わんこ、受験する


2018/3/22 カット

 私は呑気にトドロキ家の穀つぶしをしているわけではない。事情聴取に数回呼ばれ、エンデヴァーとも何度も話している。
 今までの話をまとめると、次のようになる。
 個性は獣化と製氷と炎上。無痛症もどきのため、一人で生活することが困難である。記憶に混濁が見られ、自分がどこから来たのか分からず、また、該当する捜索願も出されていない。敵側でないとはいえ強力な個性を持っているため、監視は必要であり、エンデヴァーの監視下に身を置くのは妥当である。
 しかしいつまでも無国籍無戸籍年齢不詳学歴不明ではいけないということで、この度、なんとトドロキ家の養子になることとなった。
 エンデヴァーは拒否したようだが、フユミとショートが賛成したために、他のヒーローらに押し切られてしまったらしい。フユミは妹として私を気に入り、ショートはアニマルセラピーの虜になっているのだった。
 私は戸籍上、轟氷火(ヒョウカ・トドロキ)となったが、ポチと呼ばれ続けている。

「義理とはいえ俺の娘という立場になるのならば、相応しい振る舞いをしてもらう」
「おっけ!」
「……。お前の個性は優秀だ。他の兄弟とは違う。いずれナンバーワンヒーローとなる、焦凍の力になれ」
「努力はするけど、私が出来ることは少ないよ。あんまり運動できないし」
「力のコントロールや実戦経験は、お前の方が上だろう。焦凍はつまらない意地を張って、俺の力を使わない」

 役に立てる気がしない。そもそも個性と念能力は別物だし、私は能力運用の感覚がかなり大雑把だ。実戦経験はショートよりあるだろうが、実戦を"見学した"経験がほとんどである。
 しかし、働かざる者食うべからず、という。

「ほどほどにやってみるよ。あんまり期待しないでね」
「それから、ここを受けろ」
「……雄英高校?ヒーロー科?ショートが推薦で受けるところじゃなかったっけ」
「ああ。お前は一般入試になる。ここの教員は現役ヒーローが多く、お前の事情も把握している。受験資格については心配無用だ」
「勉強……やだよ勉強……」
「実技で圧倒的結果を残せば問題ない」
「それはいかほどの?」
「実技試験では複数の会場に分かれ、仮想敵を倒して点数を競う。例年そうなっている。その会場内の敵を全て倒せ」
「……」
「焦凍は推薦で通る。遠慮はいらん」
「それは心配してないけど、結構無茶を言うね……会場の広さは?体育館くらい?」
「町一つ分だな」
「んんんー!」

 私は戦闘員ではないと言ってるのに……。
 人外と言って差し支えないほど強い保護者達が頭を過る。彼らは念能力を使わなくても、元の身体能力が相当高い。念で強化しているとはいえ、目視できないスピードでビルの側面を走る人間を、私は人類と認められない。
 ぐずぐず言ってもどうしようもないので、受験することは了承した。
 落ちたらすみません。許してくれるかなあ。



 パパ上のお言葉通り、雄英高校ヒーロー科の実技試験は模擬市街地にて仮想敵を倒すというものだった。
 ちなみに。実技試験は真面目に勉強した甲斐あって、なんとか滑り込めるかもという印象だった。滑り込みたい。ショート先生に土下座ものである。
 受験票に書いてある演習会場はG。仮装敵の種類は四種類。うち一つはポイントにならないというが、そんなわけないだろう。
 立ち向かう気も起きないほど強い代わりに超高ポイントか、倒すことによってなんらかのギミックが発生するか。無意味なものを配置するわけがない。何事も丁寧に説明されていると素直に思わないくらいには、私もすれていた。
 演習会場へはバスで移動するようだが、その前に動きやすい服装に着替える。私も持ってきたジャージに着替えた。汗をかく予定はもちろんない。
 会場ごとに分かれ、バスに案内される。筆記と違って緊張することもなく、うつらうつらしているとあっという間に到着した。
 エンデヴァーの言うとおり、町一つ分くらいの広さはありそうだった。背の高い門と塀が町をぐるりと囲っており、某暗殺一家の私有地を思わせた。私は、あの家の門をどう頑張っても一番小さい所しか開けられない。もちろん、オーラ運用でだ。
 ざわつく生徒たちをよそに、"円"をぐんぐん広げていく。私を中心として広がっていくので、演習会場の真ん中に立って行うべきなのだが、そうするとスタートがかなり遅れる。多少無茶をしてでも、開始の合図前に会場内を把握しておきたい。
 しっかし広いな。私は"円"に関しては相当な使い手の方だと思っているんだけども、入りきらない。
 建造物も多く、仮想敵――私の"円"の中で動いている大型のモノがそれだろう――の把握だけでも苦しいものがある。集中するために、私はゆっくりと座り込んで目を閉じた。"目を閉じるとコケるリスクが爆上がりなので座った"が正しい。
 優しいヒーロー志望の子供たちに声をかけられるが、大丈夫大丈夫、瞑想してるの、とおざなりに返事をする。

