穏やかに補導


 錦は深夜、そっと家を抜け出す。光が来てから頻度が下がったとはいえ、止められるものではない。
 人目につかないよう注意してはいるが、折角の散歩は楽しみたい。そもそも、錦は自分の身を誤魔化すという考えがあまりなかったりする。
 そのため、教会の屋根で黒ずくめの青年と遭遇することもあれば、うっかり現役警察官の前に着地してしまうこともある。

「……?」
「……奇遇ね、陣平」
「は、おじょ、え、どっから……?」
「じゃあ、わたくしはこれで」
「コラコラ待ちなさい」

 ひょいと慣れた手つきで抱き上げられる。
 錦は珍しく苦い顔をした。今夜はひたすら高い位置に向かって移動をしていたのだが、うっかり風にあおられてしまったのだ。幸い、最近は体調も良い上、現在は夜。落下ではなく浮遊しながら地面に降り立つことは容易だった。
 ただ、ご機嫌のあまり着地地点の確認を怠ったのだ。
 松田は、錦が抱き上げられたことに対して不満を感じていると思ったらしく、楽し気に頬をつついてくる。

「深夜徘徊かあ?悪ぃ子だなあお嬢さん」
「つつかないで。お酒を飲んだの?」
「おう。あと二人いるぜ。もちろん警察官」
「……つつかないで」
「お嬢さん、補導されちまぞー?はっはっは、やわけー」
「べろんべろんじゃない」

 松田が上気した顔で、酒臭い息を吐く。錦はぺちぺちと松田の手を叩いて抗議するが、松田はすっかり出来上がっており上機嫌だ。
 そこへ、スレンダーな女性と気弱そうな男性が駆け寄って来た。

「もう、松田君!さっさとお会計して出ちゃうなんて、カッコつけてるつもり?割り勘だって言ってたじゃない」
「と、飛び入りの僕までご馳走になるわけには……!」

 錦は、松田と同じようにほんのり上気した顔の二人を見やる。女性のみ、松田と出会った観覧車の爆弾事件や、コンビニ強盗の際に見た覚えがあった。
 錦は頬を突かれながら、どう振る舞うべきかを冷静に考える。凌や光に知られると非常にまずいのだ。深夜徘徊を止めるつもりは微塵もない。

「ったく、大人しくおごられろよ」
「はいはい、ご馳走様!次は私が驕るから」
「僕もご馳走様でした、ありがとうございます!」
「どういたしまして」
「……で、松田君?略取(りゃくしゅ)誘拐罪で現行犯逮捕すればいいのかしら?」
「誘拐じゃねぇよ。なあ、おじょーさん?」

 錦は頬をつついてくる指をかわしながら、きゅっと眉を八の字にした。

「じんぺいが、なかなかかえってこないから……さがしていたの」
「えっ」
「あら、可愛い!」 
「ほんとだ、すごい美人ですね……!」
「松田君駄目じゃない、こんな小さな子を一人にして!しかも夜遅くに出歩かせて……すぐ連れていかれちゃうわよ!」
「松田さんがいなくて、寂しくなっちゃったんですかね?こんなところまで来てしまうなんて」
「きょうだけ、おとまりするの。でも、じんぺい、かえってこなくて……」
「えっ」

 かわいそうに、と女性警官が錦を松田から奪う。男性警官は松田と女性警官の間でおろおろとしていた。
 錦は補導を免れたことに安堵し、呆けている松田ににっこり笑いかけておく。

「お名前、言えるかしら?」
「わたくし、橙茉錦よ。あなたのお名前は?」
「佐藤美和子よ、錦ちゃん。こんなところまで来るだけあって、しっかりしているのね」
「そちらの方は?」
「あ、僕は高木渉、です」
「佐藤さんと高木さんね」
「錦ちゃんは……あれ?前、コンビニ強盗の時、松田君と一緒にいなかった?」
「ええ、わたくしよ」
「やっぱり!あの時も、すごい美人な子だと思ったのよ。松田君の娘さん……じゃないわよね?」
「陣平は、わたくしのお友達なのよ」
「……佐藤さん、こういう子供って珍しくないんでしょうか。ほら、コナン君とか」
「珍しいことには変わりないわ。たまたま、近くにいるだけでしょう」
「江戸川君は隣のクラスよ。知っているの?」
「事件現場でよく会うんだ。不思議なくらい、頻繁にね」
「ねえ、松田君?呆けてないで、いい加減何か言いなさいよ」

 松田はおざなりに返事をし、佐藤から錦を取り戻す。初めて目撃した錦の涙目に驚いたものの、猫かぶりならば安心だ。本当に自分のせいならば、どうすればいいのかと真面目に考えていたのだ。そんな訳ないのだが、松田はしっかり酔っていた。
 錦は足を地面につけないまま、されるがままである。ぞんざいに扱われている訳でもないので、不満はない。

「別に呆けてねぇよ」
「……松田君が錦ちゃんを抱いてると犯罪にしか見えないわ」
「確かに……」
「高木ぃ?」
「す、すみません!」
「あとな。お嬢さんが可愛いのは分かりきってんだよ」
「ずいぶん可愛がってるのね。あとツッコミが遅いわよ」
「あんたはいっつも一言多い……」
「悪かったわね。ほら、もう日付も超えているんだし、早く錦ちゃんを休ませてあげなさい」
「言われなくとも。じゃあな」

 テンポよく会話が進んだかと思えば、松田はあっさりと二人に背を向ける。
 錦は松田の肩越しに、佐藤と高木に手を振った。その間に、松田がさっさとタクシーをつかまえる。
 タクシーがゆるやかに路肩に停車した。

「お嬢さん、どこまでだ?」
「このまま帰るわ。少し距離があるから」
「尚更タクシーだろ。終電も終わってんぞ。金なら気にすんな」
「……なら、近所の図書館までお願いするわ」
「いつもそこな気がするけど、家を知られたくないとかか?」
「恥ずかしがり屋さんが二人いるから」
「なんだそりゃ」
 
 後部座席のドアがぱかりと開く。
 ケラケラ笑う松田に抱き上げられたまま、錦もタクシーに乗り込んだ。
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