凪くんと付き合うまで3
こっそり教室に入り、そっとしゃがむ。つむじは両手で守りを固め、今日も眠たそうな凪くんを見上げた。
「凪くん、おはよう」
「おはよ。頭痛いの?」
「つむじ防衛団」
「弱点なの?」
ふうん、と凪くんは人差し指をわたしにアピールする。いつでも突けるという意思表示だ。わたしの心臓に悪いので、いかに軽度なスキンシップであれ事前予告してほしい。
わたしは凪くんの人差し指を睨みながら、昨日璃乃に提案された問いをぶつけることにした。
「凪くんは、好きな女子のタイプってある? 服装とか髪型とか」
「考えたこともない」
「つい目で追っちゃうな、とかもない?」
「空山さんのこと?」
凪くんは人差し指を仕舞いながら何と無しに言った。
「……わたしが何か?」
「目で追っちゃうって。クラス違うし、そんなに見かけるわけじゃないけど。廊下通るときとかは見てるよ」
「ヒッ」
「それでいくと、俺の好みは空山さんってことになる」
「ヒェ……」
それでわたしを好きとなるのは中々短絡的だが、わたしを気にかけてくれているのは事実なのだろう。自分のストーカーを監視してやろう、という敵意に満ちたものでもない。なんとなく見ている、それだけ。
脈アリ、というやつだろうか。
硬直するわたしをよそに、凪くんが珍しく饒舌(じょうぜつ)に続ける。
「恋愛とか好きとかよく分かんないけど、空山さんがいるなあと思って見てる。俺が教室の横通ったときも見てるから、たまに玲王と喋ってるのも知ってる。喋ってるなあと思って見てる」
「……すごく、見てない?」
「見てるかも」
「生態観察的な?」
「ああ、そんな感じ。生きてるなあと思って見てる」
凪くんはわたしの手の上からつむじを押した。
「これは、好きってことになる?」
わたしの左手の甲に凪くんの指先の感触がある。つむじと手なら、手のほうが敏感に決まっている。ぎゅ、と押す力が思いの外強いことや、指先からでも温かさが伝わり、凪くんがわたしに触れているという事実が叩きつけられる。
スッと短く息を吸ってヒュッと吐き、肺のしなやかさとは無縁の深呼吸をしてから返答した。
「わたしに、それ、聞く?」
「だって、空山さんは俺のこと好きなんでしょ。なんで好きって思ったの?」
「泣きそう」
「えっなんで」
凪くんが脈アリだとか、わたしを気にしてくれているとか、手の甲に触れているだとか。いっぱいいっぱいのところに真面目な恋バナを求められて、そろそろキャパシティをオーバーしそうだった。
わたしはつむじを守ったまま後ずさりし、座っている凪くんの手が届かない距離で立ち上がる。凪くんのことを直視できないまま崩れそうな敬礼をした。
「緊急事態につき撤退します。良い一日をお過ごしください」
「空山さんも」
わたしが凪くんを口説いているはずなのに、口説かれているように錯覚する。恋愛がよく分からない故の純粋な疑問に返せるほど、わたしは恋愛マスターではないのだった。
*
好き、とはなんだろうか。答えのない哲学に頭を悩ませるのは中々体力を使う。
わたしが「好きなひとは?」という質問に「凪くん」という回答を用意したのは、彼のことを知りたいと思ったからだ。もっと話してみたい、どういう人間なのか知りたい。そうやってわたしの思考を占めていれば自然とわたしの<特別>になり、彼の<特別>になれたらどれほど嬉しいだろうと思うようになった。現在の人間社会の表現だと<好きなひと>とするのが一番シンプルで分かりやすい。
わたしが凪くんを知ったのは、学校の売店だった。一年の夏。わたしは夏バテで体調がよろしくなく、持参したお弁当への食欲が皆無だった。食べなければという意識はあるのでゼリー飲料でも買おうと学校の売店に向かい、良く育っている白髪頭と遭遇したのである。このときはまだ同学年だとは思っておらず、後程璃乃に「ああ、白くて大きいのは一年の凪くんだよ」と教えてもらった。
ガタイが良い故、彼が立っているとゼリー飲料の棚がほぼ見えなくなる。わたしは不審な動きをして彼の後ろからラインナップを確認し、コンビニでもよく見る、慣れたメーカーのブドウ味クラッシュゼリーに狙いを定めた。「すみません」と声を掛けながら手を伸ばすと、彼は何も言わなかったが体をずらしてくれた。
