(今日も会えた)2



 わたしは体を揺すられて目を開けた。目の前には不機嫌そうな冴ちゃんの顔があり、体勢は非常に不安定だった。適当に手をついて初めて、ソファの上で冴ちゃんに胸倉を掴まれていることに気付く。

「油断すんな、馬鹿が」
「冴たん?」
「…………冴たんだ」
「噛みました」

 胸倉を離されて体勢を崩す。後ろに倒れ込むと、ソファの少し冷えた感触ではなく人の温かさがあった。
 澄ました顔の凛ちゃんがいる。

「……わたし寝てた?」
「スタッフロール始まった瞬間に寝た」
「恐怖から解放されて安心したのかな」

 枕にしてしまったことを謝りつつ伸びをする。冴ちゃんは脱いだ防寒着を持ってリビングを出るところだった。

「冴ちゃんおかえり」
「……ただいま。昼飯は?」
「まだ。一回帰ろうかと思ってる」

 前回はお茶漬けを頂いてしまったが、人様の食物に何度も手をつけるのは抵抗がある。家にも食べ物があることは分かっているのでそう答えたのだが、冴ちゃんは眉間のシワを深くした。一瞬、わたしからやや上に視線が逸れたので、凛ちゃんを確認したようだった。
 冴ちゃんは片手で何やら携帯を操作しながら言う。

「食いたいもんあるか」
「外食するの?」
「雨降ってんぞ。出前でも取りゃいいだろ。何が良い」
「冴ちゃんと凛ちゃんが食べたいもの」
「……」
「……」

 また冴ちゃんの視線が上に逸れ、すぐに手元の携帯に向く。
 選択を丸投げするのも無責任か、とわたしも何を食べたいか考える。基本的に和食は好きだが和食の配達グルメも想像出来ないし、だからといって配達グルメで真っ先に思い浮かぶピザの気分でもない。寿司をとるのも違う気がする。選択肢が沢山あるのならば、普段食べない物が食べたくはある。
 普段食べない物、本丸で食べる機会が少なかった物。数秒悩んで、魅惑の香りを思い出した。

「体に悪そうなものが食べたい」

 冴ちゃんはハンバーガーショップのメニューを開いた状態で携帯を渡してきた。情報端末を他人に渡すのは抵抗がありそうなものだが、「選んどけ」と言って防寒具を置きにリビングを出て行ってしまう。凛ちゃんと一緒に眺めてメニューを決めて入力し、戻ってきた冴ちゃんに携帯を返した。
 冴ちゃんは自分の分を入力して注文を確定させ、待ちの体勢に入る。ソファに腰掛けるので、凛ちゃん、わたし、冴ちゃんという先日と全く同じ配置になった。
 わたしは使い方を覚えたリモコンを操作して、U20の試合を表示させた。先程も糸師ママさんと見たが、糸師ママさんが言っていたように何度見ても良い。両隣から「またこれか」と言いたげな空気を出されたが無視した。

「凛ちゃんさ、自主練してたじゃん」
「だったらなんだ」
「冴ちゃんと凛ちゃんとでワンオンワンしないの?」
「…………」
「そっかぁ」

 喧嘩は根深い。

「わたしがサッカー出来たら、相手になれたんだけど」
「リフティング三回がよく言うな」

 呆れ声は凛ちゃんだったが、冴ちゃんにも笑われた気配がした。
 試合序盤は飛ばし、冴ちゃんと凛ちゃんがマッチアップしたあたりから再生する。大観衆もライトもテレビカメラも一切眼中になく、サッカーのことしか考えていない彼らを見るのは好きだ。素人には追いつけない戦術を頭の中で広げて、即座に最適を選び、サッカーボールを操っている。
 サッカークラブに所属し公園で試合をしていたときとはレベルが違う。彼らの一点はクラブの成績ではなく国規模になっている。
 眩しいピッチに目を細めた。

