scene10 高揚


 王都の広場にて、メノウは一人、群衆の前に立っていた。
 ボロボロになってしまった洋服を改め、上流階級御用達の衣装店で用意した洋服は、大貴族当主としてふさわしいものである。
 王の紹介で姿を現したメノウに、群衆は探るような視線を向けたが、メノウが名乗った途端にそれは警戒や敵意へと変わる。
 かつて国に混乱をもたらした貴族の直系であり、現当主の立場である人物の登場なのだ。今この場も、国中を巻き込んだ騒動の顛末を知らせるために催されたもの。――またしてもジェルマイア家の仕業か、と民が思うのも不思議はなかった。
 名乗りによって巻き起こるブーイングにも、メノウはひるまない。ただ一言告げれば、この国の人々は耳を傾けてくれると知っているのである。

「私、メノウ・ジェルマイアの名に誓って、事実をお話しいたします」




 メノウは故郷を訪れることになると決まってから、過去にもケリをつけることを決めていた。
 辺鄙な村にいながらも、居場所を突き止めたネリウス家がメノウらを気にかけていたり、いざという時にはサフやメノウが協力を仰げるよう、連絡経路を確保していたことを知っていたからだ。何か行動を起こせばきっと協力してくれる、と。
 そしてサフは、メノウがジェルマイアとして一件を引きずっていることを重々承知していた。きっとなにかやらかす、と。
 メノウを保護した後、一行はサフが手引きした宿に向かい、手厚い歓迎とサフとの再会、そしてネリウス家関係者との対面を果たした。けろりとした顔で母親にどやされネリウス家の従者に歓迎されるメノウに、グランらがまた脱力したのは余談である。
 グランたちは、サフから指示を受けてはいたが、ネリウス家の協力もサフが村から出ていることも知らなかったのだ。
 フロック家に正面から喧嘩を売ったことで、ネリウス家や王族に追われることすら覚悟していた。が、杞憂だったと言う訳だ。
 そこからはとんとん拍子に話が進んだ。
 ネリウス家と王族はジェルマイア家没落時からフロック家に懐疑的であり、真実に近づきつつあったこと。フロック家の爵位剥奪は既に決定事項であること。星晶獣を管理するため、ジェルマイア家遠縁の者が準備を整えていること。一部貴族からは既に協力をとりつけていること。等等。
 メノウは療養の傍ら、それらの事態を詳細に正確に把握した。ジェルマイア家の再興はもとより望んでいないので、それに関しては何も言わなかった――それに関しては。
 サフの呆れた声での説教や仲間からの責めや身を案じる言葉は甘んじて受けたのだが、ことあるごとにランスロットを差し向けてくるイオやロゼッタやロザミアやオイゲンには、いい加減にしてくださいと頭を下げた。
 休まるものも休まらない。彼らなりの励ましであるとは分かっているのだが、思い出してほしい、メノウはランスロットの名も易々と呼べないのである。
 荒治療のお陰でメノウがランスロットと以前のように話せるまでになると、体力もほぼ元の貧弱具合まで回復した。
 ロゼッタからは、傷よりもランスロットとの関係の方があなたにとっては重要みたいね、と心底楽しそうに言われた。
 否定できなかった。




 メノウは時間をかけて、客観的に一連の事態について説明した。この国の人々にとって裏付けなどは必要なく、メノウが話しているということこそが何よりの証明になる。
 広場には、全員ではないが、騎空団団員も足を運んでいた。
 民衆の前で背筋を伸ばし堂々と語る仲間を見上げ、皆表情は柔らかい。

「メノウは、自分がメノウ・ジェルマイアであると、ずっと名乗りたかったのかもしれないな」

 目を細め、ランスロットは呟いた。背負うべきものを背負う、ということを格好いいと口にしていた彼女は、家の再興はともかくとして、ジェルマイア家の人間であることに誇りを持っていたのだろう。
 偽名を名乗る訳にもいかず、ただのメノウであることを良く思っていなかったのかもしれない。

