わんこ、テレビデビュー


 雄英高校の体育祭は、一般的なそれとは異なる。競技場を使って学年毎に行われるトーナメントで、順位がきっちり決まってくる。レクリエーションというよりは、ヒーロー事務所へのアピールの場なのだ。盛り上がり方も、一般的な高校の比ではない。
 そういうわけで、ヒーローを目指し、有名事務所への所属を目指す生徒の気合は半端じゃない。
 ヒーロー科以外の科の生徒はあまり前向きではないが、ヒーロー科を落ちて他の科に流れた生徒は、当然やる気満々で参加してくる。
 私は曲がりなりにもヒーロー科。けれど、体を鍛えるとか修行とか、殊勝なことをするつもりはない。まだまだ未発達な生徒たち向けの舞台なのだから、念(個性)のゴリ押しでなんとかなるだろう。
 もう一つ、鍛練しない理由がある。私の課題は座学なのだ。毎日毎日、真面目に復習をしている。体育祭前だからといって勉強を止めれば、授業についていけなくなる。
 ヒーロー科は偏差値が七九もあるのだ。馬鹿じゃないのか。皆、勉強が出来過ぎである。
 あと、付け加えるなら。体育祭に向けた鍛練はしないが、念の修行を計画中である。

「ポチ。ちょっと相手してくれ」

 部屋でカリカリ復習をしていると、我が飼い主が姿を見せた。体育祭の為に日々トレーニングに勤しんでいるショートは、今夜も今夜とて轟家の敷地内で汗を流している。対人訓練がしたいときに、こうして私に声がかかるのだ。USJで私がひょいひょい動くのを見て、良い訓練相手だと思ったのだろう。
 私がシャーペンを置いて立ち上がると、ショートは少しだけ驚いたような表情を見せた。「何かあったのか」と言う声が心配そうに聞こえるので、私はよほど悲壮な顔つきをしているらしい。
 ぽてぽてと二人で庭に出る。
 
「あとで数学の問二教えてぇ……解答と合わないぃいい」
「ああ、課題のとこか。いいぞ」
「せんきゅうショート先生……」
「そんなに困ってんなら、さっさと聞きにくればいいのに」
「真面目にトレーニングしてる邪魔したくないし」

 対人訓練の内容は、ショートの攻撃を私がひたすら避けるというものだ。私は"円"を解除し――氷壁を解除するためだ――いつでも"硬"に出来るようにしているので、たとえ殴られても痛くもかゆくもない。"硬"をしなくても、痛くもかゆくもないのだが。
 "硬"とは、念の基本技の応用である。防御力を高めるもので、"硬"だけではなく"堅"というものもある。"堅"は、全身の防御力を高めるのに対し、"硬"は特定の部位の攻防力を飛躍的に向上させる代わりに他の部位が圧倒的に弱くなる。しかし私の場合、"堅"が、弱点のない"硬"に匹敵してしまうのだった。ガッチガチである。

「じゃあ、いくぞ」
「はいよ、いつでも」

 ショートが私に一発でも入れたらクリアである。ただし、私のアラームが鳴らない程度という短時間の訓練だ。
 しゃがみ、ジャンプし、ショートの攻撃を避ける。念でサポートが出来るので、ひょこひょこ避けられる。たまにコケると、その瞬間だけ"円"を張り、周辺のモノを把握して起き上がる。この体質で生きていると、念能力の扱いはとても器用になれるのだ。
 ショートもきちんと鍛えているので、個性ナシでもそれなりに動けてはいるのだが、私に一発入れたことはない。ふふん、私だって人外じみた能力者と暮らしていたのだ、それなりに目も鍛えられている。
 ピッピ、ピッピ、とアラームが鳴ると訓練は終了だ。今夜も私の勝ちである。

「んーお疲れさまでした」
「はあ……お疲れさまでした」

 不満そうなショートと軽くハグをして、上がった体温を下げてもらう。

「運動できないって言いつつ、お前すばしっこすぎだろ」
「己の身を守るためですから」
「体育祭までには、一発いれてやるからな……」
「頑張れ。ビルの壁を走れるようになったら、私もボコボコだろうなあ」
「ビルを……走る……?」

 はあ?と言いたげな顔をされた。
 そうだよねえ、あの人たちが人間って言う枠にくくられるの、どうかと思うよねえ。


 

