(睨まれるより身がすくむ)
冴が九乃を迎えに行くと、彼女はいつも通り出て来たがどこかよそよそしかった。パーソナルスペースを忘れたゼロ距離だったのが常識的な距離感になっている。安堵するやら面白くないやらで繋いだ手を軽く引き寄せると、それには抗わなかった。
電車で隣り合って座っても、なんとなく距離を取られている。香水が強かっただろうかと思ったものの、手を繋ぐ前から距離を取られている理由にはならない。
そうなると思い当たることといえば、昨日九乃と一緒に出かけていた凛のことだった。<脱弟枠>を本格的に掲げたことには気付いている。
冴も凛も、いつまでも実家に居られるわけではない。さっさと行動に移さないと男として見てもらえない。それでもゆっくり底まで落ちてくれればと思っていたが、互いに譲る気は微塵もないので、目の前で九乃を口説かれた以上は行動せねばならない。
「あいつ……凛に言われたか」
「いやあ……」
言われたらしい。
「告白でもされたか?」
「いやあ……」
されたらしい。
さすが我が弟、決断の後の行動力はなかなかだ。冴もスポンサーの関わる仕事が急に入らなければ昨日九乃の予定を押さえていたが、渡欧日を今日まで引き伸ばしている以上、無茶振りを断れなかったのだ。しかし冴も凛も都合がつくとなればまた三人での外出になりかねないので、これはこれで良かったのかもしれない。
九乃が膝の上で手をもぞもぞ動かしているので絡め取って握る。九乃が強張ったのが分かった。
「俺も凛に譲る気はない。覚えとけ、俺はいつでも九乃をスペインに連れていける」
「冴ちゃんまで。わたし四歳上だよ」
「んなもん無いようなもんだろ」
「あるよぉ」
「俺が好きなんだから何も問題になんねぇ」
告白を混ぜて言えば、九乃が口元を引き結ぶ。唸り声を上げて冴から視線を逸らすものの、額まで赤面しているのは隠せていなかった。
*
昨日、二人ともわたしのことをただの幼馴染だと思っていないと凛ちゃんが言っていた。まさかと思いつつ身構えていたら、冴ちゃん本人からも告白されてしまった。こう宣言されては意識せざるを得ない。
ただでさえ好感度が高いのだ、告白されれば気恥ずかしくもなる。
冴ちゃんに手を引かれて到着したのは、繁華街の雑居ビルにある創作料理店だった。手を繋ぐのもいつも通りのことなのに意識してしまって、道をろくに把握できなかった。
小さいエレベーターで四階に上がり、エレベーターを降りてすぐのドアを開く。オレンジがかった照明は穏やかだ。床はフローリング、壁は白と目立った内装ではないが、カウンターだけの細長い店舗というだけで高級感が伝わる。そのカウンターには二人の女性客がいた。
カウンターの中には店主らしい男性がひとりだけおり、冴ちゃんが予約を伝えると、一旦下がったかと思えばカウンター席手前の壁を開いて個室に通してくれた。四人がけのこぢんまりした個室だ。個室とカウンター内の厨房を繋ぐ小さなドアがあり、店主はそこから出入りしているらしい。
「カウンター席だけかと思った。ひとりでされてるのかな」
「さあ。初めて来たから知らねぇ」
「どこでこんな素敵なお店情報を仕入れるの」
「雑誌記者」
高校生が入るにはいささか敷居の高そうな店だが、世界を知っている冴ちゃんに臆した様子はない。店主から片手でおしぼりを受け取りながらメニューをテーブルに広げていた。
メニューを眺めた感じ、短い時間のランチ営業後、一度店を閉めてからディナー営業のようだった。ランチは定食が数種類ある。
注文を済ませ、ディナー営業用のメニューを眺める。こういった洒落た店はメニューがカタカナばかりで把握し辛い先入観があるが、和食がベースらしく文字で想像出来るものばかりだった。わたしが稼げるようになったら、冴ちゃんにディナーを奢りたい。
「冴ちゃん、スペインではどんな生活してるの?」
「いい加減<ちゃん>付けやめろ」
「わたしなりに可愛がってるんだよ。スペインの食べ物は美味しい?」
「……」
冴ちゃんはため息を一つ挟んでから、携帯をテーブルに置いた。表示されていたのは、パエリアらしいパエリアの写真だ。鮮やかなサフラン色のライスに魚介類が並べられている。海老も貝も大きく、数は少ないのにライスが見える面積が狭い。
「パエリア」
「うん」
「美味かった」
「いいねぇ」
簡潔な感想に相槌を打つと、すいと写真が切り替わった。
くすんだ薄茶色のレンガで造られた建物だった。宗教に特段詳しくないわたしでも、教会や聖堂という言葉を連想する。ファンタジーゲームのような世界だ。
「観光もしてる。サンティアゴ・デ・コンポステーラとかトレドとか水道橋とか」
