発火するマフィアと酒


十代目はだいぶ染まっているが、自分が常識人で凡人だと信じてる。



 ガヴィが仕事でイタリアに入国したところ、鉄道を降りてすぐに声をかけられた。

「やあ、お姉さん。ヴェローナは初めて?」

 柔らかいイタリア語で話しかけてきた青年は、アジア系のやや幼い顔つきだが仕草はイタリア紳士のそれで、実年齢の推測が難しい。カジュアルな装いであるものの、全身ハイブランド。重力に逆らう明るい茶髪が印象的だった。
 だが、暇を持て余したお坊っちゃんというには警鐘がうるさい。少なくとも堅気ではなさそうだ。

「こんにちは。いえ、何度か来たことがあるわ」

 にっこり笑って返す。
 ピアニストのレティーツィア・シェーラーは、暇があるとヨーロッパ各国に出向き、馴染みになったバーで演奏をしている。宣伝活動をかねた観光が趣味なのだ。
 青年は残念がるでもなく「そっかあ」と頷き、パッと観光パンフレットを示した。

「ここ、先月オープンしたトラットリアなんだけど、何でも美味しくてオススメなんだ。ここから近いしね」
「あらそうなの。知らなかったわ」
「でも、貴女みたいな可愛らしい人が一人でいたら相席をめぐって喧嘩が起きてしまう。ここはヴェローナの平和のためにも、オレと一緒に行かない?」
「ふふ。ぜひ、ご一緒に」
「ありがとう。オレはツナ」
「レティーツィアよ」

 どこでも手に入りそうな薄いパンフレットに掲載された、小洒落たトラットリアだ。青年は指先で何気なくパンフレットを叩いただけだが、ガヴィはそれを正確に読み取った。
 「家族経営」「オススメはボンゴレビアンコ」「酒の取り扱いが豊富」。偶然で片付けられる範囲だが、楽観的ではいられない。
 "ボンゴレファミリー"。他のマフィアと一線を画す歴史、格式、規模を誇る、超巨大イタリアンマフィアだ。
 ツナと名乗った青年の隙の無さや、身に着けている高級品、お勧めだという店の選び方。ただの"イタリア紳士のたしなみ(ナンパ)"ならば良いのだが、恐らくそうではない。地位はともかく、少なくともボンゴレファミリーの構成員であることに違いないだろう。
 幸いなのは、イタリア全土に力を及ぼすボンゴレファミリーが、マフィア以外の組織には手を出さないという点だ。彼らからすれば、組織も"堅気以上マフィア未満"にカテゴライズされるようで、今まで接触されたことはない。他のマフィアは線引きが緩いことが多いが、ボンゴレファミリーは昔ながらの線引きを厳格に守っている。
 ガヴィはイタリアで情報収集や潜入をするにあたり、マフィアの領域を犯さないことに細心の注意を払っている。どこでボンゴレファミリーの機嫌を損ねるか分からない上、別の業界だといっても、ボンゴレの邪魔をすればどうなるか分からない。
 ガヴィが怪しいランチに応じたのは、ボンゴレファミリーの厳格さをある程度信用していたことと、これを蹴った後が恐ろしいからだ。他のマフィアならばともかく、ボンゴレファミリーを敵に回しては組織も歯が立たない。

「はい、ここだよ。近かったでしょ?」
「ええ。賑わっているわね。少し待つかしら」
「ううん、二階の個室をとってあるから」

 ガヴィの内心の緊張などいざしらず、ツナは人好きする笑みを浮かべる。顔見知りらしい店員と二三言かわしながら賑わう店内を進み、店の奥の階段を上って予約必須の個室に入った。
 ツナは、完璧なエスコートでガヴィを椅子に座らせる。

「注文はどうする?こっちから呼ばない限り、店員も来ないんだ」

 一階の賑わいとは不釣り合いな、手触りのいいメニューリストを差し出される。
 ガヴィは受け取ったものの見ることはなく、そのままテーブルに伏せた。マフィアの可能性が高い相手が行きつけの店で、ましてや予約していたという席で、そう簡単に食べ物を口に出来ない。
 メニューを伏せたガヴィに対して、ツナは困ったように笑った。