目的のゼリー飲料を持って二台並んでいるレジに向かい、まだ慣れないセルフレジに四苦八苦していると、その白くて大きい男子生徒が隣のレジに立った。ずいぶん悩んでいた様子だったので何を買ったのかと手元を窺うと、持っていたのはわたしと全く同じゼリー飲料だった。
それだけだ。本当にそれだけ。
何に悩んでいたのかなあ。ゼリー好きなのかなあ。わたしと同じものを選んだのはたまたまなのかなあ。そんな小さな疑問が積み重なり、なにを食べたらそこまで身長が伸びるのだろう、その体格でゼリー飲料は燃費が良すぎないか。と、一目惚れというよりは、凪誠士郎という生き物への好奇心がこじれにこじれ、恋になったのだった。
わたしはそれらを、凪くんにうまく説明できる気がしない。むしろ気持ち悪がられそうなのであまり言いたくはない。一度売店でゼリー飲料の棚を眺めただけの仲なのに、惚れられた挙句、毎朝インタビューされるなど思ってもいないだろう。
「<好き>とは、何か、ねえ」
駅から学校までの道を早足で歩きながら呟く。電車が遅延したため、非常に急いでいた。わたしは家から学校までが遠いため、少しの遅延も大きく響く。遅延証明があるので遅刻扱いにはならないが、急がねば日課の凪くん口説きが出来ない。一晩中<好き>について考えて、ひとに伝えられるような答えは出なかったが、だからといって凪くんとの会話をすっぽかすことはしたくない。
<好き>の説明が出来ないため、何か別の質問をせねばならない。そういえば誕生日を未だに聞いていなかったと気づき、今日はそれを問おうと決める。好みのタイプといい誕生日といい、わたしは王道の質問を拾い忘れる傾向があるらしい。
凪くん口説きを開始してから早めた登校時間より、十分遅く昇降口に入る。急いで上靴を履き、出来る限り早足で教室を目指した。
サッカー部の朝練は終わっているだろう。鞄を置いて、水分を少し取って、すぐに行かねばSHRまでに会話が出来ない。
そうして飛び込んだ教室で、あるはずのない白髪を見た。
一旦教室を出てクラス表示を確認し、もう一度教室の中を見る。やはり凪くんがわたしのクラスにいる。おまけに、見間違いでなければわたしの席に座っている。
凪くんがいれば当然、御影くんもいる。わたしの席の横に立っている御影くんがわたしに気付いた。御影くんにつられて凪くんもわたしに気付く。
「あ、空山さん」
「ほんとだ。おはよ」
「おはよう……?」
とりあえずそこはわたしの席なので、凪くんと御影くんのほうへ向かった。
凪くんは席を立つと、長身を小さくして机の横にしゃがむ。ちょうど、わたしがいつも凪くんを見上げている姿勢だ。
わたしは思わず御影くんを見た。御影くんは涼しい顔で、もっと言うと我関せずな顔で、あくまで凪くんがいるからここにいると言わんばかりの顔で立っている。しかし、無言でしゃがんでいる凪くんと、不意打ちの凪くんで赤面しているわたしに「これは駄目だ」と思ってくれたらしく、凪くんの肩を叩いて事態を動かしてくれた。
「電車、遅れてたんだろ?」
「あ、うん」
「『空山さんが来ないんだけど』って、凪がこっちのクラスに来てさ。なら待ってればいいんじゃないかって」
「それで待っててくれたの?」
凪くんがわたしを見上げる。
「朝、空山さんと話さないと落ち着かないかもしれない」
「ヒェ」
「座りなよ。空山さんの席でしょ」
そろそろ自席に近寄り、促されるまま席に座る。凪くんを見下ろす体勢という稀有な状態と上目遣いにどうしていいかわからず、顔を手で覆った。覆ったが、折角目の前に凪くんがいるのに見ないことも愚かだと、指の間から右目だけを出した。
凪くんはわたしを見上げて、独り言のように言う。
「昨日、好きってなんだろうって話してたでしょ」
「記憶しております」
「考えてたらさ、俺、思い出したんだよね。空山さんが、俺が他の女子と付き合うとこ想像したら嫌だった、みたいなこと言ってたの」
「申し上げました」
