せめてコウモリと言って


 変装の達人で神出鬼没。純白の衣装で夜空を駆け、警察を翻弄する大怪盗――怪盗1412号。彼は怪盗キッドと呼ばれている。
 見るものを魅了する華やかな演出とキザな言い回しで、ファンが多数ついているという異色の犯罪者だ。
 およそ八年前からぱったり活動をやめたことで死亡説も流れていたが、つい最近、再び世間を賑わせることとなった。その"中身"が代替わりしていることは、彼の協力者以外に知る由もない。
 ところで、怪盗キッドは派手な格好に派手な演出を繰り返していたが、一度も警察に捕まったことがない。彼は警察の動きを正確に予測し逃走経路を導く頭脳を持っており、また、それを可能にするだけの身体能力があるからだ。
 新米大怪盗にも十分な素質はあったが、日常生活でハンググライダーを使用することはない。ヘリや車やバイクでの移動が現実的だが、以前の怪盗キッドを踏襲する手前、ハンググライダーの使用は避けられなかった。
 そこは新米とはいえ大怪盗、ハンググライダーの操縦を難なく身につけた。けれど、新しいギミックを仕込めばテストは欠かせないし、犯行前には逃走経路の下見も必要だ。
 ある夜、新しいスーツとハンググライダーのテスト飛行を行っていた。光学迷彩機能の改良だ。科学技術が飛躍的な進化を遂げている昨今、人の目だけではなく機械の目を誤魔化せなければ意味がない。
 使い心地や周囲の目を気にするあまり、電波塔や高層ビルにぶつかりそうになったり、実際にぶつかって破損させたり怪我を追ったり、ということは珍しくない。
 たまには、教会の十字架に引っかかってみたりもするのだった。

「ぅおっ」

 即座にハンググライダーを収納したので大事には至らなかったが、怪盗キッドは教会の屋根にしたたかに体を打ちつけ、地面に転がり落ちるのを必死で耐えていた。全身を使って屋根にしがみつき、蜘蛛男のように移動し、安定する場所で一息つく。
 幸い、骨折や捻挫はない。ハンググライダーは一部破損しているが、応急処置程度で飛べるだろう。
 いてえなコンチクショウ、と悪態をついてハンググライダーを修復していたが、ふと、視界に違和感があった。
 先ほど怪盗キッドがひっかかった十字架のそばに人影がある。じっと目をこらせば、それが子供で、女の子で、じっと怪盗キッドをうかがっていて、ついでに知り合いだということに気づいた。
 怪盗キッドは混乱する頭で、なんとか帽子を深くかぶり直す。今の怪盗キッドはテスト飛行用の真っ黒な装いだが、ハンググライダーでの移動と言う時点で怪盗キッドに結びついてもおかしくない。顔を見られていれば終わりだ。

「みっともない姿をみせてしまいましたね」

 なんとか怪盗キッドらしく、そんなことを口にした。
 
「気にしていないけれど……」

 けれど、なんだ。もしや顔を見られてしまったか。
 そもそもなぜ、深夜の教会の屋上という場所にあの子がいるのだろうか。車の窓から飛び出てくることといい、魔女を名乗る同級生と知り合いであることといい、普通の子どもではないのだろうが。
 
「あなた、大丈夫?人間には痛そうな音がしたわよ」

 心配されていたらしい。少し申し訳なくなる。

「ご心配には及びませんよ」
「ならいいわ。色違いの怪盗さん」
「……今の私が、夜を縦横無尽に翔ける怪盗と名乗るのは、いささか気が引けますが。こうしてコソコソと動いては失敗もする、恥ずかしながら間抜けな存在です。鳥ではなく、ゴキブリが妥当でしょうか」
「害虫駆除をお望みかしら」
「どうぞお手柔らかに」

 顔を見られてはいない、と思いたい。小さな女の子はくすりと笑っていた。
 怪盗キッドはハンググライダーを収納すると、うやうやしく一礼をした。

「夜の静寂にお見苦しいものを……申し訳ありません」
「構わないわ」
「このような曇り空の中のゴキブリではなく、怪盗として貴女をもてなしたかったものです。叶うならば、今度は月光の下で」
「あら、そんなことを言っていいのかしら」

 ほんの少しだけ、彼女の声が弾む。子供らしい無邪気さとは程遠いが、楽しげなのは確かだった。
 怪盗キッドが顔を上げると、彼女はうっそりと微笑んでいた。

「夜は、わたくしの領分よ。羽をもがれないように気をつけなさい」
「……これはこれは。鋭い棘をお持ちのようだ」
「ふふ、冗談よ。闇雲にヴェールを取り去るような、野暮な真似はしないわ」
「感謝します、レディ。では、夜闇に魅入られないうちに、飛び立つことといたしましょう」

 どこからどこまでが冗談なのかはさておき。子どもとはいえ、夜が似合いすぎる彼女の前にいると、確かに取り込まれそうな錯覚をする。昼間に出会った時とは、どこか雰囲気が違うのだ。
 見逃してもらえるうちに別れたほうが、得策だろうと感じた。彼女が自分より優位であると認めることに若干の抵抗はあったものの、違和感を覚えないことが恐ろしい。
 深夜に教会の屋根で何をしていたのかは結局聞けずじまいだが、そういうものなのだろう、と妙に納得してしまう。

「楽しかったわ、怪盗さん」

 彼女はキッドを引き止めることなく、上品にひらりと手を振った。
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