「暴れ馬」と書いて


兵士になるための厳しい修練を行っているのは、一〇四期訓練兵たちだ。一〇四期生は十二歳から十四歳の者がほとんどで、訓練兵団の制服を着て、今日は朝から走り込みをしていた。

若い者たちばかりで、全員が巨人を戦えるようになろうとしている、とは言い難い。卒業時に成績十位以内に入り、安全な憲兵団を志望する者も少なくない。そんな中、巨人に対する殺意を燃やす者も確かにいた。守りたい存在があるからと調査兵団を志望する者もいた。

「十五分の休憩を許す!」

全員が走り込みを終え、キースという教官が声を上げた。早朝に走り込みをし、少しの休憩を挟んで次の訓練をするという流れは珍しくない。入団してまだ半年足らずだ、本格的な訓練と言うよりは基礎的な体力づくりがメインである。行兵訓練しかり、立体機動訓練しかり。

訓練兵たちは息を荒げたまま、教官に向かって敬礼をする。両手に拳を作り、左腕を背中に回し、右腕は拳を左胸に当てる。"心臓を捧げる"兵士たちの敬礼だ。

キースを含めた二人の教官が立ち去れば、訓練兵たちは息を整えようと体勢を崩す。涼しい顔で水分補給に行く者もいれば、倒れ込んでしまう者も介抱する者もいた。

「……エレン、水」
「サンキュー、ミカサ。おいアルミン、大丈夫か」
「うん、だい、じょうぶ……」

袖で汗を拭った少年に、赤いマフラーを巻いた少女が水筒を寄越した。少年はエレン、少女はミカサと言った。その二人とアルミンと言う少年は幼馴染だった。エレンは水を飲もうとしたが、荒い息を落ち着けようと必死になるアルミンに声をかけた。

「しっかり休んどけよ。十五分後にまた走るんだからな」
「うん、そだね……」

昼までまだ時間はある。いつもなら昼間で走り込みだろうに珍しいこともあるもんだ、とエレンは教官の去った方向を見つめた。

遠い目をするアルミンをミカサが励ます横で、エレンは水を喉に流し込む。アルミンの呼吸が落ち着いてくると水筒を渡し、軽くストレッチをした。エレンと同じく筋肉がかたまらないようにとストレッチをする者や、呪詛のように空腹を訴える者を視界に入れながら、エレンは滝の様な汗を拭った。

各々が体を休めて十五分が経った。さあ走り込みだ、と前向きな者と沈痛な面持ちの者がいる前に、キースが現れる。訓練兵は整列して敬礼をするが、一様に表情に戸惑いをにじませた。

キースともう一人の教官は、さきほどまでもいた者だ。さらに教官が一人増えていたが、特に驚くことではないーーはずだった。増えた教官と思われた兵士は、何やら細長い荷物を持ち、ジャケットに調査兵団を示す"自由の翼"のエンブレムが入っていたのだ。訓練兵の教育は憲兵団が請け負うはずで、調査兵団出身のキースも今は憲兵団だ。それだけではない、さらにもう一人いたのだ。とても教官に見えない細い女で、左腕には白いものが巻かれていて太かった。女はジャケットを肩にひっかけーーそのジャケットには、訓練兵を示すエンブレムが入っていた。

女、つまり美夜である。朝食を終えて調査兵団から訓練兵団の駐屯地に移動し、キースと顔を合わせたのがつい数分前だ。美夜の刀を持つ調査兵団員は、刀の管理と同時に美夜の見張りでもある。名前を聞こうとしたのだが、敵意と共に断られていた。美夜はリヴァイ班預かりなのだが、特別作戦班の彼らは訓練であったり会議であったりとーー壁外調査の報告や後始末があるので、今は特にーー暇ではない。そのため、訓練中の監視は他の兵士になっていた。

そんなことなど知らないエレンは、知らない女を観察していた。訓練兵の制服を来た女はキースの隣に立ち、右腕だけで敬礼をする。どこにでもいそうな普通の女で、訓練兵の困惑の視線に耐えかねているのか、視線は斜め下に落していた。

「本来、訓練兵団への途中入団は認められていないが、今回特別に許可された者だ!名前と出身を述べろ!」
「ウォール・ローゼ地下街出身、ミヨです。よろしくお願いします」

