scene8 幻影


 フロック家がいくら大貴族といえども、屋敷に牢屋などない。重要人物のために、一室を牢として使用していた。増改築を繰り返した結果出来た、外からも中からも把握しにくい場所にある部屋だ。
 調度品は運び出されているが、壁紙や照明はそのままだ。元が何の変鉄もない洋室であるため、逃亡対策措置は非常に浮いて見える。窓には鉄格子、ドアには鍵と見張りがついていた。
 メノウは両手を前で固定され、鎖に繋がれていた。鎖の長さに余裕はあるが、ドアまでは届かない。当然、メノウの筋力では引きちぎるなど不可能だ。

「久しぶり、メノウさん」

 そう言ったのは、取って付けたような笑顔の男。フロック家の長男で次期当主、ジェルマイア家没落時にはメノウ捜索に参加していた。
 メノウは男を見上げ、嘲笑に似た表情を浮かべる。

「お久しぶりです、セドニーさん。右腕の調子がよさそうですね?どうかなされました?」
「……本当、別人のようだな。深窓の令嬢という表現がぴったりだった、おしとやかで従順な子だったのに」

 セドニーの上着の右袖には、腕が通っておらず、体の動きにあらせて揺れる。
 メノウの記憶では彼の右腕は健在で、失ったのはそれ以降と思われた。その予想は正しく、セドニーが右腕を失ったのは、数年前のメノウたちを追う道中でのことだった。
 セドニーは、その時のことをよく覚えている。シャルという、この争いの無い国には似合わないほどの実力を持った騎士は瀕死、あとは無力な夫人と令嬢。森に逃げ込んだことが分かり、もう逃げ場はないだろうと油断したその時。閃光がしたと思った瞬間に黒に飲み込まれ、竜巻に巻き込まれたかのような衝撃の中で、セドニーは片腕を失った。優秀な騎士の最期のあがきは、撤退を余儀なくされるほどの被害を生み出したのだ。

「思いの外、しぶとかったようだ。今となっては嬉しい限りだよ。バジリスクがこちらの言葉を全く聞かないということは、資格が返還されていないと早く気づいていれば良かったんだが……国中に被害が出るとは思わなかったよ」
「下準備が足りませんでしたねー」
「そもそも、星晶獣バジリスクに関する情報を、当主への口授しかしないジェルマイア家(お前たち)がおかしい」

 メノウは口を閉じて、挑発するような笑みを浮かべる。ジェルマイア家令嬢としてのメノウとはかけ離れた表情だ。
 セドニーは鼻で笑うと、左手でメノウの髪を鷲掴んだ。ギリギリと力を込め、痛みに顔を歪めたメノウを睨む。メノウもまた睨みかえす。

「バジリスクに会えたら勝算があると思ったんだろ?残念ながらメノウさん、そうはいかない」
「……バジリスクと会わないと、いくら私の言葉でも届かない。早くバジリスクをとめないと、国民の被害が」
「『メノウ・ジェルマイアの名に誓い、フロック家への協力を惜しまない』」
「宣言するとでも?」
「するさ。僕らはバジリスクへの魔力供給を止めない。メノウさんがバジリスクをコントロールしないかぎり、国民への被害は止まらない。宣言してくれたら、バジリスクのところへ案内するよ。僕の名に誓ってな。……素直に言うとは思ってないけど」

 セドニーはメノウから手を離した。セドニーはメノウよりも年上であり、幼い頃のメノウも知っている。メノウは脅しに簡単に屈するような性格ではないと思えるし、利口でプライドが高い。何か決めた事があれば、貫き通す頑固さもある。
 例えば、メノウが仲間の到着まで動かないと決めていたなら、言葉で脅そうが肉体的に痛め付けようが、言いなりになどならない。
 だからといって、セドニーも悠長に構えてはいなかった。毒を付与されるのはフロック家の者も例外ではない。薬を優先して流し、術具を装備し、魔導師もいるが、いずれ限界はくる。また国民の被害が続いて国が弱っていくのを眺めるにも限度がある。

「出来ることはするぞ。僕はそういった野蛮なことなどしないがな」

 セドニーは、二人の男を部屋へ招いた。ただの雇われではなくフロック家に仕える者で、町で見かけるならず者のような軽薄さはない。メノウを一瞥して、セドニーの指示を待っていた。

「お嬢様が協力したくなるように頼む。殺しはするなよ、ジェルマイアの直系は彼女だけなのだから」

 彼らは短く返事をして了承した。セドニーは、メノウに向けてにこりと笑ってから退室する。
 メノウは騎空団に入ってからというもの、様々な体験をしたが、単独で捕らえられるのは初めてだ。拷問の経験もない。覚悟はしているし、フロック家に協力するつもりがみじんもないのは揺らがないが、少なからず不安はある。しかしそれを表面には出さない。
 男の一人が、メノウの顎を掴んできても、気丈な態度で吐き捨てた。