「これはー……気合をいれないとなー……」

 "円"とは本来、その中にあるものの動きを肌で感じられるものだ。私はその感覚がつかめないため、3Dの模型として頭の中に広がっている。地理の把握がへたくそな私には、それだけで中々の負担となる。
 事前に配布されたプリントで、仮想敵の外観は漠然と分かっている。が、"円"で細かい造形まで分かる訳がない。あーなんかデカいのが動いてるなー程度である。どれがスリーポイントの仮想敵か判断できない。
 攻撃手段は、氷で殴る一択だ。
 氷漬けにする――出来るが、物理特化の仮想敵ならば割り出てくるかもしれない。足止めに留まり、ポイントにならない可能性アリ。
 炎で焼く――私の炎は、そこまで温度が高くない。その上、どこかに燃え移った場合の処理が非常に面倒だ。
 折角なので、少しだけ能力の話をしておこう。
 私の炎は"円の中ならばどこでも"発生する。オーラを糧に燃えているのだ。だから人魂のように空中に炎を出すことも出来るし、無酸素下でも消えない。ただし、何かに燃え移り、"酸素や炭素を糧にしている炎"となっていまえば、私の管理下ではないのだ。つまり鎮火できない。
 氷も同じようなもので、"私のオーラが氷になっているだけ"。私の"円"の中であれば、水がなくたって氷が出てくるし、上空から氷塊を落下させることも可能――より正確に言うならば、製氷したと同時に重力に従うので落下するしかない。もっと付け加えるなら、任意の量のオーラが一括して時差なしに変換されるため、上空で氷の城でも作ろうとするなら、問われるのはオーラの量ではなく私の想像力だ。炎と違うのは"氷になった時点で私の管理下ではない"という点。つまり溶かせないし動かせない。
 それを踏まえ、"氷で殴る"を分かりやすく言うと、"上空で製氷し落下させて仮想敵を潰す"である。頭脳戦は苦手なのだ。相手が念能力者ではないから通じる手段でもある。プロヒーローにも氷の落下中にかわされるだろうが、試験程度ならば通用すると信じている。

「……加速するし、五〇センチ四方で余裕かな」

 動きを補足している全てに対して、一斉に攻撃することは不可能だ。私の頭の回転数が足りない。
 初めに壊す対象を決めたところで、スピーカーから唐突に『はい、スタートォ!』と合図が聞こえた。




 トドロキ家のリビングにて、私はショートとフユミの間に座っていた。畳のにおいは結構好きだ。

『私が投影されたー!!』

 雄英高校から届いた合格通知は、手のひらに乗る大きさの円盤だった。どうやら投影機らしく、テーブルに置くと勝手に起動し、時々テレビで見るオールマイトとやらが現れた。
 隣に座っているショートが少し身を乗り出した。あとでこの投影機あげたらいいかな。

『エンデヴァーから事情を聞いていることもあって、私が合否通知を任されたんだ。轟少女!実技がとれていても、筆記はいまいちふるわなかったようだな』
「ほう」
「ゴメンナサイ」
『本来なら不合格となるところだが……実技試験で二〇〇点以上を叩き出した強力な個性!巨大な仮想敵に立ち向かう勇気と、見事勝利した実力!手放すにはあまりにおしい人材だ!そこで会議の結果、雄英高校ヒーロー科は、君を歓迎することを決定した!』
「おっしゃ」
「ポチ、すごい!すごいよ!」
「二〇〇点……ポチの個性の使い方、未だによく知らねえな」
「自分の能力をひけらかす訳ないじゃん」
『轟少年と揃っての合格、おめでとう!それじゃ、学校で会える時を楽しみに待っているぜ、轟少女!』

