IF黄色と神喰いの再会
部活終わり、一人帰路につく森山がいつもと違う道を選んだことに意味はなかった。インターハイを目前に控え疲労困憊であったが、だからこそ気分転換だと思ったのかもしれない。
視界に入った小さい公園。滑り台とブランコがあるだけのこじんまりしたもので、休日には近くの子供がたむろっている。もっとも、平日の夜近いこの時間に人影はなかった。
ーーないと思っていた。
ちょうど滑り台の影に、見慣れぬものを見つける。別段視力が悪くない森山は、それが人であるとすぐに気付いた。「えっ」と思わず漏らし、周囲を見回すが誰もいない。道に突っ立ってしばし呆然としていたが、放置するのも目覚めが悪い。酔っ払いだったら警察に通報しようと決めて、携帯を片手に歩み寄った。
そろりとした足が速くなる。その人影は、どうやら女性らしいのだ。小柄だが、年上らしいとはなんとなく察せられた。少々特殊な服装ーーコスプレなのか彼女なりのオシャレかーーに加えて砂まみれという普通ではない状態に、警戒心を抱く。が、それを上回る<女性>というキーワード。
「大丈夫、ですか?あのすみません!どうしたんですか?」
あまり動かすのも良くないだろうと、肩を叩いて声をかける。ぐったりしているようなので起きないのでは、そんな由孝の予想に反し、彼女は目を開いた。効果音をつけるならば<カッ>と勢いよく。森山の方が驚いたくらいである。
「っどうかしたんですか?一体何がーー」
「あっえ、え」
「え?」
森山をまるっと無視し、彼女は飛び起きると野生の動物のような動きで森山から距離をとった。その拍子に滑り台の支柱に頭をぶつけて鈍い音を鳴らす。呆気にとられる森山をよそに、彼女は後頭部をさすりながらしきりに周囲を見回していた。かと思えば、はっとしたように手をバタつかせ、何かを探す。ありありと浮かぶ焦燥だが、これまた何かに気付いたのか、唐突に脱力していた。
「ーーお姉さん、もしよかったら、どうしてこんな所にいたのか聞かせてはもらえませんか?ここで出会ったのはきっと運命、俺にできることがあれば教えてください」
森山のナンパ精神と運命論は、不審者であれど適用された。森山が微笑みを浮かべて言うと、彼女は目をしばたたいた後、小さく笑った。
「君、変わってるな」
「そうですか?」
「うん。それで、お言葉に甘えていくつか聞きたいんだけど」
「なんでも言って?女神のためならなんでも応えよう」
「ふふ。……今、何年何月何日で、ここはどこかな」
「……20XX年6月20日、神奈川県Y市」
「へえ……そっか。そうなるのか」
訝しげつつ答えると、彼女はゴツゴツしい腕輪をした手で額を押さえた。俯いて深いため息をつき、「ああ、もう、なにこれ、くそ」と悲しげな声音で呟く。
ああ、これはなにか厄介なことだ。
森山は遅れて気付き、だがここで見捨てられる訳がなかった。幸いにも彼女は友好的で話が通じるようなので、携帯を握りしめつつ声をかける。
「……迷子?」
「あー……みたいなモン」
「近くの交番案内しましょうか?」
「いや、それはちょっと……遠慮したい。あ、別に危ないことしてる訳じゃないんだけど。ちょっとさ」
「行く当てあるんですか?」
「ないね。困ったぞ……やっぱり交番かなあ。嫌だ……無理……」
彼女を家に呼ぶ、という選択肢が浮かぶ。ただし<訳ありらしい見知らぬ人>。家族からの反応が怖すぎるし、大会前に厄介事を引き受けたくはない。
「野宿でいっか」
悩んでいた彼女が名案だとばかりに言うものだから、森山は腹をくくるしか無かった。
「うち、来ます?」
「……一晩、だけ」
彼女はヒノと名乗った。どうやら森山の一つ上らしい。職業や出身は答えてくれなかったが、英語とロシア語を身につけていると教えてもらった。丁度英語の課題が出ていたので、宿代にと教えてもらうことになった。あと敬語はいらないとも言われた。