「そうなるよね……。毒は盛ってないって言ったところで、信じてもらえないか」

 やはり、レティーツィアがピアニストではないと分かっている。堂々とした誘導といい、隠すつもりはないのだろう。

「とりあえずドリンクだけ頼もうか。コーヒー?紅茶?ジュースもあるよ」
「……では、コーヒーで」
「分かった。何か食べたくなったら言ってね」

 ツナがテーブルのベルで店員を呼び、コーヒーを二つ注文する。
 愛想のいい店員がコーヒーを運んでくるまで、ガヴィもツナも沈黙していた。
 
「よし、ちょっとだけ真面目な話をしましょうか。ここは盗聴も盗撮もしてないから安心して」
「はいそうですか、とはいかないわね」
「うーん……じゃあ、言い方を変えるよ。レティーツィアさんが"呑み放題"のメンバーだってことは分かっているから、今更隠そうとしても無駄だよ」

 にっこり。ツナは明日の天気を話すような朗らかさで、ガヴィの逃げ道を塞いだ。
 それにしても、組織を"呑み放題"と呼称されるとは。多くはチームカラーの黒にちなんだ呼び方をされ、たまに酒蔵や酒樽と呼ばれる程度なのだが。彼が組織を全く恐れていないことは明らかだ。
 ガヴィは短くため息をついて、レティーツィアの仮面を外した。

「流石、天下のボンゴレ。よく分かったね」
「レティーツィアさんがそっちの人ってことは、前から把握してた。でも呑み放題での貴女の立場は分からない。とても身を隠すのが上手いね」
「ありがと」
「銘柄が与えられてるなら聞かせてほしいな、せっかくだから。脅しとかじゃなくてさ。オレもちゃんと名乗るよ」

 なぜか、ツナと話していると妙に気が抜ける。敵地で緊張を解いたり、組織連中といて気を抜いたこともないにもかかわらず、調子が狂うのだ。

「銘柄(コードネーム)はガヴィ」
「銘柄有イコール幹部、なんだっけ」
「間違ってはいないけど、ネームドにも上下関係はあるよ」
「そっか。オレは綱吉・沢田。あだ名がツナなんだ」
「日本人?」
「うん。もしかして日本語分かる?」
「ああ」
「そっか、ちょっと嬉しいなあ」
「それで、ツナはボンゴレの一員?」
「十代目をやってる。つまり、ボスかな」

 ガヴィは表情を一切変えず、静かに驚いた。マフィアのボスというには、目の前の青年は若すぎる。迫力や血なまぐささも少ない。トップ独特の貫禄や畏怖も感じない。一般人に擬態しているのだとすれば、自身と同等かそれ以上の演技力である。一構成員が堅気を装うのとはわけが違う。
 それに、なにより。

「ボンゴレファミリーのボスが一人で、他組織の幹部に会いに来たってこと?」

 驚愕を隠してなんとかそれだけ問いかける。

「人探しはオレの十八番なんだ。それに、こう見えて結構強いんだよ」
「はあ」
「オレがボスってことは疑わないんだ?」
「只者じゃないことは分かるし、"当代ボンゴレボスは若い東洋人"って情報くらい持ってる」
「流石、ボスの懐刀。思ったとおり優秀だ」
「なんだ、僕のこと知ってるのか」
「"ガヴィ"はその界隈じゃ有名だよ。レティーツィアさんがガヴィっていうのは、少し予想外だけど」

 ツナがコーヒーに口をつける。ガヴィは香ばしい香りを楽しむだけで、カップを持ちもしない。
 ガヴィは好青年然とした大規模マフィアのボスを見据えて口を開いた。

「…何度か、イタリアで仕事をしたことはある。法に引っかからないとは言わないが、マフィアの領域に手は出さないよう注意してきた」
「分かってるよ。貴女がこちらに手を出してこなかったから、オレたちも黙認してた。今回も貴女のせいじゃなくて、オレたちの都合なんだ」
「マフィア側の?」
「そ。貴女は、裏切り者の始末をつけにきたんでしょ?」

