謎の女の子


 凌とスーパーに向かう道すがら、見知らぬ男女に声をかけられた。
 錦はそれとなく隠されながら、初対面の二人組を見上げる。様子を窺うように凌に声をかけた二人組は、ちらちらと錦をうかがっている。危険な印象は受けないので、錦はひとまず警戒を緩めた。

「あの、突然お声掛けして申し訳ありません。私、こういう者でして……」

 男の方がぺこぺこ頭を下げながら、凌に白いカードを手渡す。錦からは全く見えないが、どことなく凌の様子が変わったように感じた。のけ者にされるのは面白くないと、錦は軽く凌の手を引いた。
 凌から錦の手に渡った白いカードには、長ったらしい所属と、男の名前らしいものが書かれてあった。錦には分からないが、この中に凌が引っかかるワードがあったのだろう。
 なぜか凌は遠い目をしていた。

「それで、アパレル広報の方が何の御用ですか」
「失礼ですが、その、娘さんはどこか事務所に所属されておられたりは……?」
「……いや、ありませんけど……」
「単刀直入に申しますと、娘さんをスカウトさせていただきたく……。私どもは普段、女性向けのフェミニン系洋服を扱っているのですが、子供服にも着手することになりまして。是非娘さんに着ていただきたいのです」
「この子はまだ小さいですし、そういうのは考えてませんので」
「お話だけでもいいんです、一度、事務所に来ていただけませんか。娘さんとも相談していただいて……」

 男と凌が話し込んでいる間、女は視線を動かして落ち着きがない。男の斜め後ろに立って、熱心な男を応援するように頷き、期待を込めた目で凌を見て、そして錦と目が合った。
 錦が首を傾けると、女は口元を手で覆う。そのままそっと笑みを深めると、女は頬を紅潮させて眉を寄せていた。錦は、今の外見で、これほどまでに己に陶酔する人間に会ったのは初めてだった。
 俗な言い方をすれば、錦は女にとって"ドストライク"なのだろう。

「娘さんは、モデルに興味は?」
「いやあ、気難しい子ですので」
「多くはありませんがお礼を用意します。着用した洋服もそのまま差し上げますし、体験感覚でも構いません。私はこれほど、才能を感じる子を見たことがありません」
「才能……。だそうだが?」

 凌に話をふられて、女の反応で遊ぶのを止める。凌の声は何となく疲れていて、本人が断れば男も強制はしないだろう、という考えがありありと伝わった。
 錦は、男の熱い視線をひとまず流す。

「凌は、どう思うの?」

 錦からの問いかけが予想外だったのだろう、凌は一瞬返答に窮したように見えた。

「え、やりたいのか……?」

 目立つのはご法度だが、凌は錦の意思を尊重するらしい。
 錦は困惑する凌をよそに、男に呼びかけた。男は、慌てたようにひざを折る。父親(仮)すら呼び捨てにする錦の態度に、いくらか面食らったようだった。

「一回きりというのならば、考えるわ」
「っあ、ああ、それでもいいよ。もし楽しかったら、また教えてくれると嬉しい」
「けれど、条件があるわ。それが飲めないのならば、残念だけれど、わたくしのことは諦めなさい」
「ええと、条件って何だい?」
「一つ目は、わたくしを、わたくしだと分からなくすること。顔を隠すのでも、ウィッグでも構わないわ。二つ目は、わたくしとパパのことを一切明かさないこと」
「目立ちたくない、ということか……。それで君がモデルをしてくれるというなら、頑張って考えてみるよ」
「あと、最後に三つ目ね。このわたくしを使うというのなら、生半可な売り上げじゃ、許さないわ。この三つを守れるのなら、日時を連絡してくださるかしら」

 モデルになりたくはない。ちやほやされるのも、錦は慣れている。上等な洋服だって――今は別として――着慣れている。しかし、タダで洋服がもらえることと"お礼"として何か貰える物があるのなら、悪い話ではないと思ったのだ。もとより錦は暇である。
 きっちり素性を伏せてくれるというのならば、乗ってみる価値はある。凌さえ目立たなければ、あまり問題ない。
 すらすらと条件をつける錦に、凌が深いため息をついていた。





 着飾った錦が掲載されたファッション雑誌は、社員の努力のかいもあって、類を見ないほどの売り上げをたたき出した。錦が着用したシックなフォーマルワンピースは、日本だけでなく海外でも、高級志向のママさんを中心に売れに売れた。
 それはテレビで取り上げられるほどで、モデルの女の子についての憶測も飛び交ったが、情報が漏れることは一切なかった。
 写真の錦は、ウィッグをつけ、ヴェールを被っており、口元が辛うじてわかる程度だった。それでも隠せない気品と高潔。真っ赤なルージュの唇が弧を描いている写真は、とても幼い子供には見えない。マスコミが取り上げた際には"妖艶""色香"といった、およそ子どもにはふさわしくない言葉が添えられていた。
 被写体となった"お礼"は、あるレストランでの食事券だったが、雑誌とワンピースの売り上げを鑑みて、温泉旅館の宿泊券が後日追加された。

「正直さ、今まで、ああやって声をかけられなかったことが意外だった」
「近寄りがたいのでしょう」
「……本当にモデルの道に進む?」
「それは考えていないわ。わたくしが、人前に出る職業に就くとなると、色々不都合もあるもの」
「ずいぶん謙虚じゃないか」
「わたくし、無用な騒動は嫌いなの」
「その割には、錦、自分の外見を誤魔化すことってしないよな?ほら、俺みたいにさ。"そうと思わせない"ってやつ?錦も普通の女の子に見えるようにしたら、スカウトとも無縁だろ」
「わたくしが、自身を誤魔化す必要がどこに?」
「なるほどなるほど」
「それに、気に入っているもの」

 錦は自分の顔を指す。凌には失笑を返された。
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