殺人鬼と吸血鬼


自分の世界というものは、ある日突然がらりと変わる。

狛織は元々普通の女子高校生で、零崎狛織などという特徴的な名前でもなかった。どこにでもいる、勉強が嫌いで友達と買い物に行くことが好きな、平々凡々な女の子だった。

それが、気がつけば、他人を殺せるか殺せないかという視点でしか見られない殺人鬼と化していたのだ。同じような境遇の人間は他にもいた。彼らは零崎一族として裏世界に身を置いており、彼女も零崎狛織として仲間入りを果たした。

どうあがいても他人に理解されない零崎は、その分仲間意識が高い。家族を何よりも大事にし、一人が傷つけられると、全員で報復に向かう。それ故に裏世界でも特に忌避される集まりだ。

狛織には零崎としての家族がいる。けれど友人はいなかったし、必要ないと思っていた。一般人であればすぐに殺してしまうし、同じ裏世界の人間と友好的な関係を築けるとは思えないからだ。

殺意を制御できない狛織の隠れ住む山に、何者かの気配を感じても、接触しようとは思わなかった。あえて避けようとも思わなかったが。会えばどうせ殺してしまう。罪悪感などないが、隠れ家近くで騒ぎを起こしたくなかった。だから、あの時英に遭遇したのは偶然だったのだ。

綺麗な人だ、と思った。

同時に、殺したくないなあ、と初めて思った。

肉親を殺した時も、何人殺しても、仕方ないとしか思わなかったのに。目の前のきれいなひとが動かなくなる事を残念に思ったのだ。

狛織はその時、自分が零崎であることを少しだけ後悔した。きれいなひとが零崎を知っているかは分からないが、自分が零崎である限り何かの拍子で殺してしまうだろうし、自分に関わった時点で裏世界と関わりが出来てしまうのだから、とにかく無事でいられる保証はない。

きれいなひとに生きていてもらうのはどうすればいいのか。もし自分に何かあっても他の零崎が復讐に動かないように。裏世界の人間に、零崎が彼についていると思わせるように。

足りない頭をひねりにひねって、結論。

「兄さん、あたし友達ができたのー」
「えっ狛織に友達!?」
「どこの家のやつだよ。まさか一般人?」
「あー昨日一緒にいた二人か」

驚きをみせなかったのは、普段から狛織の面倒を見てくれている兄だった。狛織は満足げに肯定し、兄の一人にダガーを投げる。彼は危なげなくそれを避けてダガーを回収し、狛織に手渡す。

「はい、ガルシアくん。てかマジで?手持ちナイフ増えたとかじゃなくて?」
「違うよー。ねえ兄さん」
「あー、うん。ちゃんと生身。藍堂と玖蘭の家の人」
「……えっ」
「すごいとこと知り合ったな」
「狛織ちゃんは知らないよ、その家。裏世界じゃないから仕方ないけど」

狛織は兄二人の反応に首を傾げつつも、自慢げな表情だ。兄たちは頬を引きつらせていたが、やがて苦笑に変わり、仲良くやれよと背中を押した。


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狛織の生活用品は兄が届けてくれるが、食事に関しては自給自足の面が一部ある。動物性たんぱく質を摂取するのは稀で、ほとんどは野草や木の実、時点で川魚。

英と優姫は以上のことを本人から聞いていた。彼女の兄は寄生虫の心配をしているだろうな、と思いつつも狛織が元気そうなので口にはしなかった。

二人はその日、いつもより早く起きた。気配を辿って移動すると、流れの緩やかな川に出た。川辺に狛織が立ちすくんでおり、その左手にはダガーを握っている。身構えるが、狛織の意識が川に向いていると分かるといくらか気を緩めて近寄った。