言いながら、冴ちゃんが指をスライドさせて写真を順に表示させる。テレビやネットで見られる風景だが、この地に冴ちゃんが立って冴ちゃん自身が撮影してきたのだと思うと印象が異なる。世界の何処かにある綺麗な景色ではなく、冴ちゃんが生活している街だ。親近感と異世界感という相反する感覚を覚えた。
ごくごく普通の一般家庭で育ち海外旅行の経験はなく、この五年間は純和風か近未来の環境に身を置いていたため、西洋の町並みにはどこか憧れる。場所や雰囲気をさらさら話す声を聞いて、その場にいる自分を妄想した。
建造物と食事の写真が次々に表示される。案外まめに写真を撮っているらしい。オフにはスペインを出て観光もしているようだ。
テンション高く相槌を打っていると、冴ちゃんの旅行記解説が途切れた。
「行きたいか? スペインっつーかヨーロッパ」
「そりゃ行ってみたいよ。アッ」
冴ちゃんの目が「言質とったぞ」と言いたげに細められる。
「仕事してねぇならサッと海越えられるだろ」
「コンビニに行くんじゃないんだから」
「俺が良いっつってんだから来りゃいいだろ」
「ただ幼馴染として招待されたなら行くかもしれないけど、冴ちゃんはそうじゃないでしょ。それに甘えるのは失礼だと思うわけ」
「今メシ食いに来てんのと変わんねぇよ。九乃だから誘ってる。好きになんのはその後でも良い」
「好きにならなかったら?」
「なるだろ」
しれっと言われて笑ってしまった。その自信はどこから来るのだろう。嫌うことはないにしても、恋愛の意味で好きになるかは全く分からないのに。
そもそも、彼らはどうしてわたしが好きなのだろう。年上だからこそ、か。わたしも、小学生の頃は登下校で見かける中学生の男の子たちがとても格好良く見えた。二人もそういった思い出があって、美化されているだけではないだろうか。
一呼吸置いてから、向かいの冴ちゃんを見る。
「なんでわたしなの? 幼馴染フィルターがかかって、わたしが良く見えてるだけじゃない?」
「くっだらねぇ」
冴ちゃんはクソデカため息と投げキッスを寄越してから答えた。
「俺のだと思ったから。失踪したままだったらどうなったか分かんねぇけど、俺が心変わりしない内に九乃は帰って来ただろ」
「年上の女子がやたら素敵に見えてただけじゃない? 今一緒にいたら、どこにでもいる普通の人だって分かると思うけど」
「どこにでもいよーが、普通の人間だろーが、俺のだっつったら俺のなんだよ。文句あんのか」
「なんでわたしが喧嘩売られてんの?」
刷り込みのような印象を受けつつも、それ以上は掘り下げなかった。好きな理由を羅列されることに耐えられそうもないからと、好かれていることは確からしいと理解したからだった。
「うん、でも、そっか。きっかけはきっかけに過ぎないもんね」
自分に向けられる恋愛感情の扱いに困惑して忘れていたが、今がそうならきっかけは些細な問題なのだ。主であるというだけで慕われる審神者という職に就いていても、刀剣男士たちからの親愛を疑ったことはなかった――と、冷静ぶっていても気恥ずかしさは消えない。
意味もなくおしぼりを綺麗に畳み直していると、冴ちゃんが行儀悪く頬杖をついた。メンズらしく太いメタルバンドの腕時計がよく見える。なんとなく顔を見られずにクロノグラフの文字盤へ視線を向け、一秒一秒を刻む秒針を目で追う。
「とりあえず、さっさとパスポート作れ。金は出すから」
「ぐいぐいくるじゃん」
「九乃がすぐいなくなるからだ。俺も向こうに戻んねぇとだし、押すと決めたら押すしかねぇだろ」
「いつ戻るの?」
「今日」
「今日⁉」
思わず大きな声が出る。口を押さえながら冴ちゃんの腕時計で時間を確認する。まだ昼間だが、今日出立するというなら荷造り等等あるだろう。
冴ちゃんはなんてことなさそうに携帯を操作した。見せられた画面には航空機のマークとアルファベットが並び、19:20の文字もある。電子チケットのようだ。
「夜に出る。大して荷物もねぇし」
「フライトって何時間かかるの?」
「十四時間くらい。時差は八時間」
「うわあ」
転移ゲートさえあれば一瞬なのに、と思考が二百年後に飛ぶ。同時間横移動の転移ゲートの使用は政府要人にしか認められていなかったが、高額な使用料を払えば一般人でも使用出来たはずだ。億を稼ぐ冴ちゃんなら使えただろう。
冴ちゃんは、ここから十四時間離れて八時間もズレがある場所で戦っている。凛ちゃんもきっと近いうちにその舞台に立つ。
「寂しくなるね」
「そう思うなら一緒に来い」
冴ちゃんは本当にさらりと言うが、人生を賭けて世界で戦う選手の言葉だ、彼の覚悟はわたしが感じているより大きいのだろう。
眉一つ動かさずにカードを切る冴ちゃんに深々と頭を下げ、隠れ家レストランを後にする。帰宅しても良いが腹ごなしの散歩を提案し、時間を気にしつつ街ぶらを開始した。
