凪くんハウス
凪くんのオフは二週間。その間、課題の提出で一度登校するが、それ以外は完全に休みになるらしい。そのため、次の週末にまたデートの予定を立てても凪くんの休日を独占する事態にはならない。
わたしは定期券を使って電車に揺られていた。凪くんからお家デートに誘われたので、一旦学校の最寄り駅を目指している。凪くんは学校から徒歩圏内の学生向けマンション住みだ。家にお邪魔するとあって誘われたときには変な声が出たが、一段と低い気温に加えて雨予報が出ていたので、賢明な選択とも言える。
椅子に座って、呆とこの一週間を振り返る。いちゃいちゃの衝撃でいっぱいいっぱいだった前回のデートから心ここにあらずだ。学校では何かを察したらしい璃乃に背中を何度も叩かれる始末。凪くんからメッセージが来るたびに以前に増して浮足立ってしまうし、勉強どころではなかった。
電車の振動で揺れる吊り革をじっと見上げる。凪くんと出かけたとき、彼はいつも吊り革が設置されている棒のほうを掴んでいたなと思い出す。高身長故に吊り革が低いという、わたしには分からない世界だ。
学校の最寄り駅で電車を降りる。寮、ではないらしい。白宝には寮もあるのだが、そちらは生活が管理されており自由の幅が狭いため、「生きていける気がしない」とご両親に頼んで学生向けマンションに住むことになったと聞いている。高校生の一人暮らしはハードルが高い気もするが、凪家ではオーケーなのだろう。こうしてわたしが遊びに行けるのでありがたくもある。寮は基本的に寮生以外の出入りが出来ない。
改札を抜けると、白髪の長身がすぐ目に入った。自販機の隣で携帯ゲームをしている、全身真っ黒コーディネートの凪くん。鍛えた一九〇センチの真っ黒は圧が凄まじい。真っ白を以前見たが、今回は真っ黒だ。半々で着たらちょうど良さそうなのにと思って少し笑い、隣の自販機より身長が高くてまた笑った。そっと写真も撮った。
深呼吸をしてから凪くんの視界に入り込む。
「凪くん、こんにちは」
「あ、こんにちは」
携帯を片付けた凪くんが、首の後ろに手をやった。
「<誠士郎くん>じゃないの? メッセージだとそっちで呼んでくれるのに」
「ちょっと緊張しまして……」
「世治ちゃん」
「……せいしろくん」
「よしよし、行こう」
凪くん、改め、誠士郎くん。しばらく慣れなさそうだ。
誠士郎くんがこれまた黒の大きな傘を差した。「どしたの、入りなよ」さらっと少女漫画をしてくるので、これが相合い傘かと内心感動しながら入れてもらう。
昼間だというのに雨で寒く薄暗い道を、誠士郎くんナビのまま歩く。
「一人暮らしって大変だよね」
「まあ実家よりやることは多いけど。世治は実家出る予定あんの?」
「大学どうするかによる……まだはっきりしてない」
「実家出たかったら俺ん家来ていいよと言いたいけど、俺もまだ親の金で生きてる身だからなぁ」
「き、気持ちだけで十分です」
繋いだ手に思わず力が入る。それに気付いていないのか、気付いていて無視しているのか、誠士郎くんは独り言のように続けた。
「サッカー選手になるまで待ってて。おっきい家買うから。俺でかいから天井高めの家が良い」
「……」
「なんか一緒に家向かうって良いかも」
「……」
「死んでる?」
「虫の息」
わたしはプロポーズされているのだろうか。誠士郎くんは深い意味を持たず話している気がするが、恋する乙女には刺激が強いということを分かって欲しい。相合い傘で密着しているだけでどうにかなりそうだというのに。
「な、誠士郎くんのスタートダッシュがきつくて振り落とされそう」
「勢いで言うと世治もなかなかでしょ。あの人通りで告白なんて」
「女には、やらねばならぬときがあるのですわよ」
「男にも、カッコつけたい気持ちがあるのですわよ」
「かっこつけたいんだ……」
「たまに思うんだけどさ、俺が世治を好きだってこと忘れてない?」