キースの圧力を全身で感じる声とは正反対の、落ち着いた声がした。こういう場合はキースにつられて大声になりそうなものだが、美夜はつられることも圧されることもなかった。決して大きくはない声だが、エレンたちが聞き取りにくいこともなく、するりと彼らの耳に入った。

地下街というと、治安が悪いことで有名だ。そこの出身だというので、訓練兵たちがざわついた。エレンは敬礼を崩さず、僅かに微笑んでさえいる美夜を射るように見据えていた。

エレンは、地下街出身だかなんだか知らないが、か弱そうな女が特別扱いされ、厳しい訓練を前に笑っているのが気に食わなかった。同期生が訓練をさぼっているのを見ても、怒りを覚える。エレンは訓練兵には珍しく、"巨人を駆逐する"という強い目的意識を持っていた。憧れの調査兵団員を前に興奮することが出来なくなるくらい、美夜にマイナスの感情を抱いた。

「では、今からそこの十キロの重りを背負って一時間のランニングだ。終われば昼休憩に入っていい」

キースの指示に、訓練兵の声が揃う。美夜はというと、訓練兵の勢いに小さく驚き、数度瞬きを繰り返していた。

エレンは敬礼を解いて、重りの積んである所へと向かう。ちらりと美夜を見ると、調査兵団の兵士から長い何かを受けとっていた。よく見ると美夜の腰には、立体機動の補助ベルト以外にもベルトが巻いてあり、長い何かをそれに下げているようだった。

美夜はもちろんエレンのそんな視線に気付きながらも、気にせず長いそれーー刀を装着した。

「すげえのかな、あいつ」
「知るかよ……」

エレンは、坊主頭の少年、コニーに耳打ちされて美夜から視線を外す。だが気にはなるので、リュック型の重りを背負って駆け出しつつ窺う。丁度、美夜が右腕だけをそれに通して持ち上げている所だった。ジャケットは重り置き場近くの木にかけている。

「左腕折れてんだよ」
「なんだよジャン、別にそんな情報求めてねえよ」
「エレン、お前すっげぇ不満そうだから」

何故か半笑いのジャンに八つ当たりのように言い捨てると、コニーが小さく笑った。訓練兵の中で、美夜にこうもはっきりした負の感情を持っているのはエレンだけといっても過言ではなかった。

制服のジャケットを着る訓練生のなかで、白いブラウスの美夜はとても目を引いた。美夜の半そでのブラウスから伸びる右腕は細く傷もなく、ウォール・ローゼ出身であることも特別扱いを受けていることも、エレンは不釣り合いに見えた。




ランニングを終えて整列し、休憩を与えられる。美夜はまっすぐに名も知らない調査兵の所へ行き、刀を預けた。美夜の見張りを含めた三人は、教官室ともいうべき部屋に向かっていく。美夜は刀が離れていくにつれて気だるさが増すのを感じていた。普段から軽く鍛えてはいるし、走っている間は刀の力を借りていたが、刀がなくなると一気に疲労が押し寄せる。倒れはしないのは、刀を使った自分は体の使い方が上手いからだと自覚していた。

美夜は左腕に響く痛みと、腹にある鈍痛と、右肩の痛みと、足の重さに小さく息を吐いた。ジャケットを肩に引っかけて、首を回す。そのまま空を見上げ、深呼吸をした。

昼食を摂っていいと言われているが、美夜はどこに行けばいいのか分からない。訓練兵について行こうとしたのだが、時間に余裕があるからか、すぐに動き出す様子はない。一人、ポニーテールの少女が駆けていくのを見たのだが、あまりに早く追いかけるのを諦めたのだ。

訓練兵をちらりと眺め、空を見上げる美夜の様子は、傍から見ると憂いに満ちたものだった。皆興味はあるのだが、ウォール・ローゼ地下街出身で特例を認められている美夜に、どうにも近寄りがたいのだ。

美夜も美夜で、進んで関わるつもりはなかった。美夜が従うのはエルヴィンやリヴァイの指示であり、訓練兵たちは訓練を共にするだけの少年少女だ。この世界には美夜の守るべき存在がいないのだ、全ての人間関係をより良いものにしようという意識は低かった。

訓練兵が動くまで待とう、とそのまま空を仰ぐ美夜に、二人の少年が歩み寄る。美夜がそちらに気付くと、二人はにこやかに片手を上げた。

「よう、涼しい顔してるな」
「い、え。足がすごく重いです」
「堅苦しいな……皆あんまり年も変わらないんだから敬語とかいらねーって。俺はライナー、ライナー・ブラウンだ。よろしくな」
「僕はベルトルト・フーバー。これからよろしく」

