ベタに花とケーキを


 山田一郎は、バイト先に客として訪れた。空いているカウンターに座り、ため息をついてうなだれる。山田は彼女を怒らせて少々凹んでいた。

「はあ……」
「どうした?今日デートだったろ」
「ちょっと失言を……」
「あはは」
「笑い事じゃないんですけどー」
「別れ話でもされたか?」

 カウンターの中にいた橙茉が、ロング・アイランド・アイスティを出す。

「されてません!でもあれは怒ってた。あ、カクテルありがとうございます……」

 橙茉の微笑ましそうな表情が居たたまれない。若いなあいいなあといわんばかりだ。

「橙茉さんは、奥さんと喧嘩したりするんですか?」
「……隠してる訳じゃないんだけど、俺、嫁さんいないんだ」
「えっすみません。でも気になるんで、大丈夫なら教えてほしいっす」
「彼女が妊娠したことに気づく前に、別れちゃって。彼女、一人で産んだんだけど、子供……錦は、彼女の家族に受け入れられなくさ」
「あ、本当に教えてくれるんすね」
「錦も知ってるしな。……それで、俺が錦の事を知ったのは、彼女が事故で亡くなった時だったんだ」
「それで橙茉さんが引き取った?」
「うん。あっちの家族ももて余してたから、すんなりね。俺は勘当されたけど」
「昼ドラじゃん」
「だろ?」

 うひゃあ、ドロドロだ。失礼と知りつつ口元を歪めると、橙茉はなんてことないように苦笑する。つるっと話してくれたことといい、彼の中では整理されている出来事なのだろう。
 
「錦ちゃんも大変だったんだなあ……」
「まあね。あんな感じだから、同年代の友達がいるのかどうか……」
「いくつでしたっけ?」
「今年六歳で、来年小学校だよ」
「橙茉さんとこって、校区どの辺になるんすか?」
「いや、私立。帝丹受かったんだよ」
「えっすげえ」
「俺もそう思う」
「お祝いとかしたんすか?」
「カニカマのフルコースした」
「えっ」

 カニカマとは、あのスーパーで売られている蟹を模したかまぼこのことだろうか。山田の疑問を察して、橙茉が「思い浮かべてるので合ってるよ」と苦笑する。
 色合いとしてはおめでたいかもしれないが、祝いの席に並べるならば本物の蟹にしろよと思ってしまう。

「錦の好物なんだよ、カニカマ」
「カニカマ……」
「舌が肥えてるみたいだから、高い菓子とか食事より、本人の好きなカニカマの方がいいかと思ってさ」
「どうでした?リアクションは」
「こっちが申し訳なくなるくらい喜んでたよ」
「ぶははっ!良かったじゃないすか!」
「あとは、そうだなあ……友達に万年筆もらってた」

 再び落とされる爆弾。

「待って、小一で万年筆?俺も持ってねーよ。あげる方もどうなんすかね、それは」
「友達からもらったらしい、俺知らないんだけどさ。多分大人なんだろうけど……。錦は喜んでたから、いいかなって。怪しいヤツに懐くような子じゃないし」

 自分の子供が、見ず知らずの大人と友人関係にあるというのは、こんなに簡単に流せる問題なのだろうか。
 結婚したことがなく、もちろん子育てもしたことがない山田には分からない。

「自慢の娘ですねえ。すっげー可愛いし。彼女、相当美人だったでしょ」
「あははー」

 濁すような笑い方だ。これはとんでもない美女の予感。
 山田からみた橙茉の印象は平々凡々な日本人だが、その実、人当たりがよく話が上手いと同時に聞き上手で、器用で真面目、身長も筋肉も充分ある。美女を射止められるのも納得だ。

「他の女の人なんて目に入らなくなりそ……橙茉さんモテそうなのにもったいない」
「えっ俺が?」
「これで“眼鏡とったらイケメンでした”なんて――」

 山田はテーブルに手をついて、向かいにいる橙茉の眼鏡をひょいと奪う。橙茉はグラスを持っていたせいで反応できなかったらしく、一瞬呆けていた。
 眼鏡は即座に奪い返される。山田は狐につままれたような不思議な気分で、カウンターチェアに座り直した。

「眼鏡ないと、一気に大人の男って感じがする……」
「はは、どーも」
「つか橙茉サン。それ伊達なんだ。オシャレ?」
「落ち着いて見えるだろ?」
「俺は無いほうがいいと思いますけど。女うけ的に」
「おじさんは娘を育てるのに手一杯だから」
「はーもったいねー」

 息を全て吐き出しながらテーブルに突っ伏す。丁度橙茉が呼ばれたので山田の話し相手もいなくなる。
 しかし、人のなれそめを聞いていると、無性に彼女に会いたくなる。美女ではなく、スタイルも普通で、甘いものに目がない、割りとどこにでもいる女の子。ただし困り顔の笑顔が最高に可愛いのだ。

「……」

 山田はもぞもぞと携帯を取り出して、ご都合をうかがうメールを送った。
- 34 -

prevブラックダイヤに口づけnext
ALICE+