忌み子と隠し姫


屋敷の呼び鈴がなったのは、午後三時だった。人間にとってはオヤツの時間、吸血鬼にとっては"深夜"。応対したのは使用人の一人で、自身の手に余ると判断した彼女は、来客に待つよう告げてドアを閉めた。

若い主よりもその家庭教師である人物に知らせるべきだと判断し、彼の部屋をノックする。就寝中の無礼に身構えていたが、彼は起きているらしかった。寝巻きのまま、髪をかきあげる美青年が顔を出す。

「英様、夕方に申し訳ありません」
「誰か来た?」
「はい、その……狛織様が」

その名を聞いた途端、英の意識は覚醒した。眠気も気だるさも吹っ飛んだ。

狛織は優姫に招待されている。深夜の訪問は非常識だと考え、この時間にやってきたに違いない。アポ無しとはいえ招いたのはこちら側で、英らにとって非常識な時間でも世間一般には問題ない時間帯だ。残念なことに、追い返すという選択肢は用意されなかった。

「部屋に通すーーのはやめておこう、お前が襲われる。狛織は待たせておけ、準備出来たら僕が呼びに行く。皆起こして急いで支度させよう……」
「かしこまりました」

使用人は緊張した面持ちで了解すると、きっちり頭を下げて英の部屋を後にする。英は部屋のカーテンを開けようとして止め、ため息をついて洋服を取り出した。




テーブルに並ぶ一級品の料理たち。食事に人間ほど執着がない吸血鬼にとっては珍しい光景で、高級料理などと縁のない人間にとっても珍しい光景だった。

英は、シェフから食材調達の希望を聞き、だろうなと頷いた。自分たち吸血鬼の消費を考えて用意していたのだから、人間をもてなすことに使えば少なくなるのも当然だ。

「すごい……藍堂くんおぼっちゃん?」
「否定はしないが、ここの主人はコイツだ」
「玖蘭優姫です」
「ほー玖蘭ちゃん!狛織だよー」
「玖蘭ちゃん……」

こういった料理にはナイフとフォークだが、狛織は箸を希望した。藍堂は密かに箸の攻撃力のついて考えたが、狛織の前ではナイフも箸も変わらない気がしてやめた。

「こんなに豪華なご飯はじめてだ!さっきから腹の虫がその存在を訴えているよう」
「食べて、いいですよ?」
「待ってましたその言葉!いただきます!」

どこの欠食児童だと突っ込みたくなるほど、狛織はガツガツと頬張る。次から次へと平らげていき、優姫も顔を引きつらせるほどだ。実はフードファイターだと言われても納得の食べっぷり。山で兎を狩るほど時代錯誤な生活を送っているからだろうか。

英はコーヒーを飲みつつ警戒を続ける。しかし食事中は大人しいようで、何も飛んでくることなく、英は肩透かしをくらった気分だった。この上なく平和な食事で安堵すべきだが、気力は確実に削られた。

全ての皿が空になったと同時、確かに箸が空を切ったのだが、可愛いものである。英の感覚は既に歪みつつあった。






食事が終わってから、狛織が即座に帰るわけがなかった。少しだけ期待していた英は、のんびりコーヒーを飲む狛織にため息をつく。優姫の下手くそな尋問に付き合っていた狛織は、その英の様子に目ざとく気付いた。

「藍堂くん、ため息多いよー。両手に花なのに」
「なんの冗談だ……というか誰のせいだと」
「あたしかあ。そりゃそーだ」
「分かってるならさっさとーーーー急に殺気立つな!」

食器から凶器にジョブチェンジしたティースプーンが、首を傾けた英の紙一重を切り裂いた。かあん、と高い音を立てて壁に刺さり、スプーンそのものも耐えきれずに潰れてしまう。英はスプーンの成れの果てを確認する間も無く、ナイフを抜いた狛織を軽いステップでかわす。

此れ程発作的に殺気立っては、最低限の日常生活すらままならない。英だからーーそれなりに力のある吸血鬼だから無傷で済んでいるだけだ。平々凡々の人間なら、狛織の殺気を浴びた時点で冷静さは吹き飛ぶだろう。

狛織は英をロックオンしているのか、優姫に襲いかかる様子はない。食器が投擲されている程度だ。ただし豪速球。

「いやあ、オンオフしっかりしようとすると、どうしてもね?」
「ね?じゃないだろこの馬鹿」
「不意打ちで目潰しよりマシじゃなーい?」
「そういうの、どんぐりの背比べって言うんだよ!」

英が同意できるわけがなかった。

英は横目で、使用人が廊下から部屋を伺っているのをみた。電話を片手にしており、応援要請しようかしまいか、と二人の攻防を見守っている。心遣いはありがたいが、応援が来たところで解決するとは微塵も思えず、英は片手をひらひら振って不要だと伝えた。

