(口説かれ慣れない)
凛ちゃんの出発時間が早いので、眠気をなんとか振り払いながら支度をする。早起きの母親と話しながら顔を洗い、着替え、化粧をする。朝食を準備するかお茶だけ飲むかと迷っていると、凛ちゃんから出発の連絡が来た。
すぐに来るだろうと上着を羽織って外で待つ。予想通り凛ちゃんの姿はすぐ見えた。キャリーバッグではなく、大きなスポーツバッグを肩にかけている。上下はジャージで、バッグも合わせて全体的に白い。似合っているがなんとなく凛ちゃんぽくないデザインだなと思っていると、ブルーロックのロゴを見つけた。
凛ちゃんは眠そうにしながらも何故か険しい顔でわたしの前に立つと、携帯を印籠のように見せてくる。
「なに撮られてんだ……!」
「撮られ……?」
凛ちゃんが掲げていたのはネット記事だった。【<日本の至宝>糸師冴、日本滞在理由に恋人の存在?】【糸師冴が夢中になる一般女性の正体は⁉】見出しだけでもう面白い。あとで自分でも探してスクショを撮っておきたい。
さすが日本を背負わされている存在とあって、芸能人並みのパパラッチがついているらしい。記事にはわたしへの憶測やあることないこと、わたしに目線が入った写真まで掲載されていた。わたしが記事内容を把握したと分かった凛ちゃんはすぐ携帯を仕舞ったが、ちらりと【先日解決した謎多き失踪事件の〜】という文字も見えたので、わたしの素性は割れていそうである。
昨日のお出かけの写真を撮られているなら、三人で出かけたときも撮られていそうだが、二人だけのほうが話題になりそうだと判断されたらしい。
「こんなことになるんだね!」
「変装しねぇ兄貴も兄貴だが、九乃ももうちょい警戒しろ」
「これは不可抗力じゃない?」
「警、戒、し、ろ」
「あい」
しかしこの記事の存在を把握しているということは、凛ちゃんはしっかり冴ちゃんの情報を追っているということだ。やはり心底嫌っているわけではなくて、何かすれ違ってわだかまりがあるだけなのだろう。また二人が仲良くサッカーしているのを見たいものだ。
そこでふと、わたしの存在で二人の仲がこじれないだろうかと不安になった。痴情のもつれ、というやつか。もしわたしがどちらかを選んだことで仲違いをするようなことになるのは悲しい。
わたしがどちらかを選ぶのか、どちらとも選ばないのかも分からないが。三人で一緒にいられるならそれが嬉しい。
そうだ。選ぶ選ばないより、三人がいい。
「あのさ、三人で一緒は駄目かな」
「何の話だ」
「凛ちゃんも冴ちゃんも、わたしを好きだと言ってくれてる。わたしはそれにまだ答えられないけど、三人で一緒にいるっていう選択肢は無いのかなって」
「冗談だろ、恋人を兄弟で共有しろってか」
「誰も損しなくない? Win-Win-Winじゃん」
「Winしてるの九乃だけなんだよ」
凛ちゃんは冬の朝の冷たい空気を目一杯吸って、全身の空気を抜くようなため息をついた。
「九乃のソレは、俺らに向ける感情がまだ家族愛だからだろ」
「かもしれないけど、本当に弟だと思ってたら照れたりドキドキしたりしない。ので、その、わたしは二人のことを、弟じゃなく見始めてるんだと思うんですよね」
「……ならそのまま弟のフィルター外して、ちゃんと俺を好きになれ」
凛ちゃんは揶揄(からか)う目的で言っているのではないと十分知ったので、容易に体温が上がってしまう。視線を逸らして冷気を意識し熱を冷ました。凛ちゃんが言ったきりで黙り込んでいるのも、告白を茶化せない一因だ。
返事は出来ないがこのむず痒い空気をどうにかしようと、わたしは話題を切り替えた。
「そうだ、連絡。連絡してもいい?」
「送れ。……あー、でもあんま返事出来ねぇかも。ブルーロック、私物取り上げられんだよな」
