80


 ハンター協会の地下には、対吸血鬼武器を生み出す"親金"の炉がある。吸血鬼と人間の戦いが熾烈を極めた頃、人間に味方した吸血鬼始祖の一人の心臓が投げ込まれた炉は、今でもずっと"生き続けて"いる。
 対吸血鬼の術式こそあれ、そこに見張りはいない。ハンター協会所属の人間であれば、簡単に立ちいることが出来る。無論、美夜も例外ではない訳で。
 降って湧いた休暇を持て余した美夜は、酷使している[天守月影]の休息もかねて親金に会いにきていた。ベンチなど気の利いた物はないので、壁にもたれて読書をする。
 そうして二時間経った頃、近づいて来る気配を察知する。美夜は無意識にも笑みを浮かべて、パタンと本を閉じた。

「久しぶり、零」
「ああ、久しぶり。……言いたいことは色々とあるが」
「うん?」
「何してんだよ……昼の二時だぞ」

 零の口ぶりとここへ来たことから、美夜が休みだとは分かっているのだろう。昼だぞ寝ろよ休めよ、と浅紫の目が言っている。
 それでも表情は柔らかく、美夜はくすぐったく思いながら零を見上げた。

「昼前まではちゃんと寝てたよ。零、学校あるから昼間起きてるだろうと思って」
「……嬉しいけど。俺に合わせて生活時間をずらさなくていい」
「仕事してると結構めちゃくちゃになるから、気にしなくていいよ。……何より、私が会いたいと思ったから」

 こうもスラスラと言葉が出るのは、状況が変わったからに他ならない。全てを割り切ったとは言い難いのかもしれないが、隠し、伏せる必要がなくなった効果は大きいと実感していた。
 美夜の言葉に零は少し驚いたようだが、すぐに微かな笑みを浮かべる。軽く腕を回してくるので、美夜も零に背に腕を回した。
 至近距離で顔を見る勇気はなかったので、零の肩に額をつける。
 零のにおいだ、と思う自分は変態だろうか。

「それは、光栄だな」
「当たり前だよ。あ、今って休憩時間?会議とか手伝いとか仕事覚えるとか聞いたけど」
「思い出させてくれるな……あと十分なんだ」
「終わるのは何時?」
「五時に解放される予定。……明日は一日缶詰らしいが、美夜が任務でいないから別に構わない」

 頭に重みを感じる。零が顔を乗せているらしい。
 美夜の体に回った腕は背中で手を組んでおり、美夜に逃げる場所はない。その必要もないが、繋ぎとめるようなそれは美夜にとって安堵要素の一つだった。

「……怪我はないか?」
「ないよ」
「ああ、間違えた……怪我はしなかったか?」
「……かすり傷くらいは、あったかな?」
「…………実際は?」
「左腕危なかった、です……」

 へえ、と頭上から降ってきた声に硬直する。
 美夜は顔をあげてたまるかと、互いの靴を睨むように見た。
 久々の大怪我に、既に帆泉からお叱りを受けたこともあり、美夜は冷や汗をかいていた。なぜ帆泉が知っていたのかは謎だ。
 美夜の特異な血臭で標的達が凶暴化して襲ってきたが、驚異の回復力で大事には至らなかったことは不幸中の幸いだ。

「傷跡は?」
「残ってる、けど。もう痛みもないし」

 血液錠剤も大量に食べたし、と小声で付け足す。
 深いため息が降ってきて、直後、頭に痛みを感じる。

「顎、顎」
「『無事で良かった』と俺に言わせる気はないのか」
「ごめん、いやでも、ここまでの怪我は滅多にないから」
「……」

 地味な圧力が止み、しかし苛立ちを含んだ視線は感じていた。
 今までの自分なら、職業柄仕方が無い部分がある、と苦笑でもしていただろうか。
 美夜は冷静に考察しながら、ちらりと視線を上げた。

「その、次こそは……『無事で良かった』って言って、頭を撫でてくれたら嬉しいなあ」

 零が自分を心配してくれている。傷付かないことを望んでいる。それに応えることは、美夜自身の喜びになる。ならば、これからはより一層自分の身に気を使おう。
 美夜は自分のために自分を守ることが出来ない。美夜が"誰かのため"を言い訳にすることがなくても、中心はいつだって別の誰かなのだ。美夜はそれを知っていても、直せるほど器用ではないと自覚していた。
 口に出したら、怒られるだろうか。零はもう知っている気がするけれど。

「ああ、分かった。……撫でるくらいなら、いつでもするけどな」
「ふふ」

 苛立ちを隠した零は、そう言って美夜の頭をくしゃりと撫でた。





「案外回復が早いなっていうのが、正直な感想かな……」

 美夜は残り少なくなった夕食を前に、そう言った。
 短い休暇だからと食料を買っておらず、協会の食堂での夕食である。
 テーブルを挟んで向かいには零がおり、美夜の言葉に同意を示した。

「一、二年かかってもおかしくない」
「ハンター(こっち)側は、まだ分かるよね。組織が壊滅した訳じゃないし、亡くなったのは協会長だけ」
「ああ。驚いたのは吸血鬼側(あっち)だ。……統率機関が無くなった上、それを行ったのが玖蘭家の者ときてる」
「プラス、王族の血を引く<純血種>が増えた。力関係ががらっと変わってくるね」

 任務漬けの美夜には情報というものが少ない。零に、会議や他のハンターとの会話から得た情報を話してもらっていた。
 玖蘭家はもちろん、<貴族>では一条家、藍堂家が中心となって、吸血鬼界の再統制を進めているらしい。かつての夜間部生の中に協力的な吸血鬼が多く、家を巻き込んでいることが大きな要因である。吸血鬼界の立て直しは、着々と進んでいるのだ。
 <純血種>は基本的にテリトリー外のことに関しては無関心なので、傍観を決め込んでいるようだが。