一通り部屋を荒らした後、刺すような殺気が霧散した。はじまりが唐突であれば終わりもぶつ切りで、よいしょ、と狛織が椅子に座る。散らばったシルバーを憂う様子はない。何食わぬ顔で英に着席を進める。

「お疲れー。まあ座りなよ」
「お前……本当、もう……」

肩で息をしながら、どかりと座る。青ざめた優姫はテーブルに突っ伏していた。

英は待機していた使用人を呼ぼうとして止めた。狛織が帰らなければ、いくら片付けようとも無駄だ。お茶を持ってくるようにだけ頼み、部屋の惨状に頭を抱えた。いくら僻地の、即席の別荘とはいえ、屋敷内にあるものはそれなりの品ばかりだ。<純血種>の屋敷にしては安価で、<貴族>が頷く程度の品々は、だが一般庶民が見たら卒倒する額がかけられている。被害総額いくらになるんだろう、と遠い目になるのは仕方がない。

「狛織ちゃん……日常生活が大変そうだね……」
「狛織の周りの人間がな!」

息も絶え絶えな優姫の言葉に付け足す。狛織はキョトンとしてから、くは、と吹き出した。

「人になんて会わないよ!そのためにこんな自殺名所みたいな山にいるのに」
「けどお買い物は必要でしょう?ご家族とか……」
「肉とかちょっとした野菜は調達できるし、あたし一人暮らしだよ。他の必要なものは、兄さんたちがちょこちょこ持ってきてくれるもーん」
「一人暮らし……すごい。私もやっぱり一回くらいはすべきかな……」
「お前の家事力的な意味でも僕らの立場的な意味でも、どうせ出来ないからやめろ。突っ込むべきところはそこじゃなくて、狛織の奇行が家族公認ってことだろ……」

説明を求める視線を送ったところで、狛織は素知らぬ顔だ。今更鈍感ぶられても白々しく、英はため息を吐くしかない。お前友達いないだろうなあ、と哀れみすらこめて呟いた。

「すぐ死んじゃう友達なんて必要性を感じないねー」
「狛織の相手して無事な奴なんてそうそうーーーー」

いない、と続けられなかったのは歓迎できない考えが一つ浮かんだからだ。ほぼ同時に、狛織が閃いたと言いたげに顔を輝かせ、英は口元をひくつかせた。

「じゃあ!あたしと藍堂くんと玖蘭ちゃんは友達だ!」
「やめろ!」
「センパイ、そんな力一杯否定しなくても」
「お前は能天気すぎるんだ!こいつは野放しにしてていい人間じゃないぞ!」

自分たちが吸血鬼であり、人間よりも強いと確認しているからこそ、英も狛織を無理に追い返しはしなかった。手放しで歓迎した訳では断じてないし、気を許した訳でもない。距離を保って接することは許容できても、それを詰めるなど全力で遠慮したい。

どことなく微笑ましそうな優姫をひっぱたきたい。良く考えろ、狛織は吸血鬼ではないんだぞ、と。人間が上級吸血鬼と同等の身体能力を持っているということが、一体どういうことなのか。

狛織が頬を膨らませても、英は揺らがない。

「前はともかく、友達なんていないからさー。いいじゃんオトモダチ!あたしだって街に出てキャッキャしたいー」
「狛織……自分の物騒さをわきまえろ……」
「無理だもん。<歩く殺意>って言われるくらいだもーん」
「狛織ちゃん、ずーっとこの山の中で暮らしてるの……?」

英が揺らがなくても、優姫は揺らいでいるらしい。しっかりしてくれ、と英は彼女を睨む。つい先ほど、剛速球の食器に襲われたのを忘れたのか。

「かれこれ七年?街に行けるのは兄さんが来た時くらいだねー。それも必ずじゃあないけど」
「そのお兄さんが狛織ちゃんのストッパーになるってことかな……」
「そんな感じ?一人でどこか人のいるところに行くのは……うーん、兄さんがしばらくこなくて息苦しくなった時くらい」

息苦しい、という言葉に優姫が反応する。英は、剣呑さを隠さずに優姫を呼んだ。優姫も英の言いたいことは察しているらしくーー危機感はいくらか薄いーー言葉を詰まらせていた。この別荘へ来る前に、前回の外出の話を持ち出したときと同じ表情だ。英は頭の痛い思いで、分かっているなら自重してくれ、と額を押さえた。



しかし翌日の夕方。山を下りて三十分ほど車を走らせたところにある市街に、英と優姫、そして狛織の姿があった。

英は最後まで狛織の言葉には揺るがなかった。が、身内には多少甘く、さらに目上ーー尊敬してやまない吸血鬼の妹君ーーにはどうしても逆らい難かったのだ。



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