予定通りの時間に本丸を訪れられたときには、誰かがエーテライト前に待ってくれている。誰かはその時々で変わり、誰が待ってくれているのか楽しみにしている部分もあった。
夜、就寝のために本丸エーテライトにテレポートすると、ぼんやりと夜闇に浮かび上がる白い姿があった。
わたしは出迎えが彼であることにやや驚いた。
「あ、鶴丸」
「よう主、おかえり」
「ただいま。遅い時間なのに待っててくれたんだね」
寝巻用の浴衣姿で、華奢な刀剣男士が手を上げる。
環境同期先のフランスが曇っているらしく、月明りが心もとない。フランスは季節によっては夜九時になっても十分明るいらしいのだが、現在時刻は夜の十一時。さすがに日が落ちている上、天気もあって非常に暗い。
わたしは夜行軍も経験があるのでそう苦労なく歩けるが、太刀の鶴丸は動きにくいのではないのだろうか。そんなわたしの懸念をよそに、鶴丸は懐中電灯のスイッチを入れた。
「なんで点けてなかったの?」
「暗闇に俺が立っていたら気味が悪いかと思って。きみは全く驚かなかったがな」
鶴丸はいつも驚きへのあくなき探求心を見せる。わたしが異世界からきているとあって、鶴丸はいつも驚かされている側であり、それがどうにも不服らしかった。「いつかきみの腰を抜かしてみせるぜ」初めて目にする天球儀に大興奮しながらそう言っていた。
懐中電灯は夜闇を切り裂くほど明るく、ゆうに一〇ヤルム先まで照らせそうな代物だ。本丸側世界の単位だと、およそ九メートルといったところか。
ふたりで並んで歩きながら、今日の様子を聞く。出陣組は無傷か軽傷のみで手入れは終わっているということ、堀川が刀装職人として腕を振るっていること、大倶利伽羅と燭台切が作ったあんみつが美味しくわたしの分も確保しているから食べて感想を伝えてほしいということ、エーテライトから本丸までの道をもう少し歩きやすく整備しないかという案が出ていること。
「わたしはまだ眠くないから、先にあんみつ? 頂こうかな」
「就寝前の甘味は、光坊が良い顔をしなさそうだが……もしかして、あんみつを食べたことがないのかい?」
「甘そうな響きだなとは思う」
「ああ、甘味だよ。きみ、朝もしっかり食べるタイプだろう? よければ朝に食べてやってくれ」
「楽しみだな。優雅にデザート頂いてからエオルゼアに戻るか……」
「忙しそうだなあ」
「人気者でね」
本丸の門を通り、玄関を開ける。昼間よりは静かだが、明りもついており、まだ生活音が聞こえていた。
おかえり、と姿は見えずとも数多の声が聞こえるので、大声で返す。
「なあ、きみ、まだ眠くないのかい?」
「お風呂入って寝酒でもと思ってる」
「いいねえ。俺もご一緒しても?」
「もちろん。あ、でも、ちょっとしかお酒持ってきてないからこっそり私室に来て。グラスをふたつ」
「心得た」
鶴丸が笑顔を浮かべる。
わたしは起きている刀剣男士と話しつつ、時間をかけて執務室へ向かう。こんちゃんを呼び、データを見ながら今日一日を振り返る。長谷部や加州を呼ぶときもあるが、今日は呼びつけなくとも事足りた。
こんちゃんを撫でまわして労い、審神者部屋へ向かう。
審神者部屋でシャワーを浴びて着替え、就寝の挨拶をしがてら母屋を回り、日付が変わる頃に審神者部屋へ戻った。そしてそれを見計らったかのように、鶴丸が訪ねてくる。
グラスを二つ持った鶴丸は、足で障子を閉めながら悩まし気な表情だった。
「こんな時間に女性の部屋を訪ねるのは褒められたもんじゃないんだがな……」
「短刀たちが来て一緒に寝るときもあるからいいでしょう」
「俺は短刀と同じ扱いか?」
「刀剣男士の年齢は見た目に関係ないから……確か、最年少って和泉守なんでしょう?」
「年齢というか、まあ、それもそうなんだが、男の体を持ってるって意味で」
「みんなわたしの刀だから……え、帰る?」
「飲むぞ、主」
「きみはいつ見てもそれ(ニワトリ)だな」と鶴丸が腰を下ろす。
座卓には既にワインボトルを置いている。ラベルのない、ただ赤い液体の入ったワインボトルだ。鶴丸は興味深そうにそれを眺め、ボトルの横にグラスを置いた。
グラスにワインを注ぐと、おお、と対面から声が上がる。
注ぎ始めはただの赤ワインだが、空気に触れた面だけが星屑を孕んだ水色に染まる。ちょうど、砕いたクリスタルを振りかけたような色だ。控えめに輝く星はグラスの底に落ちながら消えてしまうが、星は液面に次々と生まれるので光が消えることはない。
「これはなんだ? 星空で醸造したのか?」
「雲海だからあながち間違いじゃないな」
「雲海?! 驚いたな、天上のワインと言ったところか?」
「ウキグモソウっていう、雲海で採れる草の色素を入れてるんだ。雲海にいるモーグリ……妖精みたいな種族が気まぐれで作っているだけだから、決して流通はしないんだけど、この前困り事を手伝ったらお礼にもらってね。雲に突っ込んでいったときに吸い込んだ空気みたいな後味で美味しいよ」
「想像できるわけがない表現をありがとう」
グラスを持って、乾杯をする。鶴丸がゆっくりとワインを飲み下し、その表情が輝くのを確認してから、わたしもグラスに口を付けた。