「格好良くなったよね。冴ちゃんも凛ちゃんも」

 適当にあしらわれるかと思いきや、二人とも無言だった。糸師ママさんの言葉を思い出しつつ様子を窺うとそれぞれ一拍おいてから、冴ちゃんは「当然だろ」と自信満々に、凛ちゃんは「興味無ぇ」とぶっきらぼうに返してくる。
 どこか意外そうにされて、わたしのほうが驚いた。男子三日会わざれば刮(かつ)目(もく)して見よ、をこれほど実感したことはないというのに。五年だが。

「ちゃんと格好良いなって思ってるよ。いくらなんでも五年前と同じだとは思ってないよ」
「ならパーソナルスペースバグと<ちゃん>付けどうにかしろ」

 冴ちゃんに大きなため息をつかれるが、パーソナルスペースについては嫌がられたら気をつけるつもりではある。<ちゃん>付けは愛嬌があるので止めない。
 熱い試合は続いている。三度目ともなれば、わたしもほとんどの選手の名前を覚えていた。みんな未成年でありながら、サッカーに魅入られている。わたしならピッチに立つだけで足が竦(すく)みそうだが、プレッシャーすら楽しい要素なのだろうか。

「これだけ熱中出来るものがあるって素敵だよね」

 大勢の前に立っても胸を張れて、そのことばかり考えても苦じゃなく、そうあることが当然として過ごす。

「わたしにもあったんだよ。全部を賭けられること」

 膝の上の貞ちゃんぬいぐるみを抱き締めた。昨日ほどセンチメンタルではないものの、本丸のことを思うとすぐ遠くに意識が向いてしまう。
 のんびり朗らかに生きることが悪いとは思わないが、これと決めたことに打ち込むのは楽しかったのだ。集中できるしやりがいもある。仲間に恵まれていたならば尚のこと。
 輝くピッチを呆然と見ていると、横から顔を鷲掴みにされ、ぐるりと強制的に凛ちゃんのほうへ向かされる。片手で両頬を挟まれているので抗えず、首をもがれるのかという恐怖で心臓が脈打っていた。
 凛ちゃんは苛立ったように強い口調で言う。

「俺に全部寄越せ。世界一に連れてってやる」

 睨みを混ぜた刺すような目に、まばたきを一つ返す。
 気遣われたのだと気付いて口を開きかけたものの、わたしの頭上から手が伸びてきて凛ちゃんの腕を掴み、わたしの顔から離された。目の前で、軋みそうなほど強く凛ちゃんの腕が握られていた。
 見上げると、わたしに覆いかぶさるようにして冴ちゃんが身を乗り出していた。

「俺に勝てもしねぇくせにほざくな、欠陥品が」
「いつまでも胡座かいてられると思うなよ、クソ兄貴」

 さすが日本代表レベルの二人、世界一にかける思いがとんでもなく強い。比例して口調もキツい。
 火花が散っているのを錯覚するが、サッカーへの情熱だと思うと微笑ましい。二人にとって世界一はただの夢ではなく、実現すべき目標なのだ。
 わたしは両手を伸ばすと、凛ちゃんにされたように片手でそれぞれ二人の頬を挟んだ。ふわふわだった頬は年相応の薄さになっている。柔らかいのは、笑うことが減ったからだろうか。
 緊張していた空気が消えて、わたしに視線が降ってくる。

「二人一緒なら無敵だ!」
「ぬりぃな」
「ぬりぃな」

 全く同じ返答があって笑うと、荒く手を払いのけられた。



 夕食後、凛ちゃんから個人トークにメッセージが来た。

【明日暇だろ。十時に行く】
【選択肢ない感じ? 待ってます】
【出掛ける準備しとけ】
【おっけー】

 両親に外出予定を伝えて、お小遣いを渡される。本丸ではそれなりに貯蓄もあったのだが、今は無職なのでありがたく受け取った。
 帰還後に何度も会い出掛けもしたが、凛ちゃんからのお誘いは初めてだ。
 どこに行くのだろうと浮足立って眠ろうとしたが、ホラー映画のせいで落ち着かず、貞ちゃんに擬態を解いてもらって一緒に寝た。
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