黄色がアナグラに到着する




涼太が悶々としている間に、ヘリはフェンリル極東支部――通称アナグラに着陸した。

コンクリートを固めて並べただけのような外観は、余分な装飾が一切なく、涼太に要塞や城郭といった言葉を連想させる。無数の低い建物を高く分厚い壁が囲っており、壁の外側には崩壊したビルがいくつも見えた。

涼太は、ヘリの中からソレを見下ろしていた時、コウタに一つ問われた。壁の内側にある低い建物を示したコウタは、「お前の家はどのあたりだ」と何の躊躇いもなく言ったのだ。涼太は当然それに答えられなかったが、壁の内側にある平屋が≪居住区≫だと気づいて、ただ寒気がした。

ヘリからまずコウタが降り、次いでアリサが降りる。涼太はヒノに促されるまま降り、最後にヒノが降り立った。三人がパイロットに礼を言っていたので、涼太も会釈を一つしておく。

涼太は、自身の胸あたりにあるヒノの頭を見下ろしながら、おとなしく後をついていく。そんなに緊張しなくてもいいよ、と見上げたヒノに言われたが、簡単にリラックスできる訳がない。ついでに言うなら、アリサに睨まれる意味が分からなかった。

重厚な扉をくぐり、居住区を囲む壁と一体化したような施設に入る。そこで、言葉をかけてはきたが無駄口を一切叩かなかったヒノが足を止めた。

「私らは神機戻してくるけど、リョウタ君は医務室行きね」
「医務室……?」
「一応診てもらった方がいいじゃん。あ、詳しい事情とかは後で聞くし色々教えたげるから、医務室ではおとなしく診察されてればいいよ。私が迎えに行くまで待ってて」

「一般人保護したことは連絡してるから気にしなくていいよ」とヒノは緩い口調で付け足した。まさかここから放置かと思った涼太だったが、案内するからと歩き出したヒノにひとまずほっとする。先に歩いていたコウタは、エレベーターを止めて待っており、立ち止まっていた涼太らを急かした。アリサはと言うと、涼太を警戒するかのように――事実そうなのかもしれない――涼太の数歩後ろを歩いてる。

……訳わかんねーのは、俺の方だっつの。

涼太は髪をくしゃりと混ぜ、顔をゆがめた。




案内された医務室は学校の保健室と大差なく、中には白衣の男がいた。カーテンで仕切られているベッドがあったので、病人だか怪我人がいるのだろう。そんな中で診察するのはどうかと思ったが、ヘリから見たこの環境を思い出し、何事も切り詰めて生活しているのだろうと自己完結した。加えて診察を受けてみれば、問診含めて本当に軽いものだったので、これも別室にならなかった理由の一つかと納得することにした。

診察には二十分もかからなかった涼太は医師に礼を言いながら、ヒノを待つのにどうすればいいのかと考える。しかし、ヒノが現れたことでそれも杞憂に終わった。

「ドクター、ヒノです」
「どうぞ。ヒノちゃん、任務お疲れ様」
「あざます」
「怪我は?」
「回復薬で間に合いましたので」

へらりと笑うヒノに、医師が「ヒノちゃんは安心できるけどできない」と苦笑している。涼太はなんとなく居心地悪くなりながら、呆然と薬の棚を眺めた。

「じゃー行きましょうかリョウタ君。ドクター、ありがとうございました」
「……ありがとう、ございました」
「どういたしまして。彼、家まで送るの?」
「あーいえ、ヘリでもちょっと混乱してたんで、もうしばらくいてもらおうかなと」
「あれ、そういえばあれか。リョウタ君のこと、こっちが前もって分かってなかったんだってね」
「そうなんですよ、そのあたりも聞かないといけないんで」

涼太は人知れず緊張を走らせた。何もかも素直に話せば、自分の立場が危うくなるということは、いくら勉強が苦手とはいえ容易に想像できるからだ。彼らが言うように錯乱を押し通すか、いっそ記憶喪失を装うか。頭の切れる同級生やチームメイトを思い起こし、彼らにアドバイスを乞いたいと切に思う。

