六人組と氷結能力


真夜中、英が別荘に持ち込んだ研究資料を置いて山に入ったのは、優姫に負けないお人好しを発揮してのことだった。吸血鬼界には無関係だから首を突っ込むな、と優姫を屋敷に釘を刺したにも関わらず、英自身はそこに飛び込んだのだ。

過ごしやすい暗闇の中、こびり付いたような血の匂いが近付いてくる。その姿が見えると、英は足を止めた。相手からも英が確認できているのだろう、足を止めて片手を上げてくる。

「こんばんわー。藍堂君、散歩?」
「いや……」
「あたしのお出迎え?嬉しー」
「……狛織、お前、一体何人殺したんだ」

狛織自身に怪我はなく、血に汚れているなんてこともない。英の根拠は、人物そのものに染み付いた、微かな血の匂いだけだった。

英は狛織に殺気を向けられ、襲いかかられたことはあっても、実際に傷を負ったことはない。それが自身の運動能力によるものか、ああ見えて狛織も加減しているのか、確かめたことはない。本気で狛織は戯れているつもりで、一線は越えていない可能性があったのだ。

今もまだ、英は決定的瞬間を見ていない。狛織の返答次第だ。英は平素と変わらない狛織を見据えて、存外友達というワードに自分も縛られていると知った。

「いちいち数えないよ」
「……」
「っていうか、あれ?なんで人殺したって知ってるの?」

ニュースになってた?罪悪感も背徳感もなく首を傾ける狛織に寒気がした。

英は、感じた嫌悪感に顔をしかめる。口調は自然ときついものになっていたが、狛織はそれもひたすら不思議そうにするだけだ。

「……なぜだ。お前は人間だろ?快楽殺人か?どうしてそうも、人の命を軽く見る」
「好きで殺すわけじゃないけど、家族にオイタした人がいたからねー。老若男女、動物植物問わずに皆殺しだから」
「おかしいぞ、お前」
「一般の感覚からずれてる自覚はあるけど、多分それは藍堂君も同じじゃない?藍堂君も玖蘭ちゃんも、人間って感じじゃないもん」
「……そうだな。しかし、お前よりは余程まともだろ」

周囲の気温がぐっと下がる。キンと冷えた空気では、微かな音もよく響いた。

英は狛織の足元を氷で固める。狛織が苦い顔で、足を動かそうとしている。本気ではないのだろう、氷にはヒビすら入らない。

「そのひん曲がった感性を叩き直してやる」
「あたしを殺しても無理そうだよ、それ」

途端、禍々しいほどの殺気が英に刺さる。初対面ではそれだけで死を連想するものだが、幸か不幸か、英はこの数日晒されてきた殺気だ。英は宙に作り出した氷の刃を冷静に投擲した。


英は、狛織の攻撃は非常に合理的で常に必殺であると知っている。動きを奪うことを念頭においているのか、胴体や腕が狙われることはまずないのだ。一番狙われるのは首から上、次に足である。

英に常人以上の運動能力があるとはいえ、吸血鬼は別に戦闘民族などではない。英は防御に重点をおかざるを得なくなり、目の前で弾ける氷と刃に冷や汗が流れる。早まったかもしれないな、と殺気を制御する気のない狛織の攻撃を避けた。

「狛織は!人を殺すことに関して何も思わないのか!あの、兄とかいう人は!」
「そういう集まりだからね、あたしの一族は。なかでもあたしは制御できない問題児ー」
「人を殺すのは、してはいけないことだろう!」
「なんで?」

ダガーが英の髪を数本切って、木に刺さる。

「常識なんて環境次第、個人によってばーらばら。あたしたちにとって、人を殺すことはルーチンみたいなものだよー」
「それでもだ。殺人を肯定するわけがない。お前も、家族の復讐をしたんだろ!?殺した人間の親しい者の気持ちを考えないのか!」
「それ、考える必要ある?」