帰宅すると父親には叱られた。然るべき機関に通報すべきだと。もっともだと思うが故に反論出来ない。その矛先はヒノにも向いたが、ヒノはそれを受け止めた上で深く頭を下げた。
「私が不審者なのは重々承知しておりますが、私には今頼れるところがありません。今夜一晩だけお願いします。明日には出て行きます」
「家出ならはやく帰りなさい!それがいやなら警察に連絡するぞ」
「……待ってくれ、ヒノさんは相当混乱しているようなんだよ。しかも怪我もしてる。今日のところは多めに見てくれない?」
「ヨシタカ君……。本当にすみません」
ギスギスした空気を崩したのは母親だった。時間も遅いし今日は仕方ないからと折れてくれたのだ。砂まみれのヒノに、思うところもあったのかもしれない。見捨てるように私室へ引っ込んだ父親を見送ると、ヒノに入浴を促していた。
森山が遅い夕食を終えた頃、風呂からヒノが上がってくる。母親が貸した部屋着に着替えており、もちろん砂は綺麗に落ちて、いたって普通の女性になっていた。父親がいないのをいいことに韓流ドラマを見ていた母親に、ヒノは改めて礼を言う。
「布団出したから、由孝に案内してもらって」
「いえ!私はその辺で構いませんので」
「そういう訳にいかないわ。せっかく出したんだから使いなさい」
「……ありがとうございます」
あーやっぱり母さんも怒ってるなー、となんとも言えない気持ちでやり取りを眺め、食器を流しに持っていく。
時計を見ると、もめたにも関わらず、食後はいつもとあまり変わらない時間だった。そういえばいつもは帰宅直後の入浴なのだと思い出す。しかし、ヒノの入浴直後というのはなんとなく気まずい。今日は先に課題をするとしよう。
「ヒノさん、英語いいかな」
「あ、うん。いいよ」
普段部屋で課題をするところだが、母親にもう少し警戒を解いて欲しいとも思い、リビングで英語のテキストを出す。課題は英語の長文の和訳だ。ヒノは「小難しい文法はわからない」と言っていたが、和訳英訳ならば守備範囲らしい。
目が滑っているんじゃないかという勢いで長文を読み、いけそう、と頷く。好奇心で音読をせがむと、それはそれは流暢な英語が聞こえてきた。ヒノ曰く、ロシア語の方が得意らしいが。
「あら、バイリンガルなのね。ハーフとか?」
「いえ、純日本人です」
「ロシア語もいけるらしいからマルチリンガルじゃない?」
「あら!すごいわねえ」
母親に好印象だったらしい。森山は密かにため息をついた。
英語の課題は滞りなく終わり、ヒノを客間へ案内した。就寝には早い時間だが、父親が入浴で部屋を出る前にと思ったのだ。ヒノもそれは心得ているようで、客間で頭を下げられた。腕輪で重そうな手を揃え、謝罪される。
「本当ごめん。色々」
「いいって」
風呂を終えたのに、ヒノが腕輪を外す様子はない。鍛えていると分かる、ほどよく引き締まった腕は、ヒノがただのか弱い女性ではないと主張している。何者なのだろうかとしみじみしていると、視線に気付いたらしいヒノが苦笑した。
「あ、腕輪(これ)?」
「うん、ごついな。重くないの?」
「ずっと付けてるからね」
「お守りとか?外せばいいのに」
「そうだね」
外れればね。
意味深な呟きは、都合よく聞こえないふりをした。そのまま就寝の挨拶をし、森山は客間から出たのだった。
*
「森山、小堀、今日食って帰らね?」
「おお?急だな」
「母親から連絡入ってた。出掛けることになったから食ってろって。弟(あいつら)は外食か……」
「じゃあマジバでもーーあ、悪い。パス。今日は帰るわ」
「俺はいいぞー」
珍しく歯切れの悪い森山に、笠松も小堀も首をひねった。そういえば、今日の森山はどこか落ち着きがなかった気がする。部室は当番の他の三年に任せると、三人は連れ立って部室を出た。
「森山、なんかあったのか?」
「…………あった」