「私に、触るな」





 星晶獣は、覇空戦争で星の民が用いた兵器だ。戦争が終わった今、各地で星昌のかたちをとって眠っている。
 各地の文化や信仰と一体化しているものも多い。
 眠っていれば穏やかなものの、暴走するとひとたまりもない。星晶獣は星の民にしか制御できないため、天災として受け止められる。
 バジリスクも例外ではない。星の民によって造られ、兵器として振るわれた。鋭い爪と牙をもち、触れたものは毒に侵される、命令に忠実で狂暴な獣――だったらしい。
 星晶獣が、星の民ではない貴族の家系の言葉を聞き届ける理由は、その当主にのみ語り継がれている。





 セドニーは慎重な男である。ジェルマイア家直系が手元になくともバジリスクを利用出来るよう、魔晶――帝国軍が秘密裏に用いているものとはまた違う、オリジナルのものだ――を用意し、私兵を育成し、万一に備えて薬の用意も十分に行っていた。
 メノウの生存により、バジリスクがセドニーらに耳を貸さないという点を除いては、計画通りにバジリスクは眠りから目を覚まし、眠っている時とは比べ物にならない力をふるった。
 予想されるリスクに対しての備えは万全なのだ。セドニーが予想出来なかった要素がいくつか存在しただけで。
 一つ目が、メノウの生存。これにより、フロック家がバジリスクを掌握することが不可能となった。
 二つ目に、騎空団の実力。帝国軍や星晶獣と渡り合うだけの戦闘力は、並みの兵士など目ではない。
 そして、三つ目。セドニーにとってメノウは、弓が得意なご令嬢であり、魔導師で騎空士で戦闘員という認識がなかったのだ。



 メノウが捕らえられて数日が経ち、セドニーは焦り始めていた。
 メノウの仲間に、かの騎士団団長が身を置いていることは報告されており、騎空団がメノウ奪還に乗り込んでくることを懸念していた。
 襲撃される前にバジリスクの飼い主(メノウ)を殺してしまった方が得策なのでは、という案が具体性を帯びてきていた。



 セドニーがメノウの監禁されている部屋に入ることはない。メノウをとらえた時のみで、後は二人の男が出入りするだけだ。
 セドニーの指示通りにメノウに乱暴する男たちだが、メノウはそれに屈服などしない。痩せ気味の体がさらに細くなり全身に傷と痣を作ってもなお、メノウは欠片も従う様子を見せなかった。
 男たちは屈しないメノウにも急かすセドニーにも苛立ち、煙草を吸う時間が増えていた。
 部屋の隅でぐったりと横たわるメノウは、意識があるのかも分からない。男たちは襤褸布と化したメノウに舌打ちをこぼし、報酬を減らされる可能性について言葉を交わしていた。
 気が向いたら、またメノウに当たればいい――そんな油断しきった心境でいたために、メノウが口角を上げたのには当然気づかなかった。
 ジャラジャラ、と鎖の擦れる音で哀れな女を見ると、拘束具であった鎖が一部破壊されている。
 男たちがほうけている間に、メノウは窓の鉄格子を一部破壊して、流れるように飛び降りた。
 セドニーに誤算があったのと同様に、メノウにも誤算はあった。
 街の聖堂でバジリスクが応答したように、メノウはバジリスクの実体や星晶を前にせずともコミュニケーションをとることが出来る。何か繋がるものがある、あるいは近くであれば声は届く。本来ならば、セドニーの屋敷――バジリスクへ魔力を送り込むための仕組みが、バジリスクとメノウを繋ぐはずだった。メノウはそう考えて、自ら捕縛されたのだ。
 だが、バジリスクは自我を保っておらず、メノウの声は届かなかった。聖堂で声が聞こえたからと甘く考えていたのだ。
 予定が狂ったメノウは、大人しく、仲間の救援を待つことにした。彼らならば自分を放っておくはずがない。メノウが特別なのではない、あの騎空団にとっては議論が必要とされないくらい当然のことだ。
 衰弱しきった体でも冷静さを失わなかったメノウは、ここ数日で聞いたことのない喧騒を獣の耳でとらえると、早速行動を開始した。
 今まで大人しかった人質の暴挙に、見張りは反応できない。メノウは手の中で魔力を弾けさせて鎖と鉄格子を破壊すると、迷わず窓を割った。
 部屋は三階だ。窓の外には丁度池がある。メノウは魔力で衝撃を相殺しつつ、派手に飛沫を立てた。金槌でないことに心底安堵しながら岸にむかって泳ぐ。
 陸に上がると、予想以上の体力低下に舌打ちをした。
 ぼろぼろになっている服を脱ぎ捨ててインナーのワンピースだけになると、すぐにその場を離れる。
 彼らならば、自分を探すのではなくバジリスクの所へ向かうはず。メノウはそう判断し、親しい気配に向かって駆けだした。


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