涼太はヒノに連れられ、再びエレベーターに乗った。階が変わると、俯き加減の涼太の視界に青が入る。フロアの廊下に、深い青色の絨毯が伸びていた。廊下の両側には等間隔に扉が並んでおり、アルファベットで名前と思しきものが示されている。涼太はヒノに続いて、ある一室に入った。

入って左手にローテーブル、右手にはベッド。正面には絵が飾ってあり、見慣れない装置も目に入る。棚には写真が飾ってあった。煙草や酒らしき臭いも感じた。生活感漂う空間に、涼太は戸惑いを押し殺して口を開く。

ヒノはというと、部屋の冷蔵庫を開けて飲み物を出している。マイペースだなと素直に思った。

「あ、の。ここって」
「私の部屋。あ、たばこの臭いとかダメなタイプ?」
「別に、そうじゃねえスけど……吸うんスか?」
「吸わん吸わん。私の前に使ってた人が、ね」

心境を誤魔化すためか、無意味な問いが出る。だが、年下か同年代に見えるヒノが喫煙者とは違和感が半端なものではなかったので、どこか安堵していた。

涼太の問いに苦笑して手を横に振ったヒノは、ソファを示して座るよう促す。涼太が控えめに腰かけると、ヒノがテーブルにグラスと飲み物を置いた。

涼太と間隔を置いて座るヒノは、普段見る女子よりもはるかに大人びていたが、どこにでもいる普通の子に見えた。つい先ほどの戦闘は夢だったのではないかと思ってしまう。

……夢であってほしいってとこか。

「まーまーそんな緊張しなくていいよ。取って食いやしないし」
「……つかなんで俺、その、ヒノさんの部屋にいるんスかね」
「一般人を保護するときって、大抵前もって分かってるのね。だから、カウンセラー的な人の予定つけておくんだけど、今回急だからさ。私らの上司も今ちょっと外してるし、博士……ここの代表みたいな人なんだけど。あの人、治療とかそういうの出来るから頼みたかったんだけど、博士も博士で忙しいからさ」
「はあ……」
「一応錯乱っぽいリョウタ君を、エントランスとかに放置するわけにいかないし。この支部も人多いからさ、医務室も案外出入り激しいのね?で、保護したのうちの部隊だし、一応私隊長だし。男同士がよかったかもだけど、コウタに任せるのも不安だから……ベテランの男もいるんだけどね、今日まだ任務あったからさ。いや、いたとしても了承してくれるとは思えないけども」

ヒノはぺらぺらと話しながら、グラスに飲み物を注いで涼太に出す。涼太は小さく礼を言って、こくりと喉に流し込んだ。

その間にもヒノは、棚から紙を引っ張り出した紙になにやら記入を始める。ただ、会話に関係なく手が動いているので、涼太の状況に関するものではないのだろう。ヒノは紙に視線を落としたまま、呑気な声で言った。

「んでまーリョウタ君。どっからどこまで分からなくなってる?」
「……全部っス」
「家どこか覚えてる?」
「……覚えてない」

ヒノの手が瞬時止まる。涼太は努めて冷静を振る舞った。分からないことは分からないと言っておくべきなのだ。

知ったかぶりをしてこの環境に放置されたら、おそらく自分は生きていけなくなる。だからといってすべて正直には話さない。おそらく、涼太の常識とここでの常識はノットイコールだからだ。問われたことに正直に答える。ただ自分からは話さない。それが涼太の決めたスタンスだった。