 オールマイトは真っ白な歯を見せて笑い、そこで投影は終了した。
 筆記はいまいちだったようだが、ひとまず合格して良かった。不合格なら、エンデヴァーに何を言われるか分かったもんじゃない。
 実際は、監視の意味合いが強いのだろう。優秀な人材を手に入れたいというよりは、強力な能力なために敵側に回るのを防ぎたい、と言った所だ。
 別に、私は気にしない。ヒーローになりたい訳ではなく言われたから受験しただけなので信念の欠片もないが、あえて犯罪者になろうとも思っていない。ヒーロー側の懸念も分かるので――私は最弱も最弱だが、彼らにはそう思えないらしい――大人しく高校生活を送るとしよう。

「焦凍もポチも雄英なんて、誇らしいわぁ」
「……環境、整えてもらわねぇと。ポチは生活できないだろ」
「それなんだよね。ショートと同じクラスならいいのに」
「うーん、教師の立場から言うと、身内が同じクラスになることはないんじゃないかな。ヒーロー科が一クラスだけなら別だけど」

 私もそう思う――そう、思っていた時もありました。

「A組だ。前後だね」
「面倒見ろってことだな」
「よろしく」
「……気づかねぇ間に倒れられるよりはマシだ」

 学校側から、体調管理のためのチョーカーとブレスレットが送付されていたので、てっきりショートとは別のクラスだと思っていたのだが、結局同じらしい。
 チョーカーは心拍脈拍体温を測定しており、その結果をブレスレットでモニターできるようになっている。とても便利だ。これなら、私も自分の体調を把握することが出来る。伸縮性はないが、内部に折りたたまれた部分があるので、付けたまま獣の姿になっても破損しない優れもの。
 縦に六メートルはあろうかという巨大なドアを開き、ショートに続いて教室に入る。教室内は天井が高い点を除いて、想像通りのものだった。
 すでに登校している生徒たちが、ちらちらと視線を投げてくる。定員二十名のクラスに机が二一個あるが、それは私を無理やり合格にしたからだろう。

「うわあ一番前……」

 ショートがスタスタと一番後ろの席へ移動した。私の出席番号はショートの一つ後ろだ。つまり、私の席がある列の隣、かつ一番後ろがショートの席だ。羨ましい。
 窓際なのは嬉しいが、一番前というのはなんとなくテンションが下がる。
 通路を挟んで隣の席には、大柄な男の子が座っていた。腕が六本くらいあるように見える。
 私の後ろの席はまだ来ていないらしい。その後ろは、机に脚を上げて入学式なのにネクタイをしていないという、絵に描いたような不良男子生徒。
 他にも、見るからに個性豊かな生徒が数人着席している。
 ところで、友達作りは重要なイベントだ。まず席が近いクラスメイトから話しかけるのはセオリーだろう。
 私は、腕六本男子に顔を向けた。

「おはよう。いかした髪形だね」
「!」

 すると、男子生徒の腕が一本、私の方に向けられる。本来手がある位置になぜか口があり――歯並びも綺麗だ――そこから声がした。
 腕が多い個性、という単純なものでもないらしい。

「『おはよう。そしてありがとう』」
「おお、どういたしまして」
「『俺は障子目蔵だ、よろしく頼む』」
「隣の席だしよろしく。私は……あー、トドロキヒョウカ。ポチって呼んで」
「『ポチ?中学でのあだ名か?』」
「そんな感じ。もう一人トドロキがいるから、私はポチで」
「『そ、そうか。よろしく、ポチ』」
「わん」

 インパクト強い外見だが、常識人のにおいがする。人は見かけによらないもんな。
 メゾウに許可をもらって、腕を触らせてもらっていると――当然ながら感触は分からないが、皮膚と同様っぽい――後ろから舌打ちが聞こえた。
 私のすぐ後ろの席はまだ埋まっていない。そのさらに後ろ、不良男子生徒である。
 私と目が合うと、彼はまた一つ舌打ちをした。

「イチャついてんじゃねーぞ、端役が」
「沸点低いなあ……」
「あ゛?」
「席近いし、よろしく。名前聞いてもいい?」
「誰が教えるかよ」
「じゃあマリアナ海溝って呼ぶね」
「なんでだよ!」
「眉間のしわ深いから」
「っ爆豪勝己だ。フザけた呼び方すんじゃねーぞ、犬っころ」
「おっけ、カツキね」
「馴れ馴れしいんだよてめぇ……!」
「――――えっと、座ってもいいかな」

