血みどろ本丸

 パン、と乾いた音がした。空気が凍って、わたしは頭に血が上った。
 わたしの目の前で、アルフィノが叩かれたのだ。アルフィノには非がないことだった。貧しい民の行き場のない感情が、たまたまアルフィノに向いてしまったのだ。だからといって叩いた女性を責めるには、彼女の境遇も同情できるものだった。
 アルフィノならば、彼女の手を掴んで止められただろう。あえてそれをしないことがわかったので、わたしも動かなかった。事実、彼女はアルフィノを叩いて冷静になり涙を流し、アルフィノに宥められている。
 彼女を落ち着かせて帰した後、静観していたわたしをアルフィノが振り返る。

「取り繕っても怒っているのが分かるよ。任せてくれてありがとう」
「傷、わたしに治させて」
「ではお願いしようかな」

 天球儀を取り出して治癒魔術をかける。一般人に叩かれた傷くらい一瞬で治せるのだが、不要な治癒魔術を無言で重ね重ねかけた。治癒魔術は、対象が視認出来れば多少離れていてもかけられるので、アルフィノが後ずさりしてもかけ続けた。

「あ、ちょ、もういいよ、もう。きみが怒ってくれているのは分かったから。活力に溢れそうだよ」
「バリアもはりたいな」
「わざわざ<証>を持ち変える気かい……?」

 戦闘中の怪我なら状況が状況なのである程度許容出来るのだが、そうではない場面で、負わなくても良い怪我を仲間が負うことはショックだった。
 <証>を賢者に持ち変えてバリアもはり、ようやく満足して治癒魔術サービスを終えた。アルフィノは涙が出るほど笑っていた。
 治癒魔術を存分にかけることで、仲間の不意の怪我にも落ち着いた――そう思っていたのだが。
 夕方、本丸エーテライトに移動して、わたしはわたし自身の怒りの大きさを目の当たりにした。



 今夜の出迎えは御手杵だった。「おかえり」「ただいま」の挨拶もそこそこに、御手杵に凝視される。

「なに?」
「普段通りだなと思って」
「うん」
「今日なんかあったか?」
「特筆するようなことは何も」
「そっかぁ」

 問題があるようにも見えないが、何か気になることがあるのは確かなのだろう。わたしの二歩分を一歩で進む御手杵は、わたしを見下ろして困った顔をしていた。

「なんかさあ、昼間あたりから急にみんな殺気立っちまってさ。出陣組は返り血まみれで帰ってくるし、遠征組は帰城するなり道場にいくし、内番非番連中は急遽行きやすいところに出陣したり。無傷なのに返り血まみれってやつも多いから、どうしようもないのは手入部屋入って、なんとかなりそうなのは必死に洗ってんだよ」
「穏やかじゃないね」
「ほんとにな。今夜の出迎えも本当は巴形だったんだけど、血まみれ装束と格闘してるから俺が代わったんだ」
「ああ、巴は白いもんね。御手杵は大丈夫なの?」
「我に返ったのは早い方だったかな。みんな今はもう大体……大体は落ち着いてるけど、まだ血まみれのやつもいるから、主を驚かせるかも」
「前もって聞いていたら大丈夫だよ」
「しっかし、なんでだろうな。こんのすけは、『審神者様の感情が高ぶってるのかも』って言ってたけど」
「……ああ、そうかもしれない」

 刀剣男士に関係ないだろうと思い「特筆すべきことはない」と言ったが、わたしの感情が高ぶったことには心当たりがある。わたしの感情と刀剣男士がリンクしているようなことを今まで聞かなかったのは、たまたまだろうか。それとも、今回のことでわたしは自分が自覚している以上に怒っていたのか。
 わたしは腕を組みながら言った。

「昼間、仲間が……参謀殿が怪我を負ってしまって。そのときに怒った、と思う。でも、みんなが血まみれになるほど激高したわけじゃないよ」
「え、参謀殿は大丈夫だったのか?」
「うん、不意だっただけで軽い傷だから」
「俺たちは主の怒りの波動を受けたんだろうなー」
「返り血まみれになるほどに……?」
「この本丸史上一番血なまぐさい」

 本丸門をくぐると、御手杵の評価が正しいと知る。
 襲撃を受けたかのような血なまぐささと、殺気とは言わないまでも緊張を感じる。心休まるはずの本丸で緊張を保っているのは良くないが、食事でも摂れば落ち着くだろう。そう思いたい。
 御手杵とキッチンに向かっていると、とたとた秋田が駆けてきた。足音を立てるのはわざとである。髪がしめっているということはシャワーを浴びたということだ。出陣や遠征終わりのシャワーは珍しいことではないのだが、この状況だと秋田も返り血まみれになったのだろうかと勘繰ってしまう。

