(これが、そうか)

 空山が凪を案内したのは、科学館に併設されたプラネタリウムだった。空山いわく穴場のプラネタリウム。科学館自体は古いがプラネタリウムを一年前に改装し、プラネタリウムドームとしては小さいものの、天体投影機が最新鋭で非常に楽しめるのだという。
 上映時間より早い時間に到着し、先着のチケットを購入してから飲食スペースで駄弁る。雑談を挟みつつも凪が無言でゲームすると、隣で空山が電子書籍を読む。ただしぴったりくっついて座る。凪はこの距離感が好きだった。
 入場整理が始まると「座席は早い者勝ちなの」という空山に急かされて最前に並んだ。客のほぼ全てが子ども連れで、あとは数組のカップルとひとりが数人程度だった。
 入場してからは空山に任せて席を決める。中心には投影機。座席は円形ではなく一方向を向いて配置されており、高低差のない映画館のようだった。凪の身長では背もたれの長さが心もとなく、やや下にズレて座らなければならない。背もたれを倒すとほぼ横になれる。
 これは寝そうだ。寝ててもいいと空山に言われてはいるものの。
 ドームはざわつきが大きかった。子どもが多いので当然だろう。

「このまま上映されたら結構騒がしくない?」
「それが、始まったらみんな集中するから静かなんだよ。……凪くん足長いね」
「ズレないと頭が背もたれに乗らない」
「ワたしとは無縁の悩みだ」
「声どうしたの」
「凪くんの大きさを目の当たりにするとときめいちゃうの」

 一拍おいて「お手軽じゃん」と返答する。空山はしっかり声に出して伝えることが多いので、その度に凪は面食らいつつ平静を装うのだ。高身長に感謝である。
 寝転んだまま手を繋ぐと、隣からくすぐったそうな笑い声がする。もっと近づきたいが座席の構造がそれを許さない。リラックスシートというらしい二人掛けソファ席もあったが、生憎完売していた。
 上映中の注意事項放送を聞きながら問いかける。

「なんで宇宙がそんなに好きなの? お父さんの影響?」
「そうだね……わたし、かなり淡白な子どもだったのね。なんか現実感がなくて、無感動ぎみで、どんなにきれいな町並みや景色を見ても『こんなもんか』って思っちゃうような」
「あーなんか分かるかも」
「凪くんはなんでも苦労なく出来ちゃうスーパーマンだもんね」
「スーパーマンかなあ。いろいろ退屈なんだよね」

 <頑張る>ということが分らない凪にとって、勉強も運動も感情はフラットだ。出来るから出来ない気持ちが分からないし、何かを達成しても充足感はなく、だからといってやりたいこともない。

「そんなときにさ、父親に言われたの。ただの雑談の流れだったんだけど『地球を8.9ミリにまで小さくしたら、ブラックホールになるんだよ』って。これがわたしの心に刺さってさ。こんなに身近に、こんなに訳分かんないものがあるんだと思うと急に面白くなって、好奇心のスイッチがバチンッて入ったの。それ以来、宇宙のことを考えてると地に足がついた感覚があるんだよね。あの雑談がわたしのターニングポイントだったんだと思う。あとは、」

 空山が、手を握る力を強くした。

「凪くんと一緒にいるときも、わたしはちゃんと息ができる」

 思わず隣を見ると、空山は真っ直ぐドームを見つめていた。凪に告白してきたときと同じ、真っ向から対峙している顔だ。
 凪は見られていないのに心臓が強く脈打ったのを感じた。自分はこの、興味と対峙して存在感を強くする彼女の姿が好きなのかもしれない。プラネタリウムに少し妬けてしまうくらい、空山の表情は真剣で輝いていた。
 作り物の星空を楽しみにする横顔を見つめているとドームが薄暗くなっていく。

「あ、始まるね」
「……うん」

 繋いでいないほうの手で胸をかく。
 凪の前では、空山はいつも真っ直ぐで現実に生きている。それが常ではなく凪の前だからこそというのが予想外に嬉しかった。


 見上げたドームが段々と明るくなっていく。凪が背もたれを起こしていると、一足先に慣れた様子で座席を戻し終えた空山がちらちらとうかがってきているのが分かった。
 鑑賞したのはこの近辺で今夜見える星空解説と、宇宙や銀河の大雑把な話だった。夜とはいえ人工的な光が無くならない現代ではお目にかかれない満天の星空は、魅入られるのも頷けた。

「思ってた以上に面白かった」
「やった!」

 空山が満面の笑みになる。

「でも解説としては概要というか、子ども向けだよね。空山さんは楽しかった?」
「楽しいよ!」

 子どもよりも、もちろん凪よりも宇宙を知っている空山なので退屈なのではと思ったがそうではないらしい。解説はどうあれ満天の星空は浴びられるので、内容が二の次でも楽しめるのかもしれない。
 空山は興奮気味だった。上映中の解説に付け足すように雑学を披露してくるので、凪は何度も相槌を打つ。地球の時転速度についてや、ホワイトホールの存在だとか、相対性理論についてなど。口語的な分かりやすい言葉を選んでいるので聞きやすく、何より、背の高い凪を見上げて一生懸命話す空山が心底楽しそうで可愛らしかった。
 家族連れに紛れてプラネタリウムを出ると、ミュージアムショップを冷やかしてから科学館を後にした。
 次の目的地は駅前のカフェだ。

「凪くん、凪くん」
「凪くんですよ」
「わたし、その、好きなひととプラネタリウムを見るの、夢だったんだ。叶って嬉しい。来てくれてありがと」

 笑って、手を大きく振って歩く。繋いでいる凪の手も大きく前後に揺れた。
 恋人との夢を向けられるのが自分だけだということに、どこか満たされた気持ちになる。空山の彼氏は自分で、こうやって手を繋いで隣を歩くのも自分で、空山にとって特別な男も自分だ。それのなんと素晴らしいことか。
 外出するのも誰かと一緒にいるのも未知の分野にふれるのも面倒くさいはずなのに、好きな子に近付けているような気がすると面倒くさいが相殺されるのだ。

      *

 チームZとの試合に破れ、喜びを爆発させている潔らを見つめる。
 試合中、凪はサッカーの面白さに気が付いた。なんとなくやっていたものが一転、プレイのインスピレーションが溢れ自分を試したくなっていった。勝ちたいという気持ちが初めて湧いて、負けて初めて悔しさを覚えもした。
 次は勝つ。勝たないと面白くない。勝つためにはどうすればいい。
 負けた悔しさが顔に出ることは無かったが、心が燃えていた。試合終わりだというのにまだサッカーがしたい。自分が自分ではないような気がするほど、チームZとの試合を通じて凪は変化した。
 凪は、感情を露わにする玲王に続いてチーム部屋に戻りながらふと気づく。

「ああ、これが」

 好奇心スイッチが押されたのだ。バチンと激しい音を立てて。
 宇宙に出会った空山もこんな気持ちだったのだろう。地に足がついて、現実感があって、息ができる。一度知ってしまったら手放せない熱だ。これを抱いている限り自分はこの世に生きている。逆に言えば、もうサッカーがないと生きられなくなった。
 サッカーで負けても死にはしない。それでもサッカーがないと世界に現実感が無くなるのだ。心が死ぬのと同義だった。

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