 控えめに声をかけられて見上げると、制服が立っていた。誰かではなく、女子制服が立っていた。制服も靴下もあるのに、足や手、顔も見えないのだ。
 私とカツキの間の席らしい彼女は、頬をかくような仕草をした。透明人間ということなのだろう。

「私、葉隠透!よろしくー」
「よろしく、トオル。私はトドロキヒョウカだけど、ポチって呼んでくれると嬉しい」
「ポチ!?かわいー!呼ぶ呼ぶ」

 トオルはぱたぱた腕を動かす。透明人間故の癖なのかもしれないが、小動物のようで可愛らしい。
 しかし、どこ見て話せばいいか分からない。顔ってどの辺だろうか。


 カツキとテンヤ・イイダがもめたり、癒し系女子と地味目男子がわきあいあい喋ったりしていたが、担任だという男の指示でグラウンドに出ることとなった。
 入学初日の朝っぱらから、体操服に着替えてグラウンド、とな。
 逆らう理由もないので更衣室に移動し、配布された体操服に着替える。私はスカート下に履いている長めのスパッツを脱がず、体操服を着た。ふとももには刺青があったりするのだった。
 手早く着替えながら自己紹介もして、ポチと呼んでもらうようお願いもして、ぞろぞろとグラウンドに出た。




 青い体操服に着替えた生徒の前で、相澤先生が気だるそうな声で説明をする。
 今から、入学初日であるにも関わらず個性把握テスト――つまり、個性使用可の体力テストをするという。入学式やオリエンテーションは存在しないらしい。さすが雄英だ。僕らの予想の上をいく。
 相澤先生はズボンのポケットに手を突っ込んだまま、僕らを見渡した。

「実技入試の成績トップは、轟だったな。妹の方」

 轟?妹?
 僕はほっとんど女子と話してないから、誰のことか分からなかった。というか先生の言いぶりからして、兄妹でヒーロー科に合格したというのだろうか。まさか兄妹で同じクラスなのだろうか。というか、かっちゃんイコール最強のイメージがある僕は、かっちゃんを超える実技成績が想像できない。
 後ろから「えっすごいねポチ!」とさらに混乱する言葉が聞こえて振り向くと、ぱたぱた動く体操服の隣で苦笑する女の子がいた。
 どうやら彼女が轟さんらしい。

「お前、中学の時、ソフトボール投げ何メートルだった?」
「えっ。十五メートルくらい……?」

 あ、普通だ。すごく普通だ。

「じゃ、個性を使ってやってみろ。円から出なきゃ、何をやってもいい」

 相澤先生は白線で描かれた円を示す。轟さんはなぜか困った顔をしながら歩み出て、先生からソフトボールを受け取った。
 轟さんは円の中に入って、ソフトボールの感触を確かめるように握る。困った顔は継続中だ。
 さっさとしろ、と先生に急かされて、轟さんは気合を入れる動作とか準備運動とか一切なく、おもむろに振りかぶった。
 その途端、ぶわりと冷や汗が湧き出たのを自覚した。実技試験で仮想敵と対峙したようなプレッシャーだ。身じろぎも出来ず、声すら出ない。
 
「――っは、」

 知らず、息も止めていた。ひゅ、と息を吸う音があちこちから聞こえて、僕だけじゃなかったのだと知る。
 轟さんがボールを投げる瞬間の、ほんの短い間だったけれど、彼女は圧倒的だった。
 相澤先生が、持っていたタブレットを示す。そこには"302.7"の文字があった。普通に投げて出せる数値ではない。
 個性の使用は基本的に禁止されている。それを全力で使っての計測だ。轟さんのプレッシャーに気圧されたみんなも、一気に沸き立った。
 そこへ落とされる爆弾。

「八種目トータル成績最下位の者は、見込みなしとみなして除籍処分としよう」

 これはまずい。僕どうしよう。


 僕は予想通り最下位になってしまったけれど、除籍処分は先生の嘘だということで、入学初日で退学することは免れた。
 僕は怪我の痛みに耐えながらも、胸をなでおろす。
 右手の人差し指が紫色に変色し、脳に痛みを訴えてきている。入試ほどじゃない、入試ほどバキバキじゃない、と自分を誤魔化してはいるけれど、痛いものは痛い。とんでもなく痛い。

