血みどろ本丸2


 膝丸と髭切の部屋があるフロアに行くと、明らかに空気が重かった。澱んでいるのではなく重圧だ。刺々しく肌に刺さる殺気を感じる。ついこちらも武器を握りたくなるが、仲間に対してそんな行動はとりたくないので堪えた。
 同じフロアの刀剣は不在らしく、名札が裏返っている。洗濯や晩御飯というより、この空気から逃れて部屋を離れているというのが正解な気がした。
 同行している長谷部が言う。

「膝丸は道場で三日月が相手をしています。問題は髭切のほうで」
「これ髭切ひとりの殺気なんだ」
「源氏兄弟は人間でないものも斬っていますから、その影響なのでしょうが……」
「髭切は道場に行かずに?」
「『誰か折っちゃいそう』と言っていたそうです」
「それはいけないね」

 髭切の部屋に向かって進むと、後ろから長谷部に腕を掴んで止められる。

「膝丸がおさめるでしょう」
「そうかもしれないけど、わたしの責任とも言えるから」
「いいえ、主に非はありません。これは髭切の問題です。主が行くのは危険です」
「どうしようもなさそうだったら、そのときは膝丸を待つよ」

 長谷部が顔をしかめる。

「この殺気を正確に感じ取りながらも、そうおっしゃるのですか」
「修羅場はくぐっているほうだよ。それに、わたしの刀だからね。圧を感じても怖くはないよ」
「……」
「何かあったらわたしも武器を出すし、長谷部が間に入って」
「……わかりました」

 長谷部が渋々を隠さずにわたしの腕を離した。
 一歩部屋に近づくごとに、殺気の鋭さも増していく。近づいたものを傷つけるという明確な殺意という点では、蛮神に勝っているようにも感じた。
 髭切は斬った側だが、斬ったものの影響を受けるという話は審神者界隈では珍しくない。理由は、南泉一文字の存在だ。南泉は斬った猫の呪いで言動が猫に寄ってしまっている。付喪神である刀剣男士に明らかな影響を及ぼしている呪い、しかも審神者が不在だと進行する可能性があるということで、政府でも注視されているという――こんちゃん作資料より。
 髭切が鬼の影響を受けているというのは初耳だが、同じ刀剣男士の長谷部が「斬ったものの影響」だというのならば、その可能性は極めて高い。膝丸も土蜘蛛の影響が出ているということになる。 
 髭切の部屋の名札は裏返っており赤字のままだった。在室状態に変更することにすら気が回らなかったのだろう。
 いつもの調子で呼びかけながら障子を叩く。

「髭切、大丈夫?」

 応答はなかった。障子を開けようと手をかけたものの、びくともしない。鍵はかけているらしい。 

「髭切、大丈夫なら顔を見せて」

 しばらく静かに待ってみたが、返事はなく障子も開かない。それでも待った。殺気が収まらないだけではなく何かしらの呪いがあるのならば、せめて顔くらいは見なければ安心できない。
 数分後、前触れなく内側から障子が開かれた。
 途端、障子ひとつが抑えていた殺気が肌を刺す。しかし髭切の姿を見る前に、長谷部の背に庇われた。髭切に刀を向けなかっただけ、長谷部はしっかり堪えてくれた。

「開けないと、いつまでもそこにいそうだったからね」

 血の匂いがして、長谷部の背から顔を出す。白を基調にした戦装束が赤く染まり、髪にまで血が付いている。無傷だということは分かっているが、一瞬ひやりとした。
 髭切は、自分を睨んでいる長谷部からわたしに視線を移し、普段通りの笑みを浮かべる。殺気と容貌とは不釣り合いな表情と声だった。

「僕の顔、見ただろう。これで満足かな」
「無傷なのは本当みたいで良かった」
「じゃあ、はやく離れたほうがいい。僕は今、なんだか殺したくて仕方がないんだ」
「それを聞いて放っては置けないよ」
「ありゃ」

 緊張している長谷部の背を軽く叩く。すぐには退いてくれなかったが、四度叩いた頃に横へずれた。それでも髭切を睨んでおり、一挙一動に神経をとがらせている。
 長谷部が間に入っていた分の空間を詰めて、髭切を見上げる。とんでもない殺気を放っているとは思えない表情の髭切は、わたしが腕を伸ばしても拒まなかった。
 血で汚れた髪を撫でる。わたしの腕を切り落とすような動作がないので、そのまま背中に手をまわした。髭切のにおいと、血と砂埃のにおいがする。

「わたしも、戦闘後に気持ちが収まらないときがあるんだ。そういうときは、仲間が触れて落ち着かせてくれる。戦い続けると虚しくなるときがあるけど、そばにひとがいるって思うとなんだか我に返るんだよね」
「……」
「着替えて、お風呂入って、ご飯食べに行こう。わたしはきみに殺されないよ」

 あやすように背中を叩くと、真っすぐ立っていた髭切が段々と体重をかけてきた。同時に、殺気が少しずつ収まってくる。
 頭上からため息が降ってきて、頭も重みを感じる。髭切に埋まってしまって見えないが、わたしの頭に頬を乗せているような感覚がした。

「はぁ。敵意も殺意もゼロで向かってこられたら、鬼も毒気を抜かれちゃうよ」
「落ち着いたね」
「僕が怖くなかったの? へし折日下部も、もっとちゃんと主を止めなよ」
「怖くはなかったし、長谷部は渋々わたしの意見を尊重してくれたんだ」
「はやく主から離れろ汚れる」

 幸い血は乾いていたので、わたしのチキンスーツが汚れることはなかったのだが。
 長谷部に髭切から引き離される。髭切が殺気をおさめたにも関わらず、長谷部は髭切を威嚇し続けていた。噛みつきそうな勢いを宥めつつ、もう一振の対応を提案する。

「長谷部、道場にも行こう。髭切はお風呂とご飯ね」
「それこそ髭切に任せてはどうでしょう。主も食事を摂られていませんし」

 長谷部が行儀悪く、親指で髭切を示す。髭切はこてりと首を傾けた。すっかりいつも通りの様子だ。

「……もしかして僕の弟?」
「そうだ。まったく、主の手を煩わせる兄弟め」
「うん、僕が行くよ」

 髭切はチキンヘッドの頭を撫でてから廊下を歩きだす。「主はご飯食べてて」優しい口調で言いながら、すたすた道場に向けて歩き出す。
 任せていいと言うのならば、任せよう。気の置けない兄弟だ、これはすんなり収まりそうである。

「長谷部、ご飯食べに行こうか」
「はい」
「……長谷部はいつも真面目で良い刀だね」
「はい!」

 手がかからないと、褒めるタイミングを逃しがちになる。気付いたときに言葉をかけなければ。
 長谷部と広間へ向かいながら、さきほどの髭切の様子を思い浮かべる。刀時代に斬った鬼の影響があるのならば、こんのすけに報告して様子を見なければならない。
 呪いというものは、いくらわたしが治癒魔術に長けていても治せない。
 

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