(今日も会えた)


 朝九時、糸師家のインターホンを押すと、糸師家のお母さんが出迎えてくれた。わたしが帰還してから初めて会うので、ひとしきり再会を喜ばれてから家に上げてもらった。
 凛ちゃんは早い時間から自主練に行き、冴ちゃんは急遽マネージャーさんから連絡があって外出している、ということは事前に聞いていたので驚かなかった。糸師ママさんは冴ちゃんに頼まれてわたしを出迎えたのだ。そこまでしてお邪魔するのは悪いと二人に伝えていたのだが、わたしの両親が仕事だと知っていたので、わたしを一人にすまいと思ったのか強く来訪を勧められた。昨日の<バイバイ出来ない事件>のせいである。
 糸師ママさんは、先日お邪魔したときは仕事だったが、今日は私用で出る予定だけだという。
 昔は二人目のお母さんのように思っていたが、五年も開くと少し緊張する。

「すみません、せっかくの休日なのに」
「いいのいいの。わたしもここちゃんに会いたかったから。綺麗になったわね。ジュースと紅茶、どっちがいい? コーヒー?」
「……紅茶で」
「おやつもあるわよ、好きに食べて」
「すみません、手ぶらなのに」
「いーの! 娘みたいなものだから。それに、お礼を言うのはわたしのほう」

 貞ちゃんぬいぐるみを膝にのせてダイニングテーブルにつくと、市販のお菓子数種類の箱とティーセットが出て来た。糸師ママさんも対面に座って、二人分の紅茶を準備してくれる。「これが好きなの、フォートナムメイソンのアールグレイ」糸師ママさんは楽しげだった。
 わたしは何か礼を言われるようなことをしただろうか、と首を傾げる。心当たりが全くない。冴ちゃんと凛ちゃんに甘えているのはわたしのほうだ。

「冴と凛、ずっと喧嘩してて。でも、九乃ちゃんのお陰で少し話すようになったわ。冴はすぐホテルに行くって言ってたのに家にいるし、昨日なんて一緒に出掛けたでしょ。仲良くとまではいかないけど、険悪さが柔らかくなってて嬉しくて」
「そんなに長い間喧嘩してるんですか?」
「一年くらいかな。本気で嫌ってるんじゃなくてすれ違いのようだし、口を出そうとすると悪化するから任せてるんだけど」

 糸師ママさんと一緒になって砂時計を眺める。

「二人とも、昔からここちゃんのことが大好きだから。格好つけたいんでしょう」
「ほんとに格好良くなりましたよね。体格も、サッカーも、多分性格も」
「口は悪くなったけどね。もっと言ってあげて、冴も凛も喜ぶわ」
 糸師ママさんはにこにこ笑って、内緒話をするように身を乗り出した。自然とわたしも顔を寄せ、糸師ママさんの言葉に集中する。
「小さい頃なんてね、『ここちゃんと結婚する!』とか言ってたのよ」
「え⁉ かわいい!」

 脳裏に幼い彼らが蘇る。好かれていたことは分かっていたが、無邪気なプロポーズをされていたとは思わなかった。今はあんなに背も伸びてぶっきらぼうな思春期男子になったのに、そんなに可愛らしい面があったなんて。
 どちらが言ってくれたのだろう、と興味がもたげる。冴ちゃんは昔からワールドイズマインで、凛ちゃんは穏やかなお兄ちゃん子だった。人間に興味がありそうな点では凛ちゃんが勝つ。

「凛ちゃんですか?」
「ううん、冴」
「冴ちゃん⁉」
「二人とも言ってたけど、凛は冴を真似したって感じ。冴は真面目な顔だったわよぉ。凛がそういうことを言うと、すぐ凛の頭を叩いてね」
「全然知りませんでした」
「マセてたのよね。あんなだけど、ここちゃんには照れて言えなかったんでしょ」
「かわいい」
「今からだと想像つかないけどね」

 口元に手を当ててにやけを堪えようとしたが無理だった。冴ちゃんや凛ちゃんに言ったらこれ以上なく顔を顰めるのだろうが、タイミングを見て揶揄ってみたい。二人とも楽しい思い出話をしたい。
 砂時計の砂が落ち切って、糸師ママさんが紅茶を注いでくれる。
「あ、牛乳とか砂糖入れる?」
「いえ、そのままで。ママさんと同じ飲み方をしたいです」
「あら! 娘っていいわ」

 柔らかな香りを嗅ぎながらティーカップに口を付け、ほっと一息。昔紅茶を淹れてもらったときはその美味しさがあまり分からなかったのだが、今はその香りと味の良さが分かる。
 糸師ママさんがクッキーの包装を開けるのに倣って、チョコチップクッキーを取った。