狛織は呆れを隠していなかった。左手に持ったナイフで英に斬りかかるが、氷に弾かれる。狛織はその拍子に木に刺さったダガーを回収し、飛んでくる氷の矢をさばいた。

「以前のあたしなら、藍堂君の言うことに納得出来たんだろうけど。文字通り、住んでる世界が違っちゃってるからね」

英は続けざまに狛織の足元を凍らせる。狛織が動きを止めれば僥倖、そうでなくとも少しの隙が生まれれば上々だ。わずかに体勢を崩した狛織は、投擲したダガーを英から大きく逸らせた。

英は地面に刺さったダガーを即座に氷漬けにする。体勢を直した狛織が、表情を引きつらせたのがわかった。

「レーズィちゃん!!」
「誰だよ!」

狛織が別のナイフを持ち直す。暗闇をものともせず、再度英へと特攻してくる。

「人を殺すことが呼吸に等しいあたしたちにとって、殺人を犯さない状態はすごく息苦しい」
「殺人が呼吸など、こじつけもいいところだ!」

理解できないと英が言えば、狛織は知っているとばかりに苦笑する。

狛織がなんと言おうと、狛織のやっていることは快楽殺人である。殺人を呼吸などという彼女には「人を殺した」という意識はなく、その命を背負うこともないのだ。

命は軽い。だからこそ儚く、尊いのだ。長く生きている英は、人の命の儚さを知っていた。いかに簡単につみとれてしまうかを知っている。

「ねえ藍堂くん、これ決着つかないよー?」
「うるさいな、薄々そんな気はしてた!狛織が、もう人は殺さないと言えばいいんだけどさ!」
「あははー無理無理。なんでそんなに、あたしをマトモにしようとするの?あたしたちにとっては、殺人なんて珍しくないんだよー」
「僕はな、間違っていることをしている者がいれば、殴ってでも止めると決めてたんだ。それが他人であっても友人であっても、王様であっても!」

一段と気温が下がり、吐く息は真っ白になる。空気中の水蒸気が凍り、かすかに煌めく。

広範囲の気温低下、地面や木々の凍結、動体の凍結。肌を刺すような冷気の中、英の視線の先で、狛織が目を見開いてゆっくりと膝をついた。一気にチアノーゼの症状をきたし、青白い顔をゆがめた。

「は……なん……?」
「っはあ……お前、さっきまで動いてたことの方が異常なんだぞ。やっとか。今何度だと思ってるんだ」
「あいどーくん……?」
「僕らのことを人間じゃないと言ったのは、狛織だろう。寒いけどな」

英はコートの襟を立てる。とうとう体の自由がきかなくなった狛織は、そのまま地面に倒れた。それでも武器を手放していないあたり、流石である。英は寒い寒いと呟きながら、狛織のダガーを回収した。歩くたびに、草がシャクシャクと鳴る。

「……ねむ……」
「普通の人間なら気を失ってそうだけどな……」
「んふ」

英は余裕を見せながらも、急いで能力をゆるめた。狛織を殺すつもりなど毛頭ないのだ。気温が回復し始めた途端、饒舌になる狛織ーー体は動かないらしいがーーには、呆れるしかない。

脱力しながら狛織の近くにしゃがむ。ナイフを振るわれるが、かろうじて動くというレベルの攻撃は、幼子をたしなめるような気分で無力化出来た。

「藍堂くん」
「なんだ。もう人殺しはしないという気になったか?」
「あたしは、"理由なく殺す"零崎一賊の殺人鬼、零崎狛織。藍堂くんは、どこの世界に生きてるの?」

狛織は話を聞いちゃいない。英はため息をついて狛織の握っているナイフも回収すると、意図的に目を赤く染めた。

「……貴族階級吸血鬼、藍堂英だ。覚えておけ、殺人鬼」
「吸血鬼かあ、ほんとに人間じゃなかったんだー。……あ、ねえ吸血鬼の藍堂くん、あたしとお友達になってくれる?」
「これほどおっかない友人は御免なんだけど?」

よく回る口に、英は少々気温を下げる。狛織が「うえ」と寒さに顔を歪めた。


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