天使がことほぐ


 穏やかな午後、光は錦と手をつないで歩いていた。
 他愛ない話をしながらのんびり歩いていたところ、錦がふと歌を口ずさむ。

「……あーるー晴れたーひーるーさがりー」
「ちょっと切なくなるからやめてよう……」

 光が情けない声で制すると、上品な笑みが返って来た。
 小学一年生で習うには早い気もする歌だが、錦のことだ、高学年の授業を聞いただけでも覚えられるだろう。
 
「この場合、ドナドナされてるのは私ね……」
「Donna Donna」
「そういえば、錦ちゃんって英語話せるの?」
「ネイティブの方と話したことがないから、なんとも言えないわ。最低限のコミュニケーションは取れるんじゃないかしら」
「本当、何でもできるのね」
「何でもは無理よ」
「じゃあ、苦手なことは?」
「早起き」
「確かに!」

 上着や布団をかぶったまま、ずるずると部屋から出てくる姿を思い出す。登校する時間にはしっかり目覚めているようだが、朝の日光は極力避けたいようで、日傘や帽子を忘れた日はなかった。
 謎が多く優秀な錦の万能ではない様子も、もう見られないかもしれない。
 光は、繋いだ手を大きく振った。錦が小学生の皮をかぶってきゃらきゃらと笑う。若い女性と小さな女の子がじゃれ合いながら歩く姿は、さぞ仲睦まじそうに見えるだろう。

「……ねえ、錦ちゃん」
「なあに?ママ」
「あの夜、私を助けてくれてありがとう。家を出るのは、正直、少しこわいけど……手を差し伸べてくれたあなたのことを思い出すと、不思議と勇気が出るの。自分が犯してしまったことを受け止めて、私は私として、未来に生きたい。……死人のままじゃ、彼の墓参りにも行けないもの」
「……わたくし、どうやったら光が元気を取り戻すか、友人に相談もしたんだけれど。完全に杞憂だったみたい」
「そ、そんなに心配かけてたんだ、私……ごめんね」
「ふふ、謝る必要はないわ」

 くい、と手を引かれ、歩道の隅にしゃがみこむ。膝を抱えて小さくなると、錦と正面から視線が合った。
 錦の小さな手が光の頭を撫でる。

「あなたは、わたくしを当てに出来る数少ない人間よ。これ以上に心強いことがあるかしら」
「あはは、ない!」
「でしょう、胸を張りなさい」
「うん。いってきます、お母さん」
「いってらっしゃい」

 光は力強く頷き、一人で歩き出す。イヤリングは既にない。錦と離れたその時から、諸星光は消えるのだ。




 米花市米花町五丁目にあるビルの二階。深呼吸をしてからオフィスドアを叩くと、中から女性の声がした。次いで、すぐにドアが開かれる。
 顔をのぞかせたのは、声の通り若い女性だ。快活な笑顔が一瞬で硬直し、口をはくはくと動かす。女性の異変に気付いた男性と少年も顔をのぞかせ、女性と同じように表情を凍らせた。

「お久しぶりです、広田雅美です」

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