はぐらかそうとした森山だが、笠松と小堀に左右を押さえられては、濁すことができなかった。「おらさっさと吐け」と口の悪い笠松の面倒見の良さに救われつつ、少々躊躇いがちに口を開く。
「……昨日の帰りに、公園で人が倒れてたんだ」
「えっ」
「は?」
「砂だらけででさ。警察は避けたいけど混乱してたようで行く当てもないっていうし、うちに泊めたんだよ。父親にはすごい怒られたけど」
「だろうな。よくそんな不審者泊める気になったな」
ため息交じりの小堀に、森山は当事者でありながらも同意する。どうしても、彼女が嘘をついているようには不思議と見えなかったのだ。
「一晩だけって言ってたから、今朝俺が飯食う時には、母さんに挨拶してたんだけど。あ、父さんはまだこの時起きてなかったな。……で、聞いてみたらやっぱり行く当てはなくて。とりあえず色々整理したら警察に行くことも考えてるっていうんだけど嫌そうでさあ……とりあえず、朝飯食ってけって母さんが用意したんだけど」
「けど?」
「美味しいって泣いちゃって」
「絆されたのか……」
「そんな感じ。俺も母さんも。行く当てのない女性を知らないふりもできないしね。ホームステイに来てるってくらいの気持ちで対応することにしたんだ。今日、なんか短期バイト探すって言ってた」
「色々突っ込みたいところはあるが……森山、いつまで面倒見るつもりなんだ?」
「それも朝聞いたんだけどな。最長2ヶ月」
「あ、居座る気はないんだ」
「……森山」
「どうした?笠松」
「そいつは……女なのか」
「女だな。ちなみに年上」
どうやらよく分からないタイミングで、笠松の女性苦手スイッチを押してしまったらしい。
「女子を泊めるなんてお前……!」
「いやそうだけどなんでそうなる!?困ってる女性がいたら助けるのが男だろ!」
「お前ら両極端だよなあ……まあ、問題起こさないように頼むぞ。黄瀬のことが落ち着いて、まだ経ってないんだから」
後輩の名前が出て、森山は苦い顔をする。そうなのだ、我がバスケ部は問題を乗り越えたばかりで、これ以上の問題は御断りしたいのである。森山は、彼女が見た目通りの、普通の女性であることを願っていた。
帰宅すると、ヒノはパートを終えた母親とキッチンに立っていた。女同士通ずるものがあったのか、息子二人の母親としては娘もほしかったのか、兄が家を出て寂しい思いもあったのか、打ち解けているようだった。父親はというと、不機嫌そうにテレビを眺めている。
「ただいま」
「おー」
「おかえり。お風呂いってらっしゃい」
「おかえりなさい、ヨシタカ君」
キッチンからわざわざ出てきて、笑顔で言うヒノに、思わずよろける。なるほどこれが新妻か。
明らかに昨日よりも明るくなったヒノは、改めてよろしくお願いします、と頭を下げてきた。なんとか父親と話せたということだろう。
「よろしく、ヒノさん」
「……敬わなくていいんだけど」
「そうよ由孝。お姉ちゃんができたと思いなさい」
「ホントいつの間にそんなに仲良しに……じゃあヒノちゃんで」
妹ができるのではなく姉が出来るとは奇妙な話だが、悪くないと思った。由孝よりも25センチ下で、ヒノは満足気に笑っていた。
***
『ごめんなさい、最下位は蟹座のアナタ!今日のラッキーパーソンはボディガードだよ!運気は最悪、事故から守ってくれる人が必要です。兵長とか少尉とか、階級持ちの人に守ってもらえると運気補正出来ちゃう!』
それを聞き、高尾が表情を凍らせたのが今朝のこと。おは朝は鬼畜すぎるラッキーアイテムのため、順位はともかくアイテムだけは二日分発表される。よって昨日から<ボディガード>のことは知っていたのだが、まさか最下位だとは。
たかが占い、されど占い。相棒がおは朝に命を握られている高尾としては、一大事なのである。
何時ものように待ち合わせ場所に行くと、既に満身創痍な緑間がいた。
いやでも、階級持ちがそう簡単にいてたまるかっての!