 クラスで唯一、僕のことを名前で呼ぶ人がいる。
 
「ねえイズク、いつでもいいんだけど、放課後に時間もらえないかな」 

 朝登校してすぐ、そう声をかけられた。
 彼女は轟氷火さんと言って、轟君の双子の妹だ。皆からポチと呼ばれていて、僕もポチさんと呼んでいる。いつも明るくて裏表がなくて、飄々としていて、かっちゃんに対しても臆さない。勉強が苦手らしいけれど、実力は抜きん出ている。
 USJでヴィランと戦ったポチさんの姿に、A組全員が衝撃を受けたのは記憶に新しい。
 ポチさんはずっとヒ基礎(ヒーロー基礎学)の授業にまともに参加していなかったから、体の弱い普通の女の子と思いがちだった。入試では実技一位で、個性を使わなくとも身体能力が高いということを忘れていたのだ。
 そんな、デタラメな戦闘力とセンスを持ったポチさんに声をかけられ、僕は声をひっくり返しながら了承した。
 一体、僕に何の用だろう。僕はドキドキソワソワと赤くなったり青くなったりしながら放課後を待った。

「イズクもトレーニングしたいだろうに、ごめんね」
「いやっそんなっ」

 ポチさんは軽く謝りながら、僕の前の席に座る。……かっちゃんの席である。やっぱり肝が座ってるよなあ。
 放課後は、体育祭に向けたトレーニングをする生徒が大半なので、教室は静かなものだ。放課後の教室に女子と二人きりというのは、やはり緊張する。
 ……ん?二人、きり?

「轟君は?いつも登下校一緒だよね……?」

 轟君はクールな印象が強いが、ポチさんに対してはとても優しく見える。登下校は必ず一緒だし、学校でも彼女を気遣っている。

「今日だけ演習場でトレーニングしてもらってる。時間決めてるから、あとで一緒に帰るよ」
「な、仲良しだよね」
「ショートってば面倒見が良いんだよ。学校じゃあんまり喋んないけど。あ、それでね、ちょっとイズクに相談があるんだ」
「相談?僕に?」
「そう、君に」

 実力は彼女の方が上だ。勉強に関しては、轟君に聞けば事足りるはず。なぜ、あえて僕に。個性を使うたびにズタボロになっている、僕に。
 困惑する僕の向かいで、ポチさんは真剣な表情をしていた。

「空間移動系の個性について、感じたことを話してくれ」
「空間移動って……」
「USJに来てたモヤモヤ」
「それって、黒霧っていうヴィランのこと!?」
「そうそう。あいつの能力について、イズクの考察を聞いてみたい。イズク、そういうの得意でしょ?」
「得意っていうか、クセっていうか……」

 頭をかいて、頬をかいて、ちらりとポチさんをうかがう。ポチさんは不思議そうな顔に、段々と不安そうな表情を浮かべた。

「えっと、情報と時間の対価は……悪いけど、お金も物もなくて」
「あっいや、そ、違、違うよ。びっくりしただけ。あの、ワープの個性のことだよね」

 気を取り直して、ヴィラン連合と名乗った彼らのことを思い起こす。
 ポチさんは『空間移動』と言ったけれど、"対象を移動させる"というよりは"どこでもドア"を作っている印象が強い。移動させるのではなく、扉(ゲート)を作るのだ。だから、おそらく移動人数での制限はない。制限があるとすれば、ゲートの大きさとゲートを開いている時間、あとは繋げる空間の距離だ。
 距離については謎が多い。学校の外部からUSJ内を繋げるのは確実だ。少なくとも、移動先が視認できていなくても良い。黒霧が"知っている場所かどうか"は関係するかもしれないが、写真や地図でも移動可能なのか、実際に見る必要があるのかは不明。そういえば、『事前にUSJへ侵入していた』という話は出ていない。写真で良い、可能性が高い。単純な距離の縛りは全く分からない。
 ゲートの位置は自由に設定できるようだった。床や壁だけではなく、なにもない空中に開くことも出来る。……そういえば、ゲートを閉じることで腕や胴体の切断が可能だとも言っていた。とすると、ゲートを"入る"と"出る"の間に余計な空間は存在しない。