居酒屋を始めとした飲食店街を抜けると、喫茶店やパン屋のある区画に入る。両親と貞ちゃんに何か買って帰ることを目的に――貞ちゃんの名前は出さなかったが――、マップを見ながらパン屋や洋菓子店を巡ることにした。
すれ違う人々はコートの襟やマフラーに顔を埋めている。わたしも食後で温まっている内は良かったが、次第に首を短くしていた。冴ちゃんを見上げるとこちらも寒そうにしている。
「なんか冷えてきたね」
「土産の目星はついたのか」
「一個前に寄ったパン屋にする」
「行くぞ」
土産調達に決めたパン屋は、大通りから一本入った路地にある。個人で経営されている雰囲気のある店だ。陳列されたパンが窓から見えて食欲をそそる。
ドアを開けるとベルが鳴り、複数の「いらっしゃいませ」の声がする。店舗部分は客が四人もいればいっぱいになりそうな広さしか無い。レジカウンターの奥には厨房が見えており、職人が忙しなく動いている。
トレイとトングを持って店内を見回す。客は、わたしたちと着物のご婦人が一人だけだった。
つい、パンではなく着物に目がいってしまう。黒の外套(がいとう)を見ているが裾から薄いグレーの着物が見える。黒に近い濃い色のグラデーションの上に白椿の柄が入っていた。立体感と艶があり、刺繍に見える。
トレイとトングを持って固まっていると、冴ちゃんに肘で小突かれる。わたしはそれに背中を押されて――冴ちゃんにそういう意図はなかっただろうが――意を決してご婦人に声をかけた。
「お着物、素敵ですね」
着物を見ると褒めずにいられないのは初期刀の影響だ。審神者界隈では着物を着ているひとも多かったので褒め慣れていたし、わたしを含めて褒められ慣れていたが、審神者界隈外で突然の声掛けはナンパのようで勇気がいる。
ご婦人は振り向くと、トングを握りしめた褒め言葉に笑顔を浮かべてくれた。
「ありがとう、嬉しいわ」
「お上品でとてもお似合いです。白椿は刺繍ですか?」
「ええ、刺繍が好きで。これは尾峨佐(おがさ)のもので……分かるかしら」
「尾峨佐(おがさ)染繍(せんしゅう)ですね! 刺繍は透明感と立体感があって良いですよね」
「良く知ってるわね、嬉しくなっちゃう。とても気に入ってるから、訪問着だけど大した用事じゃないのに着ちゃうの」
優しい反応につい口も軽くなる。着ている着物と、今は見えないが外套の下の帯の話や合わせる小物の話でひとしきり盛り上がる。新たな来客を告げるドアベルの音で我に返り、着物談義は中断して、このパン屋が行きつけだというのでオススメを聞いた。
先に会計を終えて退店するご婦人に軽く頭を下げて、パンの選定を開始する。ご婦人に「絶対食べるべき」と勧められたクロワッサンはすぐに二つ確保した。
「冴ちゃんもいる? 飛行機で食べたら?」
「……そうだな」
「お待たせしたお礼におごるよ」
「いい」
冴ちゃんもトレイとトングを持つ。
わたしはクロワッサンの他、チョコレートのブリオッシュ、オランジェットのバゲット、抹茶とホワイトチョコのデニッシュ、ガレット・デ・ロワ、アップルパイをトレイにことこと乗せていく。冴ちゃんはクロワッサンと、分厚いコロッケが挟まったサンドイッチを乗せていた。
冴ちゃんの分は払わせてもらえなかったので自分の分だけ会計をする。たかがパンとはいえ、好きなものを好きなように購入するのはとても気分が良い。
芳ばしい香りで温かい店を出ると、いつも通りすぐ冴ちゃんに手を握られた。
「和服が好きとは知らなかったな」
「好きだよー。あんまり詳しくないけどね」
「そうは思わなかったが」
審神者になってから着物の格好良さに憧れ、刀剣男士たちからも熱烈なプレゼンをされ、手頃なものを何枚か持っていた。審神者就任五周年を記念してみんながプレゼントしてくれたものは飛び抜けて上等だったが、こんなことになってしまったので五周年記念写真撮影の一回きりしか袖を通せなかった。それがちょうど刺繍の着物だったのだ。
働き始めたら手頃な値段のものを買いたい。着物生活は自然と背筋が伸びて、自分が何倍にも素敵に思えて好きだ。
「冴ちゃんもきっと似合うよ、和服。着て欲しいなあ。凛ちゃんも交えて一緒に着物でお出かけとか素敵じゃない?」
冴ちゃんが腕時計を見た。
「このまま呉服店行くか。さっきのみたいなやつがいいのか?」
「尾峨佐染繍レベルとなると高いんだよ⁉」
「一億円なら躊躇う」
「そこまでじゃないです……」
金銭感覚が違いすぎて怖い。浪費するイメージはないが、腕時計の値段も怖くて聞けない。
冴ちゃんが携帯で呉服店の場所を調べ始めたので慌てて止める。
「いくらなんでも駄目」
「チッ」
「投げキッスありがとう」
「ふざけんなよ」
繋いだ手をきつく握られて骨がきしむ。そのままずんずん歩き出すので、笑いながら早足で続いた。
ALICE+