(高校一年生なのに)
凛ちゃんに連れられてやって来たのは映画館だった。
薄暗さを感じるロビーは消音性のあるカーペットが敷かれ、壁には映画の告知ポスターやフライヤーがずらりと並ぶ。グッズやパンフレットの飾られたショーケース周りと、フードカウンターには人が多い。ロビーには二箇所大型のモニターが設置され、絶えずコマーシャルを流している。隅にはガチャガチャで遊べるコーナーもあった。
凛ちゃんは、正真正銘の五年ぶりの映画館に周囲を見回すわたしにお構いなく進み、何やら機械の前で立ち止まった。作品や座席を選んでいく。
「チケット、今はカウンターで買うんじゃないんだ」
「ああ」
「見間違いならいいんだけど、ホラー映画買ってない?」
「買ったな」
「なんで?」
映画の選択権はないのかと嘆きたいが、凛ちゃんの外出に乗っかっているのはわたしのほうなので抗議出来ない。自分の分のチケット代金は当然払うつもりだったのだが、凛ちゃんのズボンのポケットにねじ込もうとしたら睨まれて投げキッスをもらう。昼ご飯はわたしのお金を持った凛ちゃんが払うということで手を打った。
開場まで二十分あったので、ロビーのソファに座って時間を潰す。飲み物を何か買おうかと迷ったが、凛ちゃんが何も買わなかったことと、ホラー映画を前に飲める気がしなかったので止めた。
凛ちゃんにホラー映画の概要を聞く前にその映画のコマーシャルで流れ、大変怖そうだと頷きをひとつ。単にタイミングが良かっただけかもしれないが、凛ちゃんが映画館で見たいと思う作品なのだ、嫌なほうでの期待が高まった。
コマーシャルを見て他作品のシナリオ予想をしていると、開場のアナウンスが流れる。凛ちゃんにチケットを渡されてシアターに入り、席番号を見るとなぜかソファ席にたどり着いた。
「凛ちゃん、チケット間違えて買った?」
「合ってんだろ」
「ここペアシートだよ」
「文句あんのか」
「文句は無いけど」
俗に言うカップルシートなど初めてだった。二人掛けのシンプルなソファだ。真ん中に肘置きが無い代わりに、小さな丸テーブルが設置されている。
並んで座る凛ちゃんは涼しい顔で、上映時の注意事項が表示されているスクリーンに顔を向けていた。ホラー映画をひとりで見られる気はしないので隣に凛ちゃんがいてくれるのは心強いが、ペアシートという選択をしたのは意外な気がする。
客層は学生から三十代までに見え、子どもや高齢者はいない。座席が六割ほど埋まったところで、太ももの上で脱力していた手を凛ちゃんにとられた。
映画中も神隠し防止措置か?
いくらなんでも警戒しすぎではと思いつつ無抵抗でいると、手を繋ぐだけではなく指を交互に絡められて手に力が入った。凛ちゃんはわたしの刀剣男士ではない。こういった特殊な繋ぎ方を人間がする意味だって知っているだろうに。
映画館はまだ明るい。ざわめきがある中で、凛ちゃんは指先でわたしの手を撫で、指を摺り寄せる。とてもじゃないが、ただ手を繋いでいる仕草ではない。
「……凛ちゃん」
「あ?」
「手、なんか、ぞわぞわするんだけど」
「なら何よりだ」
凛ちゃんの考えていることが分からないまま、照明が暗くなっていく。それだけで恐怖が煽られて凛ちゃんのほうへ身を寄せると、握った手に力がこもった。
映画中は怖くてそれどころではなくなっていたが、凛ちゃんは貝殻繋ぎを止めなかった。
驚かせタイミングを察知して積極的に目をつむったものの、すべての恐怖を回避できるわけでもなく、耳からの恐怖は避けようもなく。わたしはただ映画を一本見ただけとは思えない疲労感に襲われながら映画館を出た。昨日凛ちゃんと見た映画よりも明らかに怖く鬱々としていたが、だからこそ凛ちゃんはご機嫌そうだった。
貝殻繋ぎした手もそのままにレストラン街へ向かう。凛ちゃんは時折、指先でわたしの手を撫でるので落ち着かない。
どの店も混雑していたので並ぶのは覚悟しつつ、その中でも待機が一組だけだった和風パスタの店に並んだ。凛ちゃんが待機リストに<イトシ>と記載する。待機用の椅子に並んで腰かけ、メニュー表を店員に渡されてようやく凛ちゃんが手を離した。
「凛ちゃん、手さ」
「なんだ」
「や、なんでもない。<イトシ>っていい苗字だよね。<愛しい>って響きが良い」
「……やろうか、苗字」
隣を見ると、凛ちゃんはメニュー表ではなくわたしを見ていた。
「代わりに、九乃をもらうことになるが」
「……凛ちゃんってそういう冗談言うんだ」
精一杯茶化したが、凛ちゃんは笑わなかった。「冗談か」短いため息とともにそう言って、わたしの片手をまた握る。
「何もしなければ永遠に<弟>だなと思って、行動に移してみただけだ。兄貴には渡さない」
「なんで冴ちゃんが出てくるの。わたしにとって二人は、」
「<弟>だろ。それじゃ困るんだよ」