ローランドグレープをベースにした赤ワインなので、最初は赤ワインらしい味がする。熟成期間が短いので果実味が強い。しかし、若いワイン独特の渋みというものはほとんどなく、マイルドで厚みのある味がする。そして、喉への流れは非常に軽やかなのに優しい香りが鼻へと抜ける。沁みない清涼感というか、ゆるい風が吹き抜けたような心地がするのだ。
「うまいな……」
「でしょう。飲みやすいと思う。あとウクグモソウは雲海で薬にもなっているからか、栄養価も高い。素晴らしいお酒」
「こりゃ、酒飲み連中がほしがるぜ」
「翌日にも全然響かないんだけど、飲みすぎたら逆に眠れなくなるから一杯だけにしよう」
うっかり飲みすぎてしまわないよう、ボトルはさっさと収納した。
「寝酒はよくするのか?」
「妙に目がさえてるときくらいかな。普段もあんまり飲まないね。お酒自体には強いほうだけど」
「前にこれを飲んだときってのは、向こうの仲間と?」
「え、ああ、そうだよ」
「……聞いちゃいけないことだったかい?」
「そうではないよ。あまり聞きたくないかと思って」
「なぜ?」
「審神者になったすぐのとき向こうの話をしたら、加州と秋田が寂しそうだったから。最低限しか話さないようにしてるんだ。無神経だったなと反省して」
わたしは刀剣男士の主であり、刀剣男士は主無しでは生きられない。気持ちの面は個体によるのだろうが、霊力の供給元が審神者である以上、主という存在はどうしても必要だ。その、自分の存在を保っている人間が、見たことも聞いたこともない世界の話をすることは面白くないのだろう。天球儀を筆頭に本丸でも使うことがある武器に関しては興味を示す刀剣男士が多いものの、あのときの加州と秋田の複雑そうな顔が忘れられず、具体的な活動や仲間については意図的に話さないようにしている。
鶴丸が頬杖をついて苦笑する。
「刀によるんだろうな。俺は興味があるぜ」
「そう? でもわたしの冒険譚はとても一晩で語り切れないから、また時間があるときに」
「なら、前にこの<天上のワイン>を飲んだときのことを聞かせてくれよ。酒の肴に少しくらいいいだろ」
「ああ……うん、いいよ」
わたしも鶴丸と同じように頬杖をついた。
「このワイン、二本もらっていてね。大事な作戦の前夜に、仲間と空けたんだ。まず手に入らないものだし、味もいいから、評判良かったよ。思い出のワインって感じかな」
「その大事なワインを、運よく俺は口にしてるってわけだ」
「鶴丸に声を掛けられなかったら開けてなかったかもしれないから、いいきっかけになったよ」
「……そうなのか?」
「一本目を飲んだ翌日に、仲間がひとり亡くなって。どうにも、二本目を開けるのが……でも、これで少しすっきりしたよ」
肩をすくめて、グラスを揺らす。液面を覆う青空の星が、赤い海に沈んでいく。
わたしは釣りや畑仕事や採掘や料理等々もするが、本業は傭兵もどきである。仲間を喪うこともあるし、わたしもひとを殺すことがある。くよくよする性質ではないが、ともに過ごした大事な仲間がもうこの世のどこにもないというのは、体に穴が開いた心地で寂しいのだった。
二本目を開けるということは、その寂しさと向き合うことになる。
「二本目も向こうの仲間と開けて、思い出話で盛り上がっても良かったんだけど。鶴丸に声を掛けられたとき『あ、今飲もう』って不思議と思えたんだよね」
「そりゃ光栄だ。思い出話には付き合えないが、それでもいいのかい」
「こうやって眠れない夜に相槌を打ってもらえるだけで十分だよ。寝酒も悪くないね」
「またぜひ呼んでくれ」
「鶴丸は、なにかわたしに用事があったりした?」
「きみと話がしたかっただけさ。短刀連中に先を越されがちなんでな、たまには俺がきみを独り占めしてもいいだろう?」
白すぎるほど白い肌をアルコールでほんの少しだけ上気させて、鶴丸が悪戯っぽく笑う。
わたしは目を瞬いた。チキンヘッドを被っているので鶴丸には分からなかっただろうが、間抜けな顔をしていた。鶴丸は、どちらかというとわたしに対してクールな印象なのだ。ビジネスライクと言うべきか。
「鶴丸は案外、わたしのことが好き……?」
「ははは、そうさなあ。刀剣男士というものは、きみを想う全てだから」
鶴丸が、空になったグラスを座卓に置く。
わたしのグラスにももう二口ほどしか残っていない。寝酒タイムが終わるのは名残惜しいが、眠気を感じ始めたこともあり飲み干した。
「眠れそうかい?」
「うん、おかげさまで」
「グラスは俺が片しておく」
「ありがとう」
グラスを持って鶴丸が立ち上がる。わたしも見送ろうと伸びをしながら立ち上がった。
「そうだ、主。このワイン、きみと俺との秘密にしないか」
「みんなに振る舞えるほど大量生産されてないから、自然とそうなりそうだけど……」
「よし、そうしよう。新参の俺にだって、なにか主との特別があってもいいだろう」
「ご馳走様、おやすみ」鶴丸が上機嫌に言って部屋を出て行く。それに「良い夢を」と返し、わたしはしばらく立ったまま閉じた襖を見つめていた。
思ったよりも好かれていて、驚きつつも嬉しかった。おそらく未だ刀剣男士というものの在り方を理解しきっていないわたしは、刀剣男士からのまっすぐな気持ちにいつも驚いている気がする。
「……わたしを想う全て、か」
仲間からの想いが、わたしの力になる。