(お前って言わなくなったね)2
S.
遅い昼食に選んだのは和定食の店だった。無論九乃の意見であり、冴や凛はそれに乗っただけ。九乃と二人なら店の選定に口を出したかもしれないが、お互いがいるためそうもならない。和食は好きな部類に入るということもある。九乃が冴と凛の好みを鑑みたのかは分からない。
四人がけの席に通され、冴は向かって左に、凛は向かって右に着席する。奥に九乃を座らせようとしても隣の席争奪戦が起こるのは目に見えているし、謎の少年がしれっと隣をとる可能性もある。よって、男どもが先に着席するのが賢明だった。
九乃は一瞬迷ったものの、ちらりと少年を見て凛のほうへ座った。少年は何故か嬉しそうに笑っていた。
見知らぬ謎の少年と隣り合わせになった冴は、座った目で少年を見やる。真正面を向くと凛なので必然的に体は斜めになり、九乃を正面に見つつ謎の少年も目に入る。本当に誰だこいつ。貞宗というらしい少年は、やたら九乃と仲が良い。
冴の視線に気付くと、貞宗はご機嫌なウインクを送ってきた。
「冴ちゃん、そんなに見られると穴が空いちまうよ」
「風通し良くなっていいだろ。さっき話しかけてたのは誰だ。九乃の知り合いか」
「まあまあ、冴ちゃんメニュー決めようぜ。俺ざる蕎麦定食がいい」
冴は貞宗から受け取ったメニューを流し見てお造り定食に決め、向かいを窺う。凛の持つメニューを九乃が覗いており、寄り添うほど近い状態に眉が寄る。
全員が注文を決めると、貞宗がオーダーベルを押した。冴がお造り定食、貞宗がざる蕎麦定食、凛が天ぷら定食とかき揚げうどん。うどんは九乃だろう。冴は当然昼食の支払いもする気なのだが、凛はともかく貞宗に奢るのはやや気に食わなかった。一人分増えたところで財布は微塵(みじん)も傷まないが、それはそれ、これはこれ。
品を待つ間、見るものもないので九乃を眺める。決して和気藹々としていない兄弟を引き連れてさぞ居心地が悪いはずだが、楽しそうなのだから恐れ入る。五年前のフィルターが分厚すぎるのか、神経が太くなったのか分かりかねた。貞宗も、ただの兄弟にしては険しい空気の冴たちを気にする素振りがない。
九乃が不意に携帯を取り出し、自撮りの角度で構える。四人全員を画角に収めようとする動きに冴はそっぽを向き、凛も体を逸らしたのが分かった。乗り気で写りにいったのは貞宗だけだ。
「冴ちゃん、凛ちゃん、入ってよ」
「嫌だ」
「パス」
「思い出いっぱい欲しいんだよぉ。SNSに上げたりしないから! やってないし! 映ってくれないなら、わたしがSNSアカウント作って、家にあるアルバム漁って満面の笑みで一緒に遊んでる写真を公開する」
「やめろ」
「陰湿なことすんな」
冴は嫌がらせで脅され、嫌嫌渋々カメラのほうを向いた。冴と凛は画面ギリギリに収まっている。九乃がシャッターをタップしたのが分かったが、九乃は数秒固まっていた。
「……あっこれ動画だ」
「ふざけんな」
「そんなに怒る?」
冴が反射で文句を言うと、九乃は「今の暴言も入った」と何故か嬉しそうにしていた。今度こそとカメラ設定を確認して構えるので、また渋々画角に入る。
撮影した九乃は心底満足気だ。
「このメンバー、最高だ。冴ちゃんと凛ちゃんには後で送るね。冴ちゃん、公式アカウントに上げてもいいよ」
「やらねぇよ」
「『家族と外食してます!』とか」
「一人知らねぇヤツいるんだが?」
親指で貞宗を示すも、貞宗は何がツボったのか腹を抱えて笑っている。「そりゃそうだな!」と冴の言葉を認めつつも楽しそうで、かつ立ち去る気は毛頭無さそうだった。
