(睨まれるより身がすくむ)2



 冴ちゃんは「見送りなんてしなくていい」と言ったが、海外へ行くというのは一大イベントだ。冴ちゃんが慣れてしまっていても、わたしにとっては軽く流せない。「絶対に見送りしてやる」と強い意志をもって説得し、出発するときに家の玄関チャイムを鳴らすようお願いした。
 冴ちゃんからの出発メッセージを合図に玄関に向かい、チャイムが鳴らされると同時にドアを開ける。
 キャリーバッグを見ると、行ってしまうことが目に見えて分かり寂しさを感じてしまう。キャリーバッグを睨みつけてから冴ちゃんを見上げた。玄関灯と街灯という心許ない灯りの中での真顔は、具合が悪そうにも見えた。一度くらい微笑んで欲しいものだ。

「連絡して良い?」
「しろ。すぐ返事出来ねぇことのが多いだろうが、時差気にせず送ってこい」
「わたしのこと忘れないでね」

 笑いながら言ったものの、笑顔が少し引きつったのが分かった。先日の<バイバイ出来ない事件>のこともあり、寒さのせいだと言い訳をするのも無理がある。心配をかけずに送り出したいというのに、これでは見送り希望をした意味がない。冴ちゃんはこれを見越して拒否していたのだろうか。
 うじうじしているのが自分らしくないとは分かっているのだが、仲間や家が無くなったトラウマはそうあっさり克服出来ない。
 ポケットに避難していた手を冴ちゃんに引っ張り出されて握られる。

「すぐ忘れるなら五年間も覚えてねぇし、忘れるくらいの人間にこんなに時間を割かねぇよ。俺が、なんでパスポートの更新終わってすぐスペインに戻らなかったと思ってる」
「録画したちびまる子ちゃん見るため……」
「殺すぞ」

 ぎち、と音がしそうなほど力を込められる。思わず声を上げても力は緩まらないが、痛みで憂鬱な気分は吹き飛んだ。

「イッ」
「いちいち今生(こんじょう)の別れみたいな顔すんな、航空チケットならいつでも送る」

 離された手をさすると、今度は万札二枚をポケットに入れられた。何事と突っ返そうとしたものの何故か万札を増やそうとされたので、二枚を握りしめて固まる。
 孫に百円玉を握らせる気軽さで万札二枚を渡してきた冴ちゃんは、財布を仕舞って満足気だ。

「怖いんだけど……」
「パスポート取っとけ。現地で試合見たくねぇのか」
「それは見たいけどお金は」
「受け取らねぇなら、何としても口座突き止めて百万円送金すんぞ」
「脅し文句が独特すぎない?」
「受け取れ」
「あ、ありがと……」

 年下の幼馴染から二万円を与えられたのだ、これは本当にパスポートを取りに行かねばならない。
 冴ちゃんは片手でわたしの両頬を挟むと、自分の方に向かせた。そんなことされなくても冴ちゃんを見ているが、お小遣いを握らされた身で抗議は出来ない。
 冷たい指先が頬をこねてくる。

「確かなモンが欲しいなら何でも買ってやるし、ひとりが嫌なら連れてってやる」
「……」
「は、間抜けヅラ」
「……冴ちゃんって優しいよね」
「九乃にはそうだろうな」

 言葉の意味がすぐに分かって冴ちゃんから目を逸らす。顔は固定されていて背けられないので、視線だけをあらぬ方向に投げた。
 恋愛かどうかは置いておいてもわたしは冴ちゃんが好きだし、気遣う言葉は嬉しい。しかし、物が欲しいわけでも連れて行ってほしいわけでもなく、わたしのことを覚えていてくれることが安心する。

「次会ったときに、名前を呼んでくれたら一番嬉しい」
「忘れねぇって言っただろ」

 にまにま笑うと顔面を解放される。

「九乃も、次会ったときには<ちゃん>付け止めろよ」
「可愛いじゃん」
「可愛い年っつーじゃねぇよ」

 冴ちゃんが溜め息をついて腕時計を確認する。そうだ、彼は今から渡欧するのである。長話をする時間はない。見送りをするだけのつもりが、いくらか時間を奪ってしまった。

「時間とっちゃってごめ、」
「Te quiero mucho」
「ん⁉」
「じゃ、行ってくる。パスポートとっとけよ」

 異国語を話した冴ちゃんは、わたしの頭の上で数度手を弾ませてからキャリーバッグを引く。
 呆気に取られていたわたしは、キャリーバッグのゴロゴロ音で我に返った。動き出している背中に声をかける。