二人とも長身で、特にライナーは体格が良かった。ベルトルトはライナーよりも身長が高く、美夜の頭が彼の肩ほどになる。美夜は二人を見上げてよろしくと笑いかけた。二人とも面倒見が良さそうで、孤立しかけている自分を助けたのだろうか、と美夜は他人事のように分析していた。

「とりあえず飯行こうぜ。午後にそなえないと」
「えっと……ライナー、午後は何をするの?」
「馬術だ。ミヨは馬に乗れるのか?」
「一応は……」

学園で馬術の授業があったし、と思ったが、調査兵団の乗馬技術を思い出して自信がなくなった。授業で馬を走らせていた時とは桁違いの速度だったのだ。訓練兵団とはいえ油断できない。

口を閉ざした美夜を見下ろすライナーとベルトルトは、その頭上でちらりを視線を合わせる。なにやら不安そうな彼女が、想像していた人柄とは異なっていたからだ。何事にも果敢に挑むような猛者を少なからず思っていた。理由は言わずもがな、地下街出身で特別扱いを受けているからである。

三人で歩き出し、美夜は思うように動かない足に眉を寄せた。ここにいる間は本格的に鍛えられるのだろう、仕事もしやすくなりそうだ、と考えて厳しい訓練への思考を逸らす。だがどうしてもぎこちなくなってしまう動きに、ライナーとベルトルトが小さく笑った。美夜は照れ隠しに、肩のジャケットが落ちないように羽織り直す。

「あ。ねえミヨ、その腕ってどうしたの?」
「折れてて……まだ全然くっついてないんだ」
「そんなんで大丈夫なのか?」
「大丈夫、頑張るよ」
「その……折れたのって、地下街で?すごい治安悪いって聞くけど」

ベルトルトが控えめに問いかけると、美夜は一瞬表情をなくしてから苦笑した。まあ色々あって、と首をすくめる。地下街の話題に触れられたくないのだ、と解釈したベルトルトとライナーは、それ以上聞こうとしなかった。

「ごめん」
「いや、いいんだよ。気を使わせちゃってごめんね」

眉を八の字にして謝るベルトルトに、美夜は柔らかく笑って首を振る。当然、リヴァイに折られたとは言えなかった。美夜はペトラから、リヴァイが"人類最強"として訓練兵団や一般人にも知られていると聞いていたのだ。リヴァイに憧れる者もいるらしく、骨折の原因は有耶無耶にするしかなかった。

ベルトルトはそんな美夜から視線をそらし、前に顔を向けた。美夜はあまり気にしなかったが、ライナーは不自然なベルトルトに首を傾ける。

「どうかしたか?」
「え、いや、何も……」

歯切れの悪い返答に、美夜はまたベルトルトを見上げてからライナーを見る。不思議そうなライナーと一緒になって首を捻ったが、ライナーはふと美夜を見つめた。

自分を見上げるその顔が、同期訓練兵の一人に似ているような気がした。男子の間では女神とも言われる美少女、クリスタ・レンズである。つまり、地下街や特例というワードを抜きにした美夜は、可愛らしい部類の顔つきだったのだ。

美夜の周囲には、絵に描いたような美人が男女問わず多いため忘れがちになるが、美夜も中の上に入る整った顔立ちをしている。

「……」
「え、ライナー……?」
「な、んでもない」
「そ?」

ライナーは、深く追求しない美夜にどこかで安堵しながら、気を取り直して食堂へ向かった。




さっさとパンを食べ終えて、美夜はライナーとベルトルトに案内されながら厩(うまや)へ向かった。それぞれ使う馬は決まっておりーー専用場として決められているーー、馬装をして馬場へ出るらしい。美夜はライナーにまだ訓練兵が使っていない馬を数頭教えてもらいながら、どの子がいいかと馬屋を歩いていた。

三頭目になり、ライナーは苦々しく声を漏らした。美夜は理由を聞こうとして止めた。馬は鼻息荒く、ライナーを睨むように見つめていたのだ。美夜の頭に、学園で"暴れ馬"と名高い白馬が浮かぶ。