九乃が慣れない手つきで携帯を触り、地図やニュースを見て喋る。今度ここ行ってみたい、という何気ないものなら流せるが、一昨年や去年の大きなニュースに首を傾げていると突っ込みたくなる。スペインに居た冴も日本のニュースにはさほど詳しくないが、ネットさえあれば情報は拾えるし、センセーショナルな事件や大きな災害は日本国外でも取り上げられる。九乃はこの五年間、そのどちらもない場所にいたのだろう。
聞きたいことは山のようにあるが、昔から九乃に強く出られない上に九乃が不安定であることもなんとなく分かるので、もう少し落ち着いたらにしようと決めていた。もし聞くとしても九乃ではなく貞宗だ。貞宗が単品で現れる場面があればの話だが。
九乃の声を聞きながら時間を潰していると、四人分の御盆が運ばれてくる。きっちり手を合わせる九乃と貞宗につられ、なんとなく手を合わせた。
「いただきます!」
黙々と食事を進めながら、機嫌の良さそうな九乃にどこか安堵する。
九乃が視線を向け、貞宗が声を掛けた三人組。彼らを発見したとき、九乃の顔色は酷かった。それでも話しかけに行こうとするのだ、当然止める。彼らが何者かは見当もつかないが、貞宗と話していた様子はごくごく一般人のように見えた。九乃が何を気にしていたのか――九乃と貞宗にしか分からないことがある、というのが腹立たしい。
男どもが先に食べ終わる中、九乃がひとり口を動かす。麺すすれねぇんだなと静かな食べ方を見つつ、片手で携帯を触る。いつの間にやら先程の自撮が送信されていた。
保存した。
R.
九乃のトイレ待ち時間は地獄だ。冴と凛の二人だけの空間はとんでもなく居心地が悪い。空間を空けて立ちそれぞれ携帯を触るので、とてもじゃないが連れには見えない。しかし、間に謎の少年がいるとなると話も変わってくる。
貞宗という名前以外全てが得体のしれない少年は、壁を背にする冴と凛の間に立っても鼻歌すら歌っている。
九乃との親しさを見せつけてくる貞宗に、凛は大きな苛立ちを覚えていた。潔への苛立ちといい勝負だ、掴みかからないことを褒めてほしいものである。兄の関心を奪った潔、姉に気遣われ、頼られている貞宗。潔も貞宗も、凛の大事な存在を奪おうとする。
九乃が完全に見えなくなって数秒、貞宗に問いかけたのは冴だった。
「お前は何だ」
問いの宛先は無かったが、誰へ向けたのかは明白だ。問われた本人も承知しているようで、「ひみつ」とすぐ声に出す。
九乃も貞宗も言うことは同じだ。立ち入りを拒否する言葉に苛立ちが募る。昔から九乃を知っているのは自分で、弟と可愛がられていたのも自分なのに、貞宗はそれこそ弟のような姿で九乃のそばにいる。
貞宗は返答を拒否したものの、すぐに苦い笑みをもらした。
「ま、それで納得しないってのも分かってる。俺も意地悪してぇわけじゃねーから、もうちょっと限定した質問で、答えられることなら答えるつもりはあるぜ。言えねぇことは多いけど、嘘は言わん」
九乃さんには秘密な、と冴と凛を見上げる。
冴が貞宗を見下ろしていた。
「お前と九乃の関係は?」
「俺は絶対的に九乃さんの味方だけど、詳細は秘密だな」
「知り合ったのはこの五年か?」
「うん」
「さっきの三人組との関係は?」
「隣ん家のひとって感じ」
「九乃は何処にいた」
「秘密」
「家出か、いつもの神隠しか?」
「神隠しの延長」
テンポのいい応答を聞きながら、ふと凛の中で仮説が生まれる。我ながら馬鹿げていて一笑(いっしょう)も出来ないが、昔から説明のつかない失踪をしていたからこそ、この意味不明さが似合う気がした。
凛は腕を組みながら、荒唐無稽な問いを落とす。
「お前は、九乃を神隠ししていた神か?」
冴からの質問を滑らかに返していた貞宗が、笑顔を浮かべて凛を見上げている。
珍しい蜜色の目を細めた愛嬌(あいきょう)のある笑顔なのに、こちらの思考を探るようで感情が読みにくい。先日の試合でマッチアップした冴も相当ポーカーフェイスだったが、それより遥かに気味が悪かった。
