ペンギンしかなかった


 クラスの終会も終えて、錦は教室を出た。そのまま下駄箱に向かおうとして、まだ挨拶の終わっていないらしい隣のクラスの前で立ち止まる。元気な挨拶の後、扉が開いて子供たちが次々に飛び出してきた。
 錦は開いた窓に近寄って、コナンら五人に手を振った。彼らがが錦を邪険にするわけもなく、五人は六人になって下校する。
 元太、歩美、光彦の三人が前。錦、コナン、哀の三人が後ろだ。その日その時で順番や位置は入れ替わるが、このフォーメーションが一番多いのだ。

「珍しいわね、あなたから声をかけてくるなんて」
「あなたたちに、聞いてみたいことがあって。今日、将来の夢を書いてくるという宿題が出ているのよ」
「ああ、こっちのクラスもだ。けど授業中に出来るだろ?長々書けっつーんじゃなかったし」
「それが埋められなかったから困っているのよ。職業とかよく分からないし、そもそも、将来という言葉がピンとこなくて」
「何でも卒なくこなしそうなのに、少し意外だわ」
「江戸川君と哀さんは何と書いたの?」
「俺はサッカー選手にした。書きやすいしな」
「医者よ、理由は同じ。江戸川君は探偵にしなかったのね?」
「そりゃオメ―、前と被っちまったら誰かに気付かッほら探偵って不定収入だしな!」
「橙茉さん、難しく考えなくていいのよ。甘いものが好きならパティシエール、動物好きなら獣医、勉強が好きなら学者……と、こんな風にね。小学校の宿題だもの、簡単でいいのよ」
「ん゛ん゛、橙茉さんはそういう憧れとかないのか?」
「とりたてて、何も。こんな宿題でつまづくとは、思っていなかったわ」
「そうねえ……漠然としたものでなくとも構わないと思うわよ?お嫁さんって書いてる子もいたわ」

 錦はなるほどと頷いた。明確な職業の方が課題は埋めやすいだろうが、小学一年生なのだ、曖昧なものでも許容されるらしい。
 己の未来について興味がないというよりは、何か特定の目標を持っていない。声高く宣言しなくとも、なろうと思えばなれる。ただし、画家は考えていない。
 錦は考えを巡らせながら、五人と分かれてバス停に向かった。



 帝丹小学校一年A組担任の大畑は、児童から集めた宿題のチェックに勤しんでいた。これから子供たちが何度も行うであろう、将来の夢を書くという課題だ。
 女の子や男の子のイラストの横にふきだしがあり、そこに夢を書きこむ。さらに枠が用意されており、具体的な内容や、その夢を目指す理由などを自由に書くというものだ。
 文字を色鉛筆でレタリングしたり、イラストを添えたり、と思い思いにプリントを飾っている。大畑が指示していなくとも、小学生は創造性豊かに行動するのだ。
 言葉の間違いや鏡文字に和みながら、穏やかに作業を進める。まだ明日の授業の準備もあるのだが、子どもたちの文字を見て考えを知ることは好きなのだ。つたなくも精いっぱいつづった文字は、大畑にはひどく眩しく見える。
 プリントの端に、スタンプを一つ押す。何気なくとったものはウサギだった。他にも、犬や車や花など、子ども向けの柄が揃っている。
 次は、とプリントをめくり、大畑は何となく姿勢を正した。小学生の課題とは思えない達筆だ。四月中は何度か「模範解答が紛れている」と思ったものだが、今では児童の一人だとすぐに分かる。
 小学生の発想は斜め上で、"おはなやさん"や"けいさつかん"や"サラリーマン"といった一般的なものだけではなく"にんじゃ"、"エビフライ"等々が並び、大畑は終始ドキドキしているのだが、一層緊張していた。
 あの優秀な女の子は、一体どんな夢を書いたのか。

「……ふ、はは」

 大畑は、明朝体のように整った字を指でなぞった。大畑は彼女がプリントを真っ白のまま持ち帰ったのを知っている。他の児童とは違い、色もレタリングもないが、それだけ悩んだことも伝わっていた。
 あの子も、やはり、子どもなのだ。
 思わず微笑んだ大畑に、B組担任の小林が声をかける。

「大畑先生、"エビフライ"を越える夢があったんですか?」
「いえ。ただ、橙茉さんの夢が素敵だったもので」
「へえ!例の特待生が」
「ぜひ、叶えて欲しいです」

 大畑は、自慢げな顔で小林にプリントを見せ、私物のスタンプの中から近いものを探した。

『クジラと一緒に世界の海を泳ぐ』

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