凪くんと付き合うまで2
普段より早い時間に登校し、教室に御影くんが来たのを合図に席を立つ。目指すは隣のクラス、ただし璃乃ではなく凪くんだ。
別のクラスに入るのは褒められた行動ではないため、小声で申し訳程度に「失礼します」と言いながらこっそり侵入する。
勢いで行った昨日とは違い、今日はいくらか冷静だ。凪くんの席に行くのには相当な覚悟を必要としたが、同時に、昨日あれだけのことをやったのだからと度胸が付いてもいた。
凪くんはごそごそ鞄を片付けていた。わたしは出来うる限り気配を消して、さりげなく凪くんの席に行く。目立たないよう、邪魔にならないようにしゃがんだ。
「ナぎくん、おはよう」
声が裏返って死にたくなった。
凪くんはいくらか驚いたようだった。
「ほんとに来た……」
「来たよ。んーと……凪くんって身長いくつ?」
「一九〇」
「そんなに大きいんだ! 自販機の一番下の列見える?」
「高身長を何だと思ってるの」
「未知の視界だから」
よし、会話に成功。初日にしては頑張ったのではないだろうか。
わたしはしゃがみこんだままで敬礼のマネをした。
「お邪魔しました、撤退します。良い一日をお過ごしください」
「うん……?」
達成感と満足感いっぱいに教室を出る。朝から凪くんと話せた。凪くんに存在を認識してもらえた。昨日の告白も覚えてくれていた。最高の一日になりそうだ。
自分の教室に入る直前、後ろから力強く腕をつかまれる。何事と振り向くと、興奮した笑顔の璃乃がいた。
「世治……なに……! 昨日の昼休み、あのあと、凪くんと、何⁉」
「声が大きい声が」
「世治!」
「どうどう」
叫び出しそうな璃乃を落ち着け、廊下の隅で経緯を説明する。璃乃はきゃあきゃあ合いの手を入れながら聞き、恋バナの興奮で忙しそうだった。
話し終えると、璃乃が拍手をしながら笑う。
「そういえば世治って、アクセルの踏み込みエグいタイプだったね」
「頑張る」
「応援してるよ」
「あと御影くんとも話した」
「そっか、凪くんのお母さんだもんね。いいなあ」
「璃乃も告白してくれば?」
「あたしは徐行運転したいのよ。中古の軽自動車なのよ。世治のランボルギーニとは違うのよ」
「ランボルギーニって蝉みたいだよね」
「オーナーに殺されたいの?」
璃乃がエアーナイフで脇腹を刺してくる。わたしは重傷をものともしなかった。なぜなら凪くんパワーがみなぎっているからだ。今なら空だって飛べる気がしている。
*
二日目は血液型を聞いた。O型だった。
三日目は好きな科目を聞いた。好きではないが歴史が得意らしかった。
四日目は「おはよ」と挨拶が返ってきた。嬉しすぎて質問を忘れた。
五日目は凪くんから質問をされた。
「なんでこんなメンドイことすんの?」
朝の挨拶後、好きな食べ物を聞く前に、凪くんに問われる。凪くんは片付けた机の上で腕を枕に寝る体勢だ。しゃがんでいるわたしと、自然と目線が近くなる。
わたしは退(しりぞ)いてしまいそうなところ、凪くんの机の脚を片手で掴むことで自分を繋いだ。逃げたらあとで悔いるに決まっている。
「メンドイ? 何が?」
「コレが。毎朝わざわざ俺んとこ来てさ」
「わたしは凪くんと話せてウルトラハッピーだよ」
「顔あっか……。緊張してんのわかるし、そこまでして俺と話したいわけ? 恋愛なんて面倒くさいでしょ。ここまでするのが純粋に疑問」
自分のことが好きな女子に投げかける質問にしては酷なものだ。邪険にこそされていないが、凪くんにとってこの朝のやり取りは<メンドイ>に分類されているのだろう。面倒くさいからやめろ、ではなく、面倒くさいことをする疑問になるあたり、凪くんは結構優しい気がした。
わたしは机の足を握る。視線を落とすと凪くんの足元が目に入った。靴が大きい。何センチなのだろう。
「凪くんのこと、す、好きだから、あらゆる手間が些事なの」
「俺の何がそんなにいいわけ?」
「続きはウェブで……」
「QRコードある?」
凪くんがため息をついた。
「俺が、きみを好きになるとも限らないじゃん」
「でもあのとき話しかけなければ、凪くんから『おはよ』って言われる今日はなかったよ」
即答した。話しかけても返事をもらえなかったかもしれない。しかし、それすら、話しかけないと分からなかった結末だ。
凪くんは目を瞬(またた)いている。
