轟家のわんこ2



 朝起きてまずすることは、天気予報のチェックだ。その日の気温を確認して、部屋にある温度計を見て、支度を始める。
 俺の部屋の空調は客間のひとつと連動しており、その客間にいるやつのために温度チェックが必要なのだ。あいつも起きていれば温度を気にしているだろうが、トレーニングがある俺の方が早起きだ。
 俺がジョギングとシャワーを終えてダイニングに行くと、朝食をつくる姉さんと、うちで飼っている犬ーーポチという名前の"女の子"がいる。
 
「おはよ、焦凍」
「はよー、ショート」
「おはよう」

 俺が水分補給している間に、ポチと姉さんが配膳する。三人が席につくと、軽く手をあわせた。

「焦凍、今日夕方から雨だって」
「傘持ってく」
「私、今日ちょっと遅くなるかもしれないから、先にご飯してて」
「分かった。弁当?」
「あとでレシートちょうだい」
「いいよ、別に」
「ついでに買い物頼んでもいい?今日魚が安いんだよね」
「学校帰りでいいなら」
「お願いね」

 焼き魚の骨を入念に取り除いていたポチが顔をあげる。

「そのくらい私が行くのに」
「荷物重くなるかもしれないもの」
「人並みに力はあるんだけどなあ……」
「一人だよ?」
「いたずらで殺傷力高い画ビョウ投げてくる人とかいないでしょ?」
「なにその例え?そんな人いないだろうけど、今日の最高気温!」

 姉さんがニュース番組の天気予報コーナーを示す。ポチの顔色が曇った。
 暇なんだろうな、と思う。ポチは普段家の掃除をしているが、体温調節が出来ねえから無闇に行動出来ねえ。誰かがそばにいれば気付けることも、ポチだけでは気付けない。熱中症がこわい。

「……俺が一回帰ってくるから、一緒にスーパー行くか?」

 提案してみると、ポチがぱっと雰囲気を明るくした。犬モードーー犬じゃないがーーだったらあの長い尻尾を振っているだろう。
 触覚がないので、自分がどんな顔をしているのかも分からねえらしいが。

「行く」
「焦凍も一緒ならいいけど……」
「私、ショートの学校まで行こうか?歩いて行ったらそんなに、」
「だめ。焦凍、はやく帰ってきてあげて」
「分かった」
「フユミは過保護だなあ」

 庭掃除をした時にムカデに刺されて気づかず放置したり、温度計が壊れたサウナ状態の部屋で数時間過ごし脱水症状を起こしたり、体が冷えすぎていて低体温症一歩手前までいったりーー姉さんが過保護になるのも仕方ない。
 ポチいわく、後天性なので無理な体勢はとらないしどうすれば痛いのかもわかる、らしいが。気付けねえのはこわい。

「俺が帰るまで待ってろよ」
「うぃっす」





 おっすオラポチ。
 都合のいい記憶喪失を装って色々聞いた結果、ここには念能力という概念さえないことが分かった。一般人が知らないのも無理ないが、凍らせたり燃やしたりできるショートも知らないというのだから、ここには念能力がないのだろう。
 かわりに、個性というものがある。私が思う個性ではなく、ほとんどの人間が持つ特殊能力のことだ。エンデヴァーが燃えてるのもそれ。
 私も念能力者のはしくれ、相手が念能力を使っているのか否かの判別はできる。確かに彼らは念能力を使っていないのだ。私の能力も個性であると勘違いされているらしい。訂正はしなかった。
 問題はここからだ。
 私の保護者たちや友人の存在が、全くないのである。ただの通行人Aならまだしも、危険度Aクラス賞金首の極悪盗賊団や本拠地が観光地にもなっている暗殺一家の存在が、微塵も見当たらないのはおかしいだろう。
 そんで、もっとも困るのが文字。母国語と似た言葉を使っているが、こちとら十年ほどハンター文字のみで生活してきたようなものなのだ。会話はともかく、読み書きが心もとない。
 そもそも、"こんなこと"になった原因は、戦利品整理中に見つけた古書だと思う。私がもとの場所に戻るには、あの古書を見つけてどうにかするか、移動系個性をもつ人間を見つけるか、保護者のお迎えを待つか。帰る見通しは未だにたっていない。
 しかし、塞ぎこんでいても仕方がない。私は自由奔放な保護者や友人たちを思い起こし、それなりに楽しむことを決めていた。
 