「はよー真ちゃん。大丈夫か?」
「おはよう。大丈夫に見えるのか、最下位の上ラッキーパーソンないのだぞ」
「だよなー。ただのボディガードなら、俺が側にいる、とかでも多少改善されるのかね」
高尾は自慢の空間把握能力をフル稼働させ、緑間に迫る危険に気を配る。看板や植木鉢が落ち、水をかけられ、トラックの荷台から角材がおちーー学校に着いたのは、集合時間から30分経っていた。緑間の不運ぶりを知っている先輩方には連絡してあったので咎められなかったが、高尾と緑間は、まだ全く安心できなかった。
「すぐ出るぞ、準備は終わってる」
「準備……」
「おう。忘れたわけじゃねーだろ?練習試合だろうが」
「死ぬなよ緑間。俺らもフォローするけど」
笑えない冗談だった。
学校を出て、駅まで行くのに一苦労。相手校の最寄駅に着き、相手校に行くまでも一苦労だ。いっそ緑間を置いていけばいいのかもしれないが、エース不在では格好がつかない上、運動能力の優れるメンバーが不在になる体育館に放置するのもはばかられるのだ。少なくとも高尾がいれば、死角はないに等しい。
ようやく相手校の最寄駅に到着し、残すところは2キロの徒歩だ。
「マジおは朝こええよ!なんなんだよラッキーアイテムの難度下げろよ!」
「む。今日はラッキーパーソンです」
「そういうことじゃねえよ轢くぞ」
笑いの沸点が低い高尾も、今日は笑ってばかりではいられない。緑間の不運の巻き添えになりながらも、まさにボディガードとして働いていた。ボディガードよろしく周囲を警戒しているのは、秀徳メンバー全員に言えることだったが。
しかし、悲しきかな、問題は全力疾走で向かってくるのである。
「きゃあ!ひ、引ったくり!!」
「……真ちゃん運勢悪いとよく遭遇するよな」
「俺のせいではないのだよ」
高尾は口元を引きつらせて呟き、正面から走ってくる男を見る。先輩らも慣れたもので、女性の悲鳴に反応した部員が動く。
だが今回の引ったくり犯はバイクに乗っていた。いくら何でも、バイクに挑む気にはならなかった。体力自慢が多いとはいえ、怪我をする訳にはいかないのだ。
犯行のためにスピードを落としていたバイクが、ハンドルを秀徳バスケ部の方へと向ける。
「あ。これこっちに突っ込んでくるパターンっすね!?」
「っお前ら避けろ!特に緑間!」
部長である大坪の言葉に部員だけでなく通行人も道を開ける。開けた道をバイクが走り出そうとしたその時、高尾は人ごみから飛び出してくる女を見た。
加速するバイクの正面に躍り出た彼女に、秀徳勢も通行人も、犯人でさえ悲鳴をあげる。馬鹿な女を退避させようと部員が数名身を乗り出すも、これでは間に合わない。
引ったくりに続けて轢き逃げとかシャレになんねぇよ!
阿鼻叫喚の中、比較的近い位置にいた高尾は、彼女の口元の動きを読み取った。緊迫感のない表情で、むっと口を尖らせていた。
「あー、いけるかなー」
女は正面からバイクにぶつかりーー否、受け止めた。足を踏ん張り上体を前傾にし、タイヤに足が巻き込まれない体勢で。ギュルルルという耳障りな音ののち、「うおりゃっ」運転手と引ったくり共々、バイクは横倒しになった。
静まり返る周囲。女は、ダメージに悶える男二人を引きずってバイクから離すと、くるりと高尾らの方を向いた。
「そこのガタイいいお兄さん方。ちょっと、こいつらの拘束手伝って」
何者ですかとか人ってバイクに勝てるんですかとか今更男手いりますかとか、疑問は沢山あったのだが、高尾は口笛を吹いて手を叩いた。
彼女が面倒ごとは嫌いだからと逃亡をはかり、逃してたまるかとスタメン筆頭に引き止める。足を止めてくれた彼女に緑間の不運を語り、協力をあおぐと、非常に軽いノリでボディガードを了承してくれた。
迷子になりながら散歩していたという彼女は、特に用事もないらしい。
拘束した引ったくりは街灯に縛り付けてーーそばのコンビニでビニール紐を購入したーー晒し者の状態まま、警察が来る前に高尾らは移動していた。面倒事は困るという彼女の意思である。目撃者も多かったことから秀徳高校に連絡が入る可能性は高いが、その時はその時だ。
「占い最下位でうわあ……よく生きてたね……」
緑間を見上げて顔を引きつらせる彼女に、部員が頷く。
「今日こそはどうなるかと思ったぜ……」
「中尉役のスタント経験者がいたから良かったがな。他の蟹座どうなるんだよ、おは朝緑間にピンポイントすぎんだろ」
口々に言い合う三年生に、彼女ーーヒノがもっともだと笑った。