「あ、ママさんはU20の試合見に行ったんですか?」
「行ったよ。あんまり言うとすごい顔をするから言わないけど」
「わたしそこで見せてもらったんですけど、熱い試合で最高でした」
「なら一緒に見ない? 何回でも見たいんだけど、語る相手がいなくて」
「見ます!」

 ティーセットをローテーブルに移動させて、糸師ママさんが試合の録画を表示させる。
 試合開始前のざわめきから既にテンションが上がる。冴ちゃんと凛ちゃんが映る度にきゃっきゃするのは大変楽しい。二人とはじっくり見たが、糸師ママさんとはただのファンとしてユニフォームのデザインがかっこいいことから盛り上がった。



 試合観戦はあんなに楽しかったのに、今、テレビ画面には暗い廃屋が映し出されている。
 帰宅した凛ちゃんと入れ違いで糸師ママさんが外出し、試合もちょうど終わったからと、シャワー上がりの凛ちゃんにホラー映画鑑賞を提案された。凛ちゃんはホラー映画鑑賞が趣味だということで、休日にお邪魔している身分では反対できず頷いたのだが、これがとんでもなく怖い。ジャパニーズホラー故に、忍び寄るお化けと不意打ちの演出が心臓に響く。審神者などというオカルトの極みのような職に就いていたので怪異の話には慣れていたが、人を怖がらせるように作られた映像では訳が違う。
 開始三十分で心臓が痛くなり、凛ちゃんにくっついておくだけでは恐怖がさばけず、わたしはソファの背もたれと凛ちゃんの背中の間に頭をめり込ませた。

「おい、どこに入ってんだ」
「そんなに怖くないやつって言ったじゃん……!」
「そんなに怖くねぇだろ」
「怖いよ! 今この世に存在するすべてが怖い」
「やめるか?」
「それはそれでシナリオが気になる」
「見るんかよ」

 凛ちゃんと一体化しそうなほどしがみついて、いつでも顔を隠せる状態で画面を見る。
 ある程度のスプラッタならいいのだ。血や四肢欠損は本丸で見慣れている。騒がしくグロい洋画系のホラーならば耐えられる自信がある。しかし、ジャパニーズホラーは駄目だ。日常に溶け込んでいるお化けは現実とリンクして精神衛生に悪いし、人間側からは観測出来ないのにお化けはいつでも人間にちょっかいを出せるというのが駄目だ。刀剣男士だって、御神刀や霊刀以外ではお化けが苦手なものが多かった。斬れないものは無理らしい。
 わたしはまだ九十分近くもこの恐怖に耐えなければならないのか。見たくはないが、シナリオを放置するのも後々気になる。
 これはきっと驚かせシーンが来る、と顔を背けると、軽く肩を叩かれた。

「わあ!」
「うるっせ」
「声掛けてから肩叩いて! 何⁉」
「なんか飲むかって」
「飲む……」

 凛ちゃんが映画を一時停止させてソファから腰を上げるのでわたしも立ち上がる。心がホラーに侵された状態でひとり放置されたくない。凛ちゃんのパーカーの裾を握り、寄り添いながらキッチンに入った。
 凛ちゃんがいくつか飲み物の種類を上げてくれたので、たまにはとコーヒーを所望した。

「おま……九乃、パーソナルスペース死んでるな」
「凛ちゃんだって死んでるじゃん」
「誰かが入って来てるだけだ」
「あ、嫌? ごめん離れる」
「……好きにしてていいって言ってんだよ」
「ありがとう……」

 でも凛ちゃんの映画のせいだな……。
 コーヒーの入ったマグカップを渡され、ミルクと砂糖ももらう。凛ちゃんもマグカップにコーヒーを淹れてソファに戻った。
 再開されるホラー映画。
 わたしは凛ちゃんと一体化しながら、砂糖とミルクを入れたコーヒーに息を吹きかけた。

「なんでホラー映画好きなの? 昔からだっけ?」
「誰かさんが非現実的な目に遭ってるから、何か分かることねぇかと見始めてハマった」
「そんなひといるの?」

 凛ちゃんが非現実的と判断するとは余程のことがあったのだろうと見上げると、じとりとした目で見下されていた。
 確かに、神隠しは非現実的だ。

「わたしか」
「なんも分からなかったけどな」
「気にしてくれてありがとねぇ」

 ほっこりした気持ちで画面を見ると、ちょうど振り向いた子供の顔面が無く「ヴ」と「ポ」が混ざった声が出た。
 凛ちゃんは微動だにしなかった。本人基準でさほど怖くないらしいし、一度は見ているだろうからどんなシーンが来るか予想出来るのだろう。だったら覚悟すべきタイミングで合図でもしてほしいものだが、そう伝えると鼻で笑われた。


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