「携帯まで没収なの⁉」
「また同じ扱いなのかは分かんねぇけどな。でも送れ。またいなくなられんのは御免だぞ」
ブルーロックプロジェクトの厳しさを垣間見る。<監獄>という文字を当てるに相応しい環境だ。冴ちゃん含め凛ちゃんも昔からサッカーに対して非常にストイックだったので、携帯の没収くらいは気にならないのかもしれない。
返事が来るかはともかく二人とも連絡をしていいとのことなので、報告事項があってもなくても三人のグループトークは動かすようにしておこう。生存報告をしたほうが二人に心配も掛けずに済む。この五年間も、何も死んでいたわけではないのだが。
「またメッセージ送るね。凛ちゃんも携帯あったら気軽に連絡ちょうだい」
「ああ」
「次の出所って目処立ってるの?」
「知らね」
「次会えるのはしばらく先なのかなあ。またわたしとお出掛けして」
「デートならいくらでも」
さらっと言われて固まる。凛ちゃんはこんなにスマートに口説き文句を混ぜるタイプだったのか。笑顔でコンビニアイスを頬張っていた弟の成長をひしひしと感じ、弟じゃないという意識も強くなりつつ、少女漫画のような展開に照れを通り越して変な汗まで出てくる。
糸師兄弟がわたしを少女漫画の住人にしてくる。
少女漫画のヒーローにしては目つきも口も悪い凛ちゃんを見上げると、さらっとした口説きに反してこちらの反応を窺うような顔をしていた。告白してきてから今まで照れて見られなかったときも、こんな表情を浮かべていたのかもしれない。
口を開いたものの気の利いた返しが何も浮かばず、結局話を濁してしまった。
「エット、じゃ、ほら、あんまり引き止めたら悪いし。行ってらっしゃい、お友達と仲良くね!」
「止めろ、友達じゃねえ」
「チームメイトでしょ? あのほら、潔世一って選手と仲良いんじゃないの?」
「その名前出すんじゃねえ……!」
再会してから一番低く地を這う声が絞り出される。ちょっと気に食わないというレベルを超えた拒否の声音だ。息ピッタリなプレイをしていた印象があるのだが、プレイ外では反りが合わないのだろうか。
ヒーローインタビューの潔世一選手を見た限り、世界一を獲りに行く強気な選手というだけで特に癖が強そうには思わなかったが、一緒にいると色々あるのかもしれない。凛ちゃんもこだわりが強い性格なので、凛ちゃんが毛嫌いしているだけの可能性もある。
潔世一選手と喧嘩になっていないのだろうかと不安になるくらい険しい顔つきに驚いていると、凛ちゃんはわたしの胸ぐらを掴んだ。
「浮気すんな、俺だけ見てろ」
至近距離の顔に身構える。更に引き寄せられるので思わず目をつむったが、額への鋭い衝撃と共に解放された。
「ウッ……! デコピン? こんな強烈なデコピンある?」
「油断するからだ」
「なんで凛ちゃんの前で気を張らないといけないの」
「……」
むしろゆるゆるだ。額をさすりながら不服に思っていると凛ちゃんがスポーツバッグを持ち直したので、額への慰めを止めた。
「行ってくる」
「うん、行ってらっしゃい」
小さく手を振ると、進行方向へ一歩動いた凛ちゃんがおざなりに手を振り返してくる。まさか返してくれると思わなかったので振り続けたが、凛ちゃんからのサービスはそう長くなかった。
凛ちゃんの背中が見えなくなるまで見送ってから家に入る。
冴ちゃんも凛ちゃんも、夢のためにまた動き始めた。連絡がついてもしばらく会うことは難しいだろう。その間にわたしは二人への気持ちを考えなければならないし、わたし自身へも向き合わなければならない。
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