「今振り落とされました」
「拾うね」
繋いだ手を二度強めに握られる。拾ってくれたらしい。
誠士郎くん不在時の学校の話や部活の話をしつつ、先日のブルーロックメンバーで集まったときのことも聞きつつ歩き、十分ほどで誠士郎くんが足を止めた。ごくごく普通のマンションだ。普通の賃貸マンションと学生向けマンションとで何が違うのかと聞けば、セキュリティ面が強いのと、契約に当たって合格証書と学生証が必要だったとのこと。門限は無く、誠士郎くんの感覚では<家具家電付きの単身者マンション>に過ぎないという。
オートロックのエントランスを抜けてエレベーターに乗り込む。慣れた様子で階数を押し、着いたフロアもすいすい進む。
ドアの前で立ち止まると、わたしの心拍数はピークになった。誠士郎くんはズボンのポケットから鍵を出し二箇所ある鍵を開けて、ドアを開く。
「ここ俺ん家」
「お招きいただき光栄です」
誠士郎くんが鍵を閉める音を聞きながら靴を脱ぎ、恐る恐るフローリングに立つ。ズカズカ入っていくことも出来ないので、誠士郎くんが靴を脱ぐのを待つ。何となく動作を見守りながら、並んだ靴のサイズの差に目を瞬(またた)いた。大きい誠士郎くんの足が大きいことは知っていたが、靴を並べてみるとそれが歴然となる。
「な、誠士郎くんって靴何センチ?」
誠士郎くんはきょとんとした後わたしの視線を辿り、疑問の理由を察していた。
「ん、二八くらい。世治ちっちゃ、赤ちゃんじゃん」
「誠士郎パパ……?」
「彼氏です」
「うぃ」
「中入っていいよ。暖房付けっぱで出たからあったかいはず」
誠士郎くんがのそのそ歩くのに続く。学校やゲームセンターでは感じないが、一般的な家屋は誠士郎くんには小さそうだ。天上の高い家が良いというのも頷ける。
玄関から短い廊下があり、おそらくトイレや洗面台のあるドアと小さなキッチンを過ぎて、部屋がある。綺麗すぎるキッチンを意外に思ったが、片づけ上手ではなく自炊をしないのだろうと結論付けた。
部屋は確かに暖かかった。そして思っていたより広かった。
「お邪魔しまぁ……す」
「ようこそ」
友人に一人暮らししている人間もおらず、わたし自身が戸建てに住んでいることもあり、この部屋が広いか狭いのか判定は難しい。だが、思ったよりは広い。そして物がない。大きなベッドと、その近くにタンスと本棚。ベッドは出窓に寄せてあり、出窓には目覚まし時計が置いてあった。制服はハンガーにかけられ、ズボンもしっかり皴にならないよう吊るされていた。
数秒で室内を舐めるように見てしまい、己の気持ち悪さが恥ずかしくなったところで、片手に持った袋を誠士郎くんに渡す。
「こちら入場料です」
「なんか持ってるなと思ったら。気にしなくていいのに」
「近所に美味しいパン屋さんがあるんだけど、そこのクロワッサン」
「後で一緒に食べよ」
誠士郎くんが好きに食べてくれていいのに、と言いかけたものの「ウン」と口から出た。誠士郎くんが一旦部屋を出てキッチンに袋を置き、すぐ戻ってくる。次いでコートを脱ぎながら、制服と並んでひっかけてあったハンガーを渡してくれた。
「ありがとう。誠士郎くん、部屋広いし綺麗だね」
「そ? あー広さについは大きいとこにしたかな」
「誠士郎くん大きいもんね。ベッドもこれ大きいサイズじゃない?」
「あんま覚えてないけど多分そう。あと掃除はした」
「え、意外」
「そりゃ彼女が来るなら掃除くらいする……」
誠士郎くんのコートとわたしのコートが並んでかけてある光景に感動していると、何故か誠士郎くんは折角かけた自分のコートを外した。「よいしょ」力の抜けた掛け声とともに、わたしにそれを羽織らせる。サイズ相応の重さがわたしの肩に乗った。
誠士郎くんが興味深そうな顔で腕を組んだ。
「世治ってそんなにちっちゃいんだな……」