緑間がラッキーアイテムを調達するのは「運気補正」のためであって、「実用性」を考えてはいない。しかし今回ばかりは「運気補正」で済まないーーそう言ったのは緑間本人だった。
「運気の補正ではなく、単純に俺の身を守るための≪ボディガード≫なのだよ。階級云々も、いつもの補正ではなく、それほどの実力がなければ危険だという意味なのだろう」
「……全国の蟹座死なねーかな」
高尾は、落下してきた植木鉢を蹴り飛ばしたーー跳び上がり、人のいない位置にーーヒノにまたしても拍手する。ヒノの無茶な行動にハラハラしたのも初めだけで、宮地が「流石スね」と写メっていた。植木鉢の片付けは、血相を変えて降りてきた持ち主に任せた。
「丁度なまってたから、いい運動だわ」
「いい運動で済ませていいんですか」
「いいのいいの。そういやあ、その相手校ってそろそろ?」
「あの左手に見えてるのがそうっすよーー海常高校!」
高尾が指を指して示す。ヒノは学校を復唱し、あれま、と乾いた笑いを漏らしていた。
「どーりでこの辺り、見覚えがあると思った」
「海常知ってるんですか?」
「うん。今お世話になってる家の息子さんが、そこの三年生」
「へえ!」
「んで確かバスケ部」
「え!?」
「でもってスタメン、のはず」
「ええ!?」
「森山由孝君、知ってる?」
あのきったない回転の!と高尾が口を滑らせると、宮地からゲンコツをいただいた。
「なんでヒノちゃん?」
森山はアップを止めて目を見開いた。体育館に入ってきた練習試合相手に、なぜか居候がまぎれているのだ。今日はバイトがないから散歩に興じると聞いていたのだが。
ヒノも森山に気付いたらしく、苦笑して手をひらりと振ってきた。何か訳があるのだろう。笠松に声をかけようとしたところで、スタメンどころではなく秀徳一同から一礼される。一体彼女は何をしたのか。
「笠松……うちの居候がいる。ちょっと聞いてきてもいいか」
「例の!?さ、さっさと戻れよ」
「ああ」
シャツで汗を拭い、秀徳へ駆け出したその時、体育館に黄色い歓声が飛んだ。ヒノを含めて秀徳が驚いたのが分かったが、海常にとっては日常茶飯事だ。体育館を外していた黄瀬が戻ったのだろうーーそう容易に判断でき、森山は原因を探そうともしなかった。どうせ、「遅い」とキャプテンに蹴られるのだ。
視線の先のヒノは、表情を驚愕で染めていた。そういえばモデルがチームメイトである、と話していなかったかもしれない。森山は、ヒノがそういった方面に興味を持っていることを意外に感じていた。
「ヒノちゃん!」
駆け寄って呼ぶと、ヒノは弾かれたように森山に視線を合わせる。森山は、面識のある秀徳勢に軽く挨拶をしながら首をかしげた。
「なんで秀徳と一緒に?」
「え、あ、ラッキーアイテム。真太郎君の」
「○○駅前で助けてもらった時、ヒノさんがラッキーパーソンだって分かったんで、お願いしてついてきてもらったんすよ」
なぜか挙動不審なヒノに代わり、高尾が人懐こく笑う。緑間の信者ぶりは、森山も黄瀬から聞いていたため、曖昧に頷いておいた。実際目にすると理解しがたいが。
「試合相手が偶然、由孝君のところで。さっき知ってびっくりした」
「俺の方がびっくりだよ。ラッキーパーソンって具体的にどんなーー」
森山がそこまで言ったところで、森山の視界に金色がちらついた。黄瀬がまっすぐこちらにやって来たのだ。かつてのチームメイトに話でもあるのか、と隣に立った黄瀬を見る。秀徳勢もある者はキョトンと、ある者は好戦的に黄瀬を見据えている。
しかし黄瀬の目は、秀徳に付き添う、森山家の居候に向いていた。本人は、真顔で黄瀬を見上げていた。
「……森山センパイ」
「なんだ?」
「この人と、知り合いっスか」
「まあ、な。お前こそ、ヒノさんと知り合いか?」
「っ……ヒノ、さん。俺の知ってるヒノさんスか?」
「黄瀬、なに言って……?」
問いかける黄瀬の声が震えている。ごくりと唾を飲み込む音が聞こえた。森山はなぜか動けないまま、黄瀬とヒノと秀徳勢に視線を走らせる。秀徳は例外なく怪訝そうで、黄瀬とヒノの間だけ、恋愛映画のワンシーンのように違う空気が流れていた。
間をおいて、ヒノが応える。その声はやや震えていたが、これ以上ないほど嬉しそうに頬を緩めていた。
「無事で何よりだよ、リョウタ君」
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