風を感じて目を開ける。目に入ったのは本丸審神者私室の天井ではなく、エオルゼア側で利用する宿屋の天井でもなく、遥かまで広がる草原だった。一面の緑と空の青、草原を囲うようにそびえたつ山岳。大自然がわたしの目の前にあった。
夢だ、と気付いたのは早かった。わたしは本丸で眠ったはずだ。
周囲を見回していると、大きな影が空を飛んでいることに気付いた。目を凝らし、その特徴的な翼の形を見る。ヨルだ。わたしの故郷・アジムステップの山岳部に棲む怪鳥である。そう気づくと、吸い込む空気も広がる草原も懐かしいにおいがする。
ヨルの影に手を伸ばす。ニワトリの羽ではなく、わたしの手だ。夢の中でチキンスーツを着ていないことにどこか安堵した。深層心理にまでニワトリが食い込んでくるのは遠慮したい。
風の音がするのみで、ひとや魔物の気配はしない。一歩踏み出したとき、突然背後から衣擦れの音と声がした。
「主、だよな……?」
わたしを<主>と呼ぶということは刀剣男士。そしてこの声は。
「豊前がわたしの夢にいる……」
「おう」
戦装束の豊前がひとりで立っていた。豊前はざくざくと草を踏みしめてわたしの隣に並ぶ。
この広大な草原を見てほしいのだが、じっと、不躾なまでにじっと、わたしを見下ろしてくる。視線を合わせると、豊前は笑顔を浮かべた。
「ここはわたしの夢なのに、豊前はしっかりわたしの容姿に驚くんだな」
「驚いたけど、すごう可愛い。きれいちゃ」
「あ、ありがとう……」
顔を背けて礼を言う。
わたしは豊前に褒められたい願望でもあったのだろうか。
「照れちょる?」
「……『強い』とか『カッコイイ』とかは言われ慣れてるんだけど、そういうのは慣れてないからやめてくれ。それより、この、美しい草原を見て」
両腕を大きく広げる。強く吹き抜けた風が草を揺らして、わたしたちを撫でる。<涼しい><寒い>よりは<心地よい>という表現が合う。草と土と太陽のにおいだ。
豊前が伸びながら深呼吸をする。
「いいところだなー! 走りたくなるぜ」
「わたしの故郷なんだ。いいでしょ」
「この草原が?」
「わたしは元々、遊牧民なんだよ」
「遊牧民……日本じゃみられない暮らし方だな」
この草原は、五一に及ぶアウラ・ゼラの集落が存在している。そのうちの一つの集落がわたしの出身で、この草原が故郷だ。わたしの部族は特別穏やかなため他の部族と争うことは基本的になく、神託を得て、魔物を狩り、農作物を育て、時期が来たら集落を移動させる。そんな日々を送っていた。
辺鄙な場所のために故郷を出てしばらくは帰れなかったが、冒険の中で仲間とともに立ち寄った。その後は、一言でとても表現できない出来事の末、行き来がしやすくなったので時折帰ってきている。だというのにこんな夢を見ると言うことは、それこそ何かの神託だろうか。
太陽の位置と草原に転がる岩の配置とでおおよその現在地を把握し、歩き出す。わたしの部族は集落をよく移動させるので発見するのは難しそうだが、市場や、集落を動かさない部族もいる。他部族の集落に部外者である豊前を入れるのは躊躇われるので――わたしの夢の中とはいえ――市場にならと行き先を定めたのだった。当然、豊前も付いてくる。
「わたしの夢に豊前が出てきたのはなんでだろう。昼間に帯刀したからかな」
「あー……すまねぇ」
「何が?」
「ここは主の夢だけど、俺は俺なんだ。俺が、主の夢に入っちまってる」
「刀剣男士ってそんなことも出来るの?」
「俺の問題だな……夢に入るつもりはなかったんだが」
「豊前の問題?」
「口説き落とされちまったってこと」
わたしの後ろを歩く豊前を振り返ると、照れたように笑っていた。それは何よりだと、わたしも満足して笑う。途端、豊前は視線をあらぬ方向に向け、両手で顔を扇ぎ始めた。いつも涼しい顔の豊前が赤面している。
「んっとにさ。ニワトリの姿でも、霊力やらなんやらを感じていっぱいいっぱいだったってのに……ニワトリの着ぐるみはアレだな、主の魅力を抑える役目もあったってわけだな。そんなに真っすぐ見られちゃあ、刀剣男士も悩殺だぜ」
「すごい褒めてくるじゃない……」
「神ってのは、元来美しいものが好きなんだよ。容貌でも、魂でも、霊力でも、在り方でも、なんでも。主は、目線でさえも美しいちゃ」
「あんまり褒めると、また本体を抜くぞ!」
「どんな脅し文句だよ」
わたしは前に向き直って歩く速度を速めた。ヨルを呼んで飛び去ってしまいたい気分だ。