「行ってらっしゃい! 気をつけて!」
「んー」

 冴ちゃんは軽く手を上げて、振り返ることなく駅に向かって行った。
 冴ちゃんを見送って寂しさを覚えながら家に入り、靴を脱ぎながら顔を手で覆う。
 冴ちゃんはわたしがスペイン語を分からないと思って言ったのだろうが、わたしは五年もの間、二百年後のテクノロジーに晒されていた人間だ。二百年後に言語の壁はほぼない。この時代でいう携帯端末は人体埋込式がメジャーだったし、全自動翻訳機も埋込式だった。わたしは過去の人間とあって人体に直接影響するようなことは禁止されていたが、ある程度の処置は受けている。その内の一つに、サブリミナル的言語教育があった。
 わたしは、スペイン語を含め複数言語のリスニングが可能だ。簡単なスピーキングが出来る言語もある。
 冴ちゃんに口説かれたことははっきり理解出来たのだ。
 ただ一言の「好きだ」に、冬の空気で冷えた体温が上がる。


 クッションを抱えてベッドに寝転がる。寝る支度を整えているのでいつでも眠れる状態だが、まどろんだ意識のまま天井を見上げていた。

「……貞ちゃぁん」
「どしたぁ主」

 テーブルでバゲットを食べていた貞ちゃんがおしぼりで手を拭く。
 以前は両親を気にして両親不在時にしか擬態を解いてもらわなかったが、貞ちゃんにかかれば両親の気配を探って過ごしても問題無いと気付いてから、声を抑える必要はあるが気軽に擬態を解いてもらっている。お陰で、ホラー映画に怯えていても添い寝してもらえた。
 貞ちゃんはベッドに腰掛けてわたしを見下ろした。わたしと共に行動している貞ちゃんはわたしの身に起こったことも当然知っていて、わたしが何故呼んだのかも察している。深刻な事態ではないと十分分かっているので笑顔だった。

「貞ちゃん、あなたの主は、幼馴染たちに告白されて困惑しています」
「告白されたことそのものより、普通に照れちまうことに困惑してんだろ?」
「……五年も空いたから、弟っていう意識も薄くなってたのかもしれない……」
「昨日は凛ちゃんで、今日は冴ちゃんだもんな。主、モテ期だな!」

 うなりながらベッドを転がる。

「凛ちゃんなんて六つも年下だよ。高校一年生だよ。成人済みのわたしがドキドキするのって犯罪臭しない?」
「別にしねぇよ。百年以内なんて誤差だろ」
「付喪神視点……」
「主も審神者と刀剣男士の恋愛応援してたじゃん。年齢差千年なんてザラだぞ?」
「人間同士の恋愛はまた別だよぉ」

 恋愛が自分ごとになったことにも動揺している。他人の恋愛を応援しても、自分の恋愛や結婚は考えてこなかった。刀剣男士という見目麗しい存在に囲まれていても家族目線で、大好きだが親愛だ。男審神者や政府男性職員との関わりもあったがそこは刀剣男士ガードの効果で易易と口説かれることはなかったし、わたしもそういう目で見る機会がなかった。
 ベッドから体を起こして胡座(あぐら)をかく。

「貞ちゃん的にはどう思う?」
「嬉しいよ。冴ちゃんと凛ちゃんの話は本丸でも聞いてたし、主に対して誠実なのが分かるし。何より、主自身が信頼している相手だから、主の近くにいて支えてくれることが頼もしいと思う。多分俺だけじゃなくて、皆もニッコニコで見守ったと思うぜ」

 貞ちゃんのコメントが立派で出来すぎていて眩しい。

「ま、それでも主の気持ちが一番だからさ。どうなっても俺は主と一緒にいるし」
「貞ちゃん大好き」
「知ってる。あと懐に入れるなら俺にしてくれよ、妬けるだろ」

 貞ちゃんがわたしの抱えるクッションを睨むので、脇に退けて貞ちゃんを懐に入れる。

「冴ちゃんや凛ちゃんにも妬く?」
「人間には妬かねぇかな。物には妬く」
「貞ちゃんが一番だよ」

 頼れる愛刀に笑いながら凭れる。
 明日は朝早くに凛ちゃんが出発してしまう。二人が同じタイミングでいなくなってしまうのは寂しいが、明日こそ笑顔で送り出さなければ。
 何か告白への反応を返せたらいいと思いつつ、待ってほしいとしか言えないのだろうなと認めていた。


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