「流石枢さんって感じかな……。それに、理事長のやったことは決して無駄じゃなかったんだね」
「……そうだな」

 人間と吸血鬼の共存を目指した学園は、様々な力によって崩れてしまったが、若い吸血鬼たちはわずかでも"人間"を知ったのだ。
 美夜はあの夜、陽の寮を守っていた夜間部生を思い出して微笑する。

「私も頑張らなきゃな……」

 そう呟くと、正面の零がなんとも言えない渋い顔をする。

「それ以上どう頑張るんだよ……帆泉さんと師匠の任務も、ほとんど任されてるって聞いたけど」
「まだ大丈夫だよ、全部じゃないもん。自分の限界はちゃんと分かるから」
「……倒れる寸前とかやめろよ」
「次期協会長さんこそ無理しないでよ」
「そんな柔じゃねぇよ」

 自分たちは同じことしか言っていないとすぐに気付いて、二人で笑う。体を気遣って欲しくても、そうわがままを言えない状況なのは分かっているのだ。
 優姫も、頑張ってるんだろうし。沙頼も、沢山我慢してるんだろうし。
 事態の原因が自分に関わっているから尚更だ、と口にこそ出さないが確かに思っている。しかも"罪悪感"からというよりは、少しでも李土に関わっていたいというもので、美夜は密かに自嘲する。

「師匠、色々遠慮ないから。……耐えてね。出来ないことは言わない人だから」
「……反抗したことあるのか?」
「反抗……"修行が辛い"ってこぼしたことがあるんだけど」
「そりゃ……あるだろ」
「右腕折れたよ」
「……」
「右腕折れたよ」

 俺シャーペンで刺されねぇかな、という零は至って切実で、美夜は笑うに笑えなかった。





 黒主学園高等部の教室では、どこも例に漏れず授業の真っ只中である。
 ある教室では、一人の男子生徒が終始伏せており、担当教員がその隣に立っていた。教科書片手に男子生徒を見下ろすのは、最近この学園にやってきた若き男性教師。周囲の生徒が控えめに様子を伺う中、教師は男子生徒の頭を鷲掴んだ。
 命知らずな、と思ったのは誰だったか。
 遅刻魔かつ居眠り常習犯で成績優秀なその男子生徒は、常から眉間のシワが深く、整った顔立ちもあいまって睨まれればひとたまりもないのだ。運動も喧嘩も出来るため、睨みは脅しではない。
 男子生徒と同じ顔の弟は、つまらなさそうにそれを眺めている。
 男子生徒の斜め前に座る女子生徒は、二人のどちらを心配すべきか迷いながらちらりと振り返っていた。

「俺の授業でも寝っぱなしとは、いいご身分だな?」
「……離せ」
「それが教師への態度か」
「……」

 男子生徒――零は上体を起こし、その教師を睨む。教師は零の睨みにやや顔をしかめたのみで、恐る様子はなかった。
 教師は名を鷹宮海斗といい、教鞭をとりつつも学園監視の任務を負うハンターの一人である。同時に零の兄弟子でもあり、壱縷も含めた三人は旧知なのだ。

「はい、起きろ。いくらなんでも寝過ぎ」

 零はため息をついて、ゆるりと顔を上げる。隠そうともしない気だるさに海斗が眉をしかめたようだったが、今更取り繕いはしなかった。
 零は欠伸を噛み殺し、枕にしていたテキストを渋々開く。海斗に軽く頭を叩かれた。
 零とて自分の授業態度が褒められたものではないと自覚しているので、教壇に戻っていく背を一瞥するに留めた。





 美夜は微笑みをたずさえて、自らの師匠であり協会長代理でもある帆泉に静かに言った。

「実家に帰らせていただきます」

 帆泉はいつもどおりの笑みを浮かべており、真意など読めたことがない。美夜の言葉に大した反応を示さず、好きにしろ、とだけ返した。
 一方で、美夜の言葉をさらりと流せなかった人物が二人。たった今この部屋へとやってきた、零と理事長である。
 気づいていた美夜はドアへと顔を向け、よく知った顔にふわりと笑った。

「お疲れ様です、理事長。零もお疲れ様、予定より早かっ――」
「美夜ちゃん七瀬くんに何されたの?!させられたの?!オトーサンにいってごらん!」

 両肩をつかみ鬼気迫る理事長に、美夜は驚いて目を見開いた。
 言葉を探す美夜に対し、何を勘違いしたのか、理事長は帆泉をにらみ始めている。美夜は突然状況が把握できなくなり、理事長が何故か睨んでいる帆泉に視線を向けた。
 帆泉は変わらず笑っているが、どこか呆れているように見える。
 次いで零を窺うと、彼も彼で眉を寄せていた。美夜から強引に理事長を引きはがし、ぽすりと頭に手を乗せる。

「……何かあったら頼れと言ってるだろ」
「そうだね……?」

 会話がかみ合っていない。美夜は一体何がそうさせたのかが分からずに、再び帆泉を見た。
 帆泉は、美夜と理事長や零の間にある食い違いを把握しているように見える。理事長に詰め寄られているが、頭を掴んで近づけないようにしている。
 帆泉が、暑苦しい、とつぶやく。状況を楽しむことよりも理事長を落ち着かせることを優先させたのだろう、頭を撫でられているままの美夜を見た。

「アマモリ、お前がこれからすることは?」
「え、実家に帰ることです。出来れば零も一緒に」
「……は、俺?」

 素っ頓狂な零の声に、美夜はこくりとうなずいた。

- 81 -

prev愛しき君に幸あれnext
ALICE+