「俺も想像してみた。空山さんが玲王と付き合ったらどうなるんだろうって」
「俺を出すなよ」
個人名を出すんだ、と思ったらわたしより早く本人からツッコミが入った。
凪くんは御影くんからのツッコミをスルーして、背を伸ばすとわたしの机に顎(あご)を乗せた。両手の指も添えているので、とんだ小動物ムーブである。黒というには色素の薄い目が、じっとわたしを見上げている。
行動は小動物なのだが、そんなに可愛い目をしていなかった。獲物を見るとはこういう感じなのだろうかと、指の隙間から凪くんの目を見返す。
「想像したら嫌とかじゃなくて、想像できなくて。だって、空山さん、俺のこと好きでしょ」
「すきです」
「俺以外が空山さんと付き合うとか、なくない?」
その、なんだ。わたしは凪くんが好きで、凪くんもそれをよく知っていて、わたしが自分以外を好きになるなどあり得ないと。わたしが付き合うなら自分しかいないだろうと、そういうことを言っているのか。
わたしに好かれているという自信が強すぎる。わたしの押しかけ女房口説きの成果といえばそうなのだが、こんなに自信を持たれるほどだとは思っていなかった。
唖然として、言葉を返せず顔に熱を集めることだけをしていると、凪くんは無遠慮にもわたしの片手を掴んで顔から引きはがした。
「⁉」
「そんで今朝、空山さんが俺んとこ来なかったじゃん。俺、玲王に言われてここで待ちながら、空山さんのこと全然知らないなって気づいたんだよね。空山さん、俺に色々聞いてくるけど自分の話はしないから」
凪くんはわたしの手を握ったまま続けている。わたしの顔を隠していた手を握っている。
赤面に反して体温の無い手を、男の子の手が握っている。いつも近くで見ているのだから、その長身に見合った大きな手であることは知っていた。知っているのと触れて感じるのとは、当たり前だが全く違う。凪くんの手に自分の手がすっぽり覆われていることを触覚と視覚で認識して、ますますわたしの内なるドラマーが暴れまわった。
どう対応して良いか分からず、ほとんど反射で御影くんを見上げたが、いるはずの彼は既に姿を消していた。自席で頬杖をついている。わたしは心の中で璃乃を呼んだ。
自力で対応するしかないらしいと、残った片手で口元を隠す。しかしあっさりそれもはがされた。
「なんで顔を隠すの?」
「凪くんが、なんか、わたしがとんでもなく照れることを言うから」
「俺、空山さんが真っ赤になってんの好き」
「わたしにとどめさそうとしてる?」
「そうかも。泣かないでね」
「約束できない」
「泣いちゃったら、俺は女の子を泣かせたひどい男ってことになる」
「どこでそんなの覚えてくるの? 御影くん?」
凪くんが恋愛ドラマや少女漫画に興味があるとは思えない。ならば、交友関係も広く万能マンな御影くんからの入れ知恵だろうと想像するのは普通のことだ。
凪くんは「なんで玲王?」と不思議そうにしている。素でさっきの言葉を言ったのなら、凪くんは女たらしの才能がありすぎる。
「玲王はともかく。ねえ、空山さん」
凪くんはしゃがんだままで、机の横から椅子に座るわたしの横へ移動する。握ったわたしの両手を自分の方へ引き寄せた。
「女の子が俺の隣を歩くなら、それは空山さんがいい」
「凪くん、それは」
「俺、空山さんにしっかり口説き落とされたみたい」
涙がこぼれた。目からというよりは胸から自分の欠片がこぼれたようだった。
両想いになった嬉しさや、優しい言葉遣いへの驚きや、口説き成功の嬉しさ等々。様々な感情が渦巻いているのだが、一番胸を占めたのは、わたしが凪誠士郎の心に刻まれたという感動からだった。
「俺、面倒くさがりでいろんなことに興味もなくて、だらだらしてるの好きだから、<イイカレシ>にはなれないと思うけど」
「知ってるよぉ……」
「……。空山さんが喜ぶところ見たいから、俺、頑張るよ」
「……例えば?」
「んー……朝練の片づけ急いで終わらせる。それで、今度は俺が空山さんに会いに行く」
凪くんは、わたしの両手を握って目を細めている。
「じゃあ、俺から質問ね。空山さん、誕生日っていつ?」