焚きつけられもしたし、と凛ちゃんは遠くを見て苦い顔で言う。
凛ちゃんの言葉を額面通りに受け取るなら、彼はわたしに対して親愛ではなく恋愛を抱いていることになる。わたしがあまりにも家族扱いをするのに耐えかねて、口説きにかかったと。
「俺も兄貴も、九乃をただの幼馴染とは思っちゃいねぇ。そうじゃなきゃ、貴重なオフをこんなに割くかよ」
「待って、わたし二人のことをそういう風には見てない」
「だろうな。だから、そういう風に見てもらおうとしてるだけ」
凛ちゃんを指をすり合わせる。
「……六歳も違うんだよ」
「六歳差なんて無いようなもんだろ」
「あるよぉ」
「つか年齢の話が出てくるってことは、俺を男として見るのが生理的に無理ってわけじゃねぇんだな」
無意識の核心を突かれて返答に窮(きゅう)す。わたしは凛ちゃんを恋愛対象として見てはいなかったが、弟の印象が強く意識が向かなかっただけで、恋愛的な意味で好きかどうかはともかく恋愛対象として見れるかと問われればイエスだろう。
実の弟からの告白ならばまた話は違っただろうが、弟のように見ていたとはいえ幼馴染だ。おまけにこの五年という空白が、<弟>という認識を剝がしやすいのだろう。驚きこそすれ拒否感は無かった。
ホラー映画の恐怖が吹き飛ぶ。予想外の方向から攻撃を食らって目眩がした。凛ちゃんの顔を見れば、茶化していい問題ではないと分かる。
「わたし、戻って来てから結構一緒にいたのに気付かなかった」
「だから分かりやすくしてんだよ。パーソナルスペースを忘れた人間にくっつかれるこっちの気持ちにもなれ」
「ごめんね……?」
刀剣男士と過ごす中でパーソナルスペースが狭くなった自覚はある。確かに、恋愛の相手にその距離感で接せられては戸惑うだろう。ホラー映画を見ているときなど間隙(かんげき)ゼロだったのだ、凛ちゃんはさぞやりにくかったに違いない。
手で触れ合っている内に好かれている実感がじわじわと湧いてしまい、凛ちゃんの顔を見られず俯いた。六歳も年下なのに。高校一年生なのに。
「ああ、その顔。良い気分だな」
帰還してから接した凛ちゃんの中で、瞬間最大上機嫌だった。
注文を済ませて食事を待つ間、正面の凛ちゃんを見られずに携帯を触る。ちらりと視線を上げると、凛ちゃんは何をするでもなくこちらを見ているのだ。見つめ返せるわけがない。
求人広告や派遣会社のサイトを漁って冷静さを取り戻していると、不意に対面から手が伸びてきた。携帯を握りしめていたわけでもないので、容易く凛ちゃんに奪われてしまう。
「何見てる」
「求人……わたし無職だから」
事実を述べると、何故か投げキッスが返ってくる。
「いいだろ、働かなくても」
「良くない良くない。高校中退扱いだからイイトコロは難しいにしても、バイトくらいはやんないと」
「……候補は」
「大手のカフェチェーン」
「駄目だ」
凛ちゃんに却下される意味も許可をとる意味も分からないが、なんせ眉間のシワが深い。
携帯を奪われた体勢のまま固まっていると、凛ちゃんが食いしばった歯の間から苦し気な声を出した。
「九乃も、俺から離れていくのか」
わたしも?、と疑問に思ったのは一瞬だった。元カノの話をしている可能性もあるが、真っ先に浮かんだのは冴ちゃんのことだった。わたしが驚いた二人の関係は、少なくとも凛ちゃんにとって望んだ形ではないのだろう。
携帯を握る凛ちゃんの手に触れた。いつも何も考えずに手を繋いでいたのに、自分の手が汗ばんでいるような気がして戸惑いを覚える。
携帯は抵抗なく返却された。
「離れないけど、働かないと」
「俺が稼ぐから、それまで親のすねをかじってればいいだろ」
「良くないじゃん? わたし、どちらかというと動きたいタイプだし」
「最終的に俺ンとこ来るのは否定しねぇのか?」
「そこは保留」
「会社員とは比較になんねぇくらい金は入る」
「それでも、まだ無所属の高校一年生じゃん」
凛ちゃんは<面白くない>を顔に出す。
「なんでカフェは駄目なの?」
「人目につくから」
「人目を忍ばないといけないの?」
「そうだ」
深く頷かれても凛ちゃんの言葉の意図が分からない。わたしに働いて欲しくなくて、人目につく場所にいて欲しくない、という断片的な意思だけが伝わる。
凛ちゃんの片手が、携帯を失って所在なさげにテーブルに置いてある。告白による照れを家族への心配が上回り、今度はわたしから手を握って力を込めた。
「働いたからって、急に知らないひとになったりしないよ」
「……五年いなかったくせに」
「耳が痛いなあ」
応えるように手を握り返される。
あんなに甘え上手だったのに、不器用になったものだ。
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