 ところで、私の飼い主を紹介しよう。
 名前はショート・トドロキ。右で凍らせ左で溶かす、という私の体温管理にもってこいな個性を持つ少年だ。エンデヴァーの実の息子であり、強力な個性と優秀な頭脳をもち、将来が非常に期待される。
 少々無愛想だが、ヒーローを目指すとあって心根は優しい。そうじゃないと、私みたいな面倒な存在を引き受けたりしないだろう。
 ……お分かりいただけるだろうか。ショートが、とってもまともな人間であるということを。
 あっちでの飼い主との倫理観や道徳観念の差が激しすぎる。良い悪いはともかくーー流していい話ではない気もするが、あちらはそういう世界で、彼らはそう育ったのだーー戸惑うこともある。
 ……おかしいな、私は常識人枠のはずなんだけど。
 フユミが雑誌を見ながら「これ欲しいなあ」と言うと、「盗りに行く?」と問いかけそうになる。
 絶賛反抗期のショートが父親(エンデヴァー)に苛立っているのを見るたび、「今度殺してみる?」と軽く問いかけそうになる。まずいまずい。ヒーローがそんなことしちゃいけない。
 ……私は常識人、常識人。
 
「ポチ、スーパー行くぞ」
「はーい」







「おい、家上がるなら足洗ったか」
「ワン」
「ならいい。……ってちょっと待て、外の水道か」
「ワン」
「火傷してねえか?外の蛇口、熱くなんだよ」

 庭から室内に上がれば、ショートが縁側で待ち構えていた。私が足を洗うのに使った外の水道は、日光で熱くなりやすいらしい。久々に獣化してみればこれである。前途多難、穀つぶしとは私のこと。
 かがんでくれたショートにお手をして、肉球を確認してもらう。

「ちょっと冷やすぞ」
「ワフ」

 おう、すまんな。ほんとにショート様様である。
 ちなみにあちらでは、常に誰かがそばにいたので、その都度注意されていた。温度を操作するような能力持ちはいなかったが。
 足が冷えてる感覚も、肉球をふにふにされている感覚もない。見ている限り、余分にふにふにされている気もする。まあ良い、安いものである。

「お前さ……」
「クン?」
「……毛並みいいよな」

 縁側であぐらをかいたショートが、私の首あたりを撫でる。くすぐるように手を動かして、耳のつけねをかいた――ような気がする。視界に入るところまでしか分からない。"円"はもちろんはっているが、細かい動作までは把握できない。
 私は腰を上げて、ショートを踏みつけないように移動し、ショートの隣に座り直す。長い自慢のしっぽであぐらを撫で、ショートの肩に顎を乗せた。乗せた感覚もないので、恐る恐る乗せて、力を抜き、視界が揺れないことを確認することで、私は"ショートの肩に顎が乗った"と判断する。うーん、面倒。
 
「んっ?」
「……」
「くすぐってえな」

 ショートは少し笑って、どうやら頬ずりしてきている。私の自慢の毛並みを撫でながら、昨日不意にエンデヴァーと遭遇したストレスを解消しているようだ。
 いわゆる"モフる"。私は今、モフられている。

「あー……」

 年の割には落ち着いた声質なのも相まって、おっさんのようだ。
 丸一日パソコンにかじりついた後にビールを煽るハッカーや、変態との仕事を嫌々終えてきた姉御、パーティーに潜入したはいいがなぜか男に狙われた盗賊団団長、実の弟に拒絶され静かに凹む暗殺者などを思い出す。皆元気かな。
 癒しグッズとなって悪い気はしない。証拠に、しっぽが動いていた。足の上でゆるゆる動くしっぽに、またショートが笑う。

「アゥアゥウン、ワウン」
「何言ってんのかわかんねえよ」

 ゆっくり休みなよ、少年。

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