(昔みたいで楽しいね)2
S.
昼過ぎに冴がジムから自宅に帰ると、玄関先に見覚えのない女性物のスニーカーがあった。母親の趣味ではない。訝しんだものの、リビングから凛の声がした。凛の客なら自分には無関係だ、とっとと自室に行ってしまおう。そう思って階段に足をかけたが、凛に女の客といって思い当たる人物がひとりしかいなかったので、大股で歩いてリビングのドアを開けた。
テレビ前のソファに、九乃と凛が座っていた。九乃が冴に気付いて、ひらひら手を振ってくる。
「冴ちゃんおかえり。お邪魔してます」
「ああ。……」
「……」
凛と目が合う。冴の言えたことではないが、凛も随分と感情が読みづらく育ったものだ。それでも、凛が九乃に対して執着を見せていることは分かった。
九乃と凛の間に割り込みたいが凛と隣り合わせは御免だと葛藤していると、九乃のほうから冴に近づいてきた。片手には携帯、片手には昨日改札で見たぬいぐるみを抱えている。
「冴ちゃん、連絡先教えてくれる? ボディーガードしてくれるって聞いた」
「ああ、言ったな」
「冴ちゃんも凛ちゃんもありがとうね。迷惑かけて申し訳ないけど、うちの両親も二人のこと信頼してるから、そういう意味でもありがたい」
「また年単位でいなくなられるよかマシだ」
アドレス帳が<糸師凛><お母さん><お父さん>となっていることに、冴はこれ以上なく眉間の皴を深くした。あいうえお順で<糸師冴>が先頭にくると多少溜飲は下がる。
携帯を返しながらテレビを見ると、ブルーロック対U20日本代表の試合が一時停止されていた。
「あ、試合をね、見せてもらってたのね。一時停止して解説聞いて巻き戻しながら観てるから、まだ終わってない。あとブルーロックの話も色々聞いてる」
「……昼飯は?」
「お茶漬けをいただきました」
「……いつからいる」
「朝、凛ちゃんに連絡先聞きに来てから……でも冴ちゃんもういなかったよね。早い時間からジムに行くんだねぇ」
早く出るのは凛と一緒にいる時間を減らすためだ。今日は九乃がいるから、凛がジムなり自主練なりに出ていなかっただけで。
冴は、しれっとしている凛に視線を送る。結構な長時間二人でいたわけだ。
兄弟間の緊張が一切伝わらない九乃が冴のコートの袖を引く。
「冴ちゃんも見ない? U20視点の話も聞いてみたい」
「……。荷物置いてくる。待ってろ」
躊躇いはあったが、凛と九乃を二人きりにさせたくない気持ちが勝った。自室にコートと鞄を置き、すぐリビングに戻る。九乃の前にはまだジュースが残っていたので、自分の分のコーヒーだけを淹れた。凛には聞きもしなかった。
九乃を真ん中にして、冴と凛が左右に座る。九乃が再生ボタンを押し、試合観戦が始まった。しかし、冴は口を開かない。凛も喋らなかった。おそらく冴が来るまでは凛が嬉々として――淡々と――解説をしていたのだろうが、冴が来てしまえばそうもいかない。お互いに食って掛かることが分かり切っているからだ。
沈黙する兄弟に挟まれた九乃は不思議そうにしたが、無言であることを「真剣に試合を観ている」と都合よく解釈したようで、指摘はされなかった。
冴は適当に試合を流し見る。凛を視界に入れないようにするのも限界があるが、九乃の手前、暴言は控えた。吐き捨てそうになると、九乃の膝の上にいる謎のぬいぐるみを見て心を鎮めた。九乃の髪飾りとぬいぐるみの髪飾りがお揃いなことに気付き、こんなに好きなキャラクターがいたのかと首をひねったりもした。
九乃は「おっ」「すごい」「えっ」と素人丸出しの反応を示しながら観戦していたが、ふと冴を向いて、半人分開いていた空間を断りなく詰めてくる。いくらドライでクールな性質な冴といえども動揺を殺すことは出来ず、コーヒーカップを持ち上げかけた状態で硬直した。
九乃は冴の首元に顔を寄せて、においを嗅ぐ仕草をする。
「良い匂いするね。香水?」
「ンまあ……そうだが……」
「凛ちゃんも良い匂いするよね。こっちはシャンプー?」
九乃は冴にしたのと同じように、今度は凛のにおいを嗅ぐ。凛は明後日の方向を向いて固まっていた。
冴はコーヒーカップを置いて、凛のにおいを嗅いでいる九乃を引きはがした。
「お前、パーソナルスペースをご存知ねぇのか?」
「ご存知だよ」
「距離感狂ってんぞ」
「あ、ほんと? ごめん、近かったら言って」
九乃はけろりと笑って、何事も無かったかのように観戦を再開する。
冴は、五年前もこんなだったかと記憶を辿り、こんなだったかもしれないと気付いて頭を抱えた。なにせ冴は一三歳で、凛も含めて九乃とは大変仲が良かったのだ。一三歳として出会ったならばともかく、その時点でかなりの親交があったし、冴は九乃を色んな意味で慕っていたので、スキンシップを拒んだことはない。
それにしてもガワも中身も一八歳の男にこんなことするか? するんだろうな。
横目で凛を窺うと、こちらも頭を抱えていた。
冴は大きくため息を吐く。そばにいる理由を獲得したとはいえ、弟枠からの脱却難易度が高すぎる。
「トークグループってどうやって組むの?」
「……ちなみに誰とだ」
「冴ちゃんと凛ちゃんとわたし」
地獄を生み出そうとするな。
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