凪くんハウス2
わたしは更に数秒硬直した後、誠士郎くんの胡坐に収まった。誠士郎くんの顔は見られなかった。
「失礼シャス……」
「ブルーロックでちゃんと鍛えてるし、もたれていいよ」
「無理……」
胡坐に収まりながらも極力誠士郎くんと接しないよう前かがみになっていたが、腹部に腕を回された。逃げられない。コートを羽織ったときどころではなく誠士郎くんを感じる。香りやら、体温やら、腹に回る腕が太いことやら、背中に感じる体の大きさやら、やらやら。
タブレット画面を見て思考を逸らそうとするものの、抱き枕よろしく抱きしめられてそれどころではない。手の置き場に迷い、マグカップを持つには危険なので、シートベルトのように体に回された腕に添えた。
試合は既に開始されており、蜂楽選手が敵陣に斬りこんだところだ。
「凪くん、試合どころじゃない、わたしもう溶ける無理」
「フォーメーションの指示としては、俺と凛と潔の三人で組み立てるトライアングルがベースなんだ」
「見たいけど見られないよ、凪くんねえ」
「全員ストライカーっていう狂ったチームだから、攻撃するときは中盤にもっと人数かけて……凛を一として俺らが六で、」
「せいしろくん」
少々手加減していただけませんかね、という思いを込めて見上げると、拘束が緩まるどころかキスされる。比喩でも何でもなく涙目になり、腕を軽く叩いてみるが効果は無い。
「足りない? もっかいしとく?」
「しあい、が、みられない」
「俺は足りないんだよね」
キスという行為は、ただ唇を合わせているだけだ。皮膚の接触、手を繋いでいるのと変わりない。そう頭では分かっているのに、何故こんなにも恥ずかしくなるのだろうか。頭も熱が回ってふわふわしてくる。ただ触れているだけでそれなのに、舌が触れ合おうものなら冷静さなど吹き飛んでしまう。縋りつくものが欲しくて誠士郎くんの服を握ると、更に強く抱きしめられ、舌が奥まで入ってくる。
あ、喰われる。
そう認識することでゾクリとした。恐怖のような、歓喜のような――これが劣情なのかもしれないと感じて羞恥が走る。恥ずかしいのに、このふわふわとゾクゾクが嫌ではないのだ。指先で外耳をなぞられて、その形容しがたい感情が加速する。この状態でのくすぐったさはとんでもない毒だ。
誠士郎くんが口を離したときには、わたしの頭はすっかりおかしくなっていた。
「キス好き」
思ったことが、一切のブレーキを挟まず口に出る。
色白をほんのり紅潮させた誠士郎くんは、驚いたような表情を浮かべた後、顔を伏せてわたしを抱え込んだ。
「……それが、空山世治の最期の言葉となったのだった」
「わたし死んだ?」
「今ちょっと俺やばいから試合見よ」
「やばいのはわたしなんだけど」
「俺は世治を大事にしたいので、あんまり煽るようなこと言わないでください」
誠士郎くんが、進んでしまった試合の再生バーを戻す。「あ、俺がプレスかけられてんな」さらに再生バーを試合開始直後まで戻す。
「あと、キス以上をしそうになったら逃げるように」
「一九〇センチのアスリートから逃げられる気はしないのですが……」
「抵抗を試みて」
「ん。でも、わたしキス好き」
背筋を伸ばして、タブレットを見つめる口元にキスをする。キスの先を匂わされてもそれが気にならないくらい、わたしの頭は熱されていた。
満足。いくらかリラックスして、誠士郎くんチェアに座り直す。
「よし、試合解説お願いします」
「あのさ……あの……ほんとそーゆートコ……」
誠士郎くんはしばらく唸った後、投げやりに試合解説を始めた。
試合を見て、クロワッサンを食べて、誠士郎くんはゲーム、わたしは電子書籍を読んで、そして眠くなったので昼寝をした。
ペット並みの軽さでベッドに引きずり込まれたときには死を覚悟したが、わたしは何とか生き延びていた。誠士郎くんの抱き枕になった体勢で目覚め、幸福感に笑みが止まらない。誠士郎くんが眠っているのをいいことにすり寄っていたが、外から差し込む光がすっかりオレンジ色をしていることに気付いて体を起こす。重い腕から逃れて携帯を確認すると、お暇しなければならない時間だった。
「誠士郎くん、誠士郎くん。そろそろわたし帰らないと」
「……ん?」
「そろそろ帰るね」
横になったままの誠士郎くんの肩を叩くと、あくびをしながら体を起こす。無言でベッドに座って十秒後、ようやく覚醒した。昼寝でここまでしっかり熟睡できることにどこか感動を覚える。
ハンガーからコートを外していると、ベッドから寂し気な声がする。
「ほんとに行くの?」
「暗くなる前に帰宅してって言われてるから」
「やだあ」
急なかわいい振る舞いに、心臓がわしづかみにされる。
誠士郎くんはベッドの上でひざを抱えて、コートに腕を通したわたしを見つめていた。絵に描いたような<しょんぼり>顔をされると、わたしが何か悪いことをしたような気になってくる。一日一緒にいて大分誠士郎くんに慣れたわたしは――また日が空いて会ったら振り出しに戻りそうだが――白い頭をわしわし撫でた。
何故か罪悪感すら抱いてしまうが、わたしは帰らねばならない。親からの言いつけももちろんだが、暗い中を歩くのはわたしとしても避けたい。単純に、ひとりきりの夜道はどこか怖いので。
ずっと一緒にいたくても、高校生では難しい。
「でも帰らなきゃ」
コートの前を閉めて、鞄を持つ。準備を整えたと同時に携帯が震えたので、まさか家族から帰宅を急かされているのかと慌ててトークアプリを開くと、未読がついているのは誠士郎くんとのトーク画面だった。
【行かないで】
しょんぼりした脱力系謎生き物スタンプが送られている。
誠士郎くんは拗ねたような顔で携帯を握っていた。
「俺、家まで送るから」
誠士郎くんが立ち上がると、行く手を阻むようにわたしの前に立つ。
「もうちょっと一緒にいよ」
誠士郎くんから眉を下げて諭すように請われて、断れる人間はいるのだろうか。少なくともわたしには無理だった。
鞄を床に置いて、誠士郎くんに抱き着いてみる。すぐに抱きしめ返され、頭上から微かな笑い声が降ってきた。満足そうな息の動きに、わたしの心も満たされる。
「あと一時間だけね」
「うん」
「うちまで送ってね」
「任せて」
親には連絡をして、おうちデートを続行する。
デート続行内容が、誠士郎くんおススメのサッカー技術動画になったあたり、わたしたちらしくて笑ってしまった。