「わたしのことを好きになってくれなくても、わたしの凪くん口説き落としチャレンジは無かったことにならないし、友達として話していけるかもしれないし。凪くんからすれば滑稽で迷惑かもしれないけど、突き放されない限りはこうやって来るつもり」
「……恋愛ってよく分かんないな」
「意味分かんないよね。わたしも分かんない。『いつか凪くんに彼女ができたら、当たって砕けなかったことを後悔する』って思っただけでここまで出来てる」
ひとつ深呼吸をして立ち上がる。朝のSHRまでの時間というのは短い、そろそろ教室に戻らなければ。
今日は凪くんから話題を振ってくれた上、いつもより声を聞けた。話題の内容はともかく、最高の成果だ。
「では、撤退します。良い一日をお過ごしください」
「いつもそれだね」
頬杖をついた凪くんを見下ろして、ちゃちな敬礼をする。凪くんはどこか呆れながら、力なくわたしの敬礼を真似た。
心臓を吐くかと思った。
*
「凪くん、おはよう」
「おはよ」
しゃがみこんだ低い位置で笑う。訂正、にやける。挨拶を返されるだけでわたしはこんなにも嬉しいのだ。
「今日の質問は……そうだなあ、犬派か猫派か」
「俺、動物ならナマケモノがいい。俺もああなりたい」
いつも出来るだけ端的に答えられそうな質問を考えているのだが、イエス/ノーでもなければ提示した選択肢でもない答えが返ってきた。愛玩対象としての動物を聞いたつもりだったが、凪くんがナマケモノになりたいと言うのならば今朝の話題はナマケモノだ。
わたしは口元を手で隠し、バレないように口元を緩めた。
「ナマケモノって動きすぎると自分の熱で死んじゃうんだってね」
「俺もそんなだったらサッカーしなくていいのに」
「食事も、葉っぱを一日八グラム」
「最高じゃん」
「凪くんってほんと無気力に生きてるねぇ」
「生存給与とかで生きていきたい」
「あーいいね。凪誠士、郎も絶滅危惧種だからね」
何気なく名前を口にして<誠>あたりで我に返り、<郎>のときにはドラマーが大暴走していた。華麗な自滅に笑えてくる。
凪くんは当然、わたしがフルネームを呼んだことを一切気にしていない。気づいていないのかもしれない。「絶滅危惧種かあ」と呟いて、上からわたしのつむじを押した。
わたしのつむじを。
「⁉」
「空山さんも絶滅危惧種だ」
「⁉」
「絶滅危惧種は丁重に保護してほしい」
「⁉」
「人語忘れちゃった?」
つむじは押されるし名前も呼ばれる。
わたしはしゃがみこんだまま倒れそうなのをなんとか尻もちでこらえ、つむじを両手で守った。凪くんはわたしのつむじを攻撃していた指先を引っ込め、頬杖をついている。
じっと見下されているのにも耐えかねて、震える声で抗議した。
「ファンサはほどほどになさって……」
「俺アイドルなの?」
「事前に宣言していただいてもよろしくて?」
「空山事務所厳しいなあ」
つむじに残る凪くんの指の感触だけでもう駆け出しそうだった。つむじが羨ましい。いや、突然手にでも触れられたら叫び出す自信があるのでつむじで良かったのかもしれない。
わたしは左手でつむじを守ったまま、右手をついて立ち上がる。よろよろと敬礼をした。
「……撤退します。良い一日をお過ごしください」
「はい、良い一日を」
ドア口に激突しながら這這(ほうほう)の体(てい)で自教室に戻った。
「凪、昼行くぞ」
「うぃす」
「今朝、空山さんに何かした? 茹だってたけど」
「ファンサ」
「ファンサ……?」
超進学校の私立白宝高校には、いわゆる上流階級の生徒が多い。官僚の子息、元華族の令嬢、どこそこ会社やどこそこ病院の跡取り。最たるところは、御影コーポレーション御曹司の御影くんだろう。以前よりは家柄を重視しなくなっているので試験にさえ合格できれば入学できるが、私立の中でも高い学費がかかるので、自然と家柄は偏ってくる。
そんな学校なため、学内設備も整っている。部活動だと、ゴルフ部と吹奏楽部は強豪として名高く予算も大きい。部活関係なく生徒が設備投資の恩恵を受けられるのは、広くきれいで美味しい食堂だ。
メニューは日替わりで、金曜日に翌週のメニューが掲示される。わたしは普段お弁当族だが、気になるメニューがあれば食堂にいく。
今日は、わたしイチオシデザートのチョコババロアが出るということで、同じくチョコババロア推しの璃乃と一緒に食堂を利用していた。璃乃から凪くん口説き落としチャレンジの進捗も求められていたので、丁度いい機会だった。