「でも、ちょっと寂しいなあ。すごい人が仲間になってくれると身近に感じて嬉しいけど、初めから親しみを持ってた仲間が実はすごい人だってなると、なんか寂しいなあ」

 もごもごと、拗ねたようにグランが言う。仲間の晴れ舞台を祝う気持ちに嘘はないが、まだまだ若い団長は、姉を慕う人物の出生に少しばかり距離を感じていたのだ。グランを中心として固まっていた騎空士たちは、苦笑しながらも同意を示す。
 ランスロットは、分からなくもないと言いながら、グランの猫背を軽く叩く。
 ここが自分の場所であると全身で語るメノウは、ランスロットを直視できないとベッドに潜ってイオに笑われていた人物だとは思えない。
 眩しいものを見るようにメノウを見つめていると、不意に視線が合ったような気がした。普通なら気のせいだと片づけるところだが、メノウが素早い動きで己の頬をビンタしたので、気のせいではないらしい。
 メノウは何食わぬ顔で話を続けているが、広場は少々困惑していた。
 メノウの奇行に噴き出す者も数名。ランスロットも、相変わらずのメノウに思わず笑った。





 メノウは故郷と言ってもいい辺境の村を出てから、グランサイファーを見送る、ということをしたことがない。仲間との別れや良くしてもらった人々との別れならば何度も経験したが、艇に乗らない立場は初めてだ。
 メノウはまだやることがある。フロック家の抜けた穴埋めと、星晶獣管理についてきちんと機能するか見届けなければならない。ジェルマイア家の人間として、今度こそ、役割を果たさなければならないのだ。
 騎空団はしばらくこの島に留まっていたが、混乱が落ち着くと、出発の準備に移っていた。寄せ集めのような騎空士たちだが、騎空団にはイスタルシアを目指すという大きな目的がある。シェロカルテを通じて入る依頼での資金稼ぎも重要だ。

「なーあーメノウー」
「んー?」
「オイラいつまでこうしてればいいんだー?」

 グランサイファーを見上げるメノウに撫で繰り回され続けるビィが、とうとう脱出を試み始めた。

「オイラもリンゴを積み込まないと」
「さっきローアインたちが積んでたから、安心しなよ」
「メノウは何か準備ないのか?」
「おろさなきゃいけないものはおろしたよ。あとはお見送りするだけ。……グランが、部屋、キープしててくれるって言ってたから、置いてていいものは置いてるけど」
「なんだあメノウ、寂しいのか?」
「そりゃあね」
「ったく、仕方ねえなあ。おーいランスロット!」
「ヒッ」
「ぐえっ」

 荷物積みで団員がうろついている中で、たまたま、近くをランスロットが通りかかり、たまたまビィと目が合っただけだ。イオたちと違い、ビィに他意は全くない。
 ビィは息苦しさにもがき、どうにかこうにかメノウの腕から抜け出した。首をかしげながら近づいてくるランスロットに、しっぽでメノウを示す。

「寂しがってるメノウの相手をしてやってくれ。撫でまわされて、オイラはもうクタクタだぜ……」
「ああ、任されよう」

 くたびれたビィと入れ替わりで、メノウの傍にランスロットがやってくる。
 メノウはランスロットが近づくにつれて目を逸らし、グランサイファーを見上げた。

「別れるというのは、どういう形で会っても寂しいものだよな」
「うん」
「グランも寂しがってたぞ」
「あー広場の時だっけ。ロザミアから聞いた」

 直視できない、名を呼べないといっても、メノウはランスロットを好いている。グランたちと別れるのとはまた違う寂しさを感じていた。
 今生の別れではないし、メノウ自身、いずれは騎空団に戻るつもりでいる。それが半年後か、一年後か、その先かは分からない。
 そして伸びれば伸びるほど、諸国遊学で騎士団を離れているだけのランスロットと再会できる可能性が低くなっていく。
 メノウはちらりと隣を見て、ランスロットと目が合うと勢いよく顔を逸らした。一呼吸置いて落ち着いてから、少しだけ笑った。

「私さ、思い出したことがあるんだ。あの日、助けてくれた黒竜の騎士のことで」
「ああ」
「緊張しっぱなしの私を見かねたんだと思うけど、彼、結構ペラペラ話してくれて。故郷のこととか、仲間のこととか。でも一番よく話してたのは、幼馴染って人のことだった」
「……雲行きが怪しいな」
「はは、やっぱり。その人の幼馴染さんって、小さいころから腕が立って勉強も出来て、けどとっても悪戯好きだったんだって。今は副団長にまで出世しちゃったから頑張らないといけないって鼻息荒かったよ」