「――直接、タイムラグもなく、教室のドアをくぐるのと同じように移動できるんだ。やっぱり、すごく特殊な個性だよ。黒霧が"どちら側"にいるのかはともかく、入口と出口のどちらかは、黒霧がいない場所で開くんだから。ん?もしかして、その両方を開くことも出来るのかな。例えば、黒霧がA地点にいるとして、仲間をB地点からC地点に移動させるゲートを開くことも出来るかもしれない。…………あっ」

 ブツブツと自分の考えを垂れ流し、僕はようやく我に返った。思考に没頭してしゃべり続けてしまった。自分の世界に入ると、いつも周りが見えなくなる。
 ……またやってしまった。引かれたかな、キモイと思われたかな。
 恐る恐る、机に落としていた視線を上げると、ポチさんが普段よりもずっと大人びた表情をしていた。ドン引きした様子もなく、思案気に腕を組んでいる。
 喋りすぎを気にしたことが恥ずかしくなってきて、僕は取り繕うように手をわたわたと動かした。

「とっ!いうのが、僕なりの考えなんだけど……」
「"空間移動"じゃなく"ゲート"っていうのは、すごく納得できた。で、単なるワープでもなく、"ゲートをくぐる"っていう行為で移動してるんだ。転移じゃなくて、移動だな」

 ポチさんがさらに話を広げてくるのは、ちょっと予想外だった。僕もつい話を続けてしまう。

「う、うん、そうだと思う。直接つなげているってことを踏まえると、入口と出口じゃなくて、"一つのゲートを二か所に出現させる"って言い方が正しいのかもしれない」
「ははあ、なるほど。あるべき空間を圧縮してるとか、移動させたい人間を分解して再構築してるとかじゃなく、"ただドアをくぐっただけ"だ。それなら私にも分かってくる。軸とか座標の話は難しいけど、イメージは得意だよ」
「単純な攻撃力はないけど、攻撃も移動させられるんだから厄介だ。黒霧の前では、飛び道具もうかつには使えない。足元にゲートをつくられたら足を切断される危険もあるし、脳無とは違った意味で強敵だ」
「はは、確かに対策を立てるのは難しいだろうね。……けど、"ワープ"じゃなくて"ゲート"か。うん、ちょっと希望が見えてきたかも」
「希望って……何の?」
「んー?秘密」

 もしワープ個性持ちのヴィランと対峙した時の対処法、とかだろうか。それにしてはポチさんは楽しそうに見える。

「ありがとう、イズク。参考になったよ」
「えっと、どういたしまして」
「ショートが来るまでもう少し時間あるから私は教室にいるけど、イズクはどうする?」
「僕はトレーニングに……」
「私になにか聞きたいことがあれば、聞いてくれてもいーよ。今日のお返しに、なんでも答えちゃう!」

 ポチさんは僕の机に両肘をついて、手のひらの上に顎を乗せた。にっこり笑う顔には全く邪気がない。
 白状すると、聞きたいことがありすぎる。"ヒーローノート"のポチさんのページは、ハテナマークが乱舞しているのだ。
 彼女の個性は特殊だ。双子である轟君ももちろん特殊だが、異様さが強いのはポチさんの方である。
 
「お言葉に甘えたい、けど……いいの?『自分の能力やその限界を教えたくない』って前に言ってたでしょ」
「聞きたいことって能力のこと?いいよ。今はもう、あんまりこだわってない」
「そうなの?」
「ヒーローって嫌でも注目されるし有名になるじゃん。だから"自分の個性を人にさらした上でどれだけ対応できるのか"っていうのが必要になってくるんでしょ。雄英がそういう方針だって分かったから、もう、いいよ」
「じゃあ聞いていいかな!?轟君の"半燃半冷"と違って、ポチさんの個性は"製氷"と"炎上"って言われてるけど、どのくらいの範囲まで適応されるの?氷の大きさとか炎の強さとかのコントロールは自由自在?あと、脳無の攻撃を防いでいた壁は一体、」
「おお、ぐいぐい来るな」
「ご、ごめん!」
「で、えーと、範囲か。一応出来る範囲は決まってるけど、その時の調子にもよるから"けっこう広め"とだけ。大きさと強さはコントロールできるよ。私の想像力がちゃんと働けば、氷の城とかも作り出せる。そんで壁は、薄い氷壁。私への殺意とか敵意に反応して自動展開、傷を負っても高速で自動修復するようにプログラムしてる」
「プログラム?そんなことも出来るの?」
「技というか……一つの"発"というか……」
「はつ?」
「ンまあそれはそれとして、私の個性ってもう一つあるんだけど」
「もう一つ!?三つ目!?超パワーみたいなのも、やっぱり個性なの!?」
「それは違う」
「じゃ、じゃあ千里眼!?」
「それも違う。普段の戦闘ではあんまり使わないから、近いうちに見せたげるよ。今はだめだけど」
「だ、駄目な時があるんだ……」
「服脱がないといけなくて」
「!?!?」