「秘密」
否定はしないらしい。嘘をついていないのが事実だとしたら、肯定だと判断しても良いだろう。神という不確かなものの実在など信じられないが、神そのものではなくとも、そういったオカルト系統の存在なのかもしれない。ホラー映画は好きだが、オカルトに直面するとそれはそれで飲み込めない。
ややトーンを落として答えた貞宗は、すぐにガラリと雰囲気を変えた。
「この神隠し……五年間の失踪はさ、九乃さんにコントロール出来るようなもんじゃないワケよ。五年経って戻ってきたのも九乃さんの意志じゃない。いや、帰りたくなかったって言いたいんじゃないんだけど」
貞宗が頭をかいた。
「この帰郷は事故みたいなもんだってこと。だから九乃さんは色々戸惑ってるんだ。俺が言うまでもないけど、気にかけてくれると嬉しいな。九乃さんも、冴ちゃんと凛ちゃんを信頼してるのが分かるから。あ、でも、あれだぜ」
どれだ。
貞宗が腰に手を当てて、怒ったように眉を寄せる。笑顔がデフォルトらしい貞宗の怒り顔には微塵も迫力が無かった。
「冴ちゃんと凛ちゃんの好意、ちゃんと伝わってないぞ」
冴と一緒にむせる。
「ただの老婆心だから聞き流してくれてもいいんだけど、九乃さんは今家族愛の範囲が馬鹿でかいから。ちゃんとそばに繋ぎ止めたいならもっと頑張ってくれ」
「お前はどの立場から物言ってんだ……」
冴が睨んでも貞宗はどこ吹く風だ。
「俺たちは、九乃さんが幸せな日々を送ることが何より嬉しいんだよ。……あ、今の会話の諸々は秘密にしててくれよ」
貞宗は冴と凛のペースを尽く乱した後、何食わぬ顔でトイレのほうを見る。タイミング良く九乃が出て来て、小走りで近寄ってきた。トイレから無事に出て来てなによりだ。
「お待たせ。中ですごく混んでた」
「待ってねぇよ。さんにんで楽しく過ごしてた。な!」
貞宗は九乃をさらりとフォローして、冴と凛を見上げる。九乃は「楽しく……?」と一瞬怪訝にしたが、すぐに「それは良かった」と言わんばかりの笑顔を浮かべた。冴と凛は一言も発していないのだが、九乃が疑問に思った様子はない。
九乃が何気なく貞宗の左手をとるので、九乃の右手争奪戦が勃発した。
*
貞ちゃんとは駅で別れ、冴ちゃんと凛ちゃんと帰路についた。貞ちゃんにはこっそりお金を渡したので、きちんと切符を買って帰ってこられるだろう。極(きわめ)短刀が本気になれば無賃乗車も訳無いだろうし、走って帰ることも可能だが、出来ることなら法を遵守(じゅんしゅ)して一般人らしく帰宅してほしい。元とは言え審神者、未来では国家公務員なので。
わたしは相変わらず両手を握られ、ふらふらと歩いていた。運動はさほど苦手ではないが審神者業務は事務仕事が主だ。本丸が賑やかとは言っても心許した自分の刀剣男士たちばかりで、今日のような長時間の人混みのストレスとは無縁。万屋街を始めとする政府施設に行けばその限りではないが、居ても精々ニ時間程度で、今日ほどの長居はしない。
時折左右のボディーガードにぶつかる。「貧弱」「脆弱」と左右から単語をいただきつつ、それでも楽しかったので、疲労を感じていても充実感があった。冴ちゃんと凛ちゃんだけではなく貞ちゃんとも行動できた故のハイと、疲労が一周回ってのハイとが共存して大変陽気な気分だ。ベッドに入ったらスイッチが切れたように眠れそうである。
家の前まで送られて、わたしは改まって頭を下げた。
「急なお誘いに乗ってくれてありがとう。とても楽しかった」
「ひとりで出歩かれるより百倍マシ」
「もっと体力つけろ」
「冴ちゃんはわたしを幼児だと思ってるでしょ? 凛ちゃんの言葉にはぐうの音も出ない」
家はすぐそこだが気をつけてと言うと、お前が言うなと無言の圧を掛けられた。そりゃそうだ。
