悪い大人たち


 バーボンは、後部座席で黙り込んだままの美女に問いかけた。

「それで、わざわざ僕を呼び出したのは何故です?」

 ハリウッド女優のクリス・ヴィンヤード。しかし今は、巨大犯罪組織幹部のベルモット。
 組織でコードネームを持つ者には上下関係がないとされているが、実質、バーボンの上司の一人だ。バーボンに車を出すよう連絡してくるあたりからも、力関係がうかがえる。
 ベルモットは煙草に火を点け、ふっと紫煙を吐く。

「ピスコのヘマの片付け、手伝ってくれないかしら」
「明日の朝刊のすり替えなんて、今からだと到底間に合いませんけど」
「そこまでは求めないわ。情報操作だけで結構よ」

 ピスコとは、バーボンやベルモットと同じく組織の幹部"だった"男だ。
 ピスコは別件のスクープを狙っていた新聞記者に、組織の仕事の瞬間を撮影されてしまったのだ。加えて、その写真が明日の朝刊の一面に使われるという。カメラにとらえられただけではなく、それに気づかずフィルムの回収すらしなかった。一連の失態のため、ピスコは射殺されてしまった。
 バーボンは今回招集されていなかったので、全て聞いた話だ。

「分かりました。貴女はどうするんです?すぐアメリカに?」
「……残るわ、気になることもあるし」
「いいんですか、女優業は」
「しばらく休業よ」
「では、これから日本での仕事で一緒になること、も……ありそうですね」
「言い淀むほど嫌?」
「まさか、光栄ですよ」
「……へえ?」

 ベルモットの相槌には含みがあった。バーボンがミラー越しに見ると、美女は歩道に視線を向けている。
 バーボンは表情を崩さずに、ハンドルを握る手に力をこめた。運良くか悪くか信号にひっかかり、何食わぬ顔をして通り過ぎることも叶わない。
 深夜の街中をぽてぽて歩く小さな女の子がいる。バーボンとして行動する上で使用するカバー、"安室透"の友人だ。後部座席にベルモットがいなければ声をかけるが、一般人の彼女を組織の人間に会わせたくはない。
 バーボンとしての振る舞いと、人としての良心と、個人的な事情で葛藤する。

「まさか隠し子なんて言わないわよね」

 目敏いベルモットがスルーしてくれる訳もなく。

「そんなわけないでしょう。僕の小さな友人ですよ」
「友人?バーボン、貴方……」
「断じてペドフィリアではありませんので」
「あらそう。あんな小さな子が深夜に一人で出歩けるなんて、日本は本当に平和なのねぇ」
「あれは保護者の監督不行き届きですよ。賢い子どもなのは否定しませんが……何をしているんだか」
「ほら、気づいたみたいよ。ジンもだけど、貴方の車も珍しいものね」
「このまま見て見ぬふりをしては、僕の面子が丸つぶれです。……送っても構いませんね?」
「図々しくなったわね。まあいいわ、好きにしなさい、安室透」
「ありがとうございます、ミス。煙草は消してくださいね」
「はいはい」

 人としての良心が勝利した。
 バーボンは、信号が変わると交差点を過ぎて路肩に停車した。彼女もバーボンに気付いていたので、自然と車に歩み寄ってくる。
 バーボンが窓を開けると、彼女はすました顔でバーボンを見上げた。

「こんばんは、安室さん」
「こんばんは、錦ちゃん。言いたいことがありすぎるんだけど、どうしようね」
「言われ慣れているから、気にしなくていいわよ」
「はいそうですかとは言えないなあ。送っていくから、乗って」
「デートの邪魔はしたくないわ」
「断じてそんな仲じゃないから」
「じゃあ、図書館まで」
「家は?」
「図書館の近くだから大丈夫よ。こんなに立派な車が停まったら、パパとママが驚いてしまうもの」
「娘がいなくなってる方が驚きだと思うけど」

 錦がにっこり笑って後部座席のドアを開ける。ベルモットに「お邪魔するわね」と声をかけてから乗り込んでいた。
 ベルモットは人気女優相応の美貌を持っているが、錦にうろたえた様子はない。ハリウッド云々は知らないにしても、明らかに外国人なベルモットに、もう少し反応があっても良さそうなものだ。 
 錦自身も綺麗な容姿をしているので、両親が大層な美人なのかもしれない。バーボンはそんなことを考えながら、図書館に向けて車を発進させる。
 
「錦ちゃん、だったかしら。彼の友人なんですって?」
「ええ、そうよ。あなたも?」
「……そんなところね。クリスでいいわ、Little girl」
「わたくしは橙茉錦よ。安室さんの友人同士、よろしくね、クリスさん」
「ふっふふ、ええ、よろしく錦ちゃん」

 錦は大人気ハリウッド女優に対しても、まるで対等であるかのように接する。それが妙にはまっているものだから、尊大さや傲慢さは感じない。違和感も皆無だ。
 バーボンはミラー越しに、面白いおもちゃを見つけたかのようなベルモットにくぎを刺す。座高が足りないために、錦の姿はミラーに映らないことが少しだけ面白い。

「貴女、錦ちゃんに変なこと吹き込まないでくださいよ」
「失礼ね」
「安室さんのお友達なのでしょう?大丈夫よ」
「……ずいぶん信頼されているのね、安室さん?」
「ええ、当然です」

 大きく頷いてみせるが、ベルモットがいる以上、"安室透"ではなく"バーボン"だ。
 バーボンは複雑な心境で、すいとバックミラーから目を逸らした。

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