貢がれ慣れている


 子どもの中でも小柄な錦にとって、一般家庭のインターホンは高い位置にある。
 手を伸ばす。届かない。背伸びをする。届かない。つま先で立つ。届かない。やや滞空時間の長いジャンプをして、ようやく来訪を知らせられた。
 耳の良い錦は、トタタタ、と家主が駆けてくる音を聞く。

「いらっしゃい!錦ちゃん」
「こんにちは、有希子ちゃん」

 訪ねているのは工藤邸だ。コナンを通じ、有希子から招待を受けたのだった。

「相変わらず、とってもキュートね!」
「ふふ、ありがとう。有希子ちゃんは、前に会った時より更に綺麗になったかしら」

 相変わらず美味しそうね、という言葉は飲み込む。
 一人で踊り出しそうなほどテンションの高い有希子は、錦の口説き文句に「あら!錦ちゃんってば!もう!」と初心な少女のような反応をする。
 玄関先できゃらきゃらはしゃぐ有希子と、にこにこ見守っている錦に声をかけたのは、今回メッセンジャーとして働いた江戸川コナンである。いつまでも玄関に留まりそうな女性二人に、半目になっていた。
 
「有希子おばっお姉さんも、橙茉さんも、早くあがりなよ……」
「江戸川君もこんにちは」
「あ、うん、こんにちは」 
「錦ちゃん、上がって上がって!」

 有希子に続き、広いリビングに通される。建物の外観と同じくアンティーク調の家具で統一されていた。所々で生活感はあるものの、無駄な物はなく整理整頓されている。上流階級らしい住まいだ。
 そんなリビングにスチールラックが鎮座している。十数着ほどの洋服がかけられており、そのどれもがキッズ服だ。
 
「じゃーん!フェミニンからシックまでより取り見取りよ!」
「ええと、どうしたの?」
「私が女優やってた頃から贔屓にしているブランドで、ちょーっとだけデザインに関わらせてもらってるの。レディースの洋服と小物メインだったんだけど、身近にこんなに素敵なモデルさんがいると分かったものだから、キッズ部門にもチャレンジしようと思って!ここがブランド専属デザイナーさんの作品で、ここが私の関わったもので、ここが試作段階のものよ」
「わたくし、モデルはしないわよ?」
「分かってるわ、残念だけどね。でも私のインスピレーションの為に、協力するくらいはいいでしょ?」
「そういうことなら、構わないわ。着飾ることは、嫌いじゃないもの。どれから着ればいいかしら?」
「気になる服からでいいわよ、全部着てとは言わないから。気に入ったものがあれば、持って帰ってもいいわよ」

 ソファで優雅にコーヒーを飲むコナンから気の毒そうな視線を送られるが、錦は着せ替え人形に前向きだ。
 ハンガーラックのそばに立ち、肌触りの良い生地を撫でる。今でこそ一枚数百円の安売りワゴン産シャツを日常的に着用しているが、上品な振る舞い相応の品々に囲まれていた時間の方が長い。高級志向とまではいかないが、目も肥えているし良いモノは良いと思う。
 錦は、花がプリントされたワンピースを手に取った。

「それにする?じゃあタイツと、あと靴はこれね」

 ぽんぽんと荷物を追加され、着替える部屋の場所を聞く。有希子につられて笑みを深めながら頷き「それはそうと」こてりと首を傾けた。

「もう一人、いらっしゃるようだけれど。ご挨拶しなくていいのかしら」
「ごほっ」
「ああ、昴君ね。沖矢昴君。ウチに居候してる大学院生よ。コナン君大丈夫?」
「な、なんでもない」
「沖矢さん?恥ずかしがり屋さんなのかしら」
「そんなことないと思うけど……」
「おや、僕の噂でしょうか」

 糸目に眼鏡の青年がしれっと会話に加わった。
 錦はワンピースとタイツ、靴の入った箱を抱えたまま、長身の沖矢昴を見上げる。沖矢は数秒置いてから膝を折り、柔らかい声で錦に話しかけた。

「可愛らしいお客さんですね」
「……はじめまして、橙茉錦よ」
「沖矢昴です、はじめまして」
 
 錦は知らない――錦の耳を警戒したコナンが沖矢に「論文に手間取ってるってことにしよう。橙茉さんには変声機が通用しないんだ、赤井さんだって気付くかもしれない」と事前に話していたことを。大人しくしていた沖矢が錦の発言を盗聴器で聞き「ここに住んで少年探偵団と面識がある以上これから先も接触は避けられないだろうし、恥ずかしがり屋扱いは避けたいし、居候の身分で家主の客に最低限の挨拶もしないと思われるのはマズイ気がする」と急いで部屋から出てきたことを。
 コナンと沖矢は知らない――声帯に直接作用するチョーカー型の変声機であれば、ノイズを感じこそすれ、錦の耳に赤井秀一の声は聞こえていないということを。血臭に関しては遺伝子レベルで嗅ぎ分けられるほど嗅覚に優れる錦が、体臭から沖矢昴を赤井秀一の双子だろうかと認識していることを。変装に関しては「恥ずかしがり屋さんかしら」とのんびり考えていることを。
 有希子は知らない――一目惚れした小さなモデルを招いたことで、コナンと沖矢が密かに冷や汗を流していることを。

「ええと、着替えるんですよね?荷物、部屋まで持ちますよ」
「お願いするわ、沖矢さん」

 また、残り少ないアルバイター期間を過ごしている凌は知らない――錦が一着二万円を超すハイブランドワンピースを、靴やヘッドドレスを含めた一式持ち帰って来ることを。"お友達のユキコちゃん"が伝説の大女優・藤峰有希子だと聞かされることを。
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