早足で進んだものの、魔物の姿が見え始めて足を止める。夢の再現度の高さに我ながら感心してしまう。倒しても良いが、市場を目指す意味もあまりないことに気付いて腰を下ろした。
仰向けに寝転んで晴天を見上げる。雲が緩やかに流れている。ヨルが旋回するのも良く見える。後頭部の硬さだけが問題だ。
豊前が隣に腰を下ろす。
「枕がいるなら膝貸すぜ」
「篭手切に怒られそう」
「足は二本あるから平気だって」
「……」
普段から刀剣男士とハグはするし小狐丸の懐に入ったこともあるが、前者は親愛のスキンシップで、後者は体調不良による一種の奇行だ。冷静な今、刀剣男士に膝枕をされるというのはしばしの葛藤を必要とした。
――でもわたしの刀か。
葛藤するのもおかしな気がしてきてしまい、ありがたく後頭部を守ることにする。膝枕をされるなど、何年ぶりだろうか。母とは違う、男の体の硬い足は、枕としての性能は微妙だった。
仰向けの視界に豊前が入る。豊前は空を仰いでいるので、顎下が見える。
「我が夢ながら、良い天気」
「それはそうなんだが……篭手切は普段横を向くから」
「ふふ、照れちょる?」
「主があんまりにも綺麗だから」
「……。わたしが横向きに寝たら、角で豊前の足に穴が開くよ」
「主って耳どこにあんの?」
「角が耳」
「へー!」
心地よい環境で横になると、どこか睡魔がやってくる。夢の中で睡魔というのも奇妙な感覚だ。
目を閉じて呼吸を落ち着ける。風の音がより良く聞こえる。遠くの魔物の足音さえ聞こえる気がした。
「寝るか?」
豊前の声が降ってくる。
魔物がうろつく草原で昼寝など無邪気な幼小の頃でさえしたことがないが、ここはわたしの夢だ。刀もそばにある。
「……魔物に襲われそうになったら起こして」
「無いことを祈ってる」
寝ちまえよ、と笑いを含んだ声がする。
妙に現実感のあるこの夢も、起きれば朧気になっているだろう。忘れている可能性もある。もしも覚えていたら、豊前にはもっとしっかりと故郷を見た感想を聞いてみたい。
しっかり覚えていた。
たかが夢だが、されど夢。豊前はわたしの妄想ではなく豊前自身であると言っていたから、豊前も覚えているかもしれない。朝食時になんとなく探してみるかと部屋を出ると、夜警番だった今剣が見たこともないような渋い顔をしていた。
「今剣……?」
「あるじさま、おはようございます」
「おはよう」
雨に濡れた靴を乾かした後、足を突っ込んでみたらまだ中が湿っていたときのような顔だ。
頬をつつき、頭を撫でる。抱き上げてその場で回ってもみた。徐々に表情が緩み、笑顔が浮かんでから広間に移動する。
今剣と交流していたため、広間は既に賑わっていた。刀剣男士たちと挨拶を交わしながらお盆を取り、朝食を乗せていく。一通り品を確保して空いている場所を探していると、広間に入ってきたばかりの豊前と目が合った。
一緒にいた今剣が、なぜかわたしの前に立つ。
豊前は早朝から爽やかな笑顔だった。特別な反応はなかったが、なんとなく、豊前も夢の出来事を覚えている気がした。
「主、おはよう!」
「おはよう。また気が向いたら膝貸して」
「いいぜー」
やはり覚えている。朝食を終えたら故郷の感想を聞くことにしよう。
空いている場所を確保すると、今剣はお盆を置いて席を離れてしまった。混み合う広間をすいすい進む今剣は、豊前に何やら耳打ちをする。中腰の豊前が苦笑し、今剣がその尻を軽く蹴る。
お茶を飲みながら様子を見ていると、加州が歩み寄ってきた。既に食事は終えているようだった。
「なんかあったの?」
加州の視線は豊前と今剣に向いている。
「今剣が、豊前に用事があるらしい」
「そうみたいだけど。豊前は……まあいいや。俺も豊前蹴ってこよ」
「どうして……?」
今剣や加州だけではないらしかった。複数の刀剣が豊前にちょっかいをかけている。昨日こんちゃんが言っていた、豊前はこれから背後に気を付けなければならない云々を思い出した。
確かに、一振だけひいきするような口説き方は反感を招いてしまうかもしれない。刀剣男士たちへの愛情は平等で、示してもいるつもりだが、その示し方が豊前に対して大きかったのは事実だろう。
わたしはお茶を置いて、挙手をしながら立ち上がった。
「大事なわたしの刀たち!」
広間にいる全員の視線が集まる。
「抜刀希望者はいつでも本体持ってきて!」
「審神者様!!」
こんちゃんがすっ飛んできた。