スコッチ、ロックで


 駅近く、観葉植物と古家具が目を引く一角で"BarLoung Coucou(ククー)"は今夜も営業している。coucouはフランス語で、日本語だと「かっこう」と訳されるが、くだけた挨拶のような意味がある。
 オーナーは五〇歳を迎えたばかりの男性で、アルバイト二人を含め、従業員は三名。
 山田一郎は、アルバイトの一人である。"太郎"とよく間違えられるが一郎だ。余談だが、太郎は一つ下の弟の名前で、弟はあだ名が"次郎"なのだからややこしい。
 Coucouは洒落た外観とアンティーク調の内装、さらに紳士が服を着たようなオーナーの人柄が人気で、女性客を中心に常連客も多い。平日であっても閑散とする日はなく、イベントとなれば満席。のんびりと語りながら酒を傾ける客がほとんどなので、満席でも手が回らないということにはならない。
 ここ数日は、カップルでの来店が多い。理由は簡単、世間はクリスマスなのだ。
 現役大学生の山田も彼女持ちで、彼女とはクリスマスイブを過ごしている。イブを恋人と、クリスマスを家族と過ごすのが最近の傾向のように感じるが、山田は一人暮らしなため、家族とのイベントによる制限がない。付け加えるならば、イブである昨日に頼み込んで休みをもらったので、クリスマス当日は働くと決めたのだ。
 アルバイト仲間の橙茉凌が、イブにせっせか働いてくれたお礼に。小さい娘がいるらしい彼が、クリスマスの夜を少しでも家族と過ごせるように。
 それでも今日は開店時どうしても忙しく、シフトには橙茉も入っていた。夜の九時になり、橙茉がスタッフルームへ引っ込んだのがつい先程である。
 今度娘さんの写真を見せてもらおうかなあ、と思いながらカウンターから店内を見回したところで、山田は首をかしげた。
 山田の真ん前のカウンターチェアに、酒場には相応しくない客が一人。一体いつの間に。未成年どころか、未就学児である。
 今いる客の子供だろうか。いや、これほど可愛らしい子供ならば覚えているはずである。

「えー……っと。お嬢さん、お父さんとお母さんはどうしたのかな?」
「パパを、迎えにきたのよ」
「パパ……?」
「凌はいるかしら?」
「しのぐーー橙茉さんの娘さん!?」

 似てない!と心のなかで叫ぶ。橙茉はどこにでもいるようなあまり特徴のない顔立ちだが、目の前の幼児はどうだろう。母親のいいとこ取りをしたのだろうか。
 ゆったりとした口調は年不相応に老成しているように聞こえるが、妙に似合っている。

「オーナーに欠席連絡したっていう……」
「ええ、わたくしよ」
「ひぇえ……あ、橙茉さんだよな。ちょっと待ってて」
「わたくしも橙茉さんだけれどね」

 親の携帯を使って職場に連絡をいれる幼児。信じられなかったが、この幼児ならば納得できる。山田よりもよほど長生きしていそうな落ち着きを持っていた。
 ただ子供が座っているだけなのに、超大物芸能人と対面しているかのように錯覚する。山田は、逃げるようにスタッフルームへ向かった。




 凌は、カウンターに我が物顔で座る錦に「よく補導されなかったな」と脱力感いっぱいに声をかけた。錦が今でも時折、深夜徘徊に出掛けていることなど露知らず。
 凌も、バイト仲間の山田から「娘さん来てるんですけど」と早口で言われた時には驚いたが、錦だからなあ、とすぐに納得してしまったのだ。納得しつつも、凌の内心は、苦々しい思いで一杯だったのだが。
 父親を迎えに来る幼女など意味がわからないが、実際に来てしまった以上、一緒に帰る以外の選択肢などない。
 オーナーの佐伯、山田、他の常連客にひとしきりいじられてから、橙茉親子は帰路についた。
 凌の右手には錦、左手にはケーキ箱の入った袋。四号のクリスマスケーキを予約していたことは錦には秘密にしており、帰宅後に驚いてもらおうと思って準備していたのだが、帰宅前にバレてしまった。驚く顔が見れなかったのは残念だが、喜んでいたのでよしとする。

「で。なんでわざわざ?日が落ちるのが早いから、あんま出歩くなって言ってるだろ?」
「わたくしとのクリスマスデートは、お気に召さないかしら?」
「大変光栄ですがね……」
「……わたくしも、浮かれているのかもしれないわ。街が浮き足立っているのに、家で凌の帰りを待つのは、なんだかもったいない気がしたの」
「そういう言い方されると、怒るに怒れないだろ」
「防犯ブザーは持っているわよ」
「是非そうしてくれ」
「それと……クリスマスプレゼントを、あなたに」

 錦が小さな鞄から、シンプルな封筒を取り出した。凌は錦に食事代程度の小遣いしか渡していないので、どうやってプレゼントをこしらえたのかと思ったが、なるほど手紙ならば安価で用意できる。
 封筒を差し出す錦の表情は複雑で、珍しく躊躇いが見られた。一体何を綴ってくれたのだろう。歩きながら読むわけにもいかないので、帰宅してから見ると告げると「わたくしのいないところでね」と目を逸らされる。

「楽しみにしてる。ありがとな、錦」
「……ノーコメントで」
「ほんとに何書いたんだよ……」
「凌こそ、ありがとう。甘い、いい香りがするわ。帰ったらお茶にしましょう」
「遅いからダメだ、と言いたいんだが……錦は起きてるだろうなーとか思って、こんな時間にケーキ持って帰る俺が悪いんだよなあ」
「ちゃんと、眠る前には歯磨きするもの。問題はないわ」
「大有りだわ。……でも、まあ、クリスマスだしな。クリスマスと年越しの夜更かしは仕方ない」
「もーいーくつ寝ーるーとー?」
「そうそ」
「お正月?の曲よりも、わたくし、クリスマスソングの方が好きよ。英語、というのかしら」

 「We wish you a merry Christmas, 」家でもハミングしていた歌を、抜群の発音で口ずさむ。英語が話せるわけではないらしいが、いつの間にか英語歌詞も日本語訳も把握していたので、そのうちネイティブ並の英会話力を身に着けそうだ。
 俺の娘ハイスペックだなあ、とゆったりしたテンポの歌声に耳を傾ける。

「――あ、雪だ」

 どうりで冷え込むわけである。凌は、錦と繋いでいる方の手を上着のポケットに突っ込んだ。
 凌は、白い息を吐き出して歌う錦を見下ろす。雪の降る中を歩くにしては薄着だ。寒さに強いのか、錦は普段からあまり「寒い」と言わない。見ている凌が寒いので、明日からはもっこもこの上着を着てもらうつもりである。
 凌の部屋に隠してある、本当のプレゼントだ。
 寒さをものともせず歌う錦の声は、冷えた空気によく響く。行き交う家族連れやカップルが錦を見つけては、感心したような声を漏らしていた。
 ――楽しいクリスマスをあなたに!
 何度もそう繰り返す錦は、見た目相応に、クリスマスを楽しんでいるようだった。




 例の封筒の中身は、力いっぱい色鉛筆をこすりつけた不器用な絵。色使いとイラストの大きさから、凌と錦が書いてあるのが分かる。
 凌はぎょっとしたが、余白の「いつもありがとう。MerryChristmas!」という達筆に、作・錦であることを確信した。
 凌は錦の知らないところで腹を抱えて、涙が出るほど笑った。落ち着いてから、己の画伯具合を察しているらしい錦本人から返却を求められては困ると、隠すように引き出しに仕舞った。

「……ん?あいつ、色鉛筆なんて持ってたのか?」



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