「主君! エオルゼアで何かありましたか?」
「参謀殿がすこし怪我をして怒っただけだよ。御手杵から聞いたけど、みんながそんなことになるなんて」
「戦場を血で染めました」
「落ち着いて」

 秋田が笑顔で物騒なことを言う。「今は落ち着いてますよ!」とさらに笑顔になるので頬をこねくり回した。戦場の様子がモニター出来たらさぞ殺伐としていただろう。そこまで考えて、戦闘の様子をモニター出来る場を思い出した。

「演練組はどうだったの。今日誰が出てたっけ」
「謙信くんと、骨喰兄さんと、亀甲さんと、山伏さんと、岩融さんと、隊長が山鳥毛さんです!」
「あ、演練は自動修復だったね」

 戦装束の色の問題で亀甲と山鳥毛が大変なことになっていそうだが、演練は終了と同時に負傷が全て瞬間的に修復される。殺気立つことはあっても後始末には問題がなさそうだ。
 御手杵がそういえばと口にする。

「山鳥毛が『相手を困らせてしまった』とかなんとか言ってたな」
「何があったんだろう」
「さあ……。揉めたとかじゃなさそうだったけど」
「……晩御飯前にこんちゃんと長谷部から話を聞いておくよ」
「では、僕が長谷部さんにお伝えします! こんちゃんは多分まだ執務室かと」
「ありがとう。御手杵、わたしは別に激高してないってそれとなく言いふらしてもらえる?」
「はいよ」

 ふたりと分かれて、キッチンではなく執務室へ向かう。
 せっかく感情が伝染するなら、怒りではなく喜びであってほしいものだが。わたしが認識していないだけで、喜びの伝染は今までにあったのだろうか。そうだととても嬉しい。
 ランドリールームが混み合っていそうだなと考えながら執務室に到着する。話し声がしていたので、おやと思いながら障子を開けた。

「こんちゃんと山鳥毛?」
「おかえりなさいませ、審神者様」
「おかえり、小鳥」
「うん、ただいま。何かあった?」

 小鳥と呼ばれるたびに「ニワトリだけど」と思うが口にしない。
 腰を下ろしながら問うと、山鳥毛が厳めしい顔に気まずさを浮かべた。彼が見た目に反して物腰の柔らかい優しい刀剣男士だとは知っているが、この表情は初めて見た気がする。
 
「今日、演練でちょっとな。全体的に殺気立っていた上、重傷になって行動をとめられても戦おうと抗いすぎて、相手方にひどく心配されてしまって……。もしや、相手本丸からなにか連絡があるかもしれんと思い、こんのすけに相談を」
「わたしの怒りの波動ってそんなにすごいのかな……激高したつもりはないんだけど」
「エオルゼアで何か問題が?」
「参謀殿が不意に怪我をしてね。軽い怪我だけど、少し頭に来たのは本当だよ」
「それは良かった」

 誰がそこまでの戦闘狂になったのか気になったが、御手杵の言葉や山鳥毛の様子からして、例外なく全刀剣男士がそんな調子だったのだろう。今穏やかな山鳥毛も、外見のいかつさ通りの凄みを発揮していた可能性がある。
 こんちゃんが肉球でモニターを操作する。

「今のところ、お相手からのメッセージや政府からの警告もありませんので、大丈夫かと思いますよ。何か連絡が入りましたらお知らせします」
「分かった、ありがとう。小鳥も、もし迷惑をかけたらすまない」
「いいよ。元はをいえばわたしのせいみたいなものだから」
「小鳥の責任では」
「でも、みんながわたしと繋がってるって思うと悪い気はしないね」
「小鳥……」
「晩御飯食べておいで」

 山鳥毛が一礼して退室する。入れ替わりで長谷部がやってきた。
 長谷部からも「殺気立っていて」という旨を報告された。道場ではいまだに手合わせをしている刀剣もいるという。しかし、大半は落ち着いてきていると。
 わたしは首を傾けた。

「御手杵も『大体』と言っていたし、長谷部も『大半』と言う……誰か、落ち着く様子の無い刀剣男士でもいる?」

 長谷部が頭の痛そうな顔をする。こめかみを押さえているので、実際に頭が痛いのかもしれない。
 戦闘好きと言えば真っ先に同田貫の顔が浮かぶのだが、長谷部が口にしたのは彼ではなかった。

「源氏兄弟が」



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