 仕事内容まで筒抜けだ。繕う意味もなく、ガヴィは頷いた。
 ネームドの下っ端が、組織の情報を持ち逃げしたのだ。情報そのものは奪還せずとも対応可能なので追跡の必要性はないが、裏切り者の始末は必要だ。裏切りが確定した者への容赦の無さは、ガヴィもジンも変わりない。
 辞めたいなら真正面からそう言ってくれればいいのに、というのがガヴィの正直なところだ。ジンにこぼせばパンパンやられるかもしれないが、ガヴィにそのつもりはない。

「その裏切り者が取り入ろうとしてるマフィアのことは知ってる?」
「ガタがきてる中規模ファミリーという印象だな。僕は、裏切り者にしか手を出す気はないよ」
「うん、だろうね。それで……そのファミリー、怪しかったからウチの連中も前々から目をつけてたんだ。とうとう、マフィアとしてやっちゃいけないことをやっちゃって、潰そうかって話が出てる」
「マフィア間の抗争か」
「貴女が巻き込まれないと言い切れないんだ。流れ弾とか。貴女が裏切り者を始末することで、ボンゴレだと勘違いされる可能性だってある。オレはマフィア以外の人間を抗争に巻き込みたくないし……もし貴女に何かがあって、ウチと呑み放題との全面戦争になるのも困る」
「ボンゴレほどの力があれば、僕の所属先くらい潰せそうだけどな」
「ああ、まあ、うん。でもそうじゃなくて……呑み放題が無くなることで、裏社会のパワーバランスが崩れるだろ?それでマフィアに流れ込まれたら手間なんだ」
「そちらの都合は分かったが……僕も仕事を放棄できない」
「だよねえ」
「標的が抗争で死んでも構わないが、僕は基本的に自分の目しか信用していない」
「うん。そこで、オレから提案がある」

 彼の表情は明るい。ビジネスの話ではなく、まるで次のデートプランを立てているような。

「貴女には、抗争が落ち着くまでただのピアニストとして過ごしてもらう。代わりに、貴女の標的はオレたちが生け捕りにして引き渡す。抗争で死んでいても証拠を持ち帰ろう」
「滞在場所については?」
「レティーツィアさんのセーフハウスでも、適当なホテルでもいいよ。危ないとこちらが判断すれば、ウチのホテルに移ってほしい」
「……分かった、提案に乗るよ」

 標的を連れてきてくれるというし、乗らない理由はない。監視がつけられるかもしれないが、レティーツィアとしての生活で、見られて困るものもない。
 それに、裏切り者の始末という面白みのない仕事で、抗争に巻き込まれて死亡するなど笑えない。天下のボンゴレの庇護化に入れるのならば、入ったほうが無難だ。

「はあ、良かった」
「期間はどのくらい?長引くなら、イタリアを出ることも考えるけど」
「ぶつかっちゃえば早いから、一週間以内に全部片付くと思うよ」
「鮮やかだな」
「血の気が多いんだ……施設破壊はほどほどにして欲しいんだけどなあ」
「お抱えの爆弾魔でも?」
「そんな物騒な人はいな、い……いや、うん、いるかもしれないけど、物を壊すのは別の人」

 ボンゴレほどの組織になると、ジンのような過激派を複数抱えているのだろうか。遠い目するツナに密かに同情する。
 ガヴィは、すっかり冷めてしまったコーヒーに視線を落とす。ソーサーから持ち上げると、対面から驚いたような気配がした。

「え、無理しなくていいよ」
「ここまで筒抜けなら、この滞在期間中何も食べられなくなる。これは、一時的だとしても信用した証ってことで」
「はー……カッコイイなあ」
「光栄です」

 冷めたコーヒーをイッキに飲み干し、ソーサーに戻す。

「……ねえ、移籍とか考えたことないの?」
「まさかボンゴレからスカウトされるとは」
「ガヴィの優秀さは知ってる。ちゃんと話が通じる人だってことも分かったからね」
「組織が解体する日が来たら、な。組織を抜ける気はないけど、心中する気もない」
「呑み放題が潰れるか、愛想が尽きたら、ウチにおいでよ。仕事内容は応相談」
「覚えておく」

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