「……チッ」
「あれ、パパ上いるんだ」

 帰宅すると、珍しくエンデヴァーの靴があった。ショートの機嫌が急降下し、迫力のある舌打ちまで頂戴する。よその家庭事情に口を出す気はないが、ショートはパパ上のことを嫌いすぎなのでは。
 普段の数倍ゆっくりとした動作で靴を脱ぐショート見て、私はすいっと"円"を伸ばした。

「パパ上は部屋にいるみたいだけど」
「……そうか」

 ショートが早足で私室に向かう。着替えるためだろう。「ならば今の内に飯」というモノローグが聞こえた気がした。
 私はパパ上を避ける理由がないので、いつも通り部屋に行って、いつも通り着替えて、いつも通りダイニングに入る。フユミと話している間に、ショートは食事を終えてさっさと引っ込んでしまった。
 不機嫌だなあ、とフユミと顔を見合わせていると、入れ違いにパパ上がダイニングにやってきた。ショート、廊下でパパ上とすれ違ったんじゃなかろうか。
 夕飯かな、とのんびり構えていたら、パパ上は私を呼びに来たのだという。

「パパ上、ご飯は?」
「……済んでいる」
「私、あともうちょっとなんだけど」
「食べ終えてからでいい」
「はーい」

 フユミから「本当にポチは大物だよね」としみじみと言われたが、人間として当然の機能を喪ったり凶悪盗賊団と一緒にいたりすれば、そりゃあ肝も据わる。考えなしとも言う。
 慎重に、けれど急いで残りの食事を終え、パパ上の部屋に向かう。
 実は、移動系能力作れないかなーと考えていたりする。
 ある程度全系統に当てはまるからいけるかなーと思ったけど、私は基本が変化系だ。ゲート作る能力なら特質系だろうし、特質系は変化系からちょっと遠い。友達に瞬間移動の能力を作った人がいたが、彼女ももちろん特質系。私でも頑張ったら出来ないことはないんだろうけど、あんまり出来る気がしない。
 だって、その友達も含めてなのだが、特質系って天才肌というか独特な人が多いのだ。コイツ多分AB型だなって感じの人。凶悪盗賊団の団長しかり。
 特質系の能力作ろうと思うと出来そうな気がするんだけど、団長と同じ系統の能力作ろうと思うと、途端に出来る気がしなくなる不思議。

「……おい、聞いているのか」
「聞いてるよー。エンデヴァーの娘っぽく、そこそこ勝ち進めばいいんでしょ?」
「貴様、もう少し真面目な話し方は出来んのか」

 新しい能力は一朝一夕で出来るものではない。まずは体育祭だ。
 私は当然"轟氷火"としての出場なので、ヒーロー事務所へアピールする気が無くても、それなりに動いて見せなければならない。血縁でもなく、ただお世話になっている身としては、エンデヴァーの顔に泥を塗る訳にはいかないのだ。私は凶悪盗賊団のペットだったが、その辺はわきまえているつもりである。
 
「ショートは……よっぽどのことがない限り、表彰台はかたい。ショートに勝つのはまずいし……五位以内くらい?」
「馬鹿か、トーナメントだぞ。三位が二名、つまり四名が入賞する」
「じゃあ三位かあ……もし、早い段階でショートと当たったら入賞は勘弁してね」
「ああ」
「ちゃんと三位になったらご褒美ある?」
「当然のことをして、なぜ褒美が必要だ?」
「パパ上厳しい」
「その呼び方をいい加減やめろ」
「えーやだ」

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