「こいつはイングヴァル……だが、やめておけ。かなり気が荒くてな、教官も落とそうとするらしい。走るのは早いから、時々調査兵団にも行くらしいが……なぜか訓練兵団の馬なんだ」
「へえ……イングヴァル、か」

美夜はライナーの背から出てゆっくり近づいた。学園の白馬と違い、真っ黒の馬だった。恐れる様子無くイングヴァルに近づく美夜に、ライナーは焦った声をかけた。

「止めとけって、蹴られるぞ。乗れたとしても、落とされて終わりだ」
「大丈夫だと思う。……イングヴァル?はじめまして。あなたに乗ってもいいかな」

美夜はあの白馬にしたように、声をかけながら手を伸ばした。イングヴァルが息を落ち着けたのを見て、美夜はゆるりと鼻先に触れる。嫌がる様子がないので、美夜は相好を崩した。顔を撫で、ぴこぴこと動かしている耳も撫でてみる。

「良い子だね……私、この馬にするよ。ライナー、案内してくれてありがとう」
「なんつーか……お前、すげえな」
「そんなことないよー」
「鞍とかはあっちのロッカー……いや、ここで待ってろ。その腕じゃ馬具を持てないだろう」
「あ……ごめんね、ありがと」

ライナーは、いいって、と笑ってロッカーから二頭分の馬具を運んだ。先に自分の馬の所へ置いてから、美夜の所に向かう。頭絡ーー頭部の馬具だーーは美夜だけでもなんとななりそうだが、鞍を乗せるのは難しいだろう。イングヴァルは背が高いのでなおさらだ。ライナーはついでだからとそれも済ませてやった。

美夜はなんとか片手で頭絡をつけると、手綱を引いて馬屋を出た。訓練兵に続いても良かったのだが、ライナーがまだ出ていないことを知っていた。このまま行くのは薄情だろう、と美夜は出たすぐの所で待つことにした。

「おーお前何してんだ?」
「あ、ミヨ……だよね」

馬を引いて声をかけたのは、コニーとアルミンだった。美夜がライナーを待っていることを伝えると、コニーは道を塞がないような位置に避けてにやりと笑っていた。美夜はやや身構えてライナーが早く来ないかと思いながらも、警戒心を向けてこないコニーにいくらか肩の力を抜いた。

「ライナーのやつ、やけに構うよな」
「……変な意味はないと思うけど」
「彼、面倒見がいいんだね。えと、名前聞いてもいいかな」
「俺はコニー・スプリンガーだ!」
「僕はアルミン・アルレルト。よろしく」

ライナーとベルトルトのコンビとは反対で、二人とも小柄である。特にアルミンはやや髪が長いこともあってか、美夜は一瞬女かと疑ってしまった。

「コニーとアルミン。改めて、ミヨです。よろしく」
「おう!話しかけずらかったんだが、いざ話してみると普通だな」
「はは、そうなの?」

コニーの直球すぎる言葉に一瞬ひやりとしたアルミンだったが、気にしていない美夜の様子にほっと息を吐いた。それどころか少し笑ったので、そんなに警戒する必要もないように思う。肩書きに気を取られすぎてしまったようだ。

「お、コニーにアルミン……ああ、ミヨと話してたのか」
「まーな。こいつ、お前のこと待ってたんだぜ」
「え。そうなのか、悪いな」
「ううん、私に付き合せちゃったから」
「ミヨ、律儀なんだね」

アルミンが言うと、ミヨはそんなことないよと苦笑する。アルミンは、思った以上に好意的に笑うんだなと思うと同時、美夜の連れている馬に視線を向けた。真っ黒な馬は数頭いるが、その馬はより黒い気がする。アルミンはなんだか嫌な予感がして、控えめに問いかけた。

「ミヨ……その馬って、暴れ馬のイングヴァルじゃない、よね?」
「何言ってんだよアルミン、あの馬が大人しく引かれる訳ないだろ。なあ、ライナー」
「……イングヴァルだぞ」

視線を逸らして肯定したライナーに、アルミンもコニーも開いた口が塞がらなかった。イングヴァルは、近づく者を蹴り、鞍が背に乗れば振り払い、なんとか跨がった勇者を振り落す、そんな暴れ馬だったはずだ。それが大人しくミヨの隣に立っている。

「この子はイングヴァルだよ。一目ぼれしちゃった」

美夜は冗談めかしてそう言った。イングヴァルが満更でもなさそうに鼻を鳴らしたので、にっこり笑ってみせた。
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