「じゃあな」
「うん、またね!」
どちらともない別れの言葉に手を振って見送ろうとしたものの、冴ちゃんと凛ちゃんは動かない。わたしが家に入るまで見ているらしいと察して、二人を家に帰すためにもそそくさ玄関ドアを開けた。
ドアを閉めて靴を脱ごうとしたところで、先程の言葉がリフレインした。「じゃあな」「またね」ありきたりな挨拶に、突然ぞっと血の気が引く。冷や汗が吹き出て、内臓が浮遊したような不快感で溢れた。
「後でね」と言った初期刀はいない。「いってらっしゃい」と言った初鍛刀も、「ゆっくりしておいで」と言った総隊長もいない。ただ一時の別れだと疑わなかったのに、彼らとの全てはいつの間にか消えていた。
冴ちゃんと凛ちゃんといるのは心地が良い。安心を覚えると別れが怖くなる。次に会ったとき、彼らがわたしを知らなかったら――幼馴染であったことが、なかったことになってしまったら。
転がりそうな勢いで外に飛び出すと、家から数メートルのところで二人が振り返った。つんのめりながら駆け寄って、支えるように差し出された二人の手を取る。二人は真顔の中に戸惑いと心配を混ぜており、わたしはよほど酷い顔色なのだろうと思う。
何かを訴えようとして口を開いたが、言葉にならない。本丸消失を知らない彼らに何を言っても怪訝にされるだけだ。そもそも、本丸のことだってみんなが選んだ道ではない。歴史修正の影響であり、わたしたちにはどうしようもないことだ。
言葉に詰まっていると、冴ちゃんが背中を撫でてくれる。
「どうした」
「ごめん、なんでもない」
「そうは見えねぇんだが」
「だいじょうぶ」
「どこが」
わたしがこんなでは二人が帰れないと分かっているのに手を離せない。深呼吸をして一本一本の指を剥がすように動かしてようやっと二人を解放出来た。
「うん、大丈夫。引き留めてごめん」
ぱ、と両手を開いて見せる。表情が引き攣っている自覚があった。
なんだかんだで良く似た兄弟が同じように顔をしかめているのを見て、ざわついた心が少しだけ鎮まる。家に帰れば貞ちゃんもいるのだ、大丈夫、大丈夫。
今度こそちゃんと帰宅しようと一歩をずらしたところで、今度は凛ちゃんがわたしの手を掴んだ。
「明日も会える」
疑いを欠片も持っていない言葉に目頭が熱くなった。
そんなことを言っても、消えるときは一瞬だ。誰もが感知できないまま無かったことになり、またわたしは取り残されるかもしれない。
そう分かっていても、都合の良い綺麗な言葉を信じたい。
「……ほんとに会える?」
「ああ。俺、ら、が行ってもいいし、うちに来ても良い。すぐそこなんだ、好きなように行き来すりゃいい。連絡も取りてぇなら送れ」
「二人ともグループに返事くれないじゃん……」
「個人に送れ」
凛ちゃんは一度強くわたしの手を握ってから離す。冴ちゃんに握られた手も体温が残っている。一秒先はどうなっているか分からないが、今、確かに彼らはわたしの幼馴染としてそこにいる。
わたしはあやすように自分の鎖骨を軽く叩いて、両手で拳を作った。
「ん、ありがとう。落ち着いた。元気出た。徹夜できそう」
「寝ろ」
わたしは腕を伸ばして、背伸びもして、頼もしくなった男の子たちの頭を撫でる。ぽすぽす手を弾ませると呆けた顔をするので、幼気な表情に笑ってしまった。
「また明日」
歴史改変の余波を受けるかどうかなど、考えても仕方がない。起こったらどうしようもない。まだ整理仕切らないが、不安になるあまり今日の楽しい思い出を自分から歪ませるのは愚行である。
帰宅してから携帯を取り出して、四人で写った写真を眺める。これが残っている内は、わたしの歴史は守られている。
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