「……狛織ちゃん?」
「お二人さんこんちわー。魚獲ってるのー」
「おう……」

川を睨んだままの狛織が、左手のダガーを器用に弄ぶ。英は、ダガーがいつ飛んでくるかと頬を引きつらせた。

おもむろに左腕をあげたかと思えば、ダガーが弾丸のごとく放たれ、川の中に消える。狛織が靴を脱いで川に入っていき、ダガーとそれに貫かれた魚を回収した。魚はクーラーボックスに入れている。

「夕飯か?」
「そうだよー。新鮮獲れたて!
まだ足りないからもうちょっととるけど。二人はどうかしたのー?あたしに用事?」
「ああ。今日の深夜に発つから、一応な」
「お別れの挨拶しに来てくれたんだ」
「うん。私たちがいなくなったことを知らずに、ご飯を食べきたらまずいと思って」

狛織は少し複雑そうな顔をしたが、反論はなかった。ここ数日で、狛織が何度か屋敷を訪れたことは事実なのだった。

再び川へ向かって仁王立ちする背に、なにを言うべきか迷う。いつもとは違う、本当の別れの挨拶になるのだ。言葉を探すが、案外出てこなかった。別れることに対して狛織がコメントしないということも調子を狂わせる。

……いや、なんで僕が狛織に合わせなければならないんだ。

英は内心頷いて、用件は挨拶だけではないと告げる。本来、重要なのはこちらの話なのだ。

「狛織。お前が住んでる神社の管理者は、いないと言っていたが……殺したのか」
「おー。別に殺したくなったわけでもなかったんだけど、殺して欲しいって言うからさー。あたし、頼まれて殺したのは初めてだったよ」
「……どんな方だった」
「人形みたいな女の人。玖蘭ちゃんみたいな人だったなー」

それを聞いて、英と優姫はこの土地を訪れた目的を完全に達成した。やるせなさを感じながらも、訪れる前に終わってしまったことを今更どうこう言うつもりはなかった。

あの神社を管理していたーー管理し続けていた女性は、どんな思いで死を望んだのか。かつての自分達には難しい問いだったのだろうが、今の英や優姫には、漠然と想像できた。

狛織は、問いかけには興味がないのか追及する様子はない。しかし魚を見ているようでもないので、何か言いたいことはあるらしい。

魚を貫いたダガーを弄び、くるりと振り返った。

「あたし、負けたから考えたんだよこれでも」

英は、話の脈絡のなさに疑問符を浮かべたが一瞬だった。優姫にも報告はしてあったので、優姫もすぐに思い至った。

「やっぱ、殺さないっていうのは無理。そういう風に出来てるから。けど、なんていうのかなー……ちょっとだけ、意識してみようと思う。自分が、自分のために誰かを殺したってことを」

英は、そうか、と言うだけだった。優姫が物言いたげに視線を寄越したが、それだけだった。

人間と吸血鬼が異なる存在なのはもちろんだが、狛織たちのような者はまた別のカテゴリにある存在だ。人間と吸血鬼の共存が難しいのと同様に、彼女らとは理解し合えない。この壁を取り除くことは、数日程度では不可能だ。

英と優姫の淡白な反応に狛織は満足気に頷く。狛織は初めから、自身とその他との壁の分厚さを知っていたのだろう。

「……ただねーでもねー。あたし、藍堂くんと玖蘭ちゃんと、お友達になりたいよ」
「えっ友達じゃないの?」

狛織が目を瞬く。至極当然のことと首を傾げる優姫をじっと見て、英へ顔を向けてくる。英は、友人の定義は知らないが、とため息混じりに言った。次会う約束をしたわけでもなく、住処を教えたわけでもないが、狛織にはそれで十分なようだった。

もう、会うことはないだろう。この地に用はないし、吸血鬼の住処を簡単に告げるわけにもいかない。いずれこの山の屋敷を利用する機会があるかもしれないが、狛織が生きている内とは限らない。

英は奇妙な関係を自覚して少し笑った。理解出来ない友人など、作ろうと思って作れるものではない。

「じゃあ!縁があれば、また!」

狛織は喜色満面で、魚くさいダガーを投擲した。



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