わたしは豆腐ハンバーグセット、璃乃は酢豚セットを完食する。チョコババロアを一口食べた璃乃が、表情を笑顔からにやけにシフトさせた。
「さて……毎朝うちのクラスに来てるのは知ってるけど、手応えのほどは?」
わたしはガッツポーズを作った。
「『空山さん』って呼んでもらえた」
「おお!」
「会話が成立するし、つむじを押された」
「スキンシップ⁉ すごいじゃん!」
「つむじが羨ましい」
「凪くんの手を白刃取りしたら?」
「死んじゃう」
白刃取りということは、わたしから手に触れるということだ。端的に言って死。
「白刃取りは無理だけど。短い時間とはいえ毎日話してるから、そこそこ情報は集まったかな」
「好きなタイプは?」
璃乃に何気なく問われて、わたしは静止した。凪くんの恋愛観に関する質問をしたことがなかった。
恋愛を<意味の分からない面倒くさいもの>と認識していることを知っているので、恋愛について語っても無意味だと思っている節は確かにあるのだが、好みのタイプくらい聞いてみればよかった。「なにそれメンドイ」と返答されそうだが、長髪か短髪かくらいの好みはあるだろう。
わたしが黙ると、璃乃は信じられないといった顔をする。
「聞いてないの?」
「クッ」
「告白してるのに相手の好みを探らないとかある……?」
「半分意図的だけど、正直忘れてた」
「明日の朝はそれを聞くがよろし」
「心得た」
「それを聞かないで、凪くんに何を聞いてるの?」
「ペルセウス座流星群派か、ふたご座流星群派か、とか。今朝は犬派か猫派か聞いたら、ナマケモノになりたいって」
「流星群の話は、天体観測部員以外に聞くのやめておいたほうがいいよ。ナマケモノは分かる、サモエドみたいな見た目してるけど」
「そんなこと言われたら、我が家のサモエドくんが凪くんに見えてくるじゃん!」
「飼ってるの分かってて言ったけどそれはないよ」
大きくて白くてふわふわしているところは確かに似ているかもしれない。わたしはこれから、先輩(※サモエド)を見て触れ合うたびに凪くんを感じてどぎまぎする羽目になるのだろうか。逆に、凪くんをサモエドととらえることでもっと打ち解けた関係に――なれるなら苦労しない。
そもそも打ち解けるとはどうすればいいのだろうか。挨拶は出来る、雑談も出来る。その次はどうするのが良いだろう。
チョコババロアの最後の欠片を口に押し込む。
一口分早く食べ終わった璃乃が言う。
「ま、でも毎朝の逢引は良い牽制になってて良いんじゃない」
「逢引は愛し合う男女の密会だから、わたしのはどちらかというと押しかけ女房」
「細かいなあ」
「牽制ってなに?」
「『世治ちゃんと凪くんって付き合ってるの?』ってすごく聞かれる。本人には聞きにくいからわたしに聞いてくるんだと思うけど」
「つっアッつきっ……あってるように見える……?」
「そりゃそうでしょ。公開告白知ってる子もいるから、それでオーケーもらったのかって聞かれたりもする」
「……なんて答えてるの」
「普通に『いま口説いてるところだから応援してあげて』って」
「手強い別嬪さんでな……」
「高嶺の花を狙いおって……」
他の、いるであろう凪くん狙いの女子を牽制する意図はなかったが、これはこれで良しである。今はわたしのターンなのだ。このターンは、凪くんからキッパリ振られるかわたしの心が折れるまで続く。
空になった皿と腕時計を確認し食堂を出ようかと腰を浮かせたところで、璃乃の視線が宙を見ていることに気付いた。どうしたの、と声を出す前につむじへの圧力を感じて椅子に逆戻りする。
「はい、ファンサ」
淡々とした声が振ってくる。つむじを守りながら振り返って見上げると、わたしのつむじを押さえた体勢の凪くんが立っていた。立っている凪くんにここまで接近したことが無い上にわたしが座っているせいで、長身に拍車がかかってもはや壁だった。
壁くんは無感情にそのまま通り過ぎる。隣には御影くんがおり、「凪、通り魔はやめてあげろ」「玲王が『ファンサって何』って言うから」とやり取りをしながら去っていく。御影くんは一度こちらを見ると口パクで「頑張れ」と言ってくれた。
凪くんと御影くんを見送り、璃乃と顔を見合わせる。
「ファンサされた……」
「近くで御影くんを見られてラッキー」
「そこ?」
「失礼な。人間の顔ってそこまで赤くなるんだなーって人体への興味も深めてますわよ」
璃乃がにやにや顔のまま、トレイを持って席を立つ。わたしはつむじを二度撫でてから続いた。