「アラガミとは何か?」
「……ば、化け物?」
「私の職業は?」
「へ?えー……あ、ゴッドイーター?」
「んとー今日の日付。年も」
「……分かんねえっス」

彼女はうなり、人差し指で自身の頭をつつくようにした。思考する時の癖なのだろうか、と涼太は何気なくそれを眺める。

「あ、なんであそこにいたの?一番大事な質問忘れるところだった」
「俺が聞きたいっス」
「つい最近頓挫しちゃったある計画は?エから始まる」
「エ?……エ?」

そこで、ヒノは明らかに渋い顔をした。涼太は瞬時視線を泳がせ、動揺するなと自らに言い聞かせる。

「……じゃ、改めて名前。と、歳」
「黄瀬涼太、十六歳」
「ん……うん」

ヒノは手の動きを再開させ、口を閉ざす。「んー」とうなっているあたり何か悩んでいるらしい。

涼太はうるさい心臓と嫌な汗を意識しないようにして、ただヒノの返答を待った。今、涼太の生殺与奪を握っているのは彼女といっても過言ではないのだ。世間話のような調子だったが、先ほどのものは明らかに事情聴取である。

数分経って、ヒノが紙とペンをテーブルに置く。ヒノは、緊張を隠せなくなった涼太に顔を向けると、その口角を上げた。

「錯乱っていうより記憶喪失っぽい」
「!……そ、スか」
「博士にはそう言っとく。もうちょっとしたらラボに行っても大丈夫なはずだし。それまで……ここにいてもいいけど、どうする?医務室で休む?エントランス……は止めた方がいいかなあ」
「どこでも、いいけど……なんで記憶喪失と思うんスか?」

問いかけると、ヒノはぱちりを瞬きをした。今までの応答で分かるでしょ、と目で訴えかけれる。涼太とてそれは分かっているが――少し馬鹿にされたような気がした――決め手を聞いておきたかったのだ。涼太としてはその判断は嬉しいものだが、記憶喪失などそうそうあるものでもないはずだ。ヒノが何の疑いもなく「錯乱」の次に「記憶喪失」を挙げた理由を知っておきたかった。

普通ならば。「居住区を出る」という禁止事項――コウタを見ればわかる――を破ったことを罰せられたくないから「白を切っている」と思われそうなものだ。

ヒノは頭が回るのだろう、涼太の思考をすぐに察したらしい。指先で頭を突きながら、斜め上に視線を投げつつ口を開く。

「確かに、短絡的かなと思うけどさ。……あるんだよなあ、ゴッドイーターに保護された記憶喪失者っていう前例が」
「え!」
「一切、どこの記録にも載ってない人間でね、結構困ったらしいよ。……リョウタ君の話を聞いて、そりゃ嘘かもしれないとは思ったけども。基本、居住区からの出入りは出来ないようになってるし、出来る場所も管理されてるから、嘘ついたって意味ないんだよね」
「……俺、どうなるんスか」
「さあ?しばらくここにいるんじゃないの?適合者って可能性もなくもないし、そうじゃなくても、許してもらえればここで就職っていうのもアリでしょ」

ヒノの言葉には、涼太の分からないものが含まれていたが、根掘り葉掘り問いかける気力もないので曖昧に頷いておく。そして唐突に、ここに自分の仲間はいないのだと実感した。

……あーこれ、結構キツイな。

自覚した途端、泣きたくなってくる。ヒノらに助けられたときも泣いてしまっているので、涙腺がもろくなっているのかもしれない。しかし女の子の前で何度も泣くのは避けたいので、ぐっと唇をかんでいた。

その時、滲んだ視界に手が差し伸べられる。視線をゆるゆると上げると、ヒノが赤い目を細めて微笑んでいる。赤い目は無意識に中学時代のチームメイトを連想させ、威圧感と同時に安堵も感じさせた。

「私は、フェンリル極東支部第一部隊所属ゴッドイーター。ヒノ・イヴァーノヴナ・エリセーエヴァ、十七歳くらい。長いからヒノでいいよ。――よろしく、リョウタ君」
「っ……こっちこそ、よろしくっス」

少し冷えたヒノの手は、小さく、傷が多かったけれど、強く涼太の手を握った。



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