「誠士郎くんが大きいんだよ……うう」
「えっなに泣いてるの」
「誠士郎くんのかおりがするぅ」
「おーよしよし」
コートごと抱きしめられるので変なうめき声しか出ない。「そろそろ溶ける」と主張してようやく解放された。
「真っ赤だ」
「死んだかと思った」
「ゾンビってレモンティー飲める?」
「飲める……」
再びコートを掛けた誠士郎くんはのそのそキッチンに向かった。心拍を落ち着けながらわたしもキッチンに立ち、マグカップを借りてレモンティー準備を手伝う。またお邪魔することがあったら飲み物は持ち込むのもいいかもしれないと心のメモ帳に記しつつ、食器の位置とティーパックが出てきた棚の場所を覚えておく。ティーパックがあることは意外だったが、実家から届いた荷物に入っていたらしい。
「キッチンも低そう」
「俺が猫背になるのも致し方ない」
ローテーブルにマグカップを並べて置き、座りながら何気なく本棚を見る。見事に漫画ばかりで、隅に控えめに参考書が置かれていた。出来る限りの教材を教室に置いているのだろう。
漫画棚に、途中まで知っている漫画のタイトルがあった。病院の待ち時間で読んだことがある。
「あれ途中まで知ってる」
「読んでいいよ」
腰を浮かしかけたが、座りなおしてマグカップを持つ。誠士郎くんにぴったり寄り添っていると、<知らない家>という落ち着かなさが少し軽減された。<誠士郎くんの家>というそわそわ感は増した。
「んー、でも誠士郎くんとゆっくりいられるのって今日だけだし、もったいないから誠士郎くん見てるね」
「……」
「あっつ」
誠士郎くんにもたれながら、息を吹きかけてレモンティーを冷ます。口をつけてみたがそうすぐ冷めるものでもなく、持っている手まで熱くなってきて一度マグカップを置いた。
特に目的もない――しいて言うならだらだらすることが目的の――お家デートなので大きなトピックはないのだが、あまりにも無計画なのももったいないと、わたしはひとつ考えを持っていた。ゲームと読書をして昼寝をするのも魅力的だが、もうすぐ誠士郎くんは収監されてしまうのだ、話せるなら話したい。
携帯を取り出して、配信サイトを起動する。座っていても当然座高の高い誠士郎くんを見上げた。
「U20との試合の話が聞きたいです」
「うぇ……戦術とか説明できないよ」
「誰がどういうプレーが得意なのかとか」
「それならちょっとは分かるかも」
「あと、何かのタイミングでさ、誠士郎くんひとりだけ前のほうに残ったところ無かった? あれって戦術?」
「俺ディフェンス出来ないってのと、攻撃力はあるほうだからっていうのであの配置。そういうのでいいの?」
「逆にあんまり詳しくなると、わたしがついていけないよ」
配信サイトからU20戦のアーカイブを呼び出す。全画面表示にしてローテーブルに置くと、「あ、タブレットのが見やすいでしょ」誠士郎くんが一〇インチ程度のタブレットを持ってきた。配信サイトのログイン画面の状態で手渡してくるので、わたしのアカウントでログインする。U20戦を表示させて誠士郎くんに返すと、タブレットカバーを折りたたんでタブレットが自立するようにしてくれた。
誠士郎くんの活躍を誠士郎くんに解説してもらえるという贅沢を噛み締めて、再生をタップする。
試合開始前の遠い喧騒が聞こえ始めたところで、誠士郎くんが胡坐(あぐら)をかいた自分の膝を叩いた。
「こっち来て」
「……?」
「世治が前に来ても、俺画面見えるし」
マグカップを手に取ろうとした体勢のままで硬直する。何を求められているかは分かるのだが、分かるからこそ動けない。
誠士郎くんは涼しい顔でなんてことないように言っている。わたしは視線で「死にます」と訴えてみたが、誠士郎くんは再度膝を叩くだけだったし、かすかに笑みすら浮かべて首を傾ける。
「世治ちゃん。こっち、おいで」
大好きなひとが優しい顔をしていた。