいる。

「……仕方ないな。いいよ、学園にやっても」
「ありがとうございます。……一体何を懸念されているのですか?」
「いや、別に」

 李土の頭に、大事な少女の姿が浮かぶ。
 四年前に再会した時は、人間の成長の早さに驚いたものだった。同時に、約十年前の玖蘭家襲撃を責めてこなかったことに驚いた。
 あの時一緒に行けていたら、と言ってはいたが、どうして六年も一人にしたのか、とは言わなかったのだ。
 その美夜が、閑から優姫を守るために黒主学園に行くという。勉強をしたことがなく、学校に通ったこともなく、同年代の人間と連んだこともない美夜が、ただ優姫を守るために。
 李土の目的を唯一理解している――李土は元老院やハンター協会を利用して動く上で好都合だからと、誤解を解くつもりはない――美夜らしい提案である。元老院としてもこれからの備えとして、美夜の潜入は望ましいのだろう。

「あそこにはハンター共も吸血鬼も……枢もいる。怪しまれないようにしろよ」
「催眠と記憶操作に長けた者を使います。あのハンター二人がいない時を見計らいますし、教員には学園外での接触、操作も可能ですから」
「書類は?」
「彼女本人に、紛れ込ませるようにします」
「それが確実だろうな。ただ……あの黒主が催眠なんてかかるようなヘマをすると思えないんだが」

 ただの教員相手ならば、先ほど言っていたようにハンターの二人がいない時に手を施せばいい。
 しかし操作のために接触の必要がある理事長が元ハンターなのだ、吸血鬼の気配に気付かない訳がない。

「それについてもご心配なく。彼女が気配を消したまま近づき、記憶操作の術式を応用して気絶させます」
「それで記憶を改竄するのか……なるほどな」

 元老院が案もなくこの計画を行う訳がないと分かってはいたが、一応確認をした。
 支葵家当主である彼は、頷いてコーヒーに口をつける李土を怪訝そうにうかがってくる。どう見ても、李土が計画に前向きとは言えないからだ。

「……そこまで渋る、理由を伺っても?」
「大したことじゃない……心配なだけだ」

 曖昧にぼかす李土に、彼はそれ以上問わなかった。
 生まれたての雛が、初めて見た者を親だと認識するように、美夜は李土に対して一途だ――異常な執着とも呼べるほどに。李土自身、自分がまともであるなどと思ってはいないが、ああも綺麗に刷り込み(インプリンティング)が成功してしまうとは予想外な部分もある。
 その美夜が、李土の為とはいえ優姫を中心とする生活に移行しようとしている。学園で生活するうち、優姫に対して、情が沸かない訳がないのだ。
 美夜が冷酷非道な性格ならば話は別だが、彼女は決めたモノにはひたすらに真摯で一途になる。優姫から平和を奪うことを、彼女はきっと躊躇うようになるだろう。
 戦いになれば、力を借りるつもりはあった。だが、これは、美夜には酷すぎる。
 しかし、普段全く意見をしない彼女がやりたいと言っていることを、強く咎めるつもりもなく、その自分の甘さに自嘲した。
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