 フロック家の者たちから逃げていた日のことを、メノウは忘れたことなどなかった。けれど、記憶のほとんどは、亡くなった近衛が占めていた。
 他愛ない話をした覚えはなかった――していたことを、すっかり忘れていたのだ。

「人間不信をこじらせてた私に、彼、大丈夫だって言ってたの。『俺が助けてやるし、次なんかあったら、そん時はランちゃんも引っ張ってくるからな!』なんて。……実際、こうしてランちゃんに助けてもらったし」
「ランちゃんはやめてくれ……あいつ、クセになってんだよ」
「今も騎士団にいるの?」
「ああ、もちろん。名前は、」
「待って、それはいいよ。いつかちゃんと聞きに行く。で、私もちゃんと名乗りたい」
「なら、またフェードラッヘに来る時には、俺が案内するよ」
「騎士団長の時間をもらえるなんて光栄だね」

 荷物の積み込みが終わったのか、団員が艇に集まっていく。乗り込んだ団員は甲板に集まり、地上を見下ろしていた。
 話し込んでいるランスロットとメノウを急かすような呼びかけはないが、艇の出発はもうすぐだ。ランスロットは当然乗り込まなければならないし、メノウは艇から離れて、ネリウス家や街の人々と見送らなければならない。
 メノウは気合を入れると、しっかり体ごとランスロットの方を向いた。見上げれば、ランスロットの顔が近い。
 逸らすな逸らすなと自分を励ましながら、体の横で手を握る。

「あの、あの時言ったこと、」
「俺はまだまだ未熟者だと思ったよ」
「はい?」

 出鼻をくじかれて呆けるが、その体勢のまま、大人しくランスロットの言葉を待った。

「メノウは俺のことを格好いいと言ってくれるけど、俺は、家を名乗れなくなっても一人で立ち向かったメノウのことを、格好いいと思う。自分のすべきことを見失わずに、自ら真実を明らかにしたこと……とてもかっこよかった。だから、今はまだ待ってくれないか」

 向き合って言われるそれに、気合を入れていた耳がへたれる。
 近くで見るランスロットは、一国の騎士団長にしてはとても綺麗な顔立ちで、メノウの心臓は忙しない。この見た目で腕が立ち、頭も切れるというのだから、あの黒竜の騎士が自慢げに語るのも納得できる――そう無理やり思考を逸らそうとするが、目の前にいるとあっては上手くいかない。
 固まるメノウに、ランスロットはふっと笑う。

「俺が白竜騎士団の団長として、一人前になったら。その時は、俺から言わせてくれ」

 色白のランスロットの顔が、ほんのり色づいているのを見て、メノウは自分の勘違いではないと気づいてしまった。
 今なら苦手な火属性魔法を問題なく行使できるのではと思うほど、全身が熱を持っていた。
 メノウは、へたっていた耳にもう一度力を入れる。

「な、なら私も!負けないように、頑張る。この国で役目を果たして、もっと格好良くなって、ランスロットに会いに行くから」

 再会がいつになるかは分からないが、さらに格好良くなるらしいランスロットに相応しい存在になりたいのだ。




 メノウは見送りの人々に混じって、艇に大きく手を振った。
 街の人々も、活躍した騎空団に声をかけ、手を振り、旅の無事を願って声を上げていた。対して艇からは、団員が口々にメノウの名を呼んでいる。
 エル―ンとして耳のいいメノウは、しっかりそれらを拾っていた。

「メノウー!ちゃんと飯食えよー!」
「あんまり無理しないでねー!」
「待ってるからな!」
「メノウ!今までありがとうー!また旅しようなー!」
「ユーステス捕まえておくから楽しみにしてろよー!」
「ご飯抜いちゃだめだからねー!」

 メノウは手を振りながら思わず笑っていた。素敵な仲間たちね、とサフが呟く。それに大きく頷いて、メノウも息を吸った。
 少し前までの寂しさが嘘のように、晴れやかな気持ちだった。

「皆ありがとう!またね!!」

 厄介ごとを喜んで引き受けてしまうような優しい騎空団が、これからも笑顔の絶えない旅が続けられるように。
 そんな騎空団の一員として旅をしたことに恥じないように。
 そして、自分を格好いいと言ってくれた騎士の前で胸を張れるように。
 離れていく艇を見送るメノウの表情は、心からの笑みだった。


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