「だがな」

 相澤先生は、僕らのざわめきと安堵を切り裂くように、強く言葉をつづけた。

「やる気のないヤツは、いつでも除籍してやる。……轟妹、お前のことだ」

 轟さんは、個性把握テストの総合順位は上位だったはずだ。どうして除籍処分になる可能性があるんだろう。
 相澤先生はクマのある目で、轟さんを睨んでいた。轟さんに堪えた様子はない。透明人間と言う個性らしい女の子・葉隠さんの隣で、不思議そうな顔をしている。すぐ表情に出るタイプらしい。
 先生に反論したのは、轟さんよりも、紅白の髪をした男の子の方が早かった。先生から「轟」と呼ばれていたから、彼が轟さんの兄らしい。個性把握テストで総合二位だった人だ。
 しっかし指が痛い。

「先生、そいつはあまり運動が出来ない。やる気の問題じゃなく、体質的なもんだ」
「それは聞いてる。が、そういうレベルじゃない。……轟妹、これは自分の能力の限界を知る意味もあると、俺は初めに言っている。お前のそれは"出来ない"んじゃなくて"やらない"だけだ」
「これ、反論してもいい?」
「一応聞いてやる」

 轟さんは、脅しともとれる相澤先生の言葉に、全く、これっぽっちも、ダメージを受けていない。
 不思議そうな顔をして、憤った様子もなく、淡々と述べた。
 ああ、指が痛い。

「たとえ自分の味方だって言われても、出会ったばかりの相手に、自分の能力やその限界を教えたくない」
「だから手を抜くと?」
「それでも成績は良かったじゃん。一位以外の首が物理的に飛ぶって言われたら、そりゃあ頑張るけどさ」
「個性ではなく身体能力でこの順位は大したもんだが、やるべきときにやらないっていうのは気に入らねえ」

 轟さん、個性使ってなかったの!?てっきり、僕みたいな増強型の個性だと思ったのに!
 轟さんは毎回、僕が冷や汗をかくようなプレッシャーを持って競技に臨んでいることもあって、個性を使っていないなんて思いもしなかった。
 相澤先生は、事前に提出している個性届とテストの様子から判断しているだろうから、轟さんの個性は"増強"とは似ても似つかないってことになる。
 一体どういうことなんだ。あと指が痛い。

「能力や限界を伏せるのは、実戦では重要だ。そこは褒めてやってもいい。俺が言っているのは、気概のなさだ」
「それは……ごめん」

 先生に対する謝罪の言葉とは思えない軽さ。

「でも、除籍は困る」
「……一種目選べ。一度だけチャンスをやる」
「じゃあ……立ち幅跳びで」

 「予想外の展開になってきたな」と僕の隣にいた飯田君が腕を組む。全くその通りだ。
 相澤先生に轟さんが続き、心配そうに葉隠さんが続き、そこに轟くんが続き、僕らが続く。立ち幅跳びのフィールドは、妙な緊張感に包まれた。
 踏み切りラインの前に轟さんが立ち、しゃがみこむ。本来は立ったまま腕を振って跳ぶものだが、個性把握テストでは"踏み切りラインを越えなければ助走以外の何をしても良い"ということになっている。
 彼女の記録は、二回とも十メートルと少しだったはずだ。個性なしだったと考えると、とんでもない距離である。

「先生、と、みんなもだけど。攻撃してこないでね」

 轟さんが不思議なことを言って前を見据えた瞬間、今までの比ではないくらいのプレッシャーを感じた。
 ――冷や汗が噴き出る。鳥肌が立つ。息が、出来ない。
 僕はこんなプレッシャーにさらされた経験なんてもちろんない。前に出会ったヘドロの敵が脳裏をよぎるが、あのときよりももっと直接的で明確な殺意を感じた。
 彼女の言葉の意味が分かった。これは、分かっていたって身構える。ただ、僕は攻撃よりも逃げたいという気持ちが勝っていた。僕だけじゃない。実戦経験のない皆が同じだ。戦闘時のように構えたのは、相澤先生だけ。
 轟さんが地面を蹴ると、その重圧は霧散した。一気に酸素を吸って、跳躍した轟さんを見上げる。
 彼女は空中で体をひねり、立ち幅跳びの砂場からずっと離れたところに着地した。

「一五八メートル、か。やっと"G会場の悪魔"らしい記録が出たな」
 
 そう言う相澤先生の声は、少し震えているように聞こえた。
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