娘の恋人


 夜十一時。錦は自室の窓外に出た。
 深夜の散歩は、光が寝入ってからはじまる。帰宅時間はまちまちだが、午前二時前後は避けて夜明け前に帰宅する。バーでの仕事を終えた凌と鉢合わせする可能性があるからだ。
 最も安全な時間帯は、光が寝入ってから凌が帰宅するまでの数時間。もしくは、凌が寝入ってから光が起床するまでの数時間だ。近場を徘徊する分には十分だが、遠出するには短い。
 錦の就寝を確認しに部屋に入っていたらアウトだが、凌も光も滅多にしない。

「方角は……」

 コナンからの情報と図書室の地図帳で得た情報を基に、月を見上げて方向を確かめる。
 屋根や電柱を足場にして移動するので、目的地へまっすぐ向かっていくことが出来る。錦が歩道を歩くのは、基本的に昼間だけだ。
 屋根から屋根、電柱から電柱、ビルからビルへ、夜闇に紛れて移動する。もっと楽に移動する手段も以前はあったが、この体では使えない。地道に、非常識な道を使って向かう。
 来葉峠と呼ばれる場所は、その名のとおり木々の生い茂った山にあった。深夜ということで人の気配はなく、車通りもほとんどない。街頭が所々にしかない、不気味な山道だ。
 事故車両は撤去されており、規制線も見当たらないが、焦げ跡と焦げ臭いにおいで事故現場はすぐに分かった。
 錦は事故現場に立ち、焦げ跡を見回す。
 事前に情報収集した訳ではないので、事故の状況や死因も知らない。現場の状況からみて、クラッシュして炎上、焼死したのだろうか。 

「ごめんなさい、手向ける花もないの」

 錦の嗅覚はすこぶるいい。殊、血臭に関しては敏感だ。風向き次第では、遠距離でも個人の特定が出来る。
 しかしこの事故現場は、焦げた臭いが強く、人の匂いが弱い。何か生き物が焼けたということくらいしか分からない。
 赤井の訃報を知らせてくれたコナンの様子から、何か裏があるのではと思っている。先日訪ねた病院でも、様子がおかしかった。彼は聡明だ、しどろもどろがデフォルトではない。が、現時点ではさっぱりだ。
 錦は、赤井の死を否定したい訳ではない。落ち込んでいる両親――特に光――を見ていると、事件の背景なり、コナンの様子がおかしい理由なり、何か情報を得たいと思っただけだ。人づてに聞くより自分の目のほうが信頼できるので、こうしてはるばる足を運んだのだが。
 
「やはり、何にもないわね……」

 コナンに聞いたところで、話してくれるとは思えない。
 同僚と思われる安室に聞いたほうが早いかもしれないが、安室からは一度も赤井の名を聞いていない。錦から話題をふって不審がられるのは不本意だ。理由を問われても、まさか「パパを拾った所で一緒にいるのを見たのよ」と答えるわけにもいかない。
 錦は軽く膝を曲げて、ふわりと跳ぶ。街灯に静かに着地し